詩客の4人の参加者による幸彦鑑賞7句⑥ /岡村知昭・大橋愛由等・中村安伸・堀本吟にて堀本吟さんに俳句自動生成ロボット・三物くんを摂津幸彦との関連で取り上げて頂きました。
「恥ずかしいことだけど、僕はやっぱり現代俳句っていうのは文学でありたいな、という感じがあります」という発言が引用されることの多い『恒信風』第3号(1996.2)の摂津幸彦インタビューでは、インタビュアーの村井康司さんが当時のMS-DOSか何かで動く俳句生成ソフトについて言及し、大胆不敵にも「うまくすると、え-、なんというか、ちょっと摂津さん風の句になりまして(笑)」などと話を振っています。
村井 で、例えば、摂津さんが俳句をお作りになるときに、書き留める前の段階で、頭の中でその俳句生成ソフトのような作業をされてると思うんですが、例えばある単語とある単語とを並置して置いた場合にですね、それが「当たり」か「はずれ」かという判断を常にされてると思うんですけれども、そのご自分がされている作業っていうのを、別の言葉で置き換えることはできますでしょうか。どういうふうにしているかってことを。
摂津 「腑に落ちる」っていう言葉があるけれど、自分が先験的に持ってる肉体感覚に落ち込むみたいな、そのへんでやめるっていう言い方がひとつあるのかなあ。骨董の言葉で「腹に合う」とか「腹に合わない」とかっていう言葉があって、いわば「腹に合わない」っていうのは飽いてくるっていうことで、飽いてきたら、必ず偽物だろうっていう、そういうことらしいんだけれど。要するに、どこかで「落ちる」っていうのかな、うん、これが自分だみたいなことで、ふっと自分が立つ場所が見つかるみたいな、そういう部分があると思いますね、俳句が完成したという感じっていうのは。あとで大概は腹に合わなくなりますが(笑)。
2012年8月31日金曜日
2011年12月16日金曜日
三物衝撃のテンプレート
対岸をきのふと思ふ冬桜 山田露結
たまたま『静かな水』の勉強会で、「深井戸を柱とおもふ朧かな 正木ゆう子」という句が引き合いに出され、そんなものは「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」ですでにできあがっているパターンではないか、みたいな否定的な論調で終わってしまったのだけれども、これは天狗俳諧の摂津幸彦が未来に遺した三物衝撃のテンプレートなのかも知れません。一物仕立てとか二物衝撃とかはよく言われるところですが、「目には青葉山ほととぎす初鰹 山口素堂」となると、「いや、あれは…」と口を濁すようでは俳人たるもの、情けないではありませんか。
掲句、今もありありと見えるものを過去のものとして訣別しようとしている、未練の残る孤愁を冬桜に感じます。
さて、そもそも山田露結さんと私との縁というのは、俳句自動生成ロボットに他ならないので、酔狂に「三物くん」というのを作ってみました。句型としては「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」と、(誰もそんなことは言わないけど)これも三物衝撃クラシックである「階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石」をもとに下五が5音の名詞も仕込んであります。
電灯を画鋲とおもふ師走かな ゆかり
たまたま『静かな水』の勉強会で、「深井戸を柱とおもふ朧かな 正木ゆう子」という句が引き合いに出され、そんなものは「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」ですでにできあがっているパターンではないか、みたいな否定的な論調で終わってしまったのだけれども、これは天狗俳諧の摂津幸彦が未来に遺した三物衝撃のテンプレートなのかも知れません。一物仕立てとか二物衝撃とかはよく言われるところですが、「目には青葉山ほととぎす初鰹 山口素堂」となると、「いや、あれは…」と口を濁すようでは俳人たるもの、情けないではありませんか。
掲句、今もありありと見えるものを過去のものとして訣別しようとしている、未練の残る孤愁を冬桜に感じます。
さて、そもそも山田露結さんと私との縁というのは、俳句自動生成ロボットに他ならないので、酔狂に「三物くん」というのを作ってみました。句型としては「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」と、(誰もそんなことは言わないけど)これも三物衝撃クラシックである「階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石」をもとに下五が5音の名詞も仕込んであります。
電灯を画鋲とおもふ師走かな ゆかり
登録:
投稿 (Atom)
