4月5日に亡くなった大岡信氏を偲び、脇起こしで連句を巻いた。今回はいつもの連衆に加え、特に歌人の田中槐さんと柳人のなかはられいこさんに参加して頂いた。以下、評釈を記すにあたり、本連句の句そのものはゴシック、評文中の大岡作品の引用は青字、その他の引用は緑字とし、また敬称略とする。
脇起し追悼七吟歌仙 覆へるともの巻
覆へるとも花にうるほへ石のつら 大岡信
発句は『悲歌と祝祷』(1976年、青土社)巻頭、「祷」という題の行分け詩。
祷
覆へるとも
花にうるほへ
石のつら
その原型は丸谷才一、大岡信、安東次男による『だらだら坂の巻』名残裏花の座「くつがへり花にうるほふ石の面(つら)」とのこと。谷川俊太郎と大岡信の対談『批評の生理』(1978年、思潮社)に谷川による名鑑賞がある。長くなるが引用する。
この詩から僕は、はじめはなんとなく道端でひっくり返っているお地蔵さんというイメージを持って、「石のつら」の「つら」は顔のことだから、お地蔵さんが顔をうつ伏せにして倒れているのかなと思った。だけど考えてみると「つら」は「おもて」とは違う。顔でも頬から顎にかけての横の面の表現だ。これはやはり横ざまに、たぶん丈の低い野草の中に倒れているのではないか、というふうにイメージが変った。
そうして考えてみると、今度はこれは別にお地蔵さんでなくてもいいのじゃないか。「石のつら」というのを人間の顔に重ね合せて考えなくてもいいわけで、もしかするとうつ伏せに倒れた墓石の横の面であるかもしれない。またそこからさらに連想して、これはいかにも日本的な詩のようでいて、しかしギリシャの遺跡で大理石の柱が原色の花のなかに倒れ伏していると読んだっていいのじゃないか。そのどれが正解というのではなくて、そこまで重層的に読めるという気がしてきた。
とにかくこの一篇の主題は、滅亡したものがそのあとも花という現在によってうるおってください、そういう形で過去というものが現在に蘇り得るのだ、というテーマだろう。そういう「石のつら」がなければ花というものもその存在を明らかにしないのだっていう気持がこめられていると思う。つまりこの詩の「花」は『花伝書』の「花」なんかにつながる現在の象徴で、「石」は過去の象徴だと読めるわけね。だからそこにはまた、過去というものが石のように堅固で確乎として存在するものであるのに対して、現在というのは花のようであり、それは早く萎れたり枯れたりするものだという対照もあると思う。この詩の題が「祷(いのり)」であるということのなかには、大岡が自分自身および自分の生み出す作品が未来においては石であることを願うし、現在においては花でありたいと願う、あなた自身の願望がこめられているのじゃないかという気がする。(後略)
大岡信追悼歌仙を巻くにあたり、発句としてはこの詩をおいてないのではないかと思われた。行分け詩を一行にしてよいのか、とか、連句の発句として花の座で始まってよいのか、など躊躇すべき点はないわけではないが、まさに花の盛りに亡くなったわけだし、敢えて頂くこととした。
ひかりをまとふ木々の囀り ゆかり
脇は、そのような「石」が対峙する現在として、「ひかり」と「囀り」を供えた。
上海の地番に春の風抜けて 銀河
第三は、発句と脇の挨拶から離れる役割がある。大岡の詩「延時(イエンシー)さんの上海 中国」(『旅みやげ にしひがし』(集英社、2002年)所収)を引用して、上海の春に転じた。余談ながら、この詩の題材となった、昭和十年に上海で他界した大岡信の祖父は、かなりミステリアスな人物のようである。
摩天楼にて蟹を楽しむ 伸太
引用元にこだわることなく、昨今の上海事情にて付けている。
踊るひとつぎつぎふえる月あかり 槐
摩天楼のふもとでは昔ながらの盆踊りが今も続けられていて、月あかりに照らされている。
孫三たりとのメイル爽やか 令
前句「つぎつぎふえる」から導かれているが、これは大岡信が2004年宮内庁歌会始の召人として詠んだ「いとけなき日のマドンナの幸(さっ)ちゃんも孫三たりとぞeメイルくる」を引用している。
ウ 校庭に朝顔からみつく木馬 媚庵
前句「孫三たり」から導かれているが、夏休みであろうか。遊具に朝顔がからみついている。
たがひちがひに灯すランタン れいこ
校庭にひと気がない時期、じつはキャンプに行っていたようである。
森といふ夢の過剰を鎮めをり り
森はなんとも怖ろしい。大岡信の「青春」(『記憶と現在』(書肆ユリイカ、1956年)所収)の一節「あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢を奪った」を引用している。
窓に記憶を残しさよなら 河
同じく『記憶と現在』から「二十歳」の一節「すでに整然たる磁場はくずれた。私は沙上をさまよい歩く。私は窓に記憶のノートを撒き散らす。落日。森の長い影が私の内部に伸びている。私は夜に入ってゆく。」を引用して付けている。前句から恋に転じる可能性もあったが、未遂に終わっている。
山男マッキンリーから帰らざる 太
前句の「さよなら」を死別と捉え付けている。ところで、大岡信は若くして山男の友人を膵臓癌で喪い、「薤露歌」という詩を残している(『悲歌と祝祷』所収)。一部を紹介する。
浪華の市長の弔電なんか
もらつたつてなんになる
活力と善意のかたまり
陽気な笑ひ スキーの陽やけ
脳髄に中国近代史をつめこんで
それを陳(なら)べてみせるまもなく
きみはすべった 直滑降の非時(ときじく)の坂を
凍てし月より石を拾はむ 槐
厳寒の雪山のイメージを受け、一風変わった冬の月の座としている。アポロ計画の時代にも思いを馳せているのだろうか。
最大の平面の夢受胎すと 令
クレーターだらけの月面のイメージからの推移だろう。大岡信は『ユリイカ』に連載していた「文学的断章」の記事「ある詩のためのノート」(1972年7月号)で、「木霊と鏡」の推敲過程を公開している。その中の以下の一節から引用している。原詩の命令形に対し、しかと受け止めた体となっている。
地上のものらを地上の色に着色するため降りそそぐ
宇宙の雨のささやき
「受胎せよ 受胎せよ
無言を受胎せよ
最大の平面の夢
最小の運動の脈
どもる会話の泉
謎への信頼
抑揚ある造物主の呼吸(いき)
それらを脳の水盤に
受胎せよ
今朝のうたこそ生の賜物 庵
前句の「受胎す」に付けている。明示的ではないが、「今朝のうた」は朝日新聞朝刊に連載されていた『折々のうた』へのオマージュとも考えられる。
付喪神つれて質屋の旗の下 こ
生命の謳歌である前句に対し、飄逸にも無生物を質に入れ、しかも付喪神という得体の知れないものまで詠み込んでいる。ここまであまり笑う場面もなく進行してきたが、みごとに雰囲気を変えている。
泡立つてゐる発語本能 り
付喪神という得体の知れないものにも言語コミュニケーションが存在することを仮定して付けている。「発語本能の泡立ち」は大岡信の初期の評論『現代詩詩論』の中で以下のように使われている。
(前略)
激しく生きるということはまず第一に、詩人が自らの内部に強烈な発語本能の泡立ちを感じとるということだ。しかし、発語本能というものは、常に何らかの形で外部から触発されて働くものである。だから、すべての前提条件として、まず彼にはげしい抵抗感を感じさせるものがなければならぬ。しかし現実には、われわれの周囲ではそうした抵抗感を持つものが、しだいに一種垂れさがったような印象を与えるものに変わっているようだ。これを沈滞とよぼうと、相対的安定期とよぼうと、または混乱とよぼうと、現実の事実としては社会全体が病んでいるとしか言いようがない。この時詩人が思想的にいかに健康であっても、彼の感性はこの病毒の影響を最も直接的に蒙るであろう。焦ってこれを拒もうとすればするほど、詩は観念的な独白、あるいはヒステリックな叫びに陥る危険に直面せねばならなくなる。つまり、感性の受ける傷は彼の批評精神をそこねるのだ。従って、おのれの詩人としての宿命を頑なに信じて書ける詩人だけが、たしかな骨組みを持った詩、つまり詩としての普遍性をそなえた詩を書きうるという、真実だが、今日では些か皮肉な現象が起こってくるのだ。今日詩を書くということは実に難しいことである。
(後略)
掃除機に吸ひ込まれゆく花の闇 河
『ぬばたまの夜、天の掃除機せまつてくる』(岩波書店、1987年)に拠っている。吸い込まれるのは「発語本能の泡立ち」なのか「花の闇」なのか。いかんともし難いハイパワーが迫る。
いそぎんちやくのひと日は過ぎぬ 太
そんなことはなかったかのように、磯巾着の平和な生態が描かれる。なかなかな転じである。
ナオ 春の野に燃やす記憶と現在と 槐
詩集『記憶と現在』に拠っているわけだが、抑えがたい感情の高まりを感じる。
新聞社にて訳す英文 令
そんな学生時代を封印して就職したのだろうか。伝記的な事実としては、大岡信は読売新聞社に就職し外信部に在籍した時期がある。
バンカラの一高生が辞書を食ふ 庵
これもまた伝記的な事実として、大岡信は旧制一高を卒業している。その事実と、中学あたりでいまだに語り継がれる「昔の人は辞書の単語を覚えるたびにそのページを食べるくらいの覚悟で勉強していたんだ」というなかば法螺話を組み合わせている。
おおそれみよと揺れる桟橋 こ
外国語つながりで、「地名論」(『大岡信詩集』(思潮社、1968年)所収)を引用している。言葉遊びの楽しさに満ちたこの詩は、部分的に紹介しても面白さが伝わらない。
地名論
水道管はうたえよ
御茶の水は流れて
鵠沼に溜り
荻窪に落ち
奥入瀬で輝け
サッポロ
バルパライソ
トンブクトゥーは
耳の中で
雨垂れのように延びつづけよ
奇体にも懐かしい名前をもった
すべての土地の精霊よ
時間の列柱となって
おれを包んでくれ
おお 見知らぬ土地を限りなく
数えあげることは
どうして人をこのように
音楽の房でいっぱいにするのか
燃えあがるカーテンの上で
煙が風に
形をあたえるように
名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている
外国なまりがベニスといえば
しらみの混ったベッドの下で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
おお
それみよ
瀬田の唐橋
雪駄のからかさ
東京は
いつも
曇り
海鳥は下から上にまぶた閉ぢ り
前句「桟橋」から導かれている。「少年」(『悲歌と祝祷』所収)に次の一節がある。
さうさ
海鳥に
寝呆けまなこのやつなんか
一羽もゐないぜ
どうでもいい話だが、調べてみると鳥は人間とまぶたの構造が異なり、下から上に閉じるらしい。大岡の勇気を鼓舞する詩句を俳句の客観写生の方法で捉えなおすと、こんなことになってしまう。
雪の純白くぐる恍惚 河
前句「海鳥」から導かれている。ホワイトアウトする眩暈を感じる。
食卓に置かれ真珠のネックレス 太
前句「純白」から導かれている。物質感がある。
汝が泣くときの宝石のこゑ 槐
岡倉天心とインド人女性との往復書簡集『宝石の声なる人に―プリヤンバダ・デーヴィーと岡倉覚三*愛の手紙』(大岡玲との共訳、平凡社、1997年)に拠る。前句「真珠」と直接的に障る気もするが、こちらは宝石ではなく「こゑ」だと捉え、そのまま頂くことにした。このあたり、初折裏で機会を逸したままの恋の座の呼びかけとなっている。
重信と苑子に夜の訪問者 令
大岡信と高柳重信の親交は「船焼き捨てし船長へ 追悼」(『地上楽園の午後』(花神社、1992年)所収)に詳しい。1956年に『短歌研究』誌上で塚本邦雄と「前衛短歌論争」を行い、そのときに塚本の俳壇における盟友と目されていた重信と出会い意気投合したということらしい。この連句の発句とした「祷」が重信の多行俳句をなぞらえた短詩であったことを思い出しておこう。
浪漫渡世遠く秋立つ 庵
夜の訪問者は大岡信だけではなく、高柳邸には加藤郁乎、佐佐木幸綱などの大酒飲みが訪れたらしい。そのような古き良き交流を「浪漫渡世」と呼んだものだろう。
ファザーネン通りをおほき月のぼる こ
大岡信の仕事は世界規模の連詩に及ぶ。アルトマン、パスティオール、谷川俊太郎との共著『ファザーネン通りの縄ばしご--ベルリン連詩』(岩波書店、1989年)を踏まえているが、前句の「遠く」がじつに効いている。
途絶えがちなる夜寒の電波 り
月から微弱な指令が人類に送られているイメージ。大岡を離れ『二千一年宇宙の旅』が混信している。
ナウ お辞儀して太古の汗を拭かずゐる 河
『悲歌と祝祷』には加藤楸邨の句を五句、そのまま詩に組み込む試みが行われている。楸邨の句につけられた傍丸は、ネット上では再現できないので行の終わりに一字おいて○とする。
和唱達谷先生五句
暗に湧き木の芽に終る怒濤光 ○
鳥は季節風の腕木を踏み渡り
ものいはぬ瞳は海をくぐつて近づく
それは水晶の腰を緊めにゆく一片の詩
人の思ひに湧いて光の爆発に終る青
*
つひに自然の解説者には
堕ちなかつた誇りもて
自然に挨拶しつつある男あり
ふぐり垂れ臀光らしめ夏野打つ ○
受胎といふは 機構か 波か
*
蟹の視野いつさい氷る青ならむ ○
しかし発生しつづける色の酸素
匂ふ小動物にはつぎつぎに新しい名を与へよ
距離をふくんだ名前を
寒卵の輪でやはらかく緊めて
*
水音や更けてはたらく月の髪 ○
地下を感じる骨をもち
塩をつかんで台所にたつ
謎の物体が目の奥を歩み去るとき
好(す)キ心の車馬はほのかに溢れる
*
石を打つ光の消えぬうちに
はてしないものに橋梁をかける
掌(て)から発するほかない旅の
流星に犯されてふくらむ路程
喇嘛僧と隣りて眠るゴビの露 ○
* 達谷先生--達谷山房主 加藤楸邨氏
銀河の句はこの第二連に拠っている。付け筋としては前句の地理的に対し、本句では時間的な遠方としている。
アンモナイトの生れて大陸 太
時間的にさらに遡っている。
あをいろの点描で描く友のかほ 槐
まったく転じている。槐によれば大岡の親友でもあった画家サム・フランシスの青をイメージしたという。
うたげあたたか孤心を生きて 令
評論集『うたげと孤心』(集英社、1978年)に拠っている。友とのうたげの一方で、孤心を生きるのだという。
朝といふ朝の窓辺にひらく花 庵
そんな孤心に対し、これでもかとばかりに花が開き語りかける。「窓辺」は世界との接点である。
蝶うつろへる折々のうた こ
「朝といふ朝」といえば、朝日新聞朝刊に連載された大河的アンソロジー『折々のうた』だろう。ジャンルと時代を超えて「うた」を渉猟した故人のすがたと蝶が重なっている。そしてまた、発句に詠まれた「石のつら」の意味を思う。こうして人類の文化が循環している。
2010年6月26日土曜日
うたのように 1と3
「うたのように 1」は谷川俊太郎の「かなしみ」に近いものがある。
うたのように 1
大岡信
湖水の波は寄せてくる
たえまなく岩の頭を洗いながら
底に透くきぬの砂には波の模様が……
それはわたしの中にもある
悲しみの透明なあり方として
かなしみ
谷川俊太郎
あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
このお二人、現代詩にありがちな(と私が思っているだけかも知れない)戦争や地縁・血縁的閉鎖性と無縁な位置に立っていて、クールな抒情が好きだった。
ついでながら谷川俊太郎の「かなしみ」は、私の中では摂取時期が近接していたせいかビートルズの比類なく美しいコーラスワーク「ビコーズ」とセットになっている。
BECAUSE
by Lennon and McCartney
Because the would is round
It turns me on
Because the would is round
Because the wind is high
It blows my mind
Because the wind is high
Love is old,love is new
Love is all,love is you
Because the sky is blue
It makes me cry
Because the sky is blue
この極端に単純化された歌詞を書いた頃、ジョン・レノンは俳句に傾倒していたという。ところで英語圏ではblueは悲しい色だが、谷川俊太郎の「あの青い空の波の音が聞えるあたり」の青い色はどういう色なのだろう。
さて、散文詩「うたのように 3」は二箇所に傍線を引いていた。「私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。」「私は自由に溶けていた。」前者の一節を少し引用する。
うたのように 3
大岡信
十六歳の夢の中で、私はいつも感じていた、私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。空にかかって、見えない無数の羽音に充ちて、舗道は海まで一面の空色のなかを伸びていった。恋人たちは並木の梢に腰かけて、白い帽子を編んでいた。風が綿毛を散らしていた。
(以下略)
うたのように 1
大岡信
湖水の波は寄せてくる
たえまなく岩の頭を洗いながら
底に透くきぬの砂には波の模様が……
それはわたしの中にもある
悲しみの透明なあり方として
かなしみ
谷川俊太郎
あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
このお二人、現代詩にありがちな(と私が思っているだけかも知れない)戦争や地縁・血縁的閉鎖性と無縁な位置に立っていて、クールな抒情が好きだった。
ついでながら谷川俊太郎の「かなしみ」は、私の中では摂取時期が近接していたせいかビートルズの比類なく美しいコーラスワーク「ビコーズ」とセットになっている。
BECAUSE
by Lennon and McCartney
Because the would is round
It turns me on
Because the would is round
Because the wind is high
It blows my mind
Because the wind is high
Love is old,love is new
Love is all,love is you
Because the sky is blue
It makes me cry
Because the sky is blue
この極端に単純化された歌詞を書いた頃、ジョン・レノンは俳句に傾倒していたという。ところで英語圏ではblueは悲しい色だが、谷川俊太郎の「あの青い空の波の音が聞えるあたり」の青い色はどういう色なのだろう。
さて、散文詩「うたのように 3」は二箇所に傍線を引いていた。「私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。」「私は自由に溶けていた。」前者の一節を少し引用する。
うたのように 3
大岡信
十六歳の夢の中で、私はいつも感じていた、私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。空にかかって、見えない無数の羽音に充ちて、舗道は海まで一面の空色のなかを伸びていった。恋人たちは並木の梢に腰かけて、白い帽子を編んでいた。風が綿毛を散らしていた。
(以下略)
2010年6月25日金曜日
うたのように 2
実家に寄って『大岡信著作集 第一巻』を取ってきた。初期の詩集『記憶と現在』から『わが夜のいきものたち』まで九冊分を収録。
今から三十年くらい前の私は、感動した行に印をつけたり、言葉の意味を辞書から転記したりしていたので、そういうのを改めて目の当たりにするのも、タイムカプセルのふたをあけるみたいで楽しいやら恥ずかしいやら。矢野顕子のLPの帯を切ったらしきものが栞になっていたり…。
例えば、中原中也のパロディのような詩に二行、私がつけた!マーク。
うたのように2
大岡信
教室の窓にひらひら舞っているのは
あれは蝶ではありません
枯葉です
墓標の上にとまっているのは
あれは蝶ではありません
枯葉です
君と君の恋人の胸の間に飛んでいるのは
あれは蝶ではありません
枯葉です
え 雪ですか
さらさらと静かに無限に降ってくるのは
ちがいます 天に溢れた枯葉です
裸の地球も新しい衣装を着ますね
!あなたの眼にも葉脈がひろがりましたね
!夜ごとにぼくらは空の奥へ吹かれるんですね
あ あなたでしたか 昨夜ぼくを撫でていたひと
すみません 忘れてしまって
だれもかれも手足がすんなり長くなって
舞うように歩いていますね
!を含む三行、音楽で言えばブリッジのようなものだが、じつに鮮やかではないか。
今から三十年くらい前の私は、感動した行に印をつけたり、言葉の意味を辞書から転記したりしていたので、そういうのを改めて目の当たりにするのも、タイムカプセルのふたをあけるみたいで楽しいやら恥ずかしいやら。矢野顕子のLPの帯を切ったらしきものが栞になっていたり…。
例えば、中原中也のパロディのような詩に二行、私がつけた!マーク。
うたのように2
大岡信
教室の窓にひらひら舞っているのは
あれは蝶ではありません
枯葉です
墓標の上にとまっているのは
あれは蝶ではありません
枯葉です
君と君の恋人の胸の間に飛んでいるのは
あれは蝶ではありません
枯葉です
え 雪ですか
さらさらと静かに無限に降ってくるのは
ちがいます 天に溢れた枯葉です
裸の地球も新しい衣装を着ますね
!あなたの眼にも葉脈がひろがりましたね
!夜ごとにぼくらは空の奥へ吹かれるんですね
あ あなたでしたか 昨夜ぼくを撫でていたひと
すみません 忘れてしまって
だれもかれも手足がすんなり長くなって
舞うように歩いていますね
!を含む三行、音楽で言えばブリッジのようなものだが、じつに鮮やかではないか。
2010年6月24日木曜日
文学的断章
大岡信がかつて『ユリイカ』に連載していた「文学的断章」シリーズは、「激しい断絶を含んでいて、しかも背後には繋がりが見てとれる」を散文でやろうとしていたものなのだろう。それも連句から来ていたのか。あのシリーズ、大好きだった。『彩耳記』『狩月記』『星客集』『年魚集』。のちに結構話題となった『日本人の脳』の学説をいち早く紹介したり、透明な立方体に半分葡萄酒を入れる話があったり、…。
で、『彩耳記』『狩月記』を収めた『大岡信著作集 第十三巻』を開く。滴々集によれば、きっかけは連句ではなく、書肆ユリイカの社主が亡くなって廃刊となっていた「ユリイカ」を青土社から復活させるにあたり、欠席裁判のようにして「大岡はいろいろと書き込んだノートのようなものを持っているにちがいないから、それを元にして連載を書かせよう」と衆議一決してしまったということらしい。曰く、
形式としては原題を読んで字の如く「断章」です。ひとつの主題をきりきり追求する論文ではなく、ややとりとめなくつなげられたいくつかの断章群で一回ずつを構成してゆくわけですが、純然たるアフォリズムとはまた違って、一回ごとに話題の中心になるテーマは一応あるんですね。というより、これは僕の好みでそうなってしまうのだけれど、ぶっつけに何かを書いてゆくと、おのずとその内側からある主題が喚び起こされてきて、それまでは思い及ばなかった素材を僕に思い出させてくれる。そこでそれを引っぱり出してきて主題をさらにふくらませてゆく、という方法をとっているのです。すべてがそうというわけではないけれど、多くの場合そうなっています。実は、この方法は、僕自身にとっても一大発見というに近いもので、『紀貫之』その他の、のちに書くことになる本の書き方にまで甚大な影響を及ぼしました。
と。また曰く、
連句をやったことは僕にとって、詩を書くうえでひとつの転機になりました。文章における「断章」と、詩における連句と、この二つの経験は僕の三十代の終りに生じた願ってもない新しい自己発見の機会となりました。連句の一行から次の一行への飛躍の仕方は、ちょうど「断章」で文章修行を新たに始めていた僕には大いに示唆的だったんです。時のめぐりがそのまま時の恵みになったようにも思いました。
と。
で、『彩耳記』『狩月記』を収めた『大岡信著作集 第十三巻』を開く。滴々集によれば、きっかけは連句ではなく、書肆ユリイカの社主が亡くなって廃刊となっていた「ユリイカ」を青土社から復活させるにあたり、欠席裁判のようにして「大岡はいろいろと書き込んだノートのようなものを持っているにちがいないから、それを元にして連載を書かせよう」と衆議一決してしまったということらしい。曰く、
形式としては原題を読んで字の如く「断章」です。ひとつの主題をきりきり追求する論文ではなく、ややとりとめなくつなげられたいくつかの断章群で一回ずつを構成してゆくわけですが、純然たるアフォリズムとはまた違って、一回ごとに話題の中心になるテーマは一応あるんですね。というより、これは僕の好みでそうなってしまうのだけれど、ぶっつけに何かを書いてゆくと、おのずとその内側からある主題が喚び起こされてきて、それまでは思い及ばなかった素材を僕に思い出させてくれる。そこでそれを引っぱり出してきて主題をさらにふくらませてゆく、という方法をとっているのです。すべてがそうというわけではないけれど、多くの場合そうなっています。実は、この方法は、僕自身にとっても一大発見というに近いもので、『紀貫之』その他の、のちに書くことになる本の書き方にまで甚大な影響を及ぼしました。
と。また曰く、
連句をやったことは僕にとって、詩を書くうえでひとつの転機になりました。文章における「断章」と、詩における連句と、この二つの経験は僕の三十代の終りに生じた願ってもない新しい自己発見の機会となりました。連句の一行から次の一行への飛躍の仕方は、ちょうど「断章」で文章修行を新たに始めていた僕には大いに示唆的だったんです。時のめぐりがそのまま時の恵みになったようにも思いました。
と。
2010年6月21日月曜日
連句と大岡信
連句というと大岡信を思い出す。
--------------------------------------
少年
大岡信
大気の繊(ほそ)い折返しに
折りたたまれて
焔の娘と波の女が
たはむれてゐる
松林では
仲間ッぱづれの少年が
騒ぐ海を
けんめいに取押へてゐる
ただ一本の視線で
「こんな静かなレトルト世界で
蒸留なんかされてたまるか」
仲間ッぱづれの少年よ
のどのふつくら盛りあがつた百合
挽きたての楢の木屑の匂ひよ
かもしかの眼よ
すでに心は五大陸をさまよひつくした
いとしい放浪者よ
きみと二人して
夜明けの荒い空気に酔ひ
露とざす街をあとに
光と石と魚の住む隣町へ
さまよつてゆかう
きみはじぶんを
通風孔だと想像したまへ
ほら いま嵐が
小石といつしよに吸ひこまれてゆく
きみの中へ
ほら いま煤煙(すす)が
嵐になつてとびだしてくる
きみの中から
さうさ
海鳥(うみどり)に
寝呆けまなこのやつなんか
一羽もゐないぜ
泉の轆轤がひつきりなしに
硬い水を新しくする
草の緑の千差萬別
これこそまことの
音ではないのか
少年よ それから二人で
すみずみまで雨でできた
一羽の鳥を鑑賞しにゆかう
そのときだけは
雨女もいつしよに連れてさ
河底に影媛(かげひめ)あはれ横たはるまち
大気に融けて衣通姫(そとほり)の裳の揺れるまち
おお 囁きつづける
死霊(しれい)たちの住むまちをゆかう
けれど
少年よ
ぼくはきみの唇の上に
封印しておく
乳房よりも新鮮な
活字の母型で
「取扱注意!」
とね
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『大岡信著作集 第三巻』(青土社。1977年)より引用。この著作集には各巻「滴々集」という自作を語る書き下ろしもしくは談があって、こんなことを大岡信は言っている。
連句をやっているうちに、僕自身の詩に大きな影響が出てきました。それは、明確な手触りのあるイメージが出てこないような行は書けなくなってしまったということ。同時に各行の間に大きな断絶と飛躍がある詩でないと自分で満足できなくなっちゃったんですね。これは僕にとって、結局のところは非常にいい影響だったと思います。『悲歌と祝祷』に収めた詩は、雑誌などに発表した当時には、違った形だったものが多いんです。時期的に早いものには相当手を入れましたが、その手の入れ方の基本原則は、今言ったようなことです。だらだらと長い詩を書くのはいやになっちゃった。それから、激しい断絶を含んでいて、しかも背後には繋がりが見てとれる、そういう詩を書こうとした。この詩集は、僕のそういう意図が強く出ていると思いますが、読む人には緊張感を要求するものになっているかもしれません。しかし僕は、それはそれでいいと思っているんです。
この「滴々集」を、今このタイミングで読めたのは私にとってラッキーでした。そういう目でこの「少年」を見渡すと、皆さん、いかがですか。
--------------------------------------
少年
大岡信
大気の繊(ほそ)い折返しに
折りたたまれて
焔の娘と波の女が
たはむれてゐる
松林では
仲間ッぱづれの少年が
騒ぐ海を
けんめいに取押へてゐる
ただ一本の視線で
「こんな静かなレトルト世界で
蒸留なんかされてたまるか」
仲間ッぱづれの少年よ
のどのふつくら盛りあがつた百合
挽きたての楢の木屑の匂ひよ
かもしかの眼よ
すでに心は五大陸をさまよひつくした
いとしい放浪者よ
きみと二人して
夜明けの荒い空気に酔ひ
露とざす街をあとに
光と石と魚の住む隣町へ
さまよつてゆかう
きみはじぶんを
通風孔だと想像したまへ
ほら いま嵐が
小石といつしよに吸ひこまれてゆく
きみの中へ
ほら いま煤煙(すす)が
嵐になつてとびだしてくる
きみの中から
さうさ
海鳥(うみどり)に
寝呆けまなこのやつなんか
一羽もゐないぜ
泉の轆轤がひつきりなしに
硬い水を新しくする
草の緑の千差萬別
これこそまことの
音ではないのか
少年よ それから二人で
すみずみまで雨でできた
一羽の鳥を鑑賞しにゆかう
そのときだけは
雨女もいつしよに連れてさ
河底に影媛(かげひめ)あはれ横たはるまち
大気に融けて衣通姫(そとほり)の裳の揺れるまち
おお 囁きつづける
死霊(しれい)たちの住むまちをゆかう
けれど
少年よ
ぼくはきみの唇の上に
封印しておく
乳房よりも新鮮な
活字の母型で
「取扱注意!」
とね
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『大岡信著作集 第三巻』(青土社。1977年)より引用。この著作集には各巻「滴々集」という自作を語る書き下ろしもしくは談があって、こんなことを大岡信は言っている。
連句をやっているうちに、僕自身の詩に大きな影響が出てきました。それは、明確な手触りのあるイメージが出てこないような行は書けなくなってしまったということ。同時に各行の間に大きな断絶と飛躍がある詩でないと自分で満足できなくなっちゃったんですね。これは僕にとって、結局のところは非常にいい影響だったと思います。『悲歌と祝祷』に収めた詩は、雑誌などに発表した当時には、違った形だったものが多いんです。時期的に早いものには相当手を入れましたが、その手の入れ方の基本原則は、今言ったようなことです。だらだらと長い詩を書くのはいやになっちゃった。それから、激しい断絶を含んでいて、しかも背後には繋がりが見てとれる、そういう詩を書こうとした。この詩集は、僕のそういう意図が強く出ていると思いますが、読む人には緊張感を要求するものになっているかもしれません。しかし僕は、それはそれでいいと思っているんです。
この「滴々集」を、今このタイミングで読めたのは私にとってラッキーでした。そういう目でこの「少年」を見渡すと、皆さん、いかがですか。
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