詩客の4人の参加者による幸彦鑑賞7句⑥ /岡村知昭・大橋愛由等・中村安伸・堀本吟にて堀本吟さんに俳句自動生成ロボット・三物くんを摂津幸彦との関連で取り上げて頂きました。
「恥ずかしいことだけど、僕はやっぱり現代俳句っていうのは文学でありたいな、という感じがあります」という発言が引用されることの多い『恒信風』第3号(1996.2)の摂津幸彦インタビューでは、インタビュアーの村井康司さんが当時のMS-DOSか何かで動く俳句生成ソフトについて言及し、大胆不敵にも「うまくすると、え-、なんというか、ちょっと摂津さん風の句になりまして(笑)」などと話を振っています。
村井 で、例えば、摂津さんが俳句をお作りになるときに、書き留める前の段階で、頭の中でその俳句生成ソフトのような作業をされてると思うんですが、例えばある単語とある単語とを並置して置いた場合にですね、それが「当たり」か「はずれ」かという判断を常にされてると思うんですけれども、そのご自分がされている作業っていうのを、別の言葉で置き換えることはできますでしょうか。どういうふうにしているかってことを。
摂津 「腑に落ちる」っていう言葉があるけれど、自分が先験的に持ってる肉体感覚に落ち込むみたいな、そのへんでやめるっていう言い方がひとつあるのかなあ。骨董の言葉で「腹に合う」とか「腹に合わない」とかっていう言葉があって、いわば「腹に合わない」っていうのは飽いてくるっていうことで、飽いてきたら、必ず偽物だろうっていう、そういうことらしいんだけれど。要するに、どこかで「落ちる」っていうのかな、うん、これが自分だみたいなことで、ふっと自分が立つ場所が見つかるみたいな、そういう部分があると思いますね、俳句が完成したという感じっていうのは。あとで大概は腹に合わなくなりますが(笑)。
2012年8月31日金曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿