2018年4月15日日曜日

乱反射するベスト・ヒット・アルバム

 川合大祐『スロー・リバー』の最後。第Ⅲ章は「幼年期の終わり」。これまで見てきたふたつの章と異なり、たぶん章としてのテーマ性はない。最終章として、方向性を限定せずベスト・ヒット・アルバム的に句が集められたものだろう。

  眠るものまさに時間のかたちして
 時間という抽象的な概念を用い「まさに時間のかたちして」という。虚を突かれ、ついし信用してしまいそうになる。

  目の裏を見るように見る月の裏
 目の裏を見ることはできない。そして月は自転の速さだかの関係で、つねに地球に同じ面を向けていて、月の裏を見ることはできない。できないこと同士が力業で「ように」で連結され、読者をだましにかかる。そのもっともらしさは、短詩系ならではのものだ。

  牧場に両親だけが残される
 幼い兄弟が残されるなら、そんな童話がありそうである。ここでは逆転して両親が残される。どんなブラックでノンセンスな結末が訪れるのだろう。

  もう靴は脱がなくていい世紀末
 選択肢のひとつとして人類の滅亡があたまをよぎる。そりゃあ、もう靴は脱がなくていいよね。

  燃える町過去はいつまで過去なのか
 「もはや戦後ではない」と発言したのは誰だったか。過去はいつまでも過去である。

  石鹸をきたないものとしてながす
 確かに。しかし使用前の使用後で区別する呼び名を私たちは持たない。

  一日は十七時間よりながい
 俳句では当たり前の事実に季語などをくっつける「日にいちど入る日は沈み信天翁 三橋敏雄」みたいな作り方があるが、当たり前の事実だけで五七五を使い果たしているのがなんともすごい。
 
  電線の先に聖なる人がいる
 OSI参照モデルみたいなものを思い浮かべるまでもなく、電線を介して私たちの思考はネット上を駆けめぐる。ときとして宗教も恋愛も電線の先の像に過ぎない。

  東京に全員着いたことがない
 本来着くべき一団が着かないのならそれはそれで怖いし、地球人全員とかを思い浮かべればそれはそれで真理である。

  構造化されているので北酒場
 どう考えても「構造化」と結びつかない「北酒場」の、なんというか階層のずれ具合が可笑しい。

 というわけで、硬直した俳句脳にはじつに刺激的な句集なのだった。お求めはあざみエージェントさんまで。

永遠にシニフィエになり得ないシニフィアン

 川合大祐『スロー・リバー』の続き。第Ⅱ章は「まだ人間じゃない」。章のタイトルを見て最初に思い出したのは『妖怪人間ベム』の主題歌中の台詞「早く人間になりたい」だが、どうもそういうことではないらしい。
 
  二億年後の夕焼けに立つのび太
 この句を筆頭に作中人物や作家を題材とした句が果てしなく続き、「ロボットに神は死んだか問うのび太」で章が終わる。章の最後まで読み終えてもう一度、章のタイトルを見たとき、はたと気づく。シニフィアン(記号表現)が永遠にシニフィエ(記号内容)になり得ないように、作中人物ののび太は、たとえ二億年経ってもほんものの人間そのものではない。章全体がそう問いかけている。

  体言であろうタモリという男
 指し示す表現は、ここでも指し示される内容そのものではなく、絶妙なずれが可笑しい。

  そうこれはムーミンですね下顎骨
 物語の世界から逸脱し、化石として解剖学的に扱われるムーミン。

  鳥がいて隠れる犬の吹き出しに
 絵の一部に描かれるのに、通常はそれが絵の一部を隠していることを暗黙的に問われない、漫画の吹き出し。その問うてはいけない約束を問うとこんなことになる。

  翻訳の町にブラック・レイン降る
 井伏鱒二である。「黒い雨」だろうが「ブラック・レイン」だろうが、記号表現が指し示す記号内容は同じはずである。しかしそれが同じではないこと、また記号表現そのものが翻訳不能な価値であることを、私たちは知っている。

(続く)

表記の快楽

 いつの頃からかツイッターでフォローさせて頂いている柳人で川合大祐さんという方がいらして、つねづね句を拝見しては「おお、そうきたか」と感じ入っていたのだが、川柳句集『スロー・リバー』(あざみエージェント。2016年)を上梓されていて、しかも版を重ねているということを最近知り、遅ればせながら拝読した。この句集が川柳界でどのように評価されているのかはまったく存じ上げないし、そもそも私に川柳のことが語れるのかも分からないのだが、感想文をしばらく書きたい。このブログの他の例に漏れず、伝記的な事実はほとんど無視し、章ごとにあたまに映るよしなしごとを綴る。
 
1.表記の快楽
 第Ⅰ章は「猫のゆりかご」。そういえば人に勧められてカート・ヴォネガット・Jrの同題の小説をKindleでダウンロードしたまま、それっきりになっている。読んでいれば見えるものががらっと変わるのかも知れないが、委細構わず進む。

  ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む
 冒頭の一句がいきなりこれだ。「ぐびゃら岳」も「じゅじゅべき壁」も「びゅびゅ」も、経験的になぜか固有名詞であることは分かる。そして実在しないであろうことも。「猫のゆりかご」をやり過ごしたように、もう知らない固有名詞はやり過ごそう。そう、大したことじゃない。

  兄弟よわたしは한が読めません
 読めないと言っているのに、五七五の中に読まれることを想定して収まっている。困ったものだ。ちなみに私も読めないので、その字をブログに転記するのに、ハングルを要素ごとに組み合わせるサイトを使用した。ところで句集の字をよく見ると左上はなべぶたではなく、二になっている。活字上区別があるのかも知らないが、もしかすると本当にだれも読めないのかも知れない。

 この二句のあと、…、()、/、▽、ルビ、空白などを駆使した句群が続く。俳句ではあまりやらないやり方だが、ポストモダン的な素養があればさらに楽しいのだろう。三句ほど紹介しておこう。こんな感じである。

  この紙は白色しかし     空白だ
  あ、の字形崩れるような叫びして
  」あるものだ過去の手前に未来とは「

 句自体が作品として向こう側にあるのではなく、現在進行形で読者にしかけてくるトリックというのも、俳句ではやらないことかも知れない。

  郎読をしてほしいから誤字にする
  振り向いてごらん次の字読まないで

(続く)

2018年3月12日月曜日

脇起こし五吟歌仙・夕陽暫くの巻 評釈


   夕陽暫く塔を捉へる寒さかな      卓
 媚庵さんから頂いた発句は眉村卓句集『霧を行く』より。眉村卓はSF作家として知られるが、じつは赤尾兜子門で、学生時代は俳句雑誌への投稿少年だった由。連衆以外の句を発句とし、脇から連衆が巻く進め方を脇起こしという。

   夕陽暫く塔を捉へる寒さかな      卓
    飛行機雲の凍る静寂       ゆかり
 脇は発句と同季、同じ場所にて挨拶として発句に返す。地球の丸さを感じる寒々とした発句に対し、さらに上空の、今しも音もなく進んでは凍る飛行機雲で付けている。

    飛行機雲の凍る静寂       ゆかり
   中学の裏の近道駆け抜けて      媚庵
 第三は場面転換である。地上に目を移し、近道を駆け抜けている。

   中学の裏の近道駆け抜けて      媚庵
    お札はすべて後ろポケット     なな
 前句だけだと主語がないので読者は句を詠んだ主体が主語だと自動的に思うわけだが、そこを敢えて札入れなど持ったこともない中学生らしき人物像に換えている。

    お札はすべて後ろポケット     なな
   ちりぢりと川波立つを望の月     銀河
 月の座である。すると前句は家出だったのだろうか。月下に川面を眺めている。

   ちりぢりと川波立つを望の月     銀河
    人工芝に蜩の鳴く         りゑ
 まだ早い時刻なのだろうか。河川敷には人工芝が広がり、蜩が鳴いている。

    人工芝に蜩の鳴く         りゑ
ウ  長き夜を二階の父のパター落つ     り
 初折裏折立である。実際の句座であればここからは酒が振る舞われ、羽目をはずす。前句を受け、自宅にしつらえたパター練習用の人工芝を階下から音の情報として詠んでいる。「蜩」「長き夜」という時間の交錯は疵といえば疵だろう。

   長き夜を二階の父のパター落つ     り
    点滅やまぬ着信表示         庵
 二階の気配を感じつつ、階下では音を押し殺した事態となっている。着信はミュートしたまま放置され、息子または娘の濃厚な情事がほのめかされている。

    点滅やまぬ着信表示         庵
   耳たぶを噛む酒の香を漏らしつつ    な
 前句に応えるように濃厚な情事を展開している。恋の座である。

   耳たぶを噛む酒の香を漏らしつつ    な
    愛しきタマに戒名の欲し       河
 前句を猫の甘噛みと捉え、恋離れとしている。

    愛しきタマに戒名の欲し       河
   あやとりの橋もあやしくひるがへり   ゑ
 三途の川が下敷きにあるのだろうか。なんともビジュアルな転じである。

   あやとりの橋もあやしくひるがへり   ゑ
    潮もかなひぬ銀の少女よ       り
 橋といえばサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」である。「Sail on silver girl/Sail on by/Your time has come to shine」の部分を額田王の「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と組み合わせ、前句のあやしさを受けている。

    潮もかなひぬ銀の少女よ       り
   馬車が行き犬が馬車追ふ夏の月     庵
 字面だけを追えば、前句は時期が来たと言っているだけで必ずしも出帆ではない。だから馬車で付けている。馬車を追う犬は少女の飼い犬だったのだろうか。折しも夏の月が出ている。

   馬車が行き犬が馬車追ふ夏の月     庵
    胎児のころの夢を見てゐる      な
 寝てしまったのだろうか。夢を見ている。大胆な転じである。

    胎児のころの夢を見てゐる      な
   沫雪の溶けてかすかに音がして     河
 夢の中のことなのか現実のことなのかを曖昧にして玄妙に付けている。ここから花の座に向けて春の句が続く。

   沫雪の溶けてかすかに音がして     河
    試験あがりのダージリンティー    ゑ
 試験がはね、喫茶店でダージリンティーを飲んでいる。前句がそのまま砂糖のイメージとなっている。
 
    試験あがりのダージリンティー    ゑ
   技師長の退官の日の花万朶       り
 学業の試験ではなく、生産する製品の試験に読み替えている。課長、部長、事業部長というマネージメントを含めた出世コースとは別に純粋に技術を究めた人に与えられるポストとして技師長があるが、その退官の日、折しも満開の桜が咲いている。

   技師長の退官の日の花万朶       り
    海鳴り遠き駅に汽車待つ       庵
 余生のはじめを旅に出るのだろうか。遠く海鳴りが聞こえる。

    海鳴り遠き駅に汽車待つ       庵
ナオ ひとりだけギターケースがナイロンで  な
 名残表を通して、捌き人からドシャメシャな句を所望した。「ドシャメシャ」はたぶん山下洋輔語。初折裏よりも一層羽目を外してもらいたく、そういう言葉でお願いした。楽旅だろうか合宿だろうか、駅で汽車を待つのは初老の男ではなく、楽器を持った集団だった。ハードケースが多いなか、ひとりだけナイロン製のセミハードケースを背負っている。

   ひとりだけギターケースがナイロンで  な
    小石蹴とばしゆくハイヒール     河
 そのナイロンのケースの人物は女性で、小石を蹴飛ばして行くのだった。

    小石蹴とばしゆくハイヒール     河
   油揚げふくろにひらくももんがあ    ゑ
 夕食の支度だろうか、油揚げをふくろにひらくとももんがあのようなのであった。

   油揚げふくろにひらくももんがあ    ゑ
    ハットリくんのお面で迫る      り
 ももんがあと言えば、藤子不二雄Aの『忍者ハットリくん』にムササビの術というのがあって、両手両足で風呂敷の四隅を持ち滑空するのだった。ハットリくん自体が無表情を売りにしているキャラクターであるが、ここではさらに「お面」とした。縁日で並ぶセルロイドのイメージ。

    ハットリくんのお面で迫る      り
   化け損ね甲賀の里の樹氷林       庵
 伊賀忍者のハットリくんのライバルは甲賀忍者のケムマキケムゾウであるが、はて、甲賀の里とはどこであったかと検索してみると、滋賀県甲賀市。そんなところに樹氷林ができるのかとも思うのだが、化け損ねなのだからなんでもありである。

   化け損ね甲賀の里の樹氷林       庵
    次来るときは餌を一屯        な
 樹氷林に化けたとはいえ、元は生身の忍者なのだから腹も減る。しかし林にまでなってしまったので、食料の補給も半端ではない。

    次来るときは餌を一屯        な
   浮世絵はコピーアートのさきがけと   河
 コピーアートとは、デジタル大辞泉によると「コピー機を利用した現代美術の一つ。たくさんのコピーを組み合わせて、新しいイメージを作り上げる。コピー機とコンピューターを連動させ、さまざまなイメージのコピーと画像を融合させることもできる。」とある。もしかすると、打越から分身の術を連想したのかもかも知れない(余談ながら、銀河さんは白土三平のかなりの読者である)。が、打越と結びつけて読むのは正しくないので考え直すと、寝食を忘れて制作に没頭する浮世絵作家の様子が見えてくる。

   浮世絵はコピーアートのさきがけと   河
    記念硬貨でお釣りを貰ふ       ゑ
 硬貨というのも、まあ版画のようなものかも知れない。プレミアがつかないほど大量に発行された、ありがたみのない記念硬貨なのか。あるいはそういうことにまったく関心がない人物像なのか。

    記念硬貨でお釣りを貰ふ       ゑ
   段違ひ平行棒に小鳥来る        り
 オリンピックのイメージで「段違ひ平行棒」としたが、ときどき普通の公園の遊具として段違い平行棒を見かけることがある。そんなもの、一般市民が使うのだろうか。月の座へ向かいここから秋の句が続く。

   段違ひ平行棒に小鳥来る        り
    軍服を着た斜めの案山子       庵
 急激に政局が展開しているのでどうなるか分からないが、媚庵さんがこの句を付けた時点では、二〇二〇年の東京オリンピックは、中止になった一九四〇年の幻の東京オリンピックとかなりイメージが重なるものと多くの人が予感していた。暗い不吉な案山子である。

    軍服を着た斜めの案山子       庵
   こめかみに栗名月の貼り付いて     な
 月の座である。同季の中では時間軸を戻れないので、旧暦九月十三日である後の月の異名である栗名月としている。こめかみに貼るといえば膏薬であるが、意表をついて栗名月を貼り付けている。頭が痛いのだ。

   こめかみに栗名月の貼り付いて     な
    憂世なんめり小夜の中山       河
 銀河さんの自解によれば「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 西行」に基づいていて、小夜の中山は旧東海道の掛川市にある急峻な坂道とのこと。まことに頭が痛い。「なんめり」は断定の助動詞「なり」の連体形+推定の助動詞「めり」からなる「なるめり」の撥(はつ)音便で、…であるようだ。…であるように見える。

    憂世なんめり小夜の中山       河
ナウ 煎餅の袋にくわりんたうを詰め     ゑ
 名残裏からは挙句に向かいしらふに返った感じで進行する。「煎餅の袋」で検索すると業者向けのサイトに飛び、酸素バリア性に優れ、とか、突刺強度に強く、とか、私のボキャブラリーにない言葉が並ぶ。便利すぎる世の中も考えものである。それはさておき、かりんとうを小分けにしてまだ食べない分がしっけないようにしているのだろう。憂世であるが、かりんとうは食べる。

   煎餅の袋にくわりんたうを詰め     ゑ
    螺髪の如き鉄瓶の肌         り
 折しも湯が沸いている。鉄瓶の表面の突起は大仏の螺髪のようである。

    螺髪の如き鉄瓶の肌         り
   自転車で帰れば空にオリオン座     庵
 自転車での帰り道、見上げるとオリオン座が見えるのであった。どうでもいい話だが、角川の合本俳句歳時記では「冬の星」の傍題として「寒オリオン」とある。「オリオン座」では季語とみなさないつもりらしい。

   自転車で帰れば空にオリオン座     庵
    楽屋見舞のタヲルやはらか      な
 楽屋見舞の品がタオルということは、そんなに売れている人ではないのだろう。アルバイトで生計を立てながら自転車で芝居小屋まで行く劇団員を思い浮かべる。なお、名残裏四句目であるが、春の句を特に要求しなかったのは、春の短句が往々にして挙句のような雰囲気を帯びてしまうからである。

    楽屋見舞のタヲルやはらか      な
   湯煙に見え隠れして花万朶       河
 花の座である。タヲルからの連想で湯煙が導かれている。露天風呂から桜が見える。

   湯煙に見え隠れして花万朶       河
    うまし大和に風船の旅        ゑ
 挙句である。かつて風船おじさんという人が消息不明となり話題となったが、「風船の旅」は人間が風船で飛行するという危険を冒すものではなく、漂う風船を旅と見立てたものだろう。あるいは、熱気球のことを詩的に「風船」と詠んでいる可能性もないわけではない。「うまし大和」は万葉集の「うまし国ぞ秋津島大和の国は」に基づいている。発句と同じく見上げたアングルでありながら、構造物を配した発句に対し、挙句では広々とした景を古語を取り入れながら詠んで、対比させつつ余情のあるものとしている。

2018年3月11日日曜日

脇起こし五吟歌仙・夕陽暫くの巻


   夕陽暫く塔を捉へる寒さかな    眉村卓
    飛行機雲の凍る静寂       ゆかり
   中学の裏の近道駆け抜けて      媚庵
    お札はすべて後ろポケット     なな
   ちりぢりと川波立つを望の月     銀河
    人工芝に蜩の鳴く         りゑ
ウ  長き夜を二階の父のパター落つ     り
    点滅やまぬ着信表示         庵
   耳たぶを噛む酒の香を漏らしつつ    な
    愛しきタマに戒名の欲し       河
   あやとりの橋もあやしくひるがへり   ゑ
    潮もかなひぬ銀の少女よ       り
   馬車が行き犬が馬車追ふ夏の月     庵
    胎児のころの夢を見てゐる      な
   沫雪の溶けてかすかに音がして     河
    試験あがりのダージリンティー    ゑ
   技師長の退官の日の花万朶       り
    海鳴り遠き駅に汽車待つ       庵
ナオ ひとりだけギターケースがナイロンで  な
    小石蹴とばしゆくハイヒール     河
   油揚げふくろにひらくももんがあ    ゑ
    ハットリくんのお面で迫る      り
   化け損ね甲賀の里の樹氷林       庵
    次来るときは餌を一屯        な
   浮世絵はコピーアートのさきがけと   河
    記念硬貨でお釣りを貰ふ       ゑ
   段違ひ平行棒に小鳥来る        り
    軍服を着た斜めの案山子       庵
   こめかみに栗名月の貼り付いて     な
    憂世なんめり小夜の中山       河
ナウ 煎餅の袋にくわりんたうを詰め     ゑ
    螺髪の如き鉄瓶の肌         り
   自転車で帰れば空にオリオン座     庵
    楽屋見舞のタヲルやはらか      な
   湯煙に見え隠れして花万朶       河
    うまし大和に風船の旅        ゑ


発句:眉村卓句集『霧を行く』より
起首: 2018年01月10日
満尾: 2018年02月26日

2018年1月7日日曜日

清水径子『鶸』(2)

『SASKIA』10号の清水径子二百五十句(三枝桂子抄出)から第一句集『鶸』の続き。

   咲きとほす白梅のほか夜に沈む 清水径子
   昼の月白鷺の死所照らすため
   乳房もつ白鷺か森に隠れたり
 抄出では三句並んでいる。清水径子にとって白は特別な色のようだ。『鶸』(の抄出)には他に「霜白し死の国にもし橋あらば」「短き世ひたすらに白さるすべり」「弟に白梅わたす夢の中」「しばらくは白い時間の玉霰」があり、多くは冥界に通じるモノトーンの味わいを句集全体に添えている。
 白鷺が出たところで鳥はというと、句集のタイトルである鶸は抄出中にはない。他には「恋雀雪中に身を灯しあふ」「口中に鶫の一肢ひびくなり」「夏鶯焚きて火となるもの探す」「寒凪やはるかな鳥のやうにひとり」「影の樹に影の小鳥が冬の花」「一生のしばらくが冴え夏鶯」がある。多くは単なる取り合わせではなく、刹那的な哀感がある。ちなみに鶫が禁猟になったのは昭和四十五年のことで、それまでは普通に食用だったらしい。
 
   生と死とやはらかき苜蓿に座し
 例えば逢引で男女がやわらかい苜蓿に座すのなら話は分かる。だが、清水径子はそのようにして「生と死と」が苜蓿に座しているのだと詠む。しかも五五七のリズムによる異質感に乗せて。死が生の世界に恋人同士のように普通に入り込み隣り合っている死生観こそは、清水径子ならではの句境だろう。

   一滴の春星山に加はれり
 死という不在を強く意識するとき、「ない」の反対は「ひとつある」だろう。先の記事で引用した数のほとんどは一である。一への固執は、生きていることを詠むことに通ずる。掲句では、星を一滴と数えることにより、景に不思議な生命感を与えている。


   寒の暮千年のちも火の色は
 現れる数字でいちばん大きいものは千である。他に「夏の蝶仏千体水欲っし」という句もある。掲句、肯定的にも否定的にもバイアスを加えていない「火の色」は、おそらく人類の文明ということだろう。「も」による希求は下五の終わりで唐突にぶち切られている。「仏千体」の方は、悟りを開いた仏ではなく、死者だろう。夏の蝶の生命感がはかない。

 清水径子の俳句は、見えたものを見えた通りに表現する類いのものとはぜんぜん異なる。第一句集から、独特の死生観をいかに句に定着させるかの格闘が始まっている。

(続く。次回は第二句集『哀湖』)
 

2018年1月6日土曜日

清水径子『鶸』(1)

 まずは『SASKIA』10号の清水径子二百五十句(三枝桂子抄出)から第一句集『鶸』(昭和四十八年 牧羊社)六十一句。抄出者の感性にもよるのかもしれないが、かなりの量の数字に驚く。一丁、一つ、ひとり、二月、一本松、千年、一本、千体、一粒、一肢、八月、一日、二十数年前、一滴、二月、一生。これが重大な意味を帯びてくるのかは保留ながら事実としてまずとどめておこう。

   風ときて寒柝消ゆる鏡かな 清水径子
 抄出はこの句から始まる(実際に句集の中で巻頭なのかは分からない)。子音kで頭韻を揃え緊張感を湛えた幻想的な句である。この語順で書かれると、寒柝の音は鏡のなかへ消えて行ったように読める。

   目のみえぬ魚がみひらきゐる晩春
   地虫鳴く目の中くらくあたたかし
 抄出では二句並んでいるが、いずれも目という視覚の器官を素材に、目にみえないものを把握しようとしている感がある。

   元日のきこゆるものをひとり聞く
   亡弟に赤き花挿す二月かな
   誰か来よ一本松の雪雫
 抄出では三句並んでいる。ここまで来ると、清水径子にとって聴覚が特別の位置を占めているようにも思われてくる。二句目は生前の思い出を語っているのではなかろう。第一句集にして、死者が自在に立ち現れる清水径子ワールドが始まっているのだ。そして、亡弟を手がかりとすれば、前句の「ひとり」、次句の「一本松」がなんとも意味を帯び始める。
 
(続く)

2018年1月5日金曜日

清水径子ふたたび

 昨年の二月にこのブログで清水径子のことをいろいろ書いたところ、三枝桂子さんから『SASKIA』という個人誌を頂いた。
(頂いたのは昨年の六月のことで、まったく申し訳ない限りである。)






 『SASKIA』10号は全編清水径子の特集で、大きな記事としては以下がある。

◆特集 清水径子の世界
 清水径子二百五十句
◆特別寄稿
 評論 まろびてつかむ抒情の水脈 皆川 燈
◆評論 輝けるこの世の俳句    三枝桂子

 たかがブログの記事に目をとめて、このような本格的な個人誌をお送り頂き、感謝に堪えない。私はたまたま第四句集『雨の樹』を手に取り、読んだままブログに書いた。『雨の樹』以外を読んだこともなければ、清水径子の生涯についてもほとんど知らなかった。だから、この個人誌は大いにありがたい。

 また、しばらく清水径子について書くことにしたい。

2018年1月4日木曜日

山田露結『永遠集』(最終回)

 なにしろ豆本で四十一句しか収録されていないのだから、もう語りすぎだろう。最終回とする。

   しあはせをおぼへてゐたり蛇出づる 露結
 ひとつ前の書き込みで『ホームスウィートホーム』とそのつけたり俳句自動生成ロボット・裏悪水による「悲しき大蛇」について触れた。思えば「悲しき大蛇」は露骨なエログロで、山田露結の感性の一部をロボットに押しつけて代わりに詠ませ、「ロボットのやっていることですから」としてしまった感がある。その分『ホームスウィートホーム』本体は清純であったが、今後将来にわたって山田露結が負い続けなければいけないのは、「悲しき大蛇」性の取り込みだろう。『永遠集』に蛇は二匹潜んでいる。掲句ともう一匹は「穴よりも大きな蛇が穴に入る」である。どちらの句も古典的な隠喩により性愛を詠んでいる。また蛇こそ出ないが「男根におもてうらある梅雨湿り」「きつねのかみそりよく燃えさうな老女ゐて」「襟巻を外さぬ首と愛し合ふ」といった句群は、まさに「悲しき大蛇」性というべきものだろう。

   死んだことのない僕たちに夏きざす
 『永遠集』には死も潜んでいる。掲句以外には「祝福のやうな死ががあり花氷」「死ぬ夢の中にも冬菜抱く場面」がある。

 『永遠集』に「永遠」という言葉を詠み込んだ句はない。これまで見てきた妻や過度の詠嘆やエログロや死の、そのすべてが永遠だということだろう。「悲しき大蛇」にまたがり山田露結はどこに向かうのか。今後がますます楽しみである。

(了) 

山田露結『永遠集』(3)

   さびしいぞさびしいぞ鶯餅食らふ 露結
 山田露結といえばリフレインの使い手としても知られるが、『永遠集』においても四十一句中リフレインの句はなんと十句に及ぶ。しかも掲句のように主観的な形容詞を繰り返したものとして他に「花菜漬やさしい人がやさしすぎる」「木犀や悲しい歌がまだ悲しい」がある。
 通常の俳句の表現としては直情的に過ぎるが、このあたり「淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る 放哉」「まつすぐな道でさみしい 山頭火」あたりのより自在な表現から得たものがあるのではないか。第一句集『ホームスウィートホーム』のつけたり「悲しき大蛇」が、俳句自動生成ロボット・裏悪水による自由律俳句だったことを思い出しておこう。 

2018年1月3日水曜日

山田露結『永遠集』(2)

   もう春が来てゐるガラス越しに妻 露結
 総じて山田露結の句に妻を題材としたものは多い。かつて下五がすべて「夢の妻」の連作もあった。『永遠集』にも妻の句は三句収められている。俳句という作品に昇華されたものなので現実の家庭に立ち入るわけではないが、作品に現れる妻はどこか遠い。掲句、作者と妻はガラス越しで、姿が見えるのに仕切られている。どちらかは庭先の肌寒さの中にいて、どちらかは暖房の効いた室内にいる。妻が外にいて作者は室内からその様子を見て春を感じているのか、作者が外にいて春を感じつつ、室内の妻を見ているのか。

   薔薇園に行く妻と行く必ず行く
 約束をすっぽかしたことがあったのだろう。それでこういうただならぬリフレインになっているのだろう。


   妻の声で低く囁く毛布かな
 妻は人格も外観もなく、ただの毛布となっている。くらやみに、季語から喚起されるぬくもり。官能的な句のようでいて、根源的な問いかけを持ったおそろしい句だとも言えよう。

2018年1月2日火曜日

山田露結『永遠集』(1)

 しばらく山田露結『永遠集』について書く。まずは写真をご覧頂きたい。





大きさの比較のためにホチキスの針の箱を並べたが、いわゆる豆本である。豆本に四十一句とあとがきが収められている。発行所は文藝豆本ぽっぺん堂、発行者は先日別の豆本で国際的な賞をとった佐藤りえさん。りえさんは最近NHKの朝の情報番組にも出演されていた。私が知らないだけで、豆本は流行っているらしい。
 『永遠集』はこんな句から始まる。

   右利きのギキキは春を待つ調べ 露結
 山田露結は知る人ぞ知るブルース・ギターの名手でもある。それを念頭におけば、右利きのミは四拍目の裏に置かれ、粘っこい三連のリズムのうねりとともに強拍で耳に飛び込んでくるのはギキキなのだ。ブルースが春を待っている。

(続く)

2018年1月1日月曜日

今年の目標

 なんかこう、だらだらっとブログを続けたいのです。切れっ端のようなものを毎日、少しずつ。毎年、望みが高すぎて冬休みが終わると続かない…。
 読みかけの本のこととか、練習中の曲のこととか、中身の入った缶詰の捨て方とか、そんなことを今年は少しずつ書いて行きたいです。

 さしあたり、今年の目標は「ひとりのときはお酒を飲まない」です。

2017年12月29日金曜日

四吟歌仙 引込線の巻 評釈

   立冬の引込線の夕陽かな        媚庵
 発句は突然「歌仙氾濫」の掲示板を閉鎖した捌き人への挨拶句。日に数回貨物列車が通るだけの引込線のうら淋しさ。とはいえ、引込線には引込線の単目的な存在理由があるのだ。

   立冬の引込線の夕陽かな        媚庵
    紙屑のごと舞ふ都鳥        ゆかり
 脇は本来、発句と同季、同じ場所で発句の挨拶に応えるものである。ネットなので架空の同じ場所として江東区を縦断する貨物専用線あたりのイメージを借りつつ、動きを取り入れる。

    紙屑のごと舞ふ都鳥        ゆかり
   流れ着くものをあれこれ選りわけて   銀河
 第三は発句と脇の挨拶を離れ、ここからが事実上の連句の展開の始まりである。あまり脇と離れていない感もあるが、水上生活者のあわただしさに転じている。

   流れ着くものをあれこれ選りわけて   銀河
    郵便配達人の憂鬱          りゑ
 「あれこれ選りわけて」いたのは郵便配達人だったのだ。選りわけても選りわけても仕事が終わらない憂鬱。

    郵便配達人の憂鬱          りゑ
   自転車を追ひかけてくる超満月      庵
 月の座である。終わらない配達の仕事に自転車を走らせていると、月が追いかけてくる。折しもスーパームーンなのだった。

   自転車を追ひかけてくる超満月      庵
    ひとさし指で交はす稲妻        り
 自転車に月といえば『E.T.』だろう。あれを稲妻というか、という方もおられようが、稲妻は秋の季語で、連句の進行上ここは秋の句を三句続けなければいけない場面なのだ。ちなみにネットで検索すると、指と指をくっつける場面は映画のどこ、という質問がいくつかヒットする。

    ひとさし指で交はす稲妻        り
ウ  ゐつづけて鳴くかなかなを愛ほしむ    河
 表六句にしては派手な展開となったが、そのまま恋の句になだれ込む。こう書くと「ゐつづけ」の対象が人間ではなく「かなかな」であるようにも読める。なんとも厭世的である。

   ゐつづけて鳴くかなかなを愛ほしむ    河
    紫烟が匂ふ舶来煙草          ゑ
 そんな男が舶来煙草をくゆらしている。

    紫烟が匂ふ舶来煙草          ゑ
   私家版を詩人歌人に発送す        庵
 一服ののち、私家版の発送作業にとりかかる人物は詩人なのか歌人なのか。このあたりあえて俳人を避けて描いているようでもある。舶来煙草の似合う俳人などいないのだろう。

   私家版を詩人歌人に発送す        庵
    限定読者27番            り
 かつて鈴木志郎康が私家版も私家版、『ト、ヲ(止乎)』という読者限定の印刷物を発行していた。曰く「詩を書いたら、その詩は読者を必要とする。だが、ここでは不特定な読者を想定するという商業的な道筋では、その表現のあり方は耐えられないのだ。」と。折しもネット上の書き込みの通番が27。

    限定読者27番            り
   勝ち馬の汗拭いてをる昼の月       河
 27番をゼッケンと見立てて競走馬の情景を描き、「汗」で夏の月の句としている。

   勝ち馬の汗拭いてをる昼の月       河
    雲ははぐれて方南町へ         ゑ
 競争馬の過酷な生活に対し、はぐれる雲により違う生き方を暗示している。実在する「方南町」は東京都杉並区だが、ここではむしろ字面の面白さによって導かれたものだろう。

    雲ははぐれて方南町へ         ゑ
   地図になき国の浪漫を語り飽き      庵
 はぐれ雲の末期として、地図になき国の浪漫といい、しかも語り飽きたという。

   地図になき国の浪漫を語り飽き      庵
    長押のうへの竹のものさし       り
 茫洋とした浪漫に対し、極めて具体的なものをぶつけている。

    長押のうへの竹のものさし       り
   お師匠のさすが乱れのなき針目      河
 ものさしから、ぴしっとした和裁の師匠が導かれている。

   お師匠のさすが乱れのなき針目      河
    ついて良いのは嘘だけだらう      ゑ
 糸屑などついていようものなら厳しく指導されるのだろう。しかし、嘘だったらついていいのか。お師匠は変な人のようでもある。

    ついて良いのは嘘だけだらう      ゑ
   無礼講ゆるされてゐる花見船       庵
 腐敗しきった現実社会はさておき、本来なら嘘つき放題なのは無礼講くらいのものだろう。この前句からよく花の座に収めたものである。

   無礼講ゆるされてゐる花見船       庵
    朧の河へ投げる駅長          り
 前句が舟でなく船だったのを受け、川ではなく河で受けている。なにか漢詩的なものをと思ったとき、とっさに菅原道真の「駅長莫驚時変改 一栄一落是春秋」が浮かび、駅長を大河に投げ込んだ。

    朧の河へ投げる駅長          り
ナオ 女子寮にわけても柳絮飛び交ひぬ     ゑ
 大河といえば柳絮だろう。女子寮の嬌声が聞こえてくる陽気である。

   女子寮にわけても柳絮飛び交ひぬ     ゑ
    アルバムに貼る写真一葉        河
 そんな女子寮の一コマである。

    アルバムに貼る写真一葉        河
   寄せ書きのギプスにライバルの名前    り
 その写真はというと、石膏のギプスにお見舞いの一同が寄せ書きしてくれたもので、中にはライバルの名前もある。

   寄せ書きのギプスにライバルの名前    り
    自己新記録まであと二秒        庵
 思えばあと二秒のところで骨折したのだった。

    自己新記録まであと二秒        庵
   わうごんで舌を鎮めてゐる立夏      ゑ
 金メダルをかじれば舌に冷たい。夏が始まる。「わうごん」の表記が意表をついている。

   わうごんで舌を鎮めてゐる立夏      ゑ
    焼菓子かをり午後のお茶会       河
 「舌を鎮めてゐる」を味覚として「わうごん」を読み替えて付けている。シナモンの効いたアップルパイだろうか。

    焼菓子かをり午後のお茶会       河
   やる気ない帽子屋に雨降り始め      り
 お茶会といえばアリス以来の帽子屋であるが、まともに付けても面白くないので「やる気ない帽子屋」としてみた。たまたまテレビで観た『鶴瓶の家族に乾杯』の瀬戸の回に大きくインスパイアされている。

   やる気ない帽子屋に雨降り始め      り
    稽古帰りの相撲取にも         庵
 稽古帰りの相撲取にも雨が降っている。雨中のものを「も」で連ねる手法としては別役実の♪電信柱もポストもふるさとも雨の中、を思い出す。雨の日はしょうがなくやる気がない。

    稽古帰りの相撲取にも         庵
   ボンネット叩いて猫を追ひ出しぬ     ゑ
 車を走らす前にボンネットを叩くことを昨今は「猫バンバン」というらしい。相撲取の叩く「猫バンバン」は手形が残りそうですらある。「ボンネット」という音の響きが意外な効果を生んでいる。
 
   ボンネット叩いて猫を追ひ出しぬ     ゑ
    いひわけといふことにあらねど     河
 ボンネットから出てきた猫がなんだか言い訳めいた仕草をする。

    いひわけといふことにあらねど     河
   缶詰のやうにしたたり月のぼる      り
 前句の情感を桃の缶詰のとろみに見立てて月をのぼらせている。月の座である。

   缶詰のやうにしたたり月のぼる      り
    夜学にまなぶ微分積分         庵
 ある種の立体の曲面や回転運動は濃厚に微分積分を感じさせる。秋の句なので「夜学」としている。

    夜学にまなぶ微分積分         庵
ナウ まへを行くかの火祭の火男よ       ゑ
 「火祭」は歳時記的には「鞍馬の火祭」で十月二十二日に行うそうである。名残裏折立として、前句とは無関係ながら秋の句を続けている。「絶滅のかの狼を連れ歩く」を裏返したような言い回しは、基本教養としての三橋敏雄といったところか。

   まへを行くかの火祭の火男よ       ゑ
    どぜう髭かと殿の御下問        河
 火祭は巨大な松明を持った壮観なものであるが、火男の髭はどぜう髭かなどというじつに場違いで珍妙な殿の御下問が可笑しい。名残裏なのに面白すぎる。

    どぜう髭かと殿の御下問        河
   やはらかい時計が開ける障子窓      り
 サルバトール・ダリの髭から「やはらかい時計」が導かれている。

   やはらかい時計が開ける障子窓      り
    ゆりかごに猫ねむる遅き日       庵
 前句「やはらかい時計」を猫の体内時計と読んで付けている。

    ゆりかごに猫ねむる遅き日       庵
   黄桜もしろも眞露も花のなか       ゑ
 花の座は「花」と書いて桜のことなので、桜で発想して「花」の字でお願いします、と注文を出すとしれっと「黄桜」などと出してくるあたりが大胆不敵ではあるのだが、酒の銘柄を列挙した「花のなか」が前句とあいまってなんともいえぬ、酩酊感を醸し出している。

   黄桜もしろも眞露も花のなか       ゑ
    とけてほどけて淡雪の水        河
 前句の酩酊感に対し、なんとも心地よい真水感がある。胃にやさしい挙句でめでたく満尾となった。結果的に名残裏は「御下問」「障子窓」「遅き日」「花のなか」「淡雪の水」と句尾が体言止めで続いてしまったが、差し替えるとまたバランスが崩れてしまうので、このままでよいのだろう。




四吟歌仙 引込線の巻

   立冬の引込線の夕陽かな        媚庵
    紙屑のごと舞ふ都鳥        ゆかり
   流れ着くものをあれこれ選りわけて   銀河
    郵便配達人の憂鬱          りゑ
   自転車を追ひかけてくる超満月      庵
    ひとさし指で交はす稲妻        り
ウ  ゐつづけて鳴くかなかなを愛ほしむ    河
    紫烟が匂ふ舶来煙草          ゑ
   私家版を詩人歌人に発送す        庵
    限定読者27番            り
   勝ち馬の汗拭いてをる昼の月       河
    雲ははぐれて方南町へ         ゑ
   地図になき国の浪漫を語り飽き      庵
    長押のうへの竹のものさし       り
   お師匠のさすが乱れのなき針目      河
    ついて良いのは嘘だけだらう      ゑ
   無礼講ゆるされてゐる花見船       庵
    朧の河へ投げる駅長          り
ナオ 女子寮にわけても柳絮飛び交ひぬ     ゑ
    アルバムに貼る写真一葉        河
   寄せ書きのギプスにライバルの名前    り
    自己新記録まであと二秒        庵
   わうごんで舌を鎮めてゐる立夏      ゑ
    焼菓子かをり午後のお茶会       河
   やる気ない帽子屋に雨降り始め      り
    稽古帰りの相撲取にも         庵
   ボンネット叩いて猫を追ひ出しぬ     ゑ
    いひわけといふことにあらねど     河
   缶詰のやうにしたたり月のぼる      り
    夜学にまなぶ微分積分         庵
ナウ まへを行くかの火祭の火男よ       ゑ
    どぜう髭かと殿の御下問        河
   やはらかい時計が開ける障子窓      り
    ゆりかごに猫ねむる遅き日       庵
   黄桜もしろも眞露も花のなか       ゑ
    とけてほどけて淡雪の水        河
 
起首:2017年11月08日
満尾:2017年12月24日
捌き:ゆかり