集中、お父上を詠んだ句が胸を打ちます。
立てず聞けず食へず話せず父の冬 正木ゆう子
死のひかり充ちてゆく父寒昴
早蕨を起こさぬやうに終の息
寒巌のひと生の寡黙通しけり
死もどこか寒き抽象男とは
甲種合格てふ骨片や忘れ雪
骨拾ふ冬三日月の弧を思ひ
骨に骨積むや遥かな雪崩音
「ひと生」は「ひとよ」と読むのでしょうか。一連の句群からは、立派な体格を持ち寡黙に一生を全うした人物像がせり上がってきます。そんな中で「死もどこか寒き抽象男とは」は、この作者ならではの句と感じます。
本の帯に「俳句は世界とつながる装置」と書かれているのですが、このようにして俳人は世界につながっているのだと思います。
追記「早蕨を起こさぬやうに終の息」ですが、「早蕨を映さぬまでに水疾し 正木浩一」と彼方で響き合っているような気がします。
2009年8月15日土曜日
正木ゆう子『夏至』
正木ゆう子さんの第四句集『夏至
』(春秋社)。ときとしてユーモラスに、ときとしてとんでもなくマクロに、作者の視点は自在です。 いかにも正木ゆう子ワールドというボキャブラリーとしては進化、微生物、人類、公転といったところでしょうか。それらの言葉が俳句の中で息づくさまを見てみましょう。
進化してさびしき体泳ぐなり 正木ゆう子
つるつるの肌を持った人間の深い性を感じます。
一枚の朴葉の下の微生物
朴落葉を詠んだ句は史上さまざまありますが、それをめくって微生物を詠んだ句はかつてあったのでしょうか。生態系へのまなざしを感じます。
つかのまの人類に星老いけらし
星の生命に比べれば、ほんとうに人類などつかのまのものに過ぎません。
公転に遅れじと春の大気かな
本句集の挙句。中八にたるませたところが句の内容とマッチしていて、とてもマクロな把握でありながらユーモラスに仕上がっていて、さすがです。
秋といふ天の轆轤を見てしまふ ゆかり
進化してさびしき体泳ぐなり 正木ゆう子
つるつるの肌を持った人間の深い性を感じます。
一枚の朴葉の下の微生物
朴落葉を詠んだ句は史上さまざまありますが、それをめくって微生物を詠んだ句はかつてあったのでしょうか。生態系へのまなざしを感じます。
つかのまの人類に星老いけらし
星の生命に比べれば、ほんとうに人類などつかのまのものに過ぎません。
公転に遅れじと春の大気かな
本句集の挙句。中八にたるませたところが句の内容とマッチしていて、とてもマクロな把握でありながらユーモラスに仕上がっていて、さすがです。
秋といふ天の轆轤を見てしまふ ゆかり
2009年8月14日金曜日
2009年8月13日木曜日
蝉鯨
もちろん本当は背美鯨なのですが、そう書くことを知ったのは近年のことで、ずっと蝉鯨というどこか円谷プロ的な名前だと思っていました。wikipediaによれば「和名のセミクジラは背中の曲線の美しさに由来する「背美鯨」の意であり、このクジラが長時間にわたって背部を海面上に出して遊泳し続ける性質があった事による。」とありますが、その説明は直感的に誤りなのではないかと思います。そんなふうに「美」ということばを私たちは使うものでしょうか。「背中が見える鯨」すなわち「背見鯨」がいつしか時代を経て「背美鯨」と表記されるようになったとする方が、よほど説得力があります。
山深き貝の地層や蝉鯨 ゆかり
山深き貝の地層や蝉鯨 ゆかり
登録:
投稿 (Atom)

