ブログでは自句のみ引用します。全貌は掲示板をご覧下さい。
お祝ひの歌に囲まれ風光る ゆかり
かんたんな名前の街の花水木 ゆかり 令
音階の聞こえる家や大手毬 ゆかり
2012年4月29日日曜日
2012年4月22日日曜日
詩レ入(1)
そろそろ始動します。 Ⅰ レトリックの誘惑 1 <思いつき>からはじめて そういえば私、かの有名な吉本隆明『言語にとって美とはなにか』を読んだことも手に取ったこともない。ひどいもぐりです。でも朔太郎『詩の原理』は持っている。持っているけど、途中で挫折しました。とりあえず、北川透のいう、 わたしは《何人にも承認され得る普遍共通の詩の原理》という発想を、前提とする考え方を捨てたい、と思う。 というのを道しるべにして進めて行きたいと思います。 さて、《ちょっといま思いついたんだけど……》ということで言えば、俳句の技法のいわゆる二物衝撃というのは、かなり思いつきに近いものなのかもしれません。北村透は次のように書いています。 この場合、ほんとうにふと思いついたということもあるだろうし、<思いつき>を意図的に使うことで、本筋がひそませているいくつかの豊 かな支筋を暗示したり、逆に、本筋そのものをパロディやエピソードにしてしまう、いわば戦術的な<思いつき>話法というものもあるにちがいない。それは一 見、いかにも自然発生的に見えるが、しかし、何かを思いつくこと自体、あるいは思いついたとあえて発語すること自体、その場面が要求するかけひきやら、発 語者の意識の深層にうながされてそうしているのであり、なんの脈絡もなく、ふとこころに浮かんだことを語っているわけではない。 なんだか、これって二物衝撃そのものじゃんって、くらくらしてきませんか。 というわけで出題します。 【<思いつき>のような二物衝撃】(3~5句くらい) 普通の切れ字ではなく「ところで」「さて」などなんでもありです。 投句締切:4月25日(水)24:00(JST) 投句宛先:yukari3434 のあとにアットマークと gmail.com ★整理の都合上、俳句の行には俳句以外の題とか記号とか俳号とか本名とかを 書かないで下さい。 また、空白行や題の行を置かず出題順に左詰で列挙願います。 よろしくどうぞ。 |
ラベル:
詩的レトリック入門句会
2012年4月20日金曜日
七吟歌仙・三月の巻
掲示板で巻いていた歌仙が満尾。
三月の瞼にいつも故郷かな ぽぽな
水平線に及ぶ菜の花 ゆかり
春風は東でも西でもなくて なな
大声を出しタクシー止める 六番町
月からの使者の行列しづしづと らくだ
空を仰ぐは竹伐る翁 まにょん
ウ バス停の図書館前の霧深し 苑を
君のヒールが近づいてくる ぽ
うちふるへ私はいま霜柱 り
パイにしようかキッシュにしようか な
白亜紀かジュラ紀か知らぬこの地層 町
スピルバーグの化石もありて だ
ともづなは涼しき月の下に解く ん
灯火親しむ難問奇問 を
虫の音の京都の寺に一休み ぽ
朝露に濡れスナイドル銃 り
銀板の写真に映る花一輪 な
真顔で強くふらここ漕げば 町
ナオ 馬の子は足震はせて立ち上がり だ
路上の石に淡き歌声 ん
ジャケ買ひをして水底に辿りつく を
短き夜の胎動はげし ぽ
くろぐろと赤方偏移してゐたり り
ワ-ムホ-ルを幸子一郎 な
口ずさむラブ・ミー・ドゥより始まりて 町
顔が好きだといふプロポーズ だ
真夜なれば黄金バットの面つけむ ん
たらりとろりと垂れる水飴 を
代々の秘伝受け継ぐ望の月 ぽ
夜長を裂ける明子の悲鳴 り
ナウ さはやかに大空翔るビブラ-ト な
落下する夢分析されぬ 町
ゆくりなくフリーズしたるパソコンに だ
指の先から暮れる春の日 ん
ミシン踏む店に吹き寄せ花の屑 を
鏡の中の女かげろふ ぽ
起首:2012年 3月16日(金)
満尾:2012年 4月20日(金)
捌き:ゆかり
三月の瞼にいつも故郷かな ぽぽな
水平線に及ぶ菜の花 ゆかり
春風は東でも西でもなくて なな
大声を出しタクシー止める 六番町
月からの使者の行列しづしづと らくだ
空を仰ぐは竹伐る翁 まにょん
ウ バス停の図書館前の霧深し 苑を
君のヒールが近づいてくる ぽ
うちふるへ私はいま霜柱 り
パイにしようかキッシュにしようか な
白亜紀かジュラ紀か知らぬこの地層 町
スピルバーグの化石もありて だ
ともづなは涼しき月の下に解く ん
灯火親しむ難問奇問 を
虫の音の京都の寺に一休み ぽ
朝露に濡れスナイドル銃 り
銀板の写真に映る花一輪 な
真顔で強くふらここ漕げば 町
ナオ 馬の子は足震はせて立ち上がり だ
路上の石に淡き歌声 ん
ジャケ買ひをして水底に辿りつく を
短き夜の胎動はげし ぽ
くろぐろと赤方偏移してゐたり り
ワ-ムホ-ルを幸子一郎 な
口ずさむラブ・ミー・ドゥより始まりて 町
顔が好きだといふプロポーズ だ
真夜なれば黄金バットの面つけむ ん
たらりとろりと垂れる水飴 を
代々の秘伝受け継ぐ望の月 ぽ
夜長を裂ける明子の悲鳴 り
ナウ さはやかに大空翔るビブラ-ト な
落下する夢分析されぬ 町
ゆくりなくフリーズしたるパソコンに だ
指の先から暮れる春の日 ん
ミシン踏む店に吹き寄せ花の屑 を
鏡の中の女かげろふ ぽ
起首:2012年 3月16日(金)
満尾:2012年 4月20日(金)
捌き:ゆかり
2012年4月14日土曜日
詩的レトリック入門句会というのを始める
北川透『詩的レトリック入門』(思潮社、1993年)というたいへん魅力的な本があるのですが、ひとりで読んでいると永遠に読み終わりません。どなたか一緒に読んでくれませんか。で、一節ごとにインスパイアされたもので、ほぼ毎週ここで句会をやります。
この本、いまや古本でしか手に入らないのですね。目次ですが、こんな感じ。
Ⅰ レトリックの誘惑
Ⅱ 余白論の試み
Ⅲ 詩と散文のあいだで
Ⅳ 詩作品の<語り手>とは--詩・短歌・俳句における<私>
Ⅴ 詩的意味論の試み
Ⅵ 未知の像--詩的比喩論の試み
Ⅶ 反喩の構造--詩的仮構論の試み
Ⅷ 詩的境界について
Ⅸ 詩型論の試み
で、各章は3~7の節に細分化されています。例えばⅠ章なら
Ⅰ レトリックの誘惑
1 <思いつき>からはじめて
2 詩的レトリックは修辞ではない
3 違犯の関係が価値にかかわる
で、この節の単位で、逐語的な勉強会ではなく、句会として得たものを還元して行きたいなあ、という構想です。ひとりでもお付き合い頂ければ、さっそく始めます。
この本、いまや古本でしか手に入らないのですね。目次ですが、こんな感じ。
Ⅰ レトリックの誘惑
Ⅱ 余白論の試み
Ⅲ 詩と散文のあいだで
Ⅳ 詩作品の<語り手>とは--詩・短歌・俳句における<私>
Ⅴ 詩的意味論の試み
Ⅵ 未知の像--詩的比喩論の試み
Ⅶ 反喩の構造--詩的仮構論の試み
Ⅷ 詩的境界について
Ⅸ 詩型論の試み
で、各章は3~7の節に細分化されています。例えばⅠ章なら
Ⅰ レトリックの誘惑
1 <思いつき>からはじめて
2 詩的レトリックは修辞ではない
3 違犯の関係が価値にかかわる
で、この節の単位で、逐語的な勉強会ではなく、句会として得たものを還元して行きたいなあ、という構想です。ひとりでもお付き合い頂ければ、さっそく始めます。
ラベル:
詩的レトリック入門句会
2012年4月2日月曜日
実力とは実の力なのだ
Money Jungle
ミンガスもローチもチャーリー・パーカーの世代に属するので、それ以前の世代の大御所エリントンとの共演というだけで、このアルバム、ずいぶん長いこと敬遠していたのだが、実際に聴いてみると一期一会の大変なアルバムなのだった。鉄槌を下すように強靱なエリントンのピアノのタッチに対し、ミンガスがまるでどこかの民族の撥弦楽器みたいにベースを荒々しくべんべんとかき鳴らして挑みかかり、ローチはローチで激しくあおり立てる。とにかく常軌を逸したパワーのぶつかり合いなのだ。「キャラバン」やタイトルナンバーがぶつかり合い系の最たるもの。一方でエキゾチック極まりない「アフリカの花」の香気はどうだろう。「ソリチュード」などのスロー・バラードも異様にスリリングである。
ラベル:
デューク・エリントン
2012年4月1日日曜日
円熟期の甘美極まりないサウンド
ORIGINAL ALBUM CLASSICS
コロンビアの『サッチ・スウィート・サンダー』、RCAの『極東組曲』、『ビリー・ストレイホーンに捧ぐ』の3枚をセットにした徳用盤。どうせなら1枚目を『ザ・ポピュラー』にしてRCAで固めればいいのにという気もするが、『ザ・ポピュラー』は誰でも持っているという判断だったのかも知れない。いずれにせよ、円熟期のエリントン・オーケストラによる甘美極まりないサウンドを堪能できる。とりわけバラードである。1枚目所収の「ザ・スター・クロスト・ラヴァーズ」(村上春樹の小説にも登場)、2枚目所収の「イスファハン」など、切なくて心臓が破けそうである。名人による万感のソロ、独特の書法によるブルース・フィーリングあふれるアンサンブルが渾然一体となって、無上のしあわせが押し寄せる。3枚目は1967年に亡くなったビリー・ストレイホーンに捧げられた追悼盤で、全編ストレイホーン・ナンバーで固めた入魂の作品。とりわけエリントンの無伴奏ソロによる「蓮の花」が素晴らしい。ベースとサックスの加わる別テイクも味わい深い。
ラベル:
デューク・エリントン
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