声となりほどなく鶴となりにけり 山田露結
写生的な観点から言えば、例えば雪原に鶴がいるのだけれど保護色のため初めは分からず、声を聴いたのち初めて姿を認識したという情景を的確に捉えた句、ということになりましょう。が、実景はさておきテキストとしてこの句を眺めた場合、抽象的な属性と全体の、次元を無視した並置こそが読者に対し何かしらを喚起するのだと感じます。
クロールの夫と水にすれ違ふ 正木ゆう子
こちらの場合、人物と物体の並置ということになりますが、大ざっぱにいえば、やはり次元の異なるものの並置の面白さを感じます。
閂に蝶の湿りのありにけり 山田露結
この句の場合、閂の湿り気と蝶の湿り気は同じだと言っているわけだから、次元の異なるものの並置とは違うかも知れません。しかしながら、湿り気を表す尺度として、蝶というのはそうとう変なものです。そういう意味では、次元の異なるものの並置と同じくらい意表をついて成功しています。実際のところ、雨露にさらされた閂のもつ、決して濡れているわけではないけれどもひんやりとした、あの触感というのは、「蝶の湿り」と断定されたとき大いに腑に落ちるものがあります。
2011年12月16日金曜日
三物衝撃のテンプレート
対岸をきのふと思ふ冬桜 山田露結
たまたま『静かな水』の勉強会で、「深井戸を柱とおもふ朧かな 正木ゆう子」という句が引き合いに出され、そんなものは「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」ですでにできあがっているパターンではないか、みたいな否定的な論調で終わってしまったのだけれども、これは天狗俳諧の摂津幸彦が未来に遺した三物衝撃のテンプレートなのかも知れません。一物仕立てとか二物衝撃とかはよく言われるところですが、「目には青葉山ほととぎす初鰹 山口素堂」となると、「いや、あれは…」と口を濁すようでは俳人たるもの、情けないではありませんか。
掲句、今もありありと見えるものを過去のものとして訣別しようとしている、未練の残る孤愁を冬桜に感じます。
さて、そもそも山田露結さんと私との縁というのは、俳句自動生成ロボットに他ならないので、酔狂に「三物くん」というのを作ってみました。句型としては「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」と、(誰もそんなことは言わないけど)これも三物衝撃クラシックである「階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石」をもとに下五が5音の名詞も仕込んであります。
電灯を画鋲とおもふ師走かな ゆかり
たまたま『静かな水』の勉強会で、「深井戸を柱とおもふ朧かな 正木ゆう子」という句が引き合いに出され、そんなものは「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」ですでにできあがっているパターンではないか、みたいな否定的な論調で終わってしまったのだけれども、これは天狗俳諧の摂津幸彦が未来に遺した三物衝撃のテンプレートなのかも知れません。一物仕立てとか二物衝撃とかはよく言われるところですが、「目には青葉山ほととぎす初鰹 山口素堂」となると、「いや、あれは…」と口を濁すようでは俳人たるもの、情けないではありませんか。
掲句、今もありありと見えるものを過去のものとして訣別しようとしている、未練の残る孤愁を冬桜に感じます。
さて、そもそも山田露結さんと私との縁というのは、俳句自動生成ロボットに他ならないので、酔狂に「三物くん」というのを作ってみました。句型としては「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦」と、(誰もそんなことは言わないけど)これも三物衝撃クラシックである「階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石」をもとに下五が5音の名詞も仕込んであります。
電灯を画鋲とおもふ師走かな ゆかり
もろもろ昨今
先週は10日(土)に現代俳句協会青年部の正木ゆう子『静かな水』の勉強会、11日(日)に西原天気さんの『けむり』の出版記念パーティーと、私にしては珍しく人前に姿を現し、今週になって13日(火)に複数の方の連名で『俳コレ』を恵贈賜りました。こうなると俄然俳句モードであります。しばらく、私の中の秩序により『静かな水』と『けむり』と『俳コレ』について、模索することにします。
といいつつ『俳コレ』って、これ、非常に困ります。何か書こうにも、すでに各人についてもれなく小論という作者以外の評があって、これがなんだか、予想問題集の記述式問題の回答例みたいに、扱いに困ります。さらに巻末にはそうそうたる5名の方による合評座談会がついていて、各作家の相対的な位置づけのようなことまで語られているのです。作品を読む前に目を通さないことはできるのですが、ブログに何か書こうとしたときに6重のバイアスの網目であるそれらに触れなかったら「おんなじこと言ってら」「くすくすくす」とか言われかねない…。
が、ここは清志郎ばりに「♪情報を無~視~」と行くことにします。
極月の静かな水をけむりかな ゆかり
【12/29追記】改めて聴き返したら「♪情報を無~視~」の一節は坂本冬美が歌っていました。謹んでお詫びするようなことではないのですが…。
といいつつ『俳コレ』って、これ、非常に困ります。何か書こうにも、すでに各人についてもれなく小論という作者以外の評があって、これがなんだか、予想問題集の記述式問題の回答例みたいに、扱いに困ります。さらに巻末にはそうそうたる5名の方による合評座談会がついていて、各作家の相対的な位置づけのようなことまで語られているのです。作品を読む前に目を通さないことはできるのですが、ブログに何か書こうとしたときに6重のバイアスの網目であるそれらに触れなかったら「おんなじこと言ってら」「くすくすくす」とか言われかねない…。
が、ここは清志郎ばりに「♪情報を無~視~」と行くことにします。
極月の静かな水をけむりかな ゆかり
【12/29追記】改めて聴き返したら「♪情報を無~視~」の一節は坂本冬美が歌っていました。謹んでお詫びするようなことではないのですが…。
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