この句集は二部構成になっていて、第一句集をまるまる採録した後半と、それ以後の句からなる前半となっています。
前半:「蜻蛉の道」1994年~2005年の句を年ごと。
後半:第一句集『銅鑼(GONG)』(全)
『銅鑼(GONG)』から立ち止まった句。
種を蒔くむかし岩波文庫かな 白澤弓彦
永き日の人よりねむき眠り猫
鍋釜のそれぞれの位置春の月
飲食の火を使ひをり雛の家
群青を画布にあまさず夏の潮
夏の航青で交はる海と空
銅像のどれも大きく土佐は夏
人いれていよいよみどり影濃くす
牛の鼻日本の夕焼殺到す
父と子に渚は遠し夏帽子
虹消えて虹の半島残りけり
短夜やつぎつぎ開きし埴輪の目
生まれたる木を蝉の木として鳴けり
月光やもののかたちのあらたまり
ぬばたまの寒泉静か水を練る
他に目を引くものとして、「父の木」の二句。「人間一個」の三句。
父の日のてつぺん高き父の木ぞ 白澤弓彦
父の日の父の木目覚めをりにけり
「父の木」とは何なのか、グーグルで検索したのですが、よく分かりませんでした。ご存じの方は、ご教示頂けると幸いです。
人間一個かりんの一個ころげ出す 白澤弓彦
人間一個秋風の底にあり
鬼胡桃人間一個さびしいか
「かりん」の二句前に「天地の間実篤かぼちや一つあり」があり、こちらは武者小路実篤の『一個の人間』に依るもののようです。
ちなみに白澤弓彦は少なからぬ忌日俳句を残している点でも印象的です。
小さめのコーヒーカップ啄木忌 白澤弓彦
茅舎の忌氷一片口中に
地球儀の海の濃くなる四迷の忌
東経百三十五度のチョコレート足穂の忌
草田男忌虹全円に描きけり
風呂敷の結び目ほどく一葉忌
一の橋二の橋渡り三島の忌
折鶴の金の暗さよ茅舎の忌
人間といふ乾きし山河原爆忌
みづいろの表紙の本や西鶴忌
受付で我が名呼ばれし楸邨忌
田園に自由の存す菜の花忌
翔つ鴨の陰吹かれをり青畝の忌
たつぷりと青き墨磨る楸邨忌
草田男忌雨大粒に太平洋
極楽と名づけしバケツ茂吉の忌
非常口より富士山見ゆる太宰の忌
砂浜に巨き犬をり蛇笏の忌
原爆忌火は人間の闇照らす
混沌のいのちのあふれ楸邨忌
2006年12月31日日曜日
白澤弓彦句集
ここ数日、ひとからお借りした『白澤弓彦句集』(邑書林)をエクセルに打ち込んで過ごしています。「蜻蛉の道」の227句を写し終わったところ。闘病中に自身の遺句集を編む心境というのは、どのようなものなのでしょうか。胸を打ちます。
以下、伝記的事実はともかくとして、立ち止まった句。
雪に雪重ねて雪の時間あり 白澤弓彦
雛の顔後ろふり向くことのなし
一の橋二の橋渡り三島の忌
探梅のいつしか海に出でにけり
手帳には春夕焼を見しとのみ
黒揚羽鉄のごとくに止まりけり
約束の火の色ともす烏瓜
電気には電気のことば冷蔵庫
ほうほうと柚子湯の柚子に挨拶す
白といふ静かな音や梅ひらく
探梅やみな空仰ぐ人ばかり
海へ行く用事のひとつ石蕗の花
ホースの水これより虹になる途中
手毬唄十より海の音聞こゆ
島ひとつ寄せくるごとし春渚
コスモスのコスモスゆゑに揺れにけり
陸封の岩魚に海の記憶あり
ひたすらに華厳の滝となりて落つ
大空へ消えゆく人や富士登山
まだ青きナイターの空月昇る
タイトルの「蜻蛉の道」は「洛中洛外図蜻蛉の道のあり」に依るものと思われますが、読み進むにつれ「死の淵にをり蜻蛉の集り来」に出会い、はっとさせられます。
繰り返し現れる「雪の朝空を歩きし人の影」「空歩む人のごとくやかきつばた」「冬銀河空中庭園人歩む」といった句に現れる空へのあこがれも感慨深いです。
以下、伝記的事実はともかくとして、立ち止まった句。
雪に雪重ねて雪の時間あり 白澤弓彦
雛の顔後ろふり向くことのなし
一の橋二の橋渡り三島の忌
探梅のいつしか海に出でにけり
手帳には春夕焼を見しとのみ
黒揚羽鉄のごとくに止まりけり
約束の火の色ともす烏瓜
電気には電気のことば冷蔵庫
ほうほうと柚子湯の柚子に挨拶す
白といふ静かな音や梅ひらく
探梅やみな空仰ぐ人ばかり
海へ行く用事のひとつ石蕗の花
ホースの水これより虹になる途中
手毬唄十より海の音聞こゆ
島ひとつ寄せくるごとし春渚
コスモスのコスモスゆゑに揺れにけり
陸封の岩魚に海の記憶あり
ひたすらに華厳の滝となりて落つ
大空へ消えゆく人や富士登山
まだ青きナイターの空月昇る
タイトルの「蜻蛉の道」は「洛中洛外図蜻蛉の道のあり」に依るものと思われますが、読み進むにつれ「死の淵にをり蜻蛉の集り来」に出会い、はっとさせられます。
繰り返し現れる「雪の朝空を歩きし人の影」「空歩む人のごとくやかきつばた」「冬銀河空中庭園人歩む」といった句に現れる空へのあこがれも感慨深いです。
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