2012年8月31日金曜日

摂津幸彦と俳句自動生成ロボット

詩客の4人の参加者による幸彦鑑賞7句⑥ /岡村知昭・大橋愛由等・中村安伸・堀本吟にて堀本吟さんに俳句自動生成ロボット・三物くんを摂津幸彦との関連で取り上げて頂きました。
「恥ずかしいことだけど、僕はやっぱり現代俳句っていうのは文学でありたいな、という感じがあります」という発言が引用されることの多い『恒信風』第3号(1996.2)の摂津幸彦インタビューでは、インタビュアーの村井康司さんが当時のMS-DOSか何かで動く俳句生成ソフトについて言及し、大胆不敵にも「うまくすると、え-、なんというか、ちょっと摂津さん風の句になりまして(笑)」などと話を振っています。

村井 で、例えば、摂津さんが俳句をお作りになるときに、書き留める前の段階で、頭の中でその俳句生成ソフトのような作業をされてると思うんですが、例えばある単語とある単語とを並置して置いた場合にですね、それが「当たり」か「はずれ」かという判断を常にされてると思うんですけれども、そのご自分がされている作業っていうのを、別の言葉で置き換えることはできますでしょうか。どういうふうにしているかってことを。

摂津 「腑に落ちる」っていう言葉があるけれど、自分が先験的に持ってる肉体感覚に落ち込むみたいな、そのへんでやめるっていう言い方がひとつあるのかなあ。骨董の言葉で「腹に合う」とか「腹に合わない」とかっていう言葉があって、いわば「腹に合わない」っていうのは飽いてくるっていうことで、飽いてきたら、必ず偽物だろうっていう、そういうことらしいんだけれど。要するに、どこかで「落ちる」っていうのかな、うん、これが自分だみたいなことで、ふっと自分が立つ場所が見つかるみたいな、そういう部分があると思いますね、俳句が完成したという感じっていうのは。あとで大概は腹に合わなくなりますが(笑)。

2012年8月24日金曜日

詩レ入句会(7)出題

Ⅱ章 余白論の試み
4 <発生>の余白--再び、短歌(P.059)

 さて、北川透は書きます。

(前略)折口の歌の発生史観は、詩がつねに余白とともに出現したというわたしの思いつきに、理由をあたえてくれている。わたしたちの常識は、短い単純なものが広がって、長い複雑なものに進化すると考えやすいが、折口信夫が詩の発生に見ているものは、その反対のものであった。
《まづ、日本の歌においては、長い形のものがたりから、次第に変化して、長歌(ながうた)といふものが出来て来た一方に、そのえきすとも、えつせんすとも いつてよい片歌が、二つ合さつて、旋頭歌といふものに発達して行くと同時に、片歌自身が、短歌を作り上げるやうに、次第に、音の数を増し、内容が複雑にな つてきました。》(「詩の話」『折口信夫全集』第十一巻)


と言われて翻って現代の俳句というものをみたとき、そこに連句のえきすとも、えつせんすともいつてよいものを仮定してみたいのです。常識的には俳句は俳諧 の発句という言い方をしますが、発句と考えるのではなく、連句のえきすとか、えつせんすとして見たときに何か思い当たらないか、ということです。

 というわけで今回の出題です。

【連句のえきすとか、えつせんすとしての俳句】5句くらい

投稿締切:8月28日(火)24:00(JST)
投稿宛先:yukari3434 のあとにアットマークと gmail.com

 よろしくどうぞ。

2012年8月19日日曜日

季刊同人誌『晶』創刊号を読む

 週刊俳句に「中村草田男研究誌の誕生 季刊同人誌『晶』創刊号を読む」という記事が掲載されました。『晶』のブログも併せてご覧下さい。

2012年8月12日日曜日

二の腕を揺らし高まる秋の笛

イーストワンのこじのり4すばらし。
早春賦? コード進行が広々としたワルツ。空間の自然な残響がきれい。
加賀鳶 和のマイナーブルース。
スカイラーク トリルがきれいなバラード。
五木の子守唄 アルトフルートによるリハーモナイゼイションの美しいナンバー。
アナザーユー アップテンポで燃える。二の腕を揺らして秘技禁技。
フォトグラフィア アンコールのボサノバ。

いつも二村さんは斜め後ろから聴いていたので、あんなににこにこ弾いていたのかと認識を新たにしました。