2010年6月26日土曜日

うたのように 1と3

 「うたのように 1」は谷川俊太郎の「かなしみ」に近いものがある。

うたのように 1
         大岡信
         
湖水の波は寄せてくる
たえまなく岩の頭を洗いながら
底に透くきぬの砂には波の模様が……
それはわたしの中にもある
悲しみの透明なあり方として



かなしみ
       谷川俊太郎

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった




 このお二人、現代詩にありがちな(と私が思っているだけかも知れない)戦争や地縁・血縁的閉鎖性と無縁な位置に立っていて、クールな抒情が好きだった。
 ついでながら谷川俊太郎の「かなしみ」は、私の中では摂取時期が近接していたせいかビートルズの比類なく美しいコーラスワーク「ビコーズ」とセットになっている。

BECAUSE
              by Lennon and McCartney
Because the would is round
It turns me on
Because the would is round

Because the wind is high
It blows my mind
Because the wind is high

Love is old,love is new
Love is all,love is you

Because the sky is blue
It makes me cry
Because the sky is blue


 この極端に単純化された歌詞を書いた頃、ジョン・レノンは俳句に傾倒していたという。ところで英語圏ではblueは悲しい色だが、谷川俊太郎の「あの青い空の波の音が聞えるあたり」の青い色はどういう色なのだろう。

 さて、散文詩「うたのように 3」は二箇所に傍線を引いていた。「私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。」「私は自由に溶けていた。」前者の一節を少し引用する。

うたのように 3
         大岡信
         
 十六歳の夢の中で、私はいつも感じていた、私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。空にかかって、見えない無数の羽音に充ちて、舗道は海まで一面の空色のなかを伸びていった。恋人たちは並木の梢に腰かけて、白い帽子を編んでいた。風が綿毛を散らしていた。
 
(以下略)

2010年6月25日金曜日

うたのように 2

 実家に寄って『大岡信著作集 第一巻』を取ってきた。初期の詩集『記憶と現在』から『わが夜のいきものたち』まで九冊分を収録。

 今から三十年くらい前の私は、感動した行に印をつけたり、言葉の意味を辞書から転記したりしていたので、そういうのを改めて目の当たりにするのも、タイムカプセルのふたをあけるみたいで楽しいやら恥ずかしいやら。矢野顕子のLPの帯を切ったらしきものが栞になっていたり…。

 例えば、中原中也のパロディのような詩に二行、私がつけた!マーク。

うたのように2
           大岡信

 教室の窓にひらひら舞っているのは
 あれは蝶ではありません
 枯葉です
 
 墓標の上にとまっているのは
 あれは蝶ではありません
 枯葉です
 
 君と君の恋人の胸の間に飛んでいるのは
 あれは蝶ではありません
 枯葉です
 
 え 雪ですか
 さらさらと静かに無限に降ってくるのは
 ちがいます 天に溢れた枯葉です
 
 裸の地球も新しい衣装を着ますね
!あなたの眼にも葉脈がひろがりましたね
!夜ごとにぼくらは空の奥へ吹かれるんですね

 あ あなたでしたか 昨夜ぼくを撫でていたひと
 すみません 忘れてしまって
 だれもかれも手足がすんなり長くなって
 舞うように歩いていますね



!を含む三行、音楽で言えばブリッジのようなものだが、じつに鮮やかではないか。

2010年6月24日木曜日

文学的断章

大岡信がかつて『ユリイカ』に連載していた「文学的断章」シリーズは、「激しい断絶を含んでいて、しかも背後には繋がりが見てとれる」を散文でやろうとしていたものなのだろう。それも連句から来ていたのか。あのシリーズ、大好きだった。『彩耳記』『狩月記』『星客集』『年魚集』。のちに結構話題となった『日本人の脳』の学説をいち早く紹介したり、透明な立方体に半分葡萄酒を入れる話があったり、…。

で、『彩耳記』『狩月記』を収めた『大岡信著作集 第十三巻』を開く。滴々集によれば、きっかけは連句ではなく、書肆ユリイカの社主が亡くなって廃刊となっていた「ユリイカ」を青土社から復活させるにあたり、欠席裁判のようにして「大岡はいろいろと書き込んだノートのようなものを持っているにちがいないから、それを元にして連載を書かせよう」と衆議一決してしまったということらしい。曰く、

形式としては原題を読んで字の如く「断章」です。ひとつの主題をきりきり追求する論文ではなく、ややとりとめなくつなげられたいくつかの断章群で一回ずつを構成してゆくわけですが、純然たるアフォリズムとはまた違って、一回ごとに話題の中心になるテーマは一応あるんですね。というより、これは僕の好みでそうなってしまうのだけれど、ぶっつけに何かを書いてゆくと、おのずとその内側からある主題が喚び起こされてきて、それまでは思い及ばなかった素材を僕に思い出させてくれる。そこでそれを引っぱり出してきて主題をさらにふくらませてゆく、という方法をとっているのです。すべてがそうというわけではないけれど、多くの場合そうなっています。実は、この方法は、僕自身にとっても一大発見というに近いもので、『紀貫之』その他の、のちに書くことになる本の書き方にまで甚大な影響を及ぼしました。

と。また曰く、

連句をやったことは僕にとって、詩を書くうえでひとつの転機になりました。文章における「断章」と、詩における連句と、この二つの経験は僕の三十代の終りに生じた願ってもない新しい自己発見の機会となりました。連句の一行から次の一行への飛躍の仕方は、ちょうど「断章」で文章修行を新たに始めていた僕には大いに示唆的だったんです。時のめぐりがそのまま時の恵みになったようにも思いました。

と。

2010年6月21日月曜日

連句と大岡信

連句というと大岡信を思い出す。

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少年
         大岡信

大気の繊(ほそ)い折返しに
折りたたまれて
焔の娘と波の女が
たはむれてゐる

松林では
仲間ッぱづれの少年が
騒ぐ海を
けんめいに取押へてゐる
ただ一本の視線で

「こんな静かなレトルト世界で
蒸留なんかされてたまるか」

仲間ッぱづれの少年よ
のどのふつくら盛りあがつた百合
挽きたての楢の木屑の匂ひよ
かもしかの眼よ
すでに心は五大陸をさまよひつくした
いとしい放浪者よ

きみと二人して
夜明けの荒い空気に酔ひ
露とざす街をあとに
光と石と魚の住む隣町へ
さまよつてゆかう

きみはじぶんを
通風孔だと想像したまへ
ほら いま嵐が
小石といつしよに吸ひこまれてゆく
きみの中へ

ほら いま煤煙(すす)が
嵐になつてとびだしてくる
きみの中から

さうさ
海鳥(うみどり)に
寝呆けまなこのやつなんか
一羽もゐないぜ

泉の轆轤がひつきりなしに
硬い水を新しくする
草の緑の千差萬別
これこそまことの
音ではないのか

少年よ それから二人で
すみずみまで雨でできた
一羽の鳥を鑑賞しにゆかう
そのときだけは
雨女もいつしよに連れてさ

河底に影媛(かげひめ)あはれ横たはるまち
大気に融けて衣通姫(そとほり)の裳の揺れるまち
おお 囁きつづける
死霊(しれい)たちの住むまちをゆかう

けれど
少年よ
ぼくはきみの唇の上に
封印しておく
乳房よりも新鮮な
活字の母型で

「取扱注意!」

とね

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 『大岡信著作集 第三巻』(青土社。1977年)より引用。この著作集には各巻「滴々集」という自作を語る書き下ろしもしくは談があって、こんなことを大岡信は言っている。
 
 連句をやっているうちに、僕自身の詩に大きな影響が出てきました。それは、明確な手触りのあるイメージが出てこないような行は書けなくなってしまったということ。同時に各行の間に大きな断絶と飛躍がある詩でないと自分で満足できなくなっちゃったんですね。これは僕にとって、結局のところは非常にいい影響だったと思います。『悲歌と祝祷』に収めた詩は、雑誌などに発表した当時には、違った形だったものが多いんです。時期的に早いものには相当手を入れましたが、その手の入れ方の基本原則は、今言ったようなことです。だらだらと長い詩を書くのはいやになっちゃった。それから、激しい断絶を含んでいて、しかも背後には繋がりが見てとれる、そういう詩を書こうとした。この詩集は、僕のそういう意図が強く出ていると思いますが、読む人には緊張感を要求するものになっているかもしれません。しかし僕は、それはそれでいいと思っているんです。
 
 
 
 
 この「滴々集」を、今このタイミングで読めたのは私にとってラッキーでした。そういう目でこの「少年」を見渡すと、皆さん、いかがですか。

2010年6月12日土曜日

満尾二巻

杉落葉地球の底の薄暑かな   ざんくろー」をふたつに割って始まった掲示板にて巻いた歌仙二巻が立て続けに満尾。

●六吟歌仙 岬の巻
   初夏の地球の底の岬かな       ざんくろー
    南の風に羽を置く鳶          ゆかり
   指揮棒は輪を描き序曲高らかに       ぐみ
    贋作もある展覧会の絵         あとり
   月光のスポーツカーで盗人来         令
    斜に反りたるドカヘル案山子      のかぜ
ウ  横顔の曼珠沙華咲きそろひては        ー
    十四五本もアリス頬張る          ゆ
   ボクサーの元彼ジャブの優しくて       み
    をとこにもある乳首とふもの        あ
   二人には少し小さいバスタブで        令
    反比例する孤立曲線            ー
   ほうたるが雨引きとりて月もやふ       ぜ
    箪笥から出す吾子の臍の緒         ゆ
   黒髪の奇術ベガスに艶然と          み
    女神の問へる金銀の斧           あ
   よき人によからぬ人に花の降る        令
    いたしてをるか殿さまがへる        ぜ
ナオ 松平定知告ぐる四月尽            ゆ
    生まれながらに時の記念日         ー
   バス停のダイヤグラムに余白あり       あ
    床の間の絵はアボカド一個         み
   宅配のピザ屋が笑顔こしらへて        ぜ
    木喰仏が咳をしたかと           令
   宙返り何度もできる自由律          ゆ
    たましひだけはいつも真ん中        ー
   左右から叩かれてゐる漫才師         あ
    和太鼓の音に石榴裂け行き         み
   鄙里の棚田三四と昇る月           ぜ
    行方もしらず草の絮とぶ          令
ナウ 相部屋となることもある神の旅        ゆ
    ひとりのときは北枕して          ー
   入江から離れて浮かぶ測量船         ぜ
    甃のうへまで野火のけぶれる        令
   石灰の白ひとすぢに花の道          あ
    巣立ちの時ぞ夢のそれぞれ         み

起首:2010/05/15
満尾:2010/06/06
捌き:ゆかり

○六吟歌仙 杉落葉の巻
   しんなりと杉落葉敷く薄暑かな    ざんくろー
    遠近法でのびる初夏          ゆかり
   黒馬の真つ暗な谷渡り来て        あとり
    銅鑼華やかにキホ-テは旅         七
   満月のまるで鏡の浮かぶやう        銀河
    化粧廻しもすつかり馴染み        ぐみ
ウ  ちいママに会ひに行きたる虫の声       ー
    来夢来人のとなりはC'est La Vie       ゆ
   ペディキュアを舐めてごらんと歓喜天     あ
    伊藤晴雨の筆痕なぞり           七
   大蛸を浮き彫りにする針地獄         河
    座頭市なら英訳もあり           み
   左手のけん玉で突く夏の月          ー
    くたびれ果てた緑のフェルト        ゆ
   唐三彩千年垂るる釉の音           あ
    雲雀料理はゆふべの残り          七
   郷愁の詩人あゆめる花の岸          河
    横目に映る競漕の水尾           み
ナオ 三角のPLAYボタンを押してみる        ゆ
    踊り始める荻野目洋子           ー
   青春の光と影の遠のいて           七
    スカイツリーが日に日に伸びる       あ
   武蔵恋ふお通に涙夏芝居           み
    水田に映るつばくろの喉          河
   調律の仕事次第に高まりぬ          ゆ
    関ヶ原より干戈の響く           ー
   痩せ犬に婆娑羅なドラマ脚色し        七
    フローリングに秋扇置く          あ
   後の月姉の真似するみそつかす        み
    塀のきはにも細き鶏頭           河
ナウ 悠然と猫の長さで猫歩く           ゆ
    メトロノームはアンダンティーノ      ー
   火星での再会約すアロハシャツ        み
    象形文字に還る淡雪            河
   石盤に指滑らせば花咲けり          七
    ぐいと紅ひく春は曙            あ

起首:2010/05/15
満尾:2010/06/12
捌き:ゆかり