2015年8月23日日曜日

ひとときのの巻 評釈

 2015年2月23日に永眠された和田悟朗さんを悼んで脇起しにて追善興行致しました。銀河さんの呼びかけに参集した故人に縁のある方々とネット上の座「みしみし」に居合わせた常連の酔客による九吟歌仙という不思議な場だったのかも知れません。失礼を承知で仮に名づけるなら、追悼クラスターと酔客クラスター。

【追悼クラスター】銀河、令、由季、媚庵、裕
【酔客クラスター】ゆかり、七、苑を、なむ

 膝送りなので、(令、由季、媚庵、裕)というかたまりと、一周したところの(なむ、ゆかり、七、苑を)というかたまりの中で、銀河さんは酔客クラスターに囲まれ、すごく苦労されたのではないかと思います。追悼という意味では、なむさんは最後の花の座しか仕事をしていないし(それがとんでもなくすごい)、私は脇しか仕事をしていません。

 で、たぶんそういう人員構成で序破急を進めたことにより、奇跡的とも言える名残裏をなし得たのだと思います。以下の評釈は初折表を令さん、同裏を苑をさんにお願いし、名残表裏はゆかりが担当し全体の体裁を調整しました。

   ひとときの太古の焔お水取り  和田悟朗

 「風来」20号の最後の一句であり、亡くなられた直後に発売された「俳句界」3月号にも寄せられていた句。丁度お水取りの時期に、和田悟朗さんの命の際に書かれた句を頂いた脇起し歌仙となりました。

    余寒おほきくうつろへる影   ゆかり

 脇は、発句に寄り添ってお水取りの炎と対比された影が詠まれています。お水取りが終るまでは寒い、と関西では、特に奈良に近い所ではよく言いますが、その余寒を詠まれました。

   かざぐるま風を愉しみ音立てて   銀河

 連句は第三句から世界始まるとされますが、まさにそういった句です。和田悟朗さんのお家の庭に棒が一本立っていてそこに風車が回っているということを銀河さんが書いてくれていますが、軽やかな音が楽しげに響いてきて、ここから明るく開かれます。氏の最後の句集名が「風車」であることも思い起こさせてくれます。

    どこからか来るなつかしき声    七

 その風車の音に合わせる様な懐かしい声、これは故人の声をふと思い出すということなのでしょう。追悼を意識した付け合いです。

   昼月のぼやけ両国橋の上      苑を

 次に橋ですが、橋という場所は、こちらからあちらへの、この岸から向こう岸への途中の場であり、前句の「どこかから来る」ものをキャッチ出来そうな場として登場。そこに東京の月。両国橋は、芭蕉記念館や、深川の芭蕉庵跡も近い所だし、東京にもよく行かれた悟朗さんは、両国橋の上を眺められたかも知れません。「東京を一日あるき諸葛菜 悟朗」という句もありますが、歩きくたびれた目に昼の月がぼんやりと映ります。

    電車から見て町は爽やか      令

 東京の空が大きく広がる景色が車窓の風景となっていきます。和田悟朗さんは九十近い時でも電車ででも背筋をすっと伸ばして立たれて、とてもお若く見えたので、すぐに席を譲られるということもあまりなかったのではないかと思います。
 表六句は、故人の句集名も入り静かに追悼の巻が始まっていきます。

ウ  紅葉へと女子大生の集まれる    由季
    楽屋口には菓子と手紙と     媚庵
   ささやきは拍手の波をくぐりきて   裕

 初折裏一句から三句までの紅葉→楽屋口→観客席(恋)。由季さんが女子大、媚庵さんが宝塚の出待ちと、和田悟朗さんの居た場所(関西)を思わせつつ、(悟朗さんへの)拍手の波と繋がっていく。全体の中でもでも華やいでいる箇所ですね。

    鎖骨に触れる罪の舌先      なむ
   蒟蒻を用ゐ閻魔を手なづける     り

 なに言ってンですか(笑)。なむ&ゆかりさんが並んで、遊び心爆発。大きく転じます。これが連句の楽しさ。

    天動説に沿ふも夏月        河

 天動説でさらに転じて、大きな世界へ。

   レコ-ドの傷撫でてゐる宵涼し    七
    先端恐怖症の眼科医        を

 そこで、七さんと私(苑を)という酔人群は遣句的に場面を転換していく。

   学会へマジックインキで書く図表   令
    乾けばすぐに羽織る春服      季

 大丈夫、九句目では学者としての和田悟朗さんへの挨拶をして、十句目の春服は氏の佇まいを感じさせるもの。

   夜の花の向かふ側から汽笛鳴る    庵
    鮊子釘煮水分子形         裕

 初折裏最後の二句、向かふ側からと彼岸を思わせたあと、水分子形なんて人事を遠く離れたところが見事です。ここで裕さんによる解説を引用します。
 
《和田悟朗の科学者としての最大の業績は、水分子の性質に関してのものです。
普通の液体は、低温になるほど体積が小さくなります。ところが、水は凍る寸前の摂氏0度ではなく、摂氏4度ほどのときに体積が最小になります。この性質を、和田悟朗は水分子の形状に着目して説明しました。水分子のような、くの字の形状のものが整然と並ぶとくの字の開口部がスペースを取って体積が小さくなりません。少し雑然としているときの方が、くの字の開口部に他の水分子が入り込んで体積が小さくなります。本人のエッセイによると、和田モデルと呼ばれていたそうです。
 後年、南部陽一郎がノーベル賞を取ったことで有名になった、「自発的対称性の破れ」の例として、水分子の形状がよく取り上げられます。水分子の形状のせいで、摂氏0度ではなく、摂氏4度付近で体積が最小になることも、「自発的対称性の破れ」の帰結として出てくる素粒子の性質と関連づけることが出来ます。
 句会で、和田悟朗自らがその辺の事情について言及していました。司会をしながら、やっぱり和田悟朗は「自発的対称性の破れ」を意識していたかと思いつつ聞いていたことも、少し昔の話になってしまいました。》


ナオ 抜け忍の家系で草を煎じ飲む     む

 このあたりで大河ドラマの番宣を観ていた捌き人が「諸君狂ひたまへ」と大号令をかけたのでした。名残表はしばし表面上は和田悟朗追悼を離れ、大いに展開します。
 前句の釘煮から古民家が導かれたのか、漢字ばかりの字面から暗号文書を思い浮かべたのか、突然忍者に飛躍します。しかも抜け忍のそのまた家系でなにやら薬のようなものを煎じています。

    貨物列車のやうなリビドー     り

 前句の薬をなんの薬ととらえたものか、長大で重量級の性衝動に苦しんでいます。

   速読で知つたつもりのこと多く    河

 酔客クラスターに包囲された銀河さんが必死の抵抗を試み、和田悟朗さんのエッセイ集「俳句文明」の後書き「この本は、速読癖のある人には向かない気がする」を引きます。

    蕩蕩として忘却の川        七

 前句に対し素直に「忘却の川」と付けます。

   この冬に流行るてふ縞馬模様     を

 前句を去りゆくものととらえ、やってくるものを付けています。「遠国に縞馬逃げる眩しさよ 悟朗」(『即興の山』)という去りゆく縞馬の句があることを思い出しておきましょう。

    氷湖の上でスピン楽しき      令

 縞馬模様のスピンというなんだか瑪瑙のようなさまを思い浮かべます。

   五年後の五輪に備へ竹植うる     季

 冬季五輪のイメージから五、五と音を重ね、しかも竹を出してきて東京オリンピックのイメージに持ち込んでいます。ちなみに記念植樹のようではありますが、「竹植うる」は夏の季語です。

    洗ひ飯食ふ宮本武蔵        庵

 五輪書の宮本武蔵で付けます。「洗ひ飯食ふ」がなんともむさくるしい感じです。

   帰りゆく燕の彼方眺めつつ      裕

 武蔵といえば小次郎。「燕返し」を帰燕とすることにより、句に仕立てています。

    物の音の澄む神宮球場       む

 燕といえばスワローズで神宮球場が出てきます。東京オリンピックで取り壊されるイメージを帯びてしまうのが気にならなくもないのですが、打越よりも前のことなので、委細構わず進行します。

   たれかれを招くでもなく月招く    七

 膝送りだとゆかりの番ですが、脇起こしで三十五句を九吟で巻いているので捌き人が抜け、長短が狂わぬよう七さんにお願いして、悪の枢軸のごときなむ&ゆかりのタッグを解消しています。七さんはたいへんきれいに、人のいない球場が月を呼んでいると付けています。

    猫は伸びたりまるくなつたり    を

 月の満ち欠けのイメージもあったのでしょうか。猫を詠みつつ、着実に名残裏に向けて狂騒を鎮静化しています。

ナウ 二上の雪の時空に律あらむ      令

 前句の「伸びたりまるくなつたり」を和田悟朗語彙で「律」ととらえ、二上山が好きだったというエピソードを踏まえ、「二上の雪の時空に」としています。「二上山(ふたかみ)のいただきはるか死後の春 悟朗」の「死後の春」に対し本句の「あらむ」を重ね合わせるとき、すばらしい深みを感じます。ちなみに「二上山(ふたかみ)も三輪山(みわ)もゆるびぬ別れ雪 悟朗」という雪の句もあります。

    揺れをさまりて曇る白息      河

 前句「律」から、阪神淡路大震災被災の記憶を踏まえ付けています。

   眼球を動かしてゐる画学生      庵

 「秋の入水眼球に若き魚ささり 悟朗」を踏まえた句。前句の「揺れ」に対し、いかにも和田悟朗語彙の「眼球」が絶妙に収まっています。

    庭を旅して逃げ水を追ふ      裕

 「我が庭をしばらく旅す人麻呂忌 悟朗」を踏まえた句。「逃げ水を追ふ」に追悼の念を感じますが、奇しくも元になった句も忌日俳句で、なにかしらの因縁を思います。

   永劫のまほろばに置く花の昼     む

 「永劫の入り口にあり山ざくら 悟朗」を踏まえているのかも知れないのですが、それに留まらない万感の花の座です。「まほろば」は「すぐれたよい所、ひいでた国土」。

    この世に誘ふ一頭の蝶       季

 「この世」と付ける以上、「永劫のまほろば」とは故人が召された「あの世」だと由季さんは前句をとらえられたのでしょう。あの世の悟朗さんを蝶がこの世に呼び戻そうとするのです。そのように付けたことにより、前句の「花」は庭の旅で見つけたものから一変して、極楽を永遠の昼たらしめる壮大な献花として機能します。まさに付合のマジックです。
 なにを詠んでも響きあうのが追悼連句の妙味ですが、由季さんの句は「少年をこの世に誘い櫻守 悟朗」と「蝶一頭一頭ほどの山河かな 悟朗」をも思い出させます。花の座から前者が導かれ、後者を引用して挙句にまとめたようにも読めますが、実際にどのようにしてできたかは特に明かさなくてもいいものだと思います。ただ結果として、みごとなまでに収まるところに収まっている、それでよいのだと思います。そしてこの蝶に込められたかなわぬ思いは発句にめぐり、いま生きているこの世のことを「ひととき」に過ぎないものだと言っているかのようです。

2015年8月15日土曜日

旅支度の巻・評釈

 いつものように捌き人の逡巡メモです。

   旅支度終へて真黒きバナナかな     恵

 発句は近恵の既成作品で、『炎環新鋭叢書シリーズ5 きざし』(ふらんす堂、2011年)所収。もうひとつ「一房の一気に黒くなるバナナ」という句もあり、作者が「黒いバナナの女王」と異名をとる所以のものである。

    しづかにうなる金魚の水槽    ゆかり

 もうひとつ気がかりなもので脇を付けた。旅中、金魚の餌はどうするのだろう。色の対比も意識した。

   町角にポストも煙草屋もなくて    媚庵

 第三のセオリーどおり発句と脇の日常世界から飛躍し、うらさびしい旅先を詠んでいる。

    暑さの残る射的場跡         七

 かつての賑わいを彷彿させながら、残暑の温泉街を詠んでいる。

   望月の翳の起伏に尾根裾野      銀河

 月の座であるが、高細密カメラで月の地形を捉えた趣となっている。発句からずっと人事句が続いてしまったため、一風変わった月の座となった。

    指にじませて秋茱萸を食む     なむ

 翻って地上の尾根裾野では、という付け方になっている。人事句に戻っているとも言えるが、かといって打越に障るわけでもないので、次句以降の流れにゆだねるものとする。


 初折裏である。

ウ  修行僧弥勒菩薩に見つめられ     ぐみ

 秋茱萸を食んだのは断食中の修行僧であった。弥勒菩薩の前でその胸中やいかに。

    微熱繰り出す薄きくちびる      恵

 恋の座の位置である。読みようによっては弥勒菩薩と恋に落ちたようにも読める書き方となっている。

   歌姫に芸の肥やしのふたつみつ     り

 冷淡なくちびるの薄い男にもてあそばれた歌姫が、その過去をネタとして芸能界にしぶとく生き残っている。

    独楽が刀の刃を渡り行く       庵

 人の世の人気など所詮、刀の刃を渡り行く独楽のようなもので、いつかは終わりが来る。

   蜘蛛の囲の掛けられてゐる朝帰り    七

 前句の綱渡りのようなスリルと蜘蛛の囲が響き合う。言外に妻の怒りが爆発寸前である様子が伺い知れる。「朝帰り」は打越までの恋の座に戻っているような気がしないでもないが、面白いので許す。

    水栓漏るるおふくろの家       河

 「いやあ、おふくろん家で水道が壊れちゃってさあ、夜中に業者呼んで大変だったんだよ」と切り出すことにした。もちろん真っ赤な嘘で実家には寄っていない。ただの朝帰りである。

   冥王に五つ月あり凍ててをり      む

 嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるわけだが、実際の冥王星では釜が煮え立っているのではなく、月が5個ある厳寒の世界である。このあたり、無人探査機ニュー・ホライズンのニュースも取り込んで巧みな付けである。

    面壁九年因縁解脱          み

 厳寒の世界から達磨大師の苦行を付けた。ところで一巡前は「修行僧弥勒菩薩に見つめられ」だし、なむ住職からインスパイアされるものがあるのかも知れない。

   淡雪を舌に受くるも直ぐに飽き     恵

 打越が「凍ててをり」なので、別の座なら駄目出しされているかも知れない。ここ「みしみし」では同じ世界に堂々めぐりしない限り、字句のレベルでは委細構わず進行する。

    卒業式なき卒業アルバム       り

 卒業アルバムは卒業式の日に配られるので、卒業式の写真は載っていない。

   坊ちやんとマドンナと見る花盛り    庵

 手許に文献がないのだが、ウィキペディアによれば、卒業後8日目、母校の校長の誘いに「行きましょうと即席に返事をした」とあり、また、坊っちゃん の教師生活は、1か月間ほどにすぎなかった、ともある。その間に蚊帳の中にイナゴを入れられたりもするので、当時は秋から学年が始まっていたのか。だとすると、「坊ちやんとマドンナと見る花盛り」は離職後のできごととなる。

    島々渡る風は緑に          七

 なにかと人事句ばかりになりがちな一巻で、このような叙景句が挿入されるとほんとにありがたい。


 名残表である。

ナオ ステーキの皿をふちどる油虫      河

 なんともナンセンスな折立である。生きている油虫なのか、油虫の絵柄なのか。

    まざあ・ぐうすに紛れ込む歌     む

 そんなナンセンスな歌がマザー・グースに紛れ込んでいても不思議はない。ひらがな表記された「まざあ・ぐうす」は、いかにもいかがわしくなんでもありな感じがする。

   ドローンに運ばれみどり児は生まれ   み

 出生について親が幼い子にいういい加減な説明もいろいろな伝承があって、橋の下で拾われたとか、キャベツ畑で拾われたとか、ペリカンが運んできたとかあるわけだが、近未来においては「お前はドローンで運ばれてきたんだよ」なんていうのもあるのかも知れない。

    忍者屋敷を包む陽光         恵

 ここで時代を超えて忍者屋敷を持ってきたところがなんとも楽しい。

   巻物を広げ訪ねる高低差        り

 安易に『ブラタモリ』冒頭の「今回のお題は…」と言って出てくる巻物で付けている。

    壮年ランボー駱駝に乗って      庵

 高低差から二瘤駱駝の着想を得たのだろう。詩人ランボーはのちに武器商人としてアフリカに渡ったという。

   洪水のあとに始まる物語        七

 ランボーと言えば、『イリュミナシオン』の「大洪水の後」である。

    こは恐竜の顎の骨かと        河

 余談めくがウィキペディアによれば、更新世の旧称・洪積世について以下の説明がある。「洪積世の名は地質学に時期区分が導入された17世紀にこの時代の 地層がノアの洪水の反映と信じられたことによる。現在では神話に結びつけることは望ましくないため、この区分名は使われなくなった。」

   マリちゃんを挟んでパフをハモります  む

 往年のPP&Mのヒット・ナンバーで「パフ」という不思議な竜の歌がある。本家のMはマリー・トラバースであるが、「マリちゃん」というのが下心丸見えの即席学園祭バンドっぽい。

    五番街にて空似追ひたり       み

 ペドロ・アンド・カプリシャスのヒット曲「五番街のマリー」で付ける。どんな暮らしをしているのか見るように頼まれたのだが、空似しか見つからず任務を遂行できなかったようである。

   メロンパンひとつ置かれし月の膳    恵

 「秋空やあつぱれなメロンパンひとつ 麻里伊」を知らない人には、どうしてここでメロンパンが出てくるのか分からないだろう。そういう意味ではずっとマ リー・トラバースを引きずっていて打越にかかると言えなくもないのだが、結果としてぜんぜん違う世界に行っているのでよしとした。さらに全体を見回すと、 食べ物がひとつあるだけという提示の仕方が発句「旅支度終へて真黒きバナナかな」とも通じるのだが、委細構わぬこととする。

    またも引つ越す吾は鯖雲       り

 発句が旅支度だったのに対し、ここでは引越とした。秋の空のように気まぐれに引越を繰り返す性癖とした。
 


 名残裏である。名残裏は暴れどころではなく、花の座を経て挙句に至る、姿勢を正した運びであるべきところであるが、「みしみし」にしては珍しく花の座の前まで暴走した。

ナウ テレビには菊人形の大写し       庵

 引越先で多くの梱包がそのままの中、まずはテレビの据付と配線をしてスイッチを入れたときの画像には格別のものがある。

    もつてのほかを酒の肴に       七

 でもそれがなんだかとんでもないものだったのである。全体のバランスを考えれば、毅然と駄目出ししてもよかったのであるが、付句次第でどうにでもなると思い、次に託した。

   カラオケのマイクを磨く役どころ    河

 ところが、句の内容そのままにパスされてしまった。

    蟇も穴出る大ハウリング       む

 さすがなむさんというか、花の座の前で確信犯的に大パニックを発生させる。ほとんど「みしみし」破壊の命を受けた工作員のようである。言わずもがなであ るが、ハウリングとはマイクを不注意にスピーカーに向けたときに発生する無限の増幅で、強いて文字にするなら、ぴいいいいいいいいい、という感じの音であ る。名残裏で普通やるか、という句を頂くのも「みしみし」である。

   天に満ち地に満ち花の息づかひ     み

 こういう場面で名句は現れる。短詩系用音韻解析ツール「おんいんくん」も以下のように絶賛する。

「にみち」「にみち」とたたみかけるリフレイン、母音による頭韻「い」「い」、子音による脚韻「ch」「ch」、母音による脚韻「い」「い」「い」があい まって、じつに美しい調べが感じられる。また、全体として極めて母音「い」が多いことによりどこか硬い印象があるといえよう。

 「おんいんくん」の気づかないところでは「天に満ち」(5音)「地に満ち」(4音)「花の」(3音)と一拍ずつ短くなって緊張を高めるリズムが最後に 「息づかひ」(5音)で解放されるさまに、まさに「息づかひ」の機微を感じる。前句「ハウリング」の制御不能に対し、このような細やかさをもって花の座と するところがまさに付け合いの醍醐味ではないだろうか。
 ちなみに母音iの発音において顔面の筋肉は確かに緊張するが、だからといって「全体として極めて母音「い」が多いことによりどこか硬い印象があるといえよう」と言えるのか。はなはだ疑問である。

    霞開けば故郷の山河         恵

 前句「花の息づかひ」を霞と捉えて、それが開けたところに「故郷の山河」を見出だしている。このようにして発句の「旅支度」から「故郷」にたどり着いた万感の挙句である。
 

2015年8月10日月曜日

七吟歌仙・旅支度の巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。

   旅支度終へて真黒きバナナかな     恵
    しづかにうなる金魚の水槽    ゆかり
   町角にポストも煙草屋もなくて    媚庵
    暑さの残る射的場跡         七
   望月の翳の起伏に尾根裾野      銀河
    指にじませて秋茱萸を食む     なむ
ウ  修行僧弥勒菩薩に見つめられ     ぐみ
    微熱繰り出す薄きくちびる      恵
   歌姫に芸の肥やしのふたつみつ     り
    独楽が刀の刃を渡り行く       庵
   蜘蛛の囲の掛けられてゐる朝帰り    七
    水栓漏るるおふくろの家       河
   冥王に五つ月あり凍ててをり      む
    面壁九年因縁解脱          み
   淡雪を舌に受くるも直ぐに飽き     恵
    卒業式なき卒業アルバム       り
   坊ちやんとマドンナと見る花盛り    庵
    島々渡る風は緑に          七
ナオ ステーキの皿をふちどる油虫      河
    まざあ・ぐうすに紛れ込む歌     む
   ドローンに運ばれみどり児は生まれ   み
    忍者屋敷を包む陽光         恵
   巻物を広げ訪ねる高低差        り
    壮年ランボー駱駝に乗って      庵
   洪水のあとに始まる物語        七
    こは恐竜の顎の骨かと        河
   マリちゃんを挟んでパフをハモります  む
    五番街にて空似追ひたり       み
   メロンパンひとつ置かれし月の膳    恵
    またも引つ越す吾は鯖雲       り
ナウ テレビには菊人形の大写し       庵
    もつてのほかを酒の肴に       七
   カラオケのマイクを磨く役どころ    河
    蟇も穴出る大ハウリング       む
   天に満ち地に満ち花の息づかひ     み
    霞開けば故郷の山河         恵


起首:2015年 6月27日(土)
満尾:2015年 8月10日(月)
捌き:ゆかり