2012年1月28日土曜日

脇起し七吟歌仙・元日の巻

 掲示板で巻いていた歌仙が満尾。

   元日の開くと灯る冷蔵庫     池田澄子
    屠蘇に赤らむ猫型ロボット    ゆかり
   棒読みの論語第一聞こえきて    六番町
    菊のさかりの湯島聖堂     まにょん
   橋ごとに駅どの駅も月の駅      なむ
    霧に消えゆく寝台列車      らくだ
ウ  トレンチの刑事はひとり眉を寄せ   苑を
    まもなく解けるモナリザの謎    ぐみ
   結ばれぬ右と左の山笑ふ        り
    糸をたぐれば公魚たわわ       町
   肝つ玉かあさんがゐる春火燵      ん
    触れなば落ちん出戻りの役      む
   スカーフで隠すゆふべのキスマーク   だ
    もらつた鍵が熱くてならぬ      を
   橋蔵が玉屋とさけぶ川開        み
    遠巻きにして仔猫あつまり      り
   花咲いてビジネスランチ停滞す     町
    遅刻ばかりの春の夜の夢       ん
ナオ むくつけき身に清盛は衣着て      む
    始末に困るてんぷら油        だ
   秋立つもごめんなさいは言へぬまま   を
    シーツの干され菊日和なり      み
   天高く音階練習淀みなし        り
    低い低い椅子バッハ弾くため     町
   穴掘つてキャメラ据えても来ぬ主役   ん
    一夜の伽にお竜参上         む
   もんもんを背負つたをとこは嫌ひだと  だ
    明日で仕舞ひの弁天湯まで      を
   寒月もお化け煙突わすれかね      み
    首くくるにもからくりのあり     り
ナウ ネクタイを夏色にして月曜日      町
    薔薇とワインの定年迎へ       ん
   句読点なき自叙伝を書きあげて     む
    春は名のみの返品の山        だ
   瞑むれば花また花の七重八重      を
    散るひとひらは真白なる蝶      み

起首:2012年 1月 5日(木)
満尾:2012年 1月 28日(土)
捌き:ゆかり

2012年1月9日月曜日

どうでもいいようなことに目をつける着眼点

花束の茎薄暗き虚子忌かな     小野あらた
かき氷味無き場所に行き当たる
嚙むたびに鯛焼きの餡漏れ出しぬ
大きめの犬に嗅がれる遅日かな
人文字の隣と話す残暑かな
鷹去つて双眼鏡のがらんどう

 この人は正統派でめちゃくちゃうまいのではないでしょうか。どうでもいいようなことに目をつける着眼点がじつにある種の俳句的なのです。食べ物の句がやたら多いのはちょっとどうかとも思いますが…。

日脚伸び日脚伸子と名乗りけり  ゆかり

2012年1月8日日曜日

青春性の横溢

歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて    福田若之
僕のほかに腐るものもなく西日の部屋
君はセカイの外へ帰省し無色の街

 青春性の横溢としかいいようがない、若々しい句群です。自意識の過剰や挫折(それすらも「あらゆる知」の反復でしかない)のまっただ中を当事者としてぐんぐん貫く、そんなかっこよさに溢れています。
 そんな青春性を俳句として表現するにあたり福田若之は、もはや単純な棒の如きものには飽き足らず、分かち書き、句読点、記号などの技法を手当たり次第に駆使します。

くらげくらげ 触れ合って温かい。痛い。  福田若之
伝説のロックンロール! カンナの、黄!
さくら、ひら  つながりのよわいぼくたち



 もしかするとこの人は俳句というジャンルにはとどまらず、どこかへ行ってしまうのかも知れません。


回春の状なきひとと梅探る ゆかり 

2012年1月7日土曜日

ささやかな幸せ

襟巻となりて獣のまた集ふ 野口る理

 虚子の「襟巻の狐の顔は別に在り」の「うまいこと言った」感が苦手な私としては、「また集ふ」と言いとめた、さらりとしたユーモアがとても好きです。ささやかな幸せはささやかな幸せとして謳歌したいものです。

初夢の途中で眠くなりにけり 野口る理

 まるでそれまで寝ていなかったような、この嘘っぽさ、すごくいいです。

佐保姫や映画館てふ簡易夜 野口る理

 「簡易夜」、辞書を引いても検索しても見あたりません。「簡易宿」を誰かが清記ミスして、それを一同面白がったので決定稿にしてしまったのでしょうか。簡易夜である映画館の外では、折しも佐保姫が春の光をまき散らしているのです。

浴衣脱げば脱ぎ過ぎたやうな気も 野口る理

 破調がとまどいの感じをよく伝えています。言われてみれば、確かに中間がないのです。実に面白い感覚です。


人日のさて注文は全部入り ゆかり

2012年1月6日金曜日

あなた、だいぶ俳句に冒されてますな

戌年の用意二人で川へ行く 岡野泰輔

 戌年という干支が絶妙に可笑しいです。いったい川で何をするというのか。

花冷えや脳の写真のはずかしく 岡野泰輔

 ただの写真ではありますが、脳だけに人に知られたくない思いが写っているようで、はずかしいのでありましょう。「花冷え」がこれまた絶妙によいです。先生に「あなた、だいぶ俳句に冒されてますな」とか言われそう。

世の中に三月十日静かに来る 岡野泰輔

 三月十日といえば、奉天陥落を祝した陸軍記念日を暗転させる東京大空襲の日だったわけですが、いまや三月十一日の前日に過ぎない状況になってしまいました。これから来る三月十日は、どんな日なのか。あの震災以降に作られた句なのか定かではないのですが、印象深い句です。

人日の右脳左脳のありどころ ゆかり

2012年1月5日木曜日

脱ぐ

セーターの脱いだかたちがすでに負け 岡野泰輔

 「かたち」がなんとも可笑しいです。脱いだセーターにふくらみやくびれがそのまま匂い立つように保存されていないと、この人は許せないのです。こんな人に負けだと言われるのは、ちょっとくやしい気がします。

さくら鯛脱いでしまえばそれほどでも 岡野泰輔

 失礼な句です。きっと脱ぐ前は「さくら色したきみが欲しいよ~」と歌っていたのです。

目の前の水着は水を脱ぐところ    岡野泰輔

 水を上がってからが水着の本領で、舐めるような視線にさらされるのだとしたら、まさに「水を脱ぐ」であって、脱ぐことに他ならないのです。これはすばらしい句です。

ぜんぶ脱ぎ氷山の一角とする ゆかり

2012年1月4日水曜日

とても蛇

『アビーロード』のA面の終わりといえば、She's so heavyですが、じっさいのところ、岡野泰輔さんの蛇の句はきらきらしています。

いちばんのきれいなときを蛇でいる 岡野泰輔

 蛇だって発情期には婚姻色に彩られるのでありましょうが、そういうことではなくて、ひとつの生命体の輪廻の中で、いちばんのきれいなときが蛇って、そうとうかなしい性です。ほとんどひらがなの中に一文字だけ「蛇」が漢字という、表記への配慮がこの句を確かなものにしています。

左手は他人のはじまり蛇穴を 岡野泰輔

 「左手は他人のはじまり」と不如意を嘆くようでいて、この季語の斡旋はなにかしら淫靡な悦びのはじまりのようにも思われます。


蛇眠るうへのあたりで毛糸編む ゆかり

2012年1月3日火曜日

何かの間違いで音楽を演奏する不思議

ピアニスト首深く曲げ静かなふきあげ 岡野泰輔

 ビル・エヴァンスの沈潜するバラードを思います。季語なのかエモーションのほとばしりなのかを限定しないように注意深く語を選んだであろう、破調の「ふきあげ」がじつによいです。

秋の夜の指揮者の頭ずーっと観る 岡野泰輔

 前句もそうなのですが、人間のかたちをした人が何かの間違いで音楽を演奏する能力を持っている不思議を、この句も濃厚に感じさせます。

蔦かずら引けば声出るピアニスト 岡野泰輔

 そんな演奏家を山に連れ出し、「弾けば音出る」ではなく「引けば声出る」としてしまったわけですが、根底には演奏家であることへの不思議が鳴り響いていることでしょう。

音楽で食べようなんて思うな蚊 岡野泰輔

 「思うなかれ」であればなんとも照れくさくもある説教になってしまうのですが、この突然の切断。まるで『アビーロード』のA面の終わりではないです蚊。


お別れは下校のあれを春隣 ゆかり

2012年1月2日月曜日

初買ひあまた

ブックオフの半額セールで谷口ジローを多々。『坊ちゃん』の時代シリーズ、文庫では字が小さすぎて、もはや目許不如意につきこのたび大判に買換。『『坊ちゃん』の時代』『秋の舞姫』『かの蒼空に』『明治流星雨』『不機嫌亭漱石』。他に『センセイの鞄』①②、『地球氷解事紀』上下。
 よほどのコレクターがお亡くなりになったのか、ほとんどコンプリートなのではないかと思われるくらい谷口ジローが出ていたのですが、いかに半額セールとはいえ手許不如意につき、このへんで。
 さて、『センセイの鞄』②の巻末に川上弘美さんと谷口ジローさんの対談があって、川上さんがこんなことを言っています。

 コミックスの一巻が出た時に、帯の文章として「こういう話だったんだ! はじめて知った」って書いたんですけど、本当にその通りで、自分が書かなかった動作や隙間や背景が、そこにあらわれていた。同じ中身なのに、新しいものを見せてもらった喜びがあって、本当にお願いしてよかったです。

 これは原作と作画の関係について語っているわけですが、俳句と選とか、俳句と評の関係というのも、俳句というものが本来あまりにもすかすかなので、作者が「こういう句だったんだ! はじめて知った」と感じるようなことが、ままあるのだろうなあ、と暮れから読んでいる『俳コレ』と重ね合わせて思うのでした。

頭部管奥の我が眼を二日かな ゆかり

2012年1月1日日曜日

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

 抱負というほどのこともないのですが、2006年にこのブログを始めた頃に立ち返り、一日一句、わたしにも俳句が書けます風な句を残して行くことにします。

元旦のかに道楽のこはいかに ゆかり