2011年12月31日土曜日

七吟歌仙・極月の巻

   極月のピアノに映る焰かな      ぽぽな
    フーガの技法にて毛糸編む     ゆかり
   肖像画ばかりの部屋を抜け出して    なむ
    青の時代の道化装ひ         ぐみ
   穏やかな良夜の海に舟ひとつ     らくだ
    雁渡る日に着たる電報      まにょん
ウ  片仮名のコスモス淡き息を吐き     苑を
    恋占ひの前髪ゆれる          な
   切り損ねばらばらとなりつつふるる    り
    レクター博士の料理教室        む
   過疎の村運動場に声のなく        み
    着ぐるみ走る市民マラソン       だ
   炎上のアテネ経由でリスボンへ      ん
    月の女神は露台に凭れ         を
   どうしても人には言へぬ悩みあり     な
    どんどん増えるパラレルワールド    り
   彼の岸に虚実皮膜の花散れば       む
    寅さんの春一路邁進          み
ナオ 風船を曲げてねぢつてプードルに     だ
    シロガネーゼの音なき放屁       ん
   木曜は乗馬倶楽部で頬杖を        を
    碧い瞳が近づいてくる         な
   人魂を百まで数へ眠くなる        り
    客入れ替はる山小屋の炉火       む
   暖とりし海女に気負ひのよみがへり    み
    あんぱん食べて夜討ち朝駆け      だ
   ラヂオから山田太郎の歌聞こゑ      ん
    爽やかなんて言はれて照れる      を
   磨かれし月の鏡に身を入れて       な
    だまし絵のごと渡るかりがね      り
ナウ 幽冥の境たちまち雪景色         む
    根岸の里に侘助の庭          み
   噺家も混ざる句会の賑はひに       だ
    ロバのパン屋と春来たるなり      ん
   花香るブルックリンへ地下鉄で      を
    色とりどりに揺れる風船        な


起首:2011年12月15日(木)
満尾:2011年12月31日(土)
捌き:ゆかり

 今年も年間12巻。連衆の皆様、ありがとうございます。来年も遊んでやって下さい。
 ちなみに年間12巻の内訳は以下。右のラベル「連句」からたどるとまとめて読めます。(4)の自由律歌仙とか(5)の回文歌仙とか(6)の短歌まで詠んでしまったぐみさんとの両吟歌仙とか、そうとう思い出深いです。

(1)脇起し七吟歌仙・七種の巻
起首 2011年 1月 8日(土)
満尾 2011年 2月 6日(日)

(2)脇起し七吟歌仙・遠くよりの巻
起首:2011年 2月 8日(火)
満尾:2011年 3月16日(水)

(3)脇起し五吟歌仙 春天の巻
起首:2011年 4月 2日(土)
満尾:2011年 5月 1日(日)

(4)九吟自由律歌仙 藤棚の巻
起首:2011年 5月 3日(火)
満尾:2011年 5月16日(月)

(5)七吟回文歌仙 譲りしはの巻
起首:2011年 5月28日(土)
満尾:2011年 6月23日(木)

(6)両吟歌仙・秋蝉の巻
起首:2011年 6月25日(土)
満尾:2011年 7月29日(金)

(7)脇起し七吟歌仙・木をのぼるの巻
起首:2011年 8月 2日(火)
満尾:2011年 9月 3日(土)

(8)七吟歌仙 白萩の巻
起首:2011年 9月13日(火)
満尾:2011年10月 7日(金)

(9)六吟歌仙・人影の巻
起首:2011年 9月25日(日)
満尾:2011年10月28日(金)

(10)九吟歌仙・上弦の巻
起首:2011年10月10日(月)
満尾:2011年11月19日(土)

(11)九吟歌仙・既望の巻
起首:2011年11月22日(火)
満尾:2011年12月23日(金)

(12)七吟歌仙・極月の巻
起首:2011年12月15日(木)
満尾:2011年12月31日(土)

間違ってできちゃった俳句

大みそか回送電車明るくて    岡村知昭
菜の花の岬ばんそうこう剥がす
みどりごの固さの氷菓舐めにけり


 そんな岡村知昭ワールドに、間違ってできちゃったみたいに普通の俳句が置かれているのです。一句目、寒い中、終夜運転の電車を待っていると回送の分際でこうこうと明かりをつけた電車が通り過ぎる、この世に見放されたような寂寥感があります。二句目、これ、「岬」が余分なようでいて絶妙です。頭の中に「岬」と呼ばれる関節が立ち上がりませんか。三句目、普通の俳句としてはいささか尋常でない比喩が、岡村知昭ワールドとの圧力調整のための小部屋としての効果をあげています。

林立する瓶

きさらぎがこわい牛乳瓶の立つ     岡村知昭
口語だめペットボトルの直立し
ほんものの雪を見ている麦酒瓶
あんだるしあ空瓶はこわれているか


 これを男性器の象徴などと読み出すと、がらがらと音を立てて瓶がぜんぶ割れてしまう岡村知昭ワールドなのです。すべて書いてあるとおり、牛乳瓶でありペットボトルであり麦酒瓶であり空瓶なのです。
 一句目、パックではありません。中身の見える牛乳瓶です(空なのかも知れないけど)。そういえば子どもの頃、給食のあと「牛乳が飲めるまで遊んじゃ駄目」とか先生に怒られている同級生がいたものです。おそろしい白い牛乳。真冬の冷たい牛乳。「牛乳がこわい」ではないので、きさらぎにまつわる何かしら牛乳のような理不尽があるのでしょう。
 二句目、これ、岡村知昭ワールドのへなへなな国の憲法みたいでいいです。
 三句目、ほんものの雪でないものが何かあるのでしょう。ちなみに検索してみると、日本の冬季限定ビールの発売は1988年、初期の頃は缶と瓶の並行販売だった由。私は、雪の結晶のデザインのラベルを思い浮かべました。
 四句目、「あんだるしあ」とわざわざ平仮名で表記しているのは、貨物船かなにかなのでしょうか。当然こわれていることを期待した書き方が、なんとも岡村知昭ワールドです。

現実界への風刺として機能しない無意味

かごめかごめが官邸で泣いている 岡村知昭
帝国のあんなにあって猫泳ぐ
警官のままの兎の濡れている
淋しくて国民になるバナナかな
梔子の花いきなりの遺憾の意
出征と言わないでおく冬三日月


 現実界への風刺としては機能しないくらい無意味なこれらの語彙は、変なたとえですが『ひょっこりひょうたん島』にガバスという通貨があったみたいに、岡村知昭ワールドの重要な機能としての、国家や政府や軍隊や警察なのでしょう。それにしても、なんと頼りない国家や政府や軍隊や警察であることよ。

やや思ふ青鞋のこと閒石のこと

水売りの言葉によれば立夏かな 岡村知昭

 「水売」というのは、広辞苑によれば「江戸時代、夏、冷水に白玉と砂糖を入れ、町中を売り歩いた商人」とあります。たぶん、この人たちの立夏はまさに仕事がかき入れ時になる頃なのでしょう。
 ところでこの句、「この国の言葉によりて花ぐもり 阿部青鞋」の遠い影があるような気がします。

れんこんのなおも企む日暮かな 岡村知昭

 そう思い出すと、この句も「れんこんの穴もたしかに嚙んで食べ 阿部青鞋」の遠い遠い影があるような気がしてきました。からっぽの分際で、れんこんの穴が悪代官のように企んでいるのです。ついでにいうと、「日暮かな」だけなのに「階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石」のほのかな影もあるような気がしてきました。阿部青鞋も橋閒石も、意味と無意味のはざまで重大な足跡を残した俳人なので、読者の方で呼び込んでしまうのかも知れません。

秋風も叙情詩もいや三宮 岡村知昭

 閒石といえば、「詩も川も臍も胡瓜も曲りけり 橋閒石」という句があり、詩を含む「も」の連鎖に、やはり影を感じます。三宮といえば、この句ができた頃、復興は進んでいたのでしょうか。