2015年9月28日月曜日

六吟折句歌仙 貰ひたるの巻・評釈

   貰ひたる秋の駱駝の埃かな        なな

 のちに折句歌仙と銘打ったものの、発句はごく普通に始まった。日本国内の常識で考えれば、もらったのは埃なのだろうが、駱駝をもらったと読めなくもないおおらかな発句である。このあたり、実際の歌仙のようにリアルに客人と主人が同じ場所、同じ空間にいる訳ではないので、想像は広がる。

    眺めはるかに舐めるどぶろく     ゆかり

 脇は発句の客人に対する挨拶でもあるので、「なな」を折句とした。もらった駱駝にまたがって高い位置でどぶろくを舐めるななさんを思い浮かべた。

   夕月に影曳く一機離陸して        ぐみ

 第三は、くっきりしたシルエットに孤愁を感じさせる仕上がりとなっている。あろうことかぐみさんも「ゆかり」を折句としたので以後折句歌仙とし、長短があるので俳号が三音または二音で「ん」を含まない人に参加してもらい、偶数人で巻くこととした。

    寓話の声に耳を澄ませば        苑を

 月に関わる寓話を直接は思い出せないのだが、耳も出てくるのでうさぎが餅をつく類いのなにかだろう。「ぐみ」折句。

   そのかみの野を宵宮の男舞        なむ

 「そのかみ」は昔。「宵宮」は前夜祭。前句「耳を澄ませば」から眼前の現実を離れた世界へ誘われる。「そのを」折句。

    夏のなごりの紫の種         らくだ

 発句「駱駝」におびき寄せられて、らくださんが久々の参加。紫の種がなにやら落とし胤のようなものを感じさせる。「なむ」折句。

ウ  卵管をくるくるまはる楕円形        な

 初折裏である。前句「紫の種」を精液と見立てた付句だろう。恋の座らしからぬクールな句である。「らくだ」折句。

    ぐつたりとして身動きできぬ       り

 なにやら倦怠感のまっただ中ですぐれない。「ぐみ」折句。

   そつと触れのどぼとけにも尾の痕も     み

 ようやく普通の意味で恋の句らしくなるが、それにとどまらず、どこか進化論的な味わいも付加されている。「そのを」折句。

    泣いちやふくらゐむちやくちやにして   を

 ストレートで大胆な句である。「なむ」折句。

   乱心を悔い改める大司教          む

 じつは大司教の乱心なのであった。「らくだ」折句。

    流されてゆく謎の古文書         だ

 教会を追われた大司教について記された古文書も行方不明となる。「なな」折句。

   友人を噛む冬の月凛として         な

 折しも冬の月が冴え渡る。その比喩として「友人を噛む」は新鮮である。「ゆかり」折句。

    ナスターシャからムイシュキンへの    り

 ナスターシャとムイシュキンはドストエフスキー『白痴』の登場人物。ムイシュキンは友人が好意を寄せていたナスターシャと結婚することになったが、ナスターシャはその友人に殺される。「友人を噛む」ことになっているのか、複雑すぎて分からない。「なむ」折句。

   羅府で読み桑つむ港で怠武林で       み

 ドストエフスキー『白痴』はロサンゼルスでもサンフランシスコでもダブリンでも読まれている。桑港を言葉遊びで「桑つむ港」とすることにより春の句に仕立てている。「らくだ」折句。

    永すぎる日のなぞなぞ遊び        を

 遣句とも言えるが、折句歌仙として不可思議な進行を見せているこの連句自体を「なぞなぞ遊び」と捉えているメタな付句なのではあるまいか。「なな」折句。

   幽谷に花神眠れる流離譚          む

 しばしば伝説は童謡などのかたちをとって、本来の意味が忘れ去られた後も意味不明な歌詞だけが歌い継がれる。謎めいたことばは花神の流離譚だったのである。「ゆかり」折句。

    具足一式身につかぬまま         だ

 這々の体で難を逃れた落武者だろうか。「ぐみ」折句。

ナオ ゆふぐれの観覧車にて離婚する       り

 名残表である。もはや敷居をまたぐこともままならず、遊園地で落ち合って離婚話をする。打越「流離譚」にかからなくもないが、さらに遡れば「流されてゆく謎の古文書」もあり、歌仙全体のトーナリティがしきりに流転に向かっている。「ゆかり」折句。

    何回も書き殴つてをりぬ         な

 離婚届だろうか、それに先立つ三行半だろうか。書き損じている訳ではなく、度重なり「書き殴つて」いるところが眼目である。なお、句またがりの途中の定位置をもって折句としているのは独特である。「なな」折句。

   そよ風に乗つて笑つて幼くて        を

 往年を回顧している。「そのを」折句。

    グルメの日々を三十一文字に       み

 思い返せば当時はグルメブームで『サラダ記念日』に端を発する短歌ブームのまっただ中でもあったのだった。「ぐみ」折句。

   ラムネでは口説き文句も駄洒落風      だ

 カンチューハイならいざ知らず、ラムネでは口説き文句も駄洒落にしかならない。「らくだ」折句。

    なあなあ主義のムーの一族        む

 ムーの一族は幻の大陸の住民ではなく久世光彦プロデュースのテレビドラマ『ムー一族』由来なのだろうが、未見なので本当のところは分からない。駄洒落のような口説き文句で始まった交際が、娯楽指向のテレビドラマのように、なあなあ主義で続いている。「なむ」折句。

   草々と伸びやかに書き終はりとす      り

 そんな日常を終わりにすべく、大きな字で葉書を書いた。「そのを」折句。

    ぐい呑みの薄みどりに酔へば       な

 ぐい呑みを見つめ酔うばかりである。またしても句またがり折句となっている。「ぐみ」折句。

   乱歩なる奇しくも美しき断頭台       を

 酩酊してすっかり破滅の王妃気取りである。「らくだ」折句。

    ななかまど燃え村に葬列         み

 紅葉したななかまどの赤のイメージが鮮烈である。「なむ」折句。

   ゆくりなく語る月夜の竜の骨        だ

 「ゆくりなく」は思いがけず、突然に。であるが、前句の鮮烈な赤に対し骨の白で呼応した月の座となっている。「ゆかり」折句。

    名をばトマスと名乗る秋茄子       む

 突然語り始めた男が、申し遅れたがわしはこういう者じゃと名乗る。『神学大全』で知られる十三世紀の神学者、哲学者トマス・アクィナスをもじり秋の句としている。「なな」折句。

ナウ 喇叭いまクレッシェンドして壇上に     り

 名残裏である。名乗った男が華やかなファンファーレとともに登壇する。「らくだ」折句。

    何人もただ夢中になりぬ         な

 誰もが熱狂している。「なむ」折句。

   その後も野山の吹雪をさまらず       だ

 一向に衰えを知らず、吹雪が続いている。「そのを」折句。

    生番組では菜飯取り上げ         み

 テレビでは、生番組が菜飯を取り上げている。どこかでは春なのだなあ。「なな」折句。
    
   湯に落つる花片ひとひら旅情とす      を

 花の座である。ことさらに旅情というあたりが、テレビによって刷り込まれた感性のようでもある。「ゆかり」折句。

    愚陀佛庵に水草生ふ朝          む

 愚陀仏庵は、夏目漱石が愛媛県松山市に赴任していた時の下宿先。戦災で焼失後一九八二年に復元されたが、それも二〇一〇年大雨による土砂崩れで全壊した。旅情を感じるようなものであれば、復元されたレプリカこそがふさわしいとも言えるが、湯に水草と付けた庵がじつは大雨で全壊していたというのは、なんとも皮肉である。「ぐみ」折句。

 折句は、どこかしら詠み込まれた人物を投影するところがある。連衆それぞれが互いに相手を詠み、また自分自身を詠んだこの歌仙、そんな観点で捉えなおすと、意外な相関図があらためて浮かび上がってくるのかも知れない。

2015年9月21日月曜日

六吟折句歌仙 貰ひたるの巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。
     

   貰ひたる秋の駱駝の埃かな        なな
    眺めはるかに舐めるどぶろく     ゆかり
   夕月に影曳く一機離陸して        ぐみ
    寓話の声に耳を澄ませば        苑を
   そのかみの野を宵宮の男舞        なむ
    夏のなごりの紫の種         らくだ
ウ  卵管をくるくるまはる楕円形        な
    ぐつたりとして身動きできぬ       り
   そつと触れのどぼとけにも尾の痕も     み
    泣いちやふくらゐむちやくちやにして   を
   乱心を悔い改める大司教          む
    流されてゆく謎の古文書         だ
   友人を噛む冬の月凛として         な
    ナスターシャからムイシュキンへの    り
   羅府で読み桑つむ港で怠武林で       み
    永すぎる日のなぞなぞ遊び        を
   幽谷に花神眠れる流離譚          む
    具足一式身につかぬまま         だ
ナオ ゆふぐれの観覧車にて離婚する       り
    何回も書き殴つてをりぬ         な
   そよ風に乗つて笑つて幼くて        を
    グルメの日々を三十一文字に       み
   ラムネでは口説き文句も駄洒落風      だ
    なあなあ主義のムーの一族        む
   草々と伸びやかに書き終はりとす      り
    ぐい呑みの薄みどりに酔へば       な
   乱歩なる奇しくも美しき断頭台       を
    ななかまど燃え村に葬列         み
   ゆくりなく語る月夜の竜の骨        だ
    名をばトマスと名乗る秋茄子       む
ナウ 喇叭いまクレッシェンドして壇上に     り
    何人もただ夢中になりぬ         な
   その後も野山の吹雪をさまらず       だ
    生番組では菜飯取り上げ         み
   湯に落つる花片ひとひら旅情とす      を
    愚陀佛庵に水草生ふ朝          む


起首:2015年 8月27日(木)
満尾:2015年 9月21日(月)
捌き:ゆかり