2015年8月10日月曜日

七吟歌仙・旅支度の巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。

   旅支度終へて真黒きバナナかな     恵
    しづかにうなる金魚の水槽    ゆかり
   町角にポストも煙草屋もなくて    媚庵
    暑さの残る射的場跡         七
   望月の翳の起伏に尾根裾野      銀河
    指にじませて秋茱萸を食む     なむ
ウ  修行僧弥勒菩薩に見つめられ     ぐみ
    微熱繰り出す薄きくちびる      恵
   歌姫に芸の肥やしのふたつみつ     り
    独楽が刀の刃を渡り行く       庵
   蜘蛛の囲の掛けられてゐる朝帰り    七
    水栓漏るるおふくろの家       河
   冥王に五つ月あり凍ててをり      む
    面壁九年因縁解脱          み
   淡雪を舌に受くるも直ぐに飽き     恵
    卒業式なき卒業アルバム       り
   坊ちやんとマドンナと見る花盛り    庵
    島々渡る風は緑に          七
ナオ ステーキの皿をふちどる油虫      河
    まざあ・ぐうすに紛れ込む歌     む
   ドローンに運ばれみどり児は生まれ   み
    忍者屋敷を包む陽光         恵
   巻物を広げ訪ねる高低差        り
    壮年ランボー駱駝に乗って      庵
   洪水のあとに始まる物語        七
    こは恐竜の顎の骨かと        河
   マリちゃんを挟んでパフをハモります  む
    五番街にて空似追ひたり       み
   メロンパンひとつ置かれし月の膳    恵
    またも引つ越す吾は鯖雲       り
ナウ テレビには菊人形の大写し       庵
    もつてのほかを酒の肴に       七
   カラオケのマイクを磨く役どころ    河
    蟇も穴出る大ハウリング       む
   天に満ち地に満ち花の息づかひ     み
    霞開けば故郷の山河         恵


起首:2015年 6月27日(土)
満尾:2015年 8月10日(月)
捌き:ゆかり


2015年6月27日土曜日

緑陰の巻評釈

 評釈というか、捌き人脳内ビジョンです。

   緑陰にピアノのやうな男かな     苑を

 「ピアノのやうな」とは「ピアノの調べのような」なのか「ピアノという楽器のような」なのか。どちらで付けても残りの可能性を封じ込め、発句の味わいを 半分損なうことになる。こういう句は独立した「俳句」として鑑賞すべきなのだが、発句として出された以上、脇を付けねばならない。おおいに悩ましい。
 ところでピアノといえば、ピアニストが演奏旅行中に出会う初対面の人がじつはすべて昔から知っている人で人間関係がどんどん複雑になってゆくカズオ・イ シグロの不条理小説の題はなんであったか。あの不条理は、あえて打越を捨て去らない縛りを課した連句のようでもある(そんなものが存在するのならば、であ るが…)。

    祝辞さらへばどつと出る汗    ゆかり

 悩んだ結果、「ピアノという楽器のような」として脇を付けた。黒白の礼服に身を包んだ男が緑陰にいる。ここは結婚式場の庭園で、緊張しきって汗まみれになっては祝辞の練習をしている。披露宴まで時間が迫っている。

   匿名の葉書は風に飛ばされて      恵

 第三は発句と脇の世界とは別の、連句にとって展開の始まりである。人生の門出とは無関係な空間で、名乗るに名乗れぬ感情が吹き飛ばされて行く。

    角の垣根の朝顔の紺        媚庵

 飛ばされた葉書を追えば角の垣根の朝顔の紺が目に入る。

   十六夜のあけゆく橋を入谷まで    なむ

 遊び帰りに十六夜のあけゆく橋を渡れば、朝顔市で名高い入谷である。

    明治節だと言ふ指物師        を

 そんな入谷には、文化の日のことを意地でも「明治節」と言う年老いた指物師が似合う。


 暴れどころに突入する。

ウ  倶利伽羅を見せあふ仲と囁かれ     り

 頑固一徹な指物師であるが、若い頃には入れ墨を見せ合う相手がいた。

    琵琶の音色の届く灯台        恵

 しかし関係は長続きせず、片割れは楽士として灯台のある辺境に流れていった。

   昼の雪傘さしてゆく三姉妹       庵

 昼の雪が降る中、三姉妹が傘をさして行く。華やいだ雰囲気に転じている。

    茶々・初・江と銘す絵屏風      む

 三姉妹といえば、浅井三姉妹である。激動の時代にそれぞれ豊臣秀吉・京極高次・徳川秀忠の妻(正室・側室)となった。その名を冠した三点ものの絵屏風なのだろうか。なんとも豪奢である。

   運命が扉を叩く音のする        を

 私にも転機が訪れたのだろうか、運命が扉を叩く音のする。

    猫のことばも次第に馴れて      り

 扉を叩いたのは猫だった。いっしょに暮らすようになり、このごろ猫がなにを言っているのか分かるようになってきた。

   小判型UFOに乗りお買物       恵

 猫といえば「猫に小判」だし「猫型ロボット」である。両方ぶち込んでしまうのもどうかと思わなくもないが、往年の西武のCMのようでもある「お買物」という言い回しが妙に可笑しい。

    光り物見る藤原定家         庵

 UFOといえば定家『明月記』である。「光り物」という言い回しがいかにも未確認飛行物体である。

   百人の首並べれば土匂ふ        む

 定家といえば百人一首であるが、ここでは殉死だろうか生き埋めにしてしまった。しれっと付けた春の季語「土匂ふ」がなんともブラックである。

    ひと夜ふた夜と鳴るかざぐるま    を

 そしてひと夜ふた夜と時間が経過する。かざぐるまが鳴るさまは無常である。前句の百を受けているのであるが、すでに「十六夜」「三姉妹」があるので、連句の進行上その後、行くところまで行くことになる。

   干満に委ねあしたの花筏        り

 花の座であるが、前句が夜なので朝としている。海が近いこのあたりではゆうべの花筏が汐の満ち干で戻ってくる。

    空へ突き刺す舵の竹竿        恵

 船頭が操る竹竿は、見ようによっては空へ突き刺すようである。


 名残表である。さらに暴れまくる。

ナオ 鉄柱にヒール・レスラー雄々しけれ   庵

 前句からイメージを借りて、リング上で華々しく散る悪役レスラーの雄渾さを詠んでいる。

    やがて消え去る霊と思へず      む

 発句のところでちょっと触れたカズオ・イシグロの不条理長編小説の題は『充たされざる者』なのだった。別に打越にかかるわけではないのだが、無常観とも死生観ともいうべきものが、今回の巻では絶ちがたく現れる。

   とことはにウヰイルキンソン炭酸水   を

 そのあたりの機微を捉えてのことだろうか、「とことはに」が妙にはまっている。

    角瓶を割る年増の女         り

 炭酸といえばハイボールであるが、サントリー角瓶の広告は、小雪→菅野美穂→井川遥と続いているのだったか。前任者と比較するわけでもないのだが、なんとも年増女の妖気を感じる。

   池袋駅の地下街彷徨ひて        恵

 年増→豊島区という駄洒落で池袋駅が導かれているわけであるが、池袋はそんな妖艶な女が彷徨っていそうである。

    捕物帰りの半七に逅ふ        庵

 なぜここで半七なのかはじつは分かりませんでした。分からないけど、時空を超えた彷徨感が心地よいじゃありませんか。

   筋になき十手を要す詰将棋       む

 捕物といえば十手がつきものだが、ここではひねって将棋の手数としている。またしても数字の連鎖が絶ちがたく現れる。

    寝ても覚めても考へてゐる      を

 手筋を大長考しているのである。

   地下鉄の車庫の近くを秋の風      り

 春日三球・照代の「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えてると一晩中寝られないの。」を踏まえている。四句前に「池袋駅の地下街」があるのだが、またしても絶ちがたく現れる。

    山河を越えて迫る虫の音       恵

 地下鉄の車両基地がある中野富士見町あたりの土地の起伏を思う。が、句は現実を離れ「虫の音」が迫る。

   見あげればアポロの頃と同じ月     庵

 月の座である。地形的に見上げるしかないのだが、そこに人類の進歩と調和が信じられていた頃と同じ月が見える。ふと安倍仲麿の歌を思い出す。「天の原ふ りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」は遣唐使の仲麿が唐の地で故郷と同じ月を詠むという、空間を超えた「同じ月」であるのに対し、こちらは時間 を超えた「同じ月」である。そんなことを思い出すのは、初折裏八句目の「光り物見る藤原定家」のせいだろう。またしても絶ちがたく現れる。

    ジュール・ヴェルヌも太鼓判押す   む

 ヴェルヌの『月世界旅行』は読んだかも知れないが、忘れてしまった。ある種のハードSFはのちにそのまま現実になる。「太鼓判押す」が絶妙である。
 


 名残裏である。しらふにかえり大団円に向かう。

ナウ 棚隅に表紙の取れた和佛辞書      を

 えっ、子どもの頃読んだという話ではなく、原書なの、という意外な展開。

    四つ五つは口語自由詩        り

 まだ出ていない数字をこの際全部使おう、という方針を名残裏にして打ち出す。ひどい捌き人である。人は誰でもヴェルレーヌだランボーだと口走り四つ五つは口語自由詩を詠んだ黒歴史がある。

   杉桶の八ツ目うなぎを掴めずに     恵

 口語自由詩? そんなもん、うなぎに聞いてくれ。

    由来不明の涅槃図を吊る       庵

 得体の知れぬ涅槃図にはちゃんとうなぎもいる。

   対岸にけふ九重の花莚         む

 対岸というのは、涅槃図の外の現実世界ということだろうか。折りたたんだ筵を平らにのばして花見が始まる。このようにしてまたしても百人一首が絶ちがたく現れる。数字のノルマは達成。

    小径をゆけば囀りの中        を

 そして、小径をゆけば囀りの中である。脇は発句を「ピアノという楽器のような」と読んで発句の味わいを半分捨てたわけだが、挙句は捨てた方の「ピアノの調べのような」に向かって円環をなす。さすがである。
 

2015年6月23日火曜日

五吟歌仙・緑陰の巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。



   緑陰にピアノのやうな男かな     苑を
    祝辞さらへばどつと出る汗    ゆかり
   匿名の葉書は風に飛ばされて      恵
    角の垣根の朝顔の紺        媚庵
   十六夜のあけゆく橋を入谷まで    なむ
    明治節だと言ふ指物師        を
ウ  倶利伽羅を見せあふ仲と囁かれ     り
    琵琶の音色の届く灯台        恵
   昼の雪傘さしてゆく三姉妹       庵
    茶々・初・江と銘す絵屏風      む
   運命が扉を叩く音のする        を
    猫のことばも次第に馴れて      り
   小判型UFOに乗りお買物       恵
    光り物見る藤原定家         庵
   百人の首並べれば土匂ふ        む
    ひと夜ふた夜と鳴るかざぐるま    を
   干満に委ねあしたの花筏        り
    空へ突き刺す舵の竹竿        恵
ナオ 鉄柱にヒール・レスラー雄々しけれ   庵
    やがて消え去る霊と思へず      む
   とことはにウヰイルキンソン炭酸水   を
    角瓶を割る年増の女         り
   池袋駅の地下街彷徨ひて        恵
    捕物帰りの半七に逅ふ        庵
   筋になき十手を要す詰将棋       む
    寝ても覚めても考へてゐる      を
   地下鉄の車庫の近くを秋の風      り
    山河を越えて迫る虫の音       恵
   見あげればアポロの頃と同じ月     庵
    ジュール・ヴェルヌも太鼓判押す   む
ナウ 棚隅に表紙の取れた和佛辞書      を
    四つ五つは口語自由詩        り
   杉桶の八ツ目うなぎを掴めずに     恵
    由来不明の涅槃図を吊る       庵
   対岸にけふ九重の花莚         む
    小径をゆけば囀りの中        を


起首:2015年 5月31日(日)
満尾:2015年 6月23日(火)
捌き:ゆかり

2015年5月23日土曜日

お台場の巻・評釈

   お台場に汐の香つのる柳かな      媚庵

 媚庵さんの歌仙における作風からはほぼ一貫した郷愁が感じられるが、今回の発句はお台場。ペリー来襲で急造された海上の砲台跡地に一般市民が普通に訪れ るようになったのは、フジテレビの社屋が移転した頃からだろうか。とにかく作中主体はいまお台場に立ち、ゆれる柳とともに晩春の汐の香を浴びている。旧跡 を偲ぶ万感の発句である。

    観覧車から霞む半島        ゆかり

 脇は発句への挨拶として、同季、同じ場所で詠む。まさに現代の景として観覧車から遠景を一望しているわけであるが、お台場は歌枕としてはかつて鉄道唱歌 に歌われている。「窓より近く品川の 台場も見えて波白く/海のあなたにうすがすむ 山は上総か房州か」(大和田建樹作詞、鉄道唱歌の三番)。
 かつて品川の車窓からお台場とともに見ることができた景も今では観覧車の上からですね、媚庵さん。

   老いかねしうぐひすの音の絶えずして  銀河

 第三からが連句としての展開の真の始まりである。発句と脇で完結した挨拶から離れ、違う世界へ誘う。同季の中では時系列で付ける必要があるが、なにしろ 晩春が発句なので春といってもあとがない。ここでは機転を利かせ、夏の季語「老鶯」に対し「老いかねしうぐひす」とすることにより難題をかわしている。ま た、発句の嗅覚、脇の視覚に対し、第三で聴覚を詠んでいるところも、流石である。

    画布の小径に入れる紫         令

 鶯が鳴くあたりにイーゼルを立てて黙々と絵を描いている。「入れる」がなんとも心憎い措辞である。

   睡蓮の夢みる頃を照らす月       苑を

 月の座である。前句「紫」から睡蓮を導くとともに、媚庵さんの歌集『夢見る頃を過ぎても』を詠み込み挨拶句としている。なお、睡蓮は夏の季語であるが、睡蓮の夢だから季語にはあたらないという逃れ方をしている。

    竹伐る人と詩を書く人と        庵

 何かしら期限がある「夢みる頃」に対し、同時に存在する実務者と芸術家を並置している。それが同一人物なのか別人物なのかはあえて言及していない。「竹伐る人」は月→竹取物語から導かれたものかも知れない。


 初折裏である。ここからは暴れどころとして、ときに格調も品位もなく進行する。実際の歌仙では表六句が終わると酒が回ってくるとも聞く。

ウ  あひみてののちのこころの秋茜      り

 前句「竹伐る人と詩を書く人と」に対し、これをやり過ごすとしばらく恋の座に持ち込めない懸念があり、前句を恋人同士と見立て、百人一首から権中納言敦忠の歌を引用した。ただし悲恋である。詩人は本質的に仲間っぱずれなのだ。

    砂漠の百里四方友無く         河

 ここで訃報が入る。津田清子さんが亡くなったのである。「砂漠の木百里四方に友は無し 津田清子」を踏まえた悲痛な挽歌であるが、どういう偶然に導かれたものか前句の孤愁と滑らかにつながっている。

   幻の泛かぶひねもすよもすがら      令

 悲報を受けてそのまま付けている。打越の「あひみての」に対し「よもすがら」で「また歌留多?」ということもよぎったが、ここは駄目出しする場面ではない。

    高層ビルの非常階段          を

 ここで立て直す。いかにも幻が現れそうな遣句である。

   土鍋もち屋台へおでん買ひに出る     庵

 飄逸な句である。二十一世紀というのは実際そういう世界で、高層ビルと旧来の文化が共存する。

    練物ばかり選ぶ人妻          り

 居合わせた人妻は偏食なのかずいぶん変な買い物をしている。

   飛魚の波切つてゆき滑るやう       河

 人事が続いたので、意表をついて加工される前の魚に転じている。

    北回帰線こゆる唐船          令

 海洋進出する中国という世相のようでもありながら古風に「唐船」として、物語を次句にゆだねる作り方となっている。

   積み上がる発禁本に春寒し        を

 前句から国情不安を読み取ったものか、発禁本という不穏なものがどさりと積み上がる。

    カストリ煽る四月馬鹿の日       庵

 前句、わざわざ「春寒し」というところを見ると春本だったのか。安酒を煽りつつ生業とする。

   中年のしのび泣く夜の脳に花       り

 四月馬鹿の日は三鬼忌。「中年や遠くみのれる夜の桃」「算術の少年しのび泣けり夏」などを踏まえつつ、カストリで脳に花が咲いている。凄惨な花の座である。

    極限で似るものの家にて        河

 三鬼の『神戸』『続神戸』の登場人物たちはみな極限で似ている。字面を追えばそういう読みが自然であるが、銀河さんによれば「極限で似るものの家」は岐 阜県養老の滝付近のテーマパーク「養老天命反転地」の惹句とのことである。しかも前句「脳」から養老孟司を経ての連想だという。そんなこと言わなければい いのに。


 名残表は、引き続き暴れどころである。

ナオ 荷が着いて天地無用の大きな字      令

 前句「極限で似るものの家にて」が「養老天命反転地」の惹句であることが作者自身から明かされ、その由来の方から導かれた句ではあるが、句そのものを並べたときに「極限」に対し「天地無用」と字面が妙に可笑しい。

    走るときには走るペリカン       を

 前句を宅配便と捉え、ペリカン便から発想している。宅配便は黒猫、カンガルー、このペリカンなど動物や鳥のイメージキャラクターが多く、腕の見せどころであるが、ここではなんと走らせている。ペリカンがあわてふためいて不器用に走るさまを想像するとじつに可笑しい。

   アジトより黒の歌姫あらはれて      庵

 時代は学生運動のさなかにワープする。騒然としたなか、アジトから悠然と黒ずくめの歌姫が現れる。浅川マキのイメージか。

    眼窩のうづく黄色い太陽        り

 行為に耽ったあと太陽が黄色く見えると言われていたのも、そんな時代であったか。いったいアジトにこもって何をやっていたのだろう。黒に対して黄色で付けている。

   近づくに日本国旗のあざやかな      河

 寝不足で朦朧とした頭のまま近づくと鮮やかな日本国旗が見える。

    長い隊列麦畑ゆく           令

 それは長い隊列をなし麦畑を進軍している。

   梅雨冷に喇叭マークの薬瓶        を

 かと思いきや軍国的なイメージを無効化しおなかをこわしている。じつに飄逸な付けぶりである。

    元モガなれどいま二児の母       庵

 かつてモガだったのもいつのことか、生活に追われ今もまさに下痢の子どもの世話をしている。

   立秋をローアングルのカメラ這ふ     り

 その昔は颯爽と銀幕に映ったこともあったというのに。

    燕去る日の風に色なく         河

 ローアングルでヒロインを追う視線のような軌跡で燕が去って行く。ちなみに秋風のことを色なき風と言ったり、金風、素風などと言ったりするのは陰陽五行説に由来していて、詳しくは歳時記を当たられたい。

   枝折戸の鈴を鳴らして月の客       令

 そんな秋の日にひょいと枝折戸の鈴を鳴らして月見の客がやってきた。

    ブーケ・ガルニの香る厨房       を

 もてなしはなんのスープであろうか、厨房ではブーケ・ガルニが香っている。


 暴れどころの悪ふざけも静まり、名残裏である。

ナウ 万巻の書のしづけさに雪明り       庵

 ここ「みしみし」では「雪の座」とでも言うべきものを設けていて、名残裏に入るまでに一句も雪の句が出ていないと、捌き人が所望する。古来「雪月花」と いうことばもあるのに、標準的な連句の式目ではどうして月の座と花の座しかないのだろう。さて、折しも調理がクライマックスに達して芳香を放つ頃、灯を落 とした書庫には万巻の書が眠り読めるともなく雪明りに照らされている。

    燐寸を擦ればつかのまの暖       り

 書の文字を確かめたかったのであろうか。燐寸を擦れば、束の間暖かい。

   かつて街であつたあたりを撮りなほす   河

 以前街だった頃によく撮影したこの街は今は廃墟となっていて、寒さが身にこたえる。現在の姿をもう一度記録するのだ。

    軌道の跡に薄氷を踏み         令

 廃線の跡はでこぼこに水が溜まって薄い氷が張っている。春はまだ浅い。

   須呵摩提へといちめんの花筏       を

 須呵摩提(しゅかまだい)はサンスクリット語「スカーヴァティー」で、「幸福のあるところ」の意。水を流れるいちめんの落花はあたかも極楽へと続く軌道のようである。この美しくもどこか不吉さを内包する花の座のあとで、一体どういう挙句があり得るというのだろう。

    お江戸の春の美しき夕映え       庵

 そして挙句である。発句「お台場」を思えば、終焉を迎える江戸という町、時代の最期の黄昏の美しさなのだろうか。挙句から発句へと円環をなし、これにて満尾である。
 
 

2015年5月18日月曜日

五吟歌仙 お台場の巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。

   お台場に汐の香つのる柳かな      媚庵
    観覧車から霞む半島        ゆかり
   老いかねしうぐひすの音の絶えずして  銀河
    画布の小径に入れる紫         令
   睡蓮の夢みる頃を照らす月       苑を
    竹伐る人と詩を書く人と        庵
ウ  あひみてののちのこころの秋茜      り
    砂漠の百里四方友無く         河
   幻の泛かぶひねもすよもすがら      令
    高層ビルの非常階段          を
   土鍋もち屋台へおでん買ひに出る     庵
    練物ばかり選ぶ人妻          り
   飛魚の波切つてゆき滑るやう       河
    北回帰線こゆる唐船          令
   積み上がる発禁本に春寒し        を
    カストリ煽る四月馬鹿の日       庵
   中年のしのび泣く夜の脳に花       り
    極限で似るものの家にて        河
ナオ 荷が着いて天地無用の大きな字      令
    走るときには走るペリカン       を
   アジトより黒の歌姫あらはれて      庵
    眼窩のうづく黄色い太陽        り
   近づくに日本国旗のあざやかな      河
    長い隊列麦畑ゆく           令
   梅雨冷に喇叭マークの薬瓶        を
    元モガなれどいま二児の母       庵
   立秋をローアングルのカメラ這ふ     り
    燕去る日の風に色なく         河
   枝折戸の鈴を鳴らして月の客       令
    ブーケ・ガルニの香る厨房       を
ナウ 万巻の書のしづけさに雪明り       庵
    燐寸を擦ればつかのまの暖       り
   かつて街であつたあたりを撮りなほす   河
    軌道の跡に薄氷を踏み         令
   須呵摩提へといちめんの花筏       を
    お江戸の春の美しき夕映え       庵

起首:2015年 4月30日
満尾:2015年 5月18日
捌き:ゆかり


初折裏12句目「極限で似るものの家」は岐阜県養老の滝付近のテーマパーク「養老天命反転地」の惹句。