2012年5月23日水曜日

詩レ入句会(3)作者発表

ブログでは自句のみ引用します。全貌は掲示板をご覧下さい。今回はロボットの句を多々投句して非難囂々。

【俳句にとって日常的、慣習的な語法や文脈の世界の俳句】
胸もとを烏と思ふ蝉の穴         三物くん  銀
ふるさとを昼寝と思ふ水あかり      三物くん  銀七
おほぞらが無くて鏡の捕虫網       三物くん  裕苑七
かなしみの夢の祭のありにけり      ゆかりり
関節や側溝といふみどりの夜       ゆかりり  ら
珍獣の肢体の走る青あらし        ゆかりり
紫陽花の薄着の思う男かな        キヨヒロー
入梅の世界をつかむ美人です       キヨヒロー 七
密告の五月のようなキスの風       キヨヒロー
卯月野と夜の二階のありにけり      ねここ   裕苑
黒板と金魚の水に思いけり        ねここ
空豆の家族と魚へ眠るかな        ねここ   銀苑七
搭乗を見合はせてゐる夕立かな      ゆかり   裕
補助翼の裏に文字ある夕薄暑       ゆかり   裕ら苑
ほんたうに白山しろき薄暑かな      ゆかり   銀


【違犯の俳句】
晩節が無くて金魚の昭和かな       三物くん  苑七
ふるさとが無くて箪笥の金魚かな     三物くん  ら七
どん底が無くて昭和の蜥蜴かな      三物くん  七
細胞のポルシェの蝉にゆるしけり     ゆかりり
妹の蜥蜴の並ぶ目方かな         ゆかりり
首すぢの刃の夏の並びけり        ゆかりり  令
西行の私を夏へ濡らすかな        キヨヒロー 令ら
唇の五月の母と歩くかな         キヨヒロー 銀苑
再婚の薄暑と告げる川の風        キヨヒロー
六月の少女のにこにこ手足かな      ねここ   銀苑
仁丹と祭にじゃぶじゃぶしっぽかな    ねここ   令苑
六月と姉妹と影もつかみけり       ねここ   令七
はつなつの胴体と飛ぶ翼かな       ゆかり
機影いま画面に止まる蠅のごと      ゆかり   裕
サイフォンの噴水高き青葉かな      ゆかり

(以上)
三物くん http://yukari3434.web.fc2.com/sanbutukun.html
 「階段が無くて海鼠の日暮かな   橋閒石」「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」の句型だけで、八田木枯氏の語彙で詠むロボット。旧仮名。

ゆかりり http://yukari3434.web.fc2.com/yukariri.html
 三島ゆかりの語彙で詠むロボット。旧仮名。

キヨヒロー http://yukari3434.web.fc2.com/kiyohiroh.html
 峠谷清広氏の語彙で詠むロボット。新仮名。

ねここ http://yukari3434.web.fc2.com/nekoko.html
 こしのゆみこ氏の語彙で詠むロボット。新仮名。破調容認。
 
 

2012年5月14日月曜日

詩レ入句会(3)出題

 では3回目です。

Ⅰ レトリックの誘惑
 3 違犯の関係が価値にかかわる

 北川透は書きます。(p.030)

(前略)
 それに比して、詩的レトリックは、それがどこまで意識されるかどうかは別にしても、慣習化されたことばの在り方に対する違犯の関係に置 かれる。それは発信者が受信者に対して《意表に出ようとする技術》や《驚かす戦術》ではないにしても、その違犯の関係が、読者を挑撥したり、誘惑したりす ることはたしかだ。そうでなければ、なんらかの理由で、ことさら意味(思想)の流れを拒んだり、切断したり、ずらしたりしている詩作品に、読者が魅き寄せ られることはない。詩的レトリックは、日常的、慣習的な語法や文脈に違犯の関係をつくりだすことで、おいしいことばになっている。ただ空腹が満たされれば いいというのが意味の関係であるとすれば、おいしいというのは、価値の関係である。違犯は、言語の価値にかかわっている。

 さて、ではひるがえって目を俳句に転じた時、私たちは知らず知らずに俳句にとって日常的、慣習的な語法や文脈の世界に甘んじてはいなかったでしょうか。 極論を言えば、季語とか切れとかの制度のもとに、私たちは工業製品のように俳句のようなものを生産しているだけなのではないのでしょうか。とはいえ、私た ちは真にすぐれた俳句から数多くの違犯を読み取ってきたことも事実です。

今回の出題です。

【俳句にとって日常的、慣習的な語法や文脈の世界の俳句】(3~5句くらい)
【違犯の俳句】(3~5句くらい)

投句締切:5月19日(土)24:00(JST)
投句宛先:yukari3434 のあとにアットマークと gmail.com

★整理の都合上、俳句の行には俳句以外の題とか記号とか俳号とか本名とかを書かず左詰で列挙願います。
今回の書式の例

【俳句にとって日常的、慣習的な語法や文脈の世界の俳句】
はつなつの日常的な俳句かな
まつたくの慣習的な五月闇
麦秋の慣習的な語法かな

【違犯の俳句】
はつなつの違犯はじつにむづかしい
まつたくの違犯だらけの五月闇
麦秋の取締りたる違犯かな

 よろしくどうぞ。

2012年5月13日日曜日

久しぶりにジャズを聴く

こじのりさんのカルテット@渋谷KOKO。

小島のり子(fl)4-リンヘイテツ(p)鈴木克人(b)水口泰邦(d)

(1st set)
I thought about you
photographia
voyage
If you could see me now
こきりこ

(2nd set)
long and winding road
I should care
bolivia
everything happens to me
浦霞

 リンヘイテツさんは初めて聴いたけど、オーソドックスにして達者。いっぺんでファンになりました。このカルテットで演奏するのは初めてだって 言っていたけど、フルートの裏でのカウンター・ラインの作り方とか、おお、ここでブロック・コード来ますか、とか、おお、ここでトレモロで高まりますか、 とか、ちょっとしたフルートのフレーズのきれっぱしをすかさず引用してオブリガードするさまとか、実に新鮮で、私はにこにこして口をぱくぱくして聴いてお りました。水口さんもリンさんのくり出す奇数拍パターンにぴたっと合わせてかっこよかった。
 一夜にしてバンドがぐんぐんできあがってゆくさま。あれ、こじのりさんも吹いていてそうとう楽しかったんじゃないかなあ。

2012年5月9日水曜日

詩レ入句会(2)作者発表

ブログでは自句のみ引用します。全貌は掲示板をご覧下さい。

【俳句】
はつなつの屋根ある街を犬ほゆる   ゆかり 銀苑
ヒラメ筋たつぷり用ゐ春惜しむ    ゆかり ら
青果店酒店隔て春の昼        ゆかり 令苑
立ち止まり眼鏡はづして夏来る    ゆかり 銀


【俳句でないもの】
我等みな夏帽子にて春惜しむ     ゆかり
行く川の流れは絶えず貼つてある   ゆかり ら
聖五月胸はたわわな方がよい     ゆかり
噴水や全人格を否定する       ゆかり 銀苑
 
 
 

2012年5月5日土曜日

マヘリア・ジャクソン、ルイ・アームストロング参加も含むエリントン名盤8枚分




Eight Classic Albums: Duke Ellington





録音から50年経過した8枚のLPをCD4枚に収めた合法的な海賊盤。とはいえ、安価にエリントン・サウンドを浴びるように聴けるのはやはりありがたい。もとのLPもしくはCDですでに持っていたものは1枚だけなのだが、一聴した限りこのシリーズのハズレの他盤のような製品的欠陥(音が飛ぶ、ノイズがひどい、曲が途中で切れる、板起こし、など)はなく、アタリの方だと思う。内容は以下。

1)Such Sweet Thunder(1957)
 シェイクスピアを題材としたアルバム。村上春樹の『国境の南、太陽の西』に出てくる「スター・クロスト・ラヴァーズ」はこのアルバムに収められている。単品で購入すると11曲もある別テイクはいさぎよく割愛されている。
2)Black Brown And Beige(1958)
 マヘリア・ジャクソン(vo)参加の組曲。姿をかえて何度もあらわれる「カム・サンデイ」の主題が胸を打つ。レイ・ナンスのvnも哀切きわまりない。
3)Duke Ellington At The Bal Masque(1958)
 ライブ盤である。まさかこんなところで「狼なんかこわくない」が聴けるとは思わなかった。
4)The Cosmic Scene(1958)
 アルバム・タイトルや収録曲「宇宙人」の背景が分かれば興味深い事実があるのかも知れないが、比較的小編成で、ジミー・ハミルトン(cl)、ポール・ゴンザルベス(ts)、クラーク・テリー(tp)らの妙技を楽しめる。こんなにclが前面に出た「A列車」は珍しいのでは。
5)Anatomy Of A Murder(1959)
 ジェームス・スチュアート主演『或る殺人』の映画音楽をエリントンが書いたということらしい。
6)Nutcracker Suite(1960)
 これは可笑しい。チャイコフスキーの『くるみわり人形』のジャズ化である。
7)Piano In The Foreground(1961)
 数少ないであろうエリントンのピアノ・トリオ作品。ミンガス、ローチとの過激な『マネー・ジャングル』もいいが、こちらの方が本来のエリントンの持ち味のような気がする。
8)Together Again(1961)
 ルイ・アームストロングとの共演によるエリントン・ナンバー集。

2012年5月1日火曜日

詩レ入句会(2)出題

 では2回目です。

Ⅰ レトリックの誘惑
 2 詩的レトリックは修辞ではない

 らくださんがいみじくも書かれた「俳句としてはどうなのよ的なもの」、今回はそれで行きましょうか。谷川俊太郎の短い詩を引用したのち、北川透は書きます。

 このような平叙文や慣習化されたことばの在り方とは区別される、詩的なことばの在り方を、先の詩の例から取りだせば、行分け、連構成、 余白、省略(選択)、比喩、多義的な語の使用、繰り返し(リズム)、暗示、助詞や語尾の変化への細心の注意ということになる。むろん、これは詩的なことば の在り方の一部に過ぎないが、これらの総体の関係をわたしは<詩的レトリック=詩的仮構>と呼びたい。詩的レトリックは、詩作品のすべてではないことは当 然だが、しかし、詩と詩でないものとを相対的に区別していることはたしかであろう。

 ここでさらに文章は「俳句や短歌における音数律構成も、詩的レトリックの在り方の一つであり、それは先にも書いたように絶対的な規範であるが」(後略)と続くわけですが、俳人の立場から言えば、音数律構成などというものは、あまりにも絶対的過ぎて、俳句と俳句でないものを区別する尺度として、なんら役に立ちません。

 というわけで出題します。

【俳句】(3~5句くらい)
【俳句でないもの】(3~5句くらい)

投句締切:5月4日(金)24:00(JST)
投句宛先:yukari3434 のあとにアットマークと gmail.com

★整理の都合上、俳句の行には俳句以外の題とか記号とか俳号とか本名とかを書かず左詰で列挙願います。
今回の書式の例

【俳句】
はつなつやこれは俳句に違ひない
鯉幟これは俳句に違ひない
麦秋やこれは俳句に違ひない

【俳句でないもの】
はつなつやこれが俳句のわけがない
鯉幟これが俳句のわけがない
麦秋やこれが俳句のわけがない

 よろしくどうぞ。