2011年2月20日日曜日

広渡敬雄『遠賀川』

 広渡敬雄氏の第一句集『遠賀川』(ふらんす堂。1999年)。実感に根ざした写生句と、当たり前のことを詠んでいるのにそこはかとなく可笑しいたくみな人事句と、鮮やかな視点の転換を感じさせる句がバランスよく混ざった句集である。

 写生句ではこのような句群。

粧へる山に打ち込む鐘ひとつ    広渡敬雄
白樺の初明りまた雪明り
霧抜けてバスおもむろにライト消す
瓦葺く人立ち上がる薄暑かな
急流を鮎師は腿で押しかへす
寒鰤の氷咥へて糶られけり
びつしりと隠岐の天日に鰯干す
雪を得て名もなき山のゆるぎなし
藤寺の二軒となりに藤の花
通夜の灯のわづかに届く燕の巣
滝行者乳首尖らせ戻りけり
悴みて登頂時刻のみ記せり
鰤網や海の力をたぐりつつ
モノレールの下に空あり初燕


 「鮎師」「鰤網」の句に感じられる身体感覚に説得力を感じる。「初燕」の句の大胆な構図もすてきである。

 人事句はこのような句群。


登高やなほ高き峰子に示し
扇風機売場の風の定まらず
機内灯消して真下の大文字
幕引の踝見えて里神楽
棟上の梯子かけたるまま朧
マネキンの腕を外して更衣
残業の一人となりて灯をふやす
梅林に一人で入りて逢瀬めく
隠岐牛も乗り込むフェリー秋麗ら
輪飾を掛けて閉ぢたる大金庫
門松を撫でて巡査の帰りけり
松とれて銀行らしくなりにけり
雪焼の支店次長の訓示かな
マフラーを巻いて黒髪払ひけり
菊人形着替へ半ばで寝かさるる
透明な手提の中に水着かな
学帽の徽章の雪のまづ融けぬ
芍薬や帯直しあふあねいもと


 どの句もユーモラスにして人間の生活が見えてくるようである。

 次のような句はどうだろう。

赤ん坊を重(おもし)としたり花筵
鰺干して海を明るくしてゐたり
恋を得て猫なで声を忘れけり
峰雲を生み出して海疲れたり


 「赤ん坊」も「鰺」も本来、そんな役割は担っていない。それをこのように捉えるところに俳人としての視点の冴えを感じる。恋猫の句と峰雲の句は人によって反応が分かれるかも知れない。面白すぎという人もいようが、私は好き。

2011年2月11日金曜日

きざし5

ゆく春のあをき放送室に鍵        近恵

 学校において放送室は唯一の機能上内側から鍵をかけることができる遮音空間であり、晩春のむらむらした陽気の中で発育ざかりの生徒たちは、怪しげな映像を再生したり、その気になりさえすればさらには行為に及ぶことだって可能である。具体的なことはなにも述べず「あをき放送室に鍵」とのみ密室を表現したところに、淫靡さのエキスを感じる。

黒々と巨人立ち上がりて驟雨       近恵
大丈夫水着姿にはならない


 この二句から感じられるのは、肉体の過剰と嗜虐である。とりわけ後者からは肉体の過剰と抑止効果がないまぜになった嗜虐を感じる。

とつくりセーター白き成人映画かな    近恵

 その世界には疎いのだが、おそらく「成人映画」という言葉は死語で、ある一時代を思い出させるものなのだろう。テレビが普及して映画館に足を運ぶ人が激減し、映画制作の予算が大幅に削られ、少ない予算で制作できる内容に移行した時代である。もっと時代が下ると、ビデオやパソコンの普及により、そういう目的の映画は存在理由をほぼ失ったのだろう。白いとっくりセーターも、そんなものを着ている人はまったく見かけなくなった。そして人々の記憶の中で、白いとっくりセーターの時代と成人映画の時代は見事に重なっているのである。

きざし4

『炎環新鋭叢書シリーズ5 きざし』(ふらんす堂)、続いては近恵さん。

いつつより先は数へず春の波       近恵

 どこぞの未開民族は数を表す語を5までしか持たずそこから先は「たくさん」という意味の語しかない、というのを、まことしやかに聞いたことがある。怪しげな都市伝説のひとつなのかも知れないが、おそらくは作者も日常の煩わしさを切り捨て、その伝説に一口乗ろうとしているに違いない。「数へず」にどこか鬱屈があるのである。「春の波」ののどかさに救いを求める気分が感じられる。

かぎろへる角を曲がりて消えにけり    近恵

 なにが消えたのかは明示されていない。追っていたものが陽炎のゆらめきの中で消失したのである。「かぎろへる」「角」「消え」「けり」と強調されたK音に、複雑な光の屈折を感じる。
 
旅支度終へて真黒きバナナかな      近恵

 旅を終えて帰宅した頃にはもう食べられないであろう困ったものが、妖怪のようにそこに存在する。意を決して食したであろうことは言を俟たない。ついでながら「一房の一気に黒くなるバナナ」という句もあり、作者の嗜好が偲ばれる。
 
ぐんにやりとおぶられてをり祭髪     近恵

 高円寺の阿波踊りだろうか。出番を待つ連の若い母親に背負われてぐったりとした幼児と、威勢のよい祭髪との対比がよい。

とろろ擂る大脳の皺伸びるまで      近恵

 馬鹿みたいに一心にとろろを擂るさまを「大脳の皺伸びるまで」と形容した。こう詠まれると、ほんとにどんどん馬鹿になるようである。

褞袍よりひとの匂ひのして重し      近恵

 冬着というものは、自分で着ている分にはあまり感じないが、脱いだものを掛けたりしようとするとその重さに驚かされる。ましてや褞袍である。生活臭がずしりと染み込んでいるのである。とはいえ「ひとの匂ひ」という言い回しに、伴侶への思いが感じられる。
 
初春や皺一つなく張るラップ       近恵

 おせち料理の残りの重箱にラップを張ると四角なので「皺一つなく張る」の快感がある。皿に盛った料理に張るラップは、起伏があるのでこの快感が得られない。してみると、これはまさしく正月の快感なのである。「初春」「張る」と二度「はる」が現れるところもおめでたい。

白鳥の着水見ゆる西病棟         近恵

 まさに「人間万事塞翁が馬」である。このような豪華なものを見ることができるのであれば、病院も悪いものではない。

桜の芽赤し地下鉄車両基地        近恵

 今日大抵の地下鉄は相互乗り入れになってしまったが、昔からある銀座線や丸ノ内線は専用軌道なので地下鉄車両基地というものが存在する。とりわけ丸ノ内線は起伏に富んだ地形を走行しているので地上区間が多く、地上に地下鉄車両基地が実在し、あの独特な赤い車両のたまり場となっている。そこに折しも桜の芽が赤を競うようにふくらんでいるのである。これは東京ローカルな感慨かも知れない。

2011年2月6日日曜日

脇起し七吟歌仙・七種の巻

掲示板で巻いていた歌仙が満尾。

脇起し七吟歌仙・七種の巻 

   七種やなくてぞ数のなつかしき     青蘿
    薺といはず打ちてしやまん     ゆかり
   隆々と山の肩より朝日でて      ぽぽな
    青海原に響く銅鑼の音        ぐみ
   雨月ゆゑ装束つけて舞うてみる      令
    金唐革は蜻蜒の模様          七
ウ  市庁舎の窓の数だけ秋思あり       篠
    通勤に持つ厄除け詩集       あとり
   土曜日は犬と散歩をして暮らし      ゆ
    バッキンガムの宮殿に雪        な
   賜りしクイーンサイズの掛布団      み
    工場跡は滑走路へと          令
   宇宙基地遠く近くに月涼し        七
    ハンモックてふ恋の前触れ       篠
   ひかがみを指でやさしく洗ひあひ     あ
    力がぬけて天国へ行く         ゆ
   花の昼どこが出口かわからない      な
    かげろふ越しにクラインの壺      み
ナオ 質草に春塵うすく積もりたる       令
    うなぎパイなど手土産にして      七
   チェロケース背負ひ峠にバス待てば    篠
    頻頻と散るかのししの耳        あ
   風花に先を失ふ摩天楼          ゆ
    冬の水辺はもの焚く匂ひ        な
   歌麿の美人画どれも鼻ひとつ       み
    切手選ぶにあれかこれかと       令
   貝殻に流木ひろふ夏の海         七
    山の天気を下駄で占ひ         篠
   数あらば言ひ当ててみよ星月夜      あ
    心なき身の苧殻焚きをり        ゆ
ナウ ひるすぎのつくつくぼふしつくぼふし   な
    赤頭巾ちゃん読んで聞かせて      み
   だんだんと足の先から眠くなる      令
    夢魔に押され揺るるふらここ      七
   花の森果て満月の青むころ        篠
    草はかぐはし影に踏まれて       あ

起首 2011年 1月 8日(土)15時13分40秒
満尾 2011年 2月 6日(日)17時47分22秒
捌き ゆかり

 発句の松岡青蘿は江戸時代の俳人。wikipediaによれば「御勘定人として姫路藩に出仕するも、1759年(宝暦9年)20歳のときに身持ち不慎のため姫路に移されるが、1762年(宝暦12年)23歳のとき、再び不行跡をとがめられ姫路藩を追放される。その原因は、賭博とも言われている」というから、波乱に満ちた人生を送ったものと思われる。「なくてぞ数のなつかしき」は一体なにを懐かしんでいるのだろう。