2009年12月30日水曜日

九吟歌仙・電波の巻

   透明に電波の満つる小春かな      ぐみ
    あをき氷河を映す平面       ゆかり
   夕闇の匂ひの猫を抱き上げて      苑を
    小説家こそ極道の裔         銀河
   ささやきし訛言の月の息遣ひ   ざんくろー
    歯痛の疼く秋雨前線          七
ウ  椎の実をオセロの盤に置いてみる    れい
    磁石片手に西へと向かひ       由季
   ふられてはまた肥えてゆく猪八戒   あとり
    婚活の席共食ひの怪          み
   刻々と届きし写メもつひに絶え      ゆ
    瞬時に決まる歌留多合戦        を
   月一輪太宰の富士を輝かす        河
    道化となりて眠れぬ夜果つ       ー
   のんしやらん浮世は春よのんしやらん   七
    鼻音の尾から糸遊となる        い
   密約のありやなしやと花の宿       季
    筍流し舟もかよはず          あ
ナオ 愛欲の温もりを帯び管楽器        ゆ
    女性党首の子沢山好き         み
   登校は信号無視に気をつけて       河
    紀ノ国屋までパン買ひにゆく      を
   あちらがは脱けられますと占ひ師     七
    乳房抱へしきはどい水着        ー
   蜜月の日焼けのあとをくすぐりぬ     季
    びんづる尊者外にまします       い
   地球儀のインドにとまる秋の蠅      み
    台所より柿を割る音          あ
   妹のごと夕月のほほ笑みて        を
    けふもカーネル・サンダース立つ    ゆ
ナウ 煮凝りの道頓堀へ飛び込みぬ       ー
    水の音する五十三次          河
   一枚を挟む小さなピンセット       い
    展翅板より蝶の飛び立ち        七
   星空に棹さしてゆく花の雲        あ
    蛍烏賊寄るあかつきの岸        季

起首 2009年11月29日
満尾 2009年12月30日
捌き ゆかり

 掲示板で巻いていた連句が満尾しました。ご感想は掲示板へ。

2009年12月14日月曜日

時雨


地に落つるまでの名前の時雨かな ゆかり

2009年12月13日日曜日

烏瓜



ぶら下がる定めによりて烏瓜 ゆかり

2009年12月12日土曜日

写真機


デジカメというものを買いました。いやあ、いいですね。近くの公園まで行って池のまわりを二周して、69枚も写真を撮ってしまいました。olympus E-520というちょっと前の製品です。

冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男

2009年12月4日金曜日

俳風動物記2

 11/21の日記に紹介した宮地伝三郎『俳風動物記』(岩波新書)を読み終わりました。これ、動物生態学者の随想として、激しく面白いです。一冊の本の中で大いに話が飛躍します。
 
●カワウソと獺祭
 季題に「獺魚を祭る」というのがあり、山本健吉の『最新俳句歳時記』(文藝春秋)の記載では以下。
 
 とった魚を岸にならべてなかなか食わないと言われ、そのことを獺が正月(陰暦)に先祖を祀ると言ったもので、空想的季題である。
 
 これが宮地伝三郎氏の手にかかると、こうなる。
 
 獺のまつり見てこよ瀬田の奥 芭蕉
 魚まつる獺おぼろなり水の月 青橘
 何魚を祭るぞ獺のかげおぼろ 文児
 獺の祭りに恥ぢよ魚の店   蝶夢
 
などの句を列挙した上で、「日本の俳諧師は誰も獺祭の現場は確認していない」と断定、ライデッカー『王室自然史』(1922年)の記述を紹介する。

 捕らえた魚は、小さいのは前肢でもって、背泳しながら、その場で食うが、大きいのは陸上に運んで、手で持ち、頭から食べて尾ひれだけを残す。とくに興味があるのは、魚がたくさんとれる場合で、殺したのを陸上に置いては、また、漁をつづける。そればかりでなく、殺しのための殺しをする習性があって、一かみしただけの魚を、食べないで陸上にちらかしておくのを、人が拾って食べることもあったという。動くものを見たら飛びかかって殺す狩猟本能によるのである。これらの観察は、『礼記』の獺祭魚の記述とよく照応する。もっとも、獺祭魚の魚は、食う前にまず先祖の霊に捧げるので、お下がりは食うようにも読みとれるが、ライデッカーによると、カワウソは食う必要以上の魚を殺して捨てておく。
 古代中国の経書、『礼記』の獺祭は架空の作り話とはいえないのである。

 
云々。

●タニシを鳴かせた俳諧師
 こちらも山本健吉の『最新俳句歳時記』によれば、以下。
 
 古来田螺鳴くと言っているが、空想である。
 
 これが宮地伝三郎氏の手にかかると、こうなる。
 
 タニシの鳴き声を聞いた人がいるだろうか。ちかごろは水田地帯を歩いてもタニシを見かけることさえ希なのだが、近世の俳人たちは、日常のこととしてその鳴き声を聞いていた。
 
 かくまでの春ぞとて鳴くたにしかな 少汝
 韮くさき垣の隣りを鳴くたにし   祥禾
 春嬉したにしの鳴くに及ぶまで   葛三
 桃さけか桜咲けとか鳴くたにし   玉峩
 (以下5句ゆかり略。)

 春、それも昼間に鳴いている場面が多いように見えるが、そうとばかりは限らない。夜も鳴く。
 
 菜の花の盛りを一夜啼く田螺    曾良
 田螺啼いて土臭き春の夕べかな   保吉
 鳴く田螺きかんともなく聞く夜かな 保吉
 たにしなく夜は淋しいに蚤ひとつ  撫節

 これらの句を列挙したのち曰く、
 
 それにしても、これほどの俳人が鳴くのを聞いたというのに、タニシの発声器官も聴器も見あたらない。タニシの身代わりとして、ほんとうに鳴いている動物が別にいるのではあるまいか。
 
と論を展開する。この展開の中で何種類もの小動物や昆虫の話が出てくるのであるが、ウンカのめすの発信装置のくだりなど、実に驚くべき記述がある。

●動物生態学者としての発想の飛躍
 かと思うと、動物生態学者としての発想の飛躍にのめり込むくだりが二箇所ある。ひとつはびわ湖特産のハゼ科淡水魚イサザの出自であり、もうひとつは同じびわ湖特産のセタシジミの出自である。とりわけ後者の発想はダイナミックで、門外漢の私にとっても感動的ですらある。中国に太湖という湖があり、そこにセタシジミそっくりのシジミがいるのだが、なんと、宮地伝三郎氏は日本列島が中国大陸と陸続きだった時代に思いを馳せる。その頃、揚子江と当時は南流していた黄河とは合流して、一本の河として南支那海に注ぎ、びわ湖と瀬戸内海を結ぶ「古瀬戸内海」はその一つの支流として、それに合流していたと推定されるから、太湖と古びわ湖は同一水系に属していたのだ、という。
 
 これらのくだりでは、俳句の読者そっちのけで、江戸俳諧の引用もなく筆が進み、その集中がすばらしい。随想っていうのは、こうでなくっちゃと、つくづく思う。

(ついでながら、11/21の日記からのリンクでamazonに行くと、多くの古書店が1円(+送料)でこの本を売っています。)