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2009年9月3日木曜日

こしのゆみこ『コイツァンの猫』6

ところが、時系列を喪失し定型が不統一で夢見がちに寝てばかりいるのかというと、ここぞというところでは、ちゃんと月の座と花の座に相当するものがあって、勝負に出ているのです。

 はじめに月の座、句集どおりの順番で十二連発。

眠り猫からだまるごと無月かな  こしのゆみこ
無意識が時計をはずす二日月
満月の肘の出ている二階かな
満月の真水は底を抜こうとする
跳躍の人ふりむけば満月ぞ
十六夜の積み木は聳え崩れない
激怒して月の照る音の中にいる
刺繍糸のあおのいろいろ二十三夜月
手枕の父を月光ふりしきる
月の木に上りし猫の飛びたてり
月入れてわが部屋大きくなりにけり
水の月さっきこわした花のかけら

 次に花の座、句集どおりの順番で十三連発。

花の旅汽車はふるさと通り越す
兎島桜の色となりにけり
姉妹桜の中をながれゆく
口車花時にのる楽しさよ
千年の桜の中に手を入れる
学校をはみ出す桜海に舞う
桜ごと帽子ごと姉はいなくなる
鍵穴の錆のかまわず桜咲く
少年がシュートするたび桜咲く
びしょぬれの桜でありし日も逢いぬ
いたくないかたちに眠る花月夜
泣きやみし帰りは桜咲いている
半島や力をぬいて遅桜

 いずれもこしのゆみこならではの月の座、こしのゆみこならではの花の座をかたちづくっていて圧巻です。

2009年9月2日水曜日

こしのゆみこ『コイツァンの猫』5

夢のように漂う こしのワールドの登場人物は、じっさいよく寝ます。

さみだれや猫の話で眠ってゆく     こしのゆみこ
昼寝する父に睫のありにけり
ころりころりこどもでてくる夏布団
少し遅れ家族の昼寝にくわわりぬ
昼寝する指は望みをつかみそう
だいどこのおとはまぼろしひるねざめ
したたりのことりと鳴りて目の覚める

 「昼寝する~」から「~目の覚める」までは、句集の配列そのままの昼寝六連発です。ひらがなのみで記述された「だいどこのおとはまぼろしひるねざめ」の夢うつつな感じな感じをみていると、「こしのゆみこ」というひらがな表記さえ夢うつつに思われてきます。冗談はさておき「したたりのことりと鳴りて目の覚める」の表記のにくいこと、目が覚めるに従って漢字が増えてゆきます。

 しばらくおいて、昼寝/睡眠の句はまた出てきます。

くつひものほどけしごとき昼寝かな
仕舞湯のごとく昼寝のおわらない
昼寝覚なくなっている恋心
門番は午睡の時間ゆるされて
捕虫網のゆらゆらとある寝入りばな
昼寝する君の背中に昼寝する
葉っぱ鳴って人ら眠りぬ夏木立
サングラス眠りし口のあどけなく
ひとりずつ部屋を出て行く熱帯夜
寝返りを打つたび見える滝の筋
夏座敷寝返っても寝返ってもひとり

 季節が変わっても、お構いなしに眠り続けます。

眠り猫からだまるごと無月かな
露つけて帰りし姉の深く眠る
雪音のやがて耳から眠ってゆく
冬日向眠り続ける犬の親
桃咲いてぼおんぼおんと人眠る
いたくないかたちに眠る花月夜

 ますます夢のようなこしのワールドなのです。

2009年9月1日火曜日

こしのゆみこ『コイツァンの猫』4

 時間軸の喪失とともに、こしのワールドで特徴的なのは句型の不統一です。不統一なので逆に切れ字を使用している句が意外と多いことに驚いたりもします。

一階に母二階時々緑雨かな      こしのゆみこ
さみだれや猫の話で眠ってゆく
昼寝する父に睫のありにけり
泳いできし耳にあふれる故郷かな
鈴のよく鳴りし裸のありにけり
くつひものほどけしごとき昼寝かな
親戚にぼくの如雨露のありにけり
女から乗せるボートのゆれにけり

 このような句だけを取り出すと一見こしのゆみこが形式を守っている俳人のようにも思えるのですが、ぜんぜんそんなことはありません。「こしのゆみこは今でも指を折りながら俳句を作っている」というまことしやかな噂を耳にしたことがありますが、こしのワールドの中では、以下のような句がお構いなしに混在して存在感を放っています。

後退る背泳かなしい手をあげる
夏寒き父仁丹のひかりのみこむ
夏座敷父はともだちがいない
おばさんのような薔薇園につかれる
そらからねぶへ猫のびたりちぢんだり
熱帯魚の向こう恋人が小さい
えのころやかばんの傷が見えなくなった
林檎むく左手カランと鳴らすみたい
巻毛(カール)のなかのからまつ黄葉とってあげる
木の実なんだかいらなくなってにぎっている

 時間軸の喪失と句型の不統一によって、こしのワールドは夢のように漂っているのです。

2009年8月31日月曜日

こしのゆみこ『コイツァンの猫』3

 家族や越野商店と地続きになったファンタジーの世界(というか虚実の定かならざる世界)を構成する句群を見て行きましょう。この虚実の定かならざる世界、句集の構成として時系列を曖昧にしている効果とも言えます。幼年時代、少女時代のこしのゆみこが自在に立ち現われるその世界は、その時点時点の真実であったとしても、作中世界で時間軸を喪失して現われるとき、それはファンタジーとしか呼びようのないものとして意識されます。

卯月野をゆくバス童話ゆきわたる    こしのゆみこ
よびすての少年と行く夏岬
水無月の玻璃に少年鼻を圧す
さみだれや猫の話で眠ってゆく
木下闇のような駄菓子屋ちょうだいな
後退る背泳かなしい手を上げる
まんじゅうのように夕やけ持ち帰る
金魚より小さい私のいる日記
出航をいくつながめる夏帽子


 きりがないので略しますが、このような虚実の定かならざる世界において、かのブルドッグは登場します。

朝顔の顔でふりむくブルドッグ

これはシングルカットしようのない、作中の時系列を失った世界でのブルドッグであり、どうしようもなくシュールでクリアでファンタスティックなブルドッグに他なりません。なんとかなしくうつくしいことでしょう。技術論からは無縁な遠い彼方のブルドッグなのだと私は感じます。

2009年8月30日日曜日

こしのゆみこ『コイツァンの猫』2

 実在するこしのゆみこさんの家族構成は存じ上げませんが、作品中の登場人物は多彩です。

一階に母二階時々緑雨かな      こしのゆみこ
父上京幸福の空豆さげて
待つ母がいちにち在ります花空木
ゆるされておとうと帰る麦の秋
草笛吹く兄を信じて大丈夫
昼寝する父に睫毛のありにけり
ころりころりこどもでてくる夏布団
少し遅れ家族の昼寝にくわわりぬ
片影ゆく兄の不思議なつめたさよ
夏座敷父はともだちがいない
親戚にぼくの如雨露のありにけり
昼寝する君の背中に昼寝する
冷麦の姉妹二人暮らしかな
蜻蛉にまざっていたる父の顔
子規の忌の夜具のおもたき母の家
手枕の父を月光ふりしきる
露つけて帰りし姉の深く眠る
スカートの真ん中に姉後の月
片恋の兄猛烈に黄落す
姉家族白鳥家族たべてばかり
母はひろってきれいに毬をあらう
人買いのごとく磐越西線父黙る
時々は野を焼く父についてゆく
水使う母のゆらゆら雪柳
桜ごと帽子ごと姉はいなくなる
ああ父が恋猫ほうる夕べかな
母太る音のしずかに春日傘


 一人称が「ぼく」の句が混在することからも察せられるように、こしのゆみこの作中世界では必ずしも実在ではない家族がファンタジーの世界と自在に行き来しているようです。句集全体の第一句目「一階に母二階時々緑雨かな」からして、実在する一階をよそに二階はいきなりファンタジーの世界に開かれているのです。「家族ならビーチパラソル支えなさい」の豪快さと、ファンタジーの住民として極度に美化された家族の交錯する、よじれた世界。『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』の世界と通じる、どこにでもありどこにもない、郷愁の中の越野商店が夕日に照らされているようです。

2009年8月29日土曜日

こしのゆみこ『コイツァンの猫』

 こしのゆみこの作品世界は重層構造をなしていて、まず下地としてこの作者ならではの豪快さ、こだわらなさというのがあるような気がします。

藤棚の下に自転車ごと入る         こしのゆみこ
聖五月鳥の真ん真ん中歩く
片恋のキャベツおかわりする自由
家族ならビーチパラソル支えなさい
帰省して母の草履でゆく海辺
風の家シャツパンツシャツパンツ干す
火事あかくどんどん腹の減ってくる
借りている革ジャンパーのポケットに飴
千年の桜の中に手を入れる


 このような基本的性格の上に、家族愛やファンタジーが雑多に混在しているおかしな世界、よじれた世界が『コイツァンの猫』なのだと思います。

追記

 句集冒頭の三句は次のように並んでいます。

一階に母二階時々緑雨かな
藤棚の下に自転車ごと入る
父上京幸福の空豆さげて


自転車の句は、のっけから母と父のあいだに強引に割り込むように配置されているのです。