2017年10月25日水曜日

七吟歌仙 実むらさきの巻


掲示板で巻いていた連句が満尾。

 
   快晴の明けや式部の実むらさき   銀河
    開渠の果てを秋の水門     ゆかり
   校庭の無月に栗鼠の眠るらん    伸太
    前へならへの列へ初蝶      由季
   評判の草餅求め小半日       ぐみ
    滝音しげき春の夕焼      あんこ
ウ  片方は逆さの赤いハイヒール    苑を
    ラストシーンは西部劇調      河
   暗がりに少年のこゑ木霊して     り
    階段といふ生命の螺旋       太
   文豪の机の横の蚊遣香        季
    受賞をはばむ紙魚のふるまひ    み
   きしきしと面接室へ昇降機      こ
    凍へる月の欠片を拾ふ       を
   なかば座しなかば惟ひて息白く    河
    いかん菩薩になつてしまふぞ    り
   空缶を連れての旅の花筏       太
    犬猿雉と今も友達         季
ナオ 春深く鬼に貰ひしこぶ二つ      み
    けふの日記は短く終はり      こ
   町中の電氣が消えてしまふ夜     を
    おとなたちにはきつとわかるさ   河
   岸めざすイルカの群れに囲まれて   り
    朱墨の海に師の志         太
   夏痩せて播磨屋橋を行き戻り     季
    土用に伸びる暖簾のうの字     み
   仙人とさしつさされつ屏風岩     こ
    けむりの如くゑのころの群     を
   金曜のファッションモール昼の月   河
    はや冬物をお揃ひで買ふ      り
ナウ ちと語り相合傘の傘寿行く      太
    先端恐怖症の看護師        季
   白い窓白い子犬に白い椅子      み
    遠く聞こゆる正午のチャイム    こ
   花なのか花守なのか立ち尽くし    を
    特急すすむかぎろひのなか     河

起首:2017年 9月26日(火)
満尾:2017年10月25日(水)
捌き:ゆかり

2017年10月14日土曜日

(23)節という概念についてもう少し

 前回の記事はロボットの改造の話と、「節」という概念を導入する話が錯綜し、後者が多少説明不足だったかも知れない。要は単語レベルではなく、もっと大きな節でざっくり俳句を捉えることにより、句型・節・単語という入れ子構造として、三段階のかけ算でできあがる句のバリエーションが広がるということだ。で、「古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉」は主語+述語という普通の文章のかたちではなく、首名詞節+連体修飾節+尾名詞節という俳句独特のかたちであることに着目したのだった。

 思えば二年前この連載は以下の句型から始まった。
  ①ララララをリリリと思ふルルルかな
  ②ララララがなくてリリリのルルルかな
  ③ララララのリリララララのルルルルル
連載八回目で種明かししたとおり、それぞれ摂津幸彦、橋閒石、飯田龍太の句が元になっている。

  露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦
 一見主語と述語がありそうだが、節で分解すると連体修飾節(12)+尾名詞節(5)である。「古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉」には首名詞節と尾名詞節があることにより二物衝撃を構成していたが、こちらは見かけ上一物からなる。「露地裏を夜汽車と思ふ」と続いたものはすべて「金魚かな」に連体修飾として連なる。外形的に連なっているのに意味的に切断があるというのが、俳句ならではなのだ。

  階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石
 「階段が無くて」が期待する「困る」とか「落ちる」とかがなく、解決しない副詞節となっている。副詞節(8)+尾名詞節(9)である。述語がないのに副詞節があるということが俳句的なのだ。

  一月の川一月の谷の中 飯田龍太
 首名詞節(7)+副詞節(12)。主語的な「一月の川」が副詞的な「一月の谷の中」にリフレインの調べで連結しているが、述語がない。これも俳句ならではだ。

 もちろん主語と述語がきちんとある句もある。

  夏草に機罐車の車輪来て止る  山口誓子
 「夏草に」は主語に先行した目的語であり「機罐車の車輪」が主語だが、述語はふたつの動詞をたたみかけていている。「機罐車の車輪」は中七としては字余りなのに格助詞の省略と動詞のたたみかけによって、句としてみごとに着地を決めている。誓子だからできることだ。こういう句に出会うと、これまでに作ったロボットをすべて破壊したくなるのだった。


(『俳壇』2017年11月号(本阿弥書店)初出) 

2017年9月22日金曜日

『星恋 表鷹見句集』(4)

  死にたくも泳ぎの手足動くなり   表鷹見
 これは身に覚えがあるが、人間の意思は生命体としての本能には無念ながら勝てない。表鷹見の句はしばしば生のやるせなさを身にまとう。

  凍死体海に気泡がぎつしりと
 「水死体」でも「溺死体」でもないので、凍死体と海の位置関係に迷うが、海に浸かっているものとして読む。人間に限らず、海はありとあらゆる死体を糧として生命を循環させる系をなす。不浄極まりない「海に気泡がぎつしりと」というディテールの描写が生々しく迫る。

  海の中に島あり霏々と雪積る
 海にも島にも分け隔てなく雪が降っているのだが、海に降るものは解け、島だけに雪が積もりゆく。叙景の句であるが、言い知れぬ寂寥感がある。

  母といふ愛(かな)しき人に月が照る

 先に「父の葬列父の青田の中通る」を見たが、残された母の心中はいかばかりなものか。それは踏まえた上で、なお「母といふ愛(かな)しき人」という措辞が伝記的事実を越えて胸を打つ。

  胸までの麦生にて縛られしごと
 「縛られしごと」は言うまでもなく麦の生育のさまを詠んだものではなく心象だろう。またしてもやるせない。

  雪永く積もりて嶽は世と隔つ
 『天狼』第七巻第三号には誓子門下ならではの連作が四句続く。「外界より見るや即ち雪の嶽」「嶽の中安らかに雪降り積もる」「雪の嶽聖なる域と異ならず」と続いた最後が掲句である。外側から概観し、内側の状態を捉え、空間的な連続性を詠んだ最後に、その永遠性において「世と隔つ」のだと謳っている。

  降る雪やかすかな髪のにほひして
 表鷹見には嗅覚の句がいくつかある。「強烈な枯野のにほひ農婦来る」「冬夜サーカス百姓達の臭ひ満つ」「二代のマント体臭親子とて違ふ」「酒臭き身にて焚火をはじめたり」…。文字通り強烈な句が多い中で掲句は「蛍籠女のにほひかもしれぬ」とともに繊細な雰囲気が漂う。雪が降れば外界の音が断たれる。かすかな髪のにほひと同じ空間にいる、息づかいや心臓の鼓動まで聞こえてきそうではないか。

  稲妻が犬の白さに驚けり
 もちろん稲妻が驚いたのではないだろう。「稲妻に照らし出された犬の白さ」をぐっと詰めて「稲妻が犬の白さ」と詠み韻律に乗せている。そんな「が」が見事である。

  性病院に目鼻つけたる雪だるま
 面白いものを見つけたものだ。性病院の先生にももちろん家族がいて、雪が降れば子どもが雪だるまをこしらえもしよう。それが結果としてはとんでもなく意表を突いた取り合わせとなる。そこをすかさず詠んでいる。



 なお、巻末の八田木枯による「紅絲 多佳子と行方不明の表鷹見に」の初出は、とある会社の社内報に寄せられたものだというが、文献として第一級の貴重なものである。西東三鬼、平畑静塔、橋本多佳子らが日吉館で徹夜の句会をやっていた時期に表鷹見、八田木枯らが山口誓子にお伺いを立て句誌『星恋』を立ち上げる経緯や、二十五歳ほど歳の違う橋本多佳子との交流などが、橋本多佳子の句集『紅絲』の評論と渾然一体となって綴られていて、じつに興味深い。

 余談となるが、八田木枯晩年のとある句会のあとで、あるとき若いめいめいが木枯さんにねだって句をコースターに書いてもらったことがあった。私が書いて頂いたのは「多佳子恋ふその頃われも罌粟まみれ 木枯」(『あらくれし日月の鈔』所収)だった。言うまでもなく「罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき 多佳子」を踏まえたものだ。今回発掘された「紅絲 多佳子と行方不明の表鷹見に」は、その「罌粟まみれ」の具合や多佳子の「寂しきとき」の様子を伝えるものなのだった。


(了)

2017年9月21日木曜日

『星恋 表鷹見句集』(3)

 三島ゆかりの拙い感想文は一休みして、『星恋 表鷹見句集』を手に取ってご覧になりたい方へのご案内です。



●お問い合わせ先
(玻璃舎) gmail.comの前にelendil9909418とアットマーク

〒065-0010
札幌市東区北10条東14丁目4-3-103
玻璃舎

●定価
1000円


 また、八田木枯の「紅絲 多佳子と行方不明の表鷹見に」の初出は、『天狼』の俳人の兄上が会長であった、とある会社の社内報だったとのことです。

七吟歌仙 秋立つとの巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。
 

   秋立つと空気濃くなる家郷かな    媚庵
    きらめいてゐる鰡の水紋     ゆかり
   月へ行く我らが地球あをざめて    伸太
    緑一色で決める役満         七
   銅像の似てゐるか似てをらぬかや   一実
    かかるライカで撮られてしまへ   りゑ
ウ  スリツパを飛ばして天気占ひぬ   れいこ
    いつも裸足の伯爵夫人        庵
   寄宿舎を夜ごとくぐもるすすり泣き   り
    口紅直す恋の十字路         太
   卵産む妻は毎日卵割る         七
    水面かがよふ冬の月かも       実
   ぴかぴかのオープンカーのボンネット  ゑ
    象が乗つてもこはれないから     こ
   女学校出の祖母にしてわらび餅     庵
    南浦和を過ぎる霾風         り
   飛入りの猫に花の宴たけなは      太
    義足に似合ふピンヒ-ル買ふ     七
ナオ 悪役のよく皺うごく広額        実
    押しても引いてもこんこんちきよ   ゑ
   ダマスクに篠田の森を織り込んで    こ
    獣医学部は開学未定         庵
   アフリカの音楽果てしなく続く     り
    ボトルの中に小さき帆船       太
   茫洋と日がな一日樹下の夢       七
    新宿二丁目こゑかけやすく      実
   昼顔は嘘ついてゐる方へ向く      ゑ
    姉かと思ふ母かと思ふ        こ
   アール・デコ的な駅舎に月明り     庵
    しとど濡れをる夜露の幻肢      り
ナウ 再会も会話に困る暮の秋        太
    唇なりし化石あるらむ        七
   雪積めば雪の墓群として立つて     実
    きよらな指が鳴らすハモニカ     ゑ
   夢のごと落花にまみれ乳母車      こ
    蜃気楼たつふるさとの海       庵

起首:2017年 8月 9日(水)
満尾:2017年 9月21日(木)
捌き:ゆかり

2017年9月20日水曜日

『星恋 表鷹見句集』(2)

  みごもりて蛇を提げくる人に会ふ   表鷹見
 作中主体がみごもっているのか、蛇を提げくる人がみごもっているかであるが、表鷹見は男性であり、作中主体の移動は他の句には見られないので後者だろう。隠喩的な一句である。
 
  父の葬列父の青田の中通る
 生命感のみなぎる青田を葬列が通る。故人となった父がついこのあいだ苗を植えた青田。万感のリフレインである。

  石炭を雪ごと焚きて汽車疾し
 蒸気機関車の運転台の後ろには、水と石炭を格納する炭水車が連結されている。炭水車の石炭には覆いがないので、雪が降れば当然石炭を雪ごと焚くことになる。先に掲げた「氷塊を木屑つきたるまゝ挽けり」にも通じ、委細構わぬ機関士の仕事ぶりが目に浮かぶ。西東三鬼にも「雪ちらほら古電柱は抜かず切る」という句があるが、委細構わぬ仕事ぶりの句は探せばいろいろあるのだろう。ちなみに誓子は「雪ごと焚きて汽車疾し」を因果と捉え「選後独断」でこんなことを書いている。

 この句は何故にこんなに面白いのであらうか。先づ石炭を雪ごと焚いたことが面白い。石炭と雪とは、氷炭相容れずの氷と炭である。相容れざる石炭と雪とを突如として連絡し、それ等を共に焚くことによつて、両者の矛盾を一挙に解決したのである。
これは謂ふところのウィットであつて、快感はそこから起るのである。
次に雪まじりの石炭が汽車を疾く走らしたことが面白い。雪は汽車を走らす力とはなり得ない。しかしそれが石炭と共に焚かれることによって火力となり、汽車を疾く走らしたと云ふのだ。そこが面白いのである。
この句にはそれ等二つの面白さがうち重つてゐるのである。

 
 誓子にみえるものが私にはまったく見えていないようである。

(続く)

2017年9月18日月曜日

『星恋 表鷹見句集』(1)

 『星恋 表鷹見句集』(玻璃舎 2017年)をお送り頂く。いろいろな人に広く表鷹見のことを知ってほしいので、読み終わったら誰かに回すようにとのこと。

 表鷹見(1928-2004)は俳誌『天狼』などで活躍した俳人。本句集は『天狼』遠星集から七十句ほど、同じく『天狼』から「残夢抄」と題された十八句、その他俳誌『ウキグサ』『星恋』からの句も含め全体でおよそ百句ほどが収録されている(途中、八田木枯選三句、鷹見自選三句があり、『星恋』には「遠星集」に発表した句も資料としてそのまま重複して収録されている)。また、遠星集入集分のうち十句については山口誓子による「選後独断」と題された評文があり、当時の評価ぶりが偲ばれる。さらに巻末には「紅絲 多佳子と行方不明の表鷹見に」という平成13年に書かれた八田木枯の二段組16ページに及ぶ文章も収録されている(出典の記載はなく未完。(その一)から(その四)まで分かれているので、『晩紅』あたりに連載されたものか)。こちらは俳誌『星恋』をともに世に出した八田木枯が、行方不明の表鷹見に対し「君」として宛てて、橋本多佳子などをめぐり当時の俳句情勢を回顧したものである。

 以下、三島ゆかりなりに何句か読んでみたい。いくつかは誓子が「選後独断」で取り上げた句と重なるが、他意はない。

  雪原へ出れば犬とも獣とも   表鷹見
 道路も田畑も埋め尽くした一面の雪原を犬がまっしぐらに突っ走る。人間と暮らす我を忘れて動物の本性をさらけ出すさまを、「犬とも獣とも」と詠んでいる。

  氷塊を木屑つきたるまゝ挽けり
 『天狼』初年の頃は家庭用電気冷蔵庫も発泡スチロールも普及していなかっただろう。ちょっと検索してみると、かつて最善な断熱材とされたのはノコギリくずだったという。掲句、委細構わぬ氷屋の仕事ぶりが見えるようだ。

  凧よりも少年濡れてかへるなり
 八月三十一日に放送された「プレバト」(TBS系)で、たまたま「ずぶ濡れのシャツより甲虫取り出す 中田喜子(夏井いつき添削)」という句があった。そのすぐあとで掲句に出会ったので、雨が降ってきたから着物の中になんとか凧を濡れないように隠して帰宅したのだと、なんの抵抗もなく思う。一方、誓子は「選後独断」でこんなことを書いている。
 
 雨は、少年と凧とひとしく濡らしたにちがひない。合理的鑑賞家は「凧よりも少年濡れて」を理性に合せずとするだろう。そして理性に合はしむる為め、少年が凧をかばつたとするだらう。それで理性の虫はをさまるかも知れぬ。しかし私にはこの「凧よりも少年濡れて」の非合理性が却て私の感情に合するのである。
「理性に合せざるも感情に合するもの」---自意識派はこれを解するの明を養ふべきである。


 どうも私は自意識派と分類されるらしい。


(続く)

2017年9月14日木曜日

(22)節という概念を導入する

 またまた「はいだんくん」を大改造した。これまでその日使える季語をまずひとつ決定して、その音数の季語を使う句型を選択していたのだが、逆にした。単純に句型をひとつ決定してから、その音数のその日使える季語を選択するようにした。従来季語から決めるようにしていたのは、「勤労感謝の日」とか「建国記念の日」とか変な長さの季語をフィーチャーしようとしたら、季語から決めた方がいいだろうという考え方だったのだが、このままだと季語とその他との互換性の点で決定的に発展性がないだろうと考えを改めた。その上で芭蕉に立ち返ろう。

  古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉

 この句は主語+述語という普通の文章のかたちではない。俳句独特のかたちである。上五に名詞節、下五に名詞節、そして中七に下五にかかる連体修飾節がある。大ざっぱにふたつの名詞節で構成されているので、先に現れる方を首名詞節、最後に現れる方を尾名詞節と仮称することにする。また「や」は切れ字ではあるがほぼ首名詞に従属して現れることから首名詞節に含むものとする。また切れ字に限らず「の」「は」「が」などの格助詞とも互換だろう。
 同様にこの句には現れないものの「かな」はほぼ尾名詞に従属して現れることから、尾名詞節に含むものとする。中七はこの句では「三音の季語+動詞連体形」となっているが、全体として連体修飾節でありさえすればその中は、「六音の季語+の」とか「三音の季語+のごとき」とかいろいろ代替は可能である。さらに句全体でどこか一箇所に季語が現れることが制御できるのであれば、すべての名詞と季語は互換である。同じように切れ字も句型ではなくロジックの側の制御により、句全体でどこか一箇所に切れ字が現れることにすればよい。
 こんなふうにして先に季語を決めることをやめたことにより、季語を節の中に置いて名詞と互換に扱うことが可能になり、〈古池や蛙飛びこむ水の音〉という単一の句型からロボットは以下のようなバリエーションを生み出すに至った。

  放課後や桃に遅れるお下げ髪    はいだんくん
  色鳥のいつもあふるるふたりかな
  少年の蜩らしき耳の穴
  稲妻の一浪といふ泣きぼくろ
  空気椅子秋の灯しのお下げ髪
  蟋蟀の行き過ぎてゐる重みかな



(『俳壇』2017年10月号(本阿弥書店)初出) 

2017年8月14日月曜日

(21)頭韻を踏む

 先月「はいだんくん」を大改修してリリースした。いろいろ手を入れた中で目玉と言えるのは、頭韻を踏むことができるようになったことだろう。この連載の(15)で田島健一について触れて以来、懸案だったものだ。
 「はいだんくん」では、以下の三通りで頭韻を踏むことができる。

(一)母音+子音(つまり同音)
   あかるさは姉より紅し洗ひ髪    はいだんくん
   夕立のゆびきりやけふ揺れんとす
   図書館の鳥図書館の心太
   肩ひもの風の多くて髪洗ふ
   ありのまま汗のあくびをあふれけり


(二)母音
   顔文字をまるめてゐたるはだかかな はいだんくん
   ふくらみや閏皐月のくだり坂
   ががんぼは睫毛のやうに果てにけり
   ひらがなを西日と思ふ時間かな
   バタフライぱらぱら漫画よりたのし


(三)子音
   先生としづかな空とゐて涼し    はいだんくん
   駆けてゐる金魚の子には海馬なし
   にんげんもにほひもなくて夏帽子
   過ぎ行きて裂ける水星百日紅
   マニキュアの森を用ゐる祭かな


 もちろん韻を踏まないこともできるし、韻を踏むように指定しても、条件に合致する語がなければ、韻は踏まない。また、母音か子音を指定しておけば自ずと同音も現れるので、現状は「母音」「子音」「なし」がランダムに一対一対三の割合となるように設定してある。

 こうして掲句を見渡すとどうだろう。(一)はいかにも言葉遊びとして意外な語の連結を求めているように、(二)(三)は繊細な調べに気を使っているように見えてこないだろうか。もしわずかでもそんな気がしてくるとしたら、それは読者のあなたの心の中で起こっていることに違いない。なぜならロボットは韻を踏むにしても踏まないにしても、今までどおりなにも考えていないのだから。


(『俳壇』2017年9月号(本阿弥書店)初出) 

2017年7月30日日曜日

七吟歌仙 見上げればの巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。


   見上げれば真中の暗き花火かな    月犬
    うつつのごとく川のせせらぎ   ゆかり
   蜉蝣の翅痛さうに日を受けて    あんこ
    芒を飾る空近き街         ぐみ
   右の目を濯がば月読尊の生れむ    苑を
    コンビニエンスストアの店員    なな
ウ  まさに飛ぶやうに売れゆく週刊誌   なむ
    マルサの女紅を濃く引く       犬
   白昼の口移しする生玉子        り
    荒く抱きあふキッチンの床      こ
   山火事に迂回勧める天城越え      み
    ノーベル賞の発表迫る        を
   コンタクトレンズを左右間違へて    な
    寒月光の底の玻璃窓         む
   教会のオルガン弾きも帰る頃      犬
    けもの飛び交ふ春の暗闇       り
   ポストへの道ゆるやかに花筏      こ
    赤ワイン買ひ木の芽を和へて     み
ナオ リビングにピカソの犬は長く伸び    を
    乳を含めず泣いてをるなり      な
   憶良らはいまは罷らむ出直さむ     む
    唐の都に不穏な噂          犬
   肉林の七賢泳ぐ酒の池         り
    教授の語る山本竜二         こ
   少年に戻りて雲の峰目指し       み
    かぶとむし対かぶとむし戦      を
   若冲の作といはれて買ひ求む      な
    錦小路に藷の並ぶ午後        む
   旅の荷を解く肩と背を照らす月     犬
    やは肌といふ秋の夜の罪       り
ナウ 高らかに十二時告げる鐘の音      こ
    諸行無常と雪にまみれつ       み
   放課後の黒板消しのぽとり落ち     を
    春は春とて佐々木に佐藤       な
   先陣を争ふやうに飛花激し       む
    笑ふ山あり酌み交はしをり      犬

起首:2017年 6月27日(火)
満尾:2017年 7月30日(日)
捌き:ゆかり

2017年7月14日金曜日

(20)動詞の語彙を収集する

 ロボットのことを考えていないときはネット上で連句を巻いている。八年ほど年間十巻前後を捌いているのだが、ネット連句ならではというべきか連衆もいろいろで、面識のない人もいれば、ここだけのお忍びの俳号で参加されている方もいる。いちばん最近満尾した巻の冒頭は以下。

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな   伸太
    薫風わたる河岸段丘      ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて   媚庵
    ユーロ紙幣で払ふ飲み代     銀河


 ここまで巻いたところで捌き人の私が茶目っ気を発揮し、伸びる→わたる→超える→払ふ、と続いたのだからすべての付句に動詞を入れようと突飛な提案をし、実際そのように進行した。中間を割愛して名残裏の花の座と挙句のみさらに記そう。挙句では最後とばかりになんと三個も動詞を投入している。

   新聞を綺麗にたたむ花の午後    桃子
    来ては睦みて消ゆる双蝶     伸太


 かくして三十六句で使われた動詞は以下四十九個。

ア行:上ぐ、あり、おく、追ふ、泳ぐ
カ行:抱へる、帰る、聞く、消ゆ、崩る、来、零す、超ゆ
サ行:さぶらふ、凍む、棲む、する
タ行:確かめるたたむ、呟く、つむる、飛ぶ、とる
ナ行:ながれる、鳴く、なる、にじむ、濡らす、眠る、伸びる、登る
ハ行:走る、果つ、はびこる、払ふ、吹き抜ける、ほかす
マ行:負ける、まるめる、むづかる、睦む
ヤ行:焼け落ちる、揺れる、読む、捩よぢれる
ラ行:弄す、論ず
ワ行:わたる、笑ふ

 さて、連句を巻いていないとき私はロボットのことを考えている。これら、連句の運びの中で自然に得られた、まとまった量の動詞は俳句自動生成ロボットに取り込む語彙としてじつに貴重である。そういう観点でみると、文語(上ぐ、あり、…)、口語(おく、追ふ、泳ぐ、…)、方言(ほかす)、カ変(来)、サ変(弄す)、濁るサ変(論ず)、複合動詞(吹き抜ける、焼け落ちる)など、じつに多岐にわたっている。動詞の活用についてはこの連載の三回目で一度触れたが、法則として理解を超えているところがあり、カ変、サ変のあたり、これまでロボットへの取り込みを棚上げしていたところもある。ここは魔法の呪文を自分にかけよう。「しゃあねえ、やるか」と。


(『俳壇』2017年8月号(本阿弥書店)初出) 

2017年6月20日火曜日

七吟歌仙 葉脈の巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。
 

   葉脈のみるみる伸びる立夏かな    伸太
    薫風わたる河岸段丘       ゆかり
   国境を超える列車に身をおきて    媚庵
    ユーロ紙幣で払ふ飲み代      銀河
   天上の時計が零す月の砂       りえ
    死角にはまだ竈馬棲む        七
ウ  素のままに眠り素のまま夜食とる   桃子
    捩(よぢ)れる君の手にするタオル   太
   腸を抱へて笑ひ明易し         り
    走る男と泳ぐ女と          庵
   西之島けふもむづかる気配あり     河
    螺髪凍むまで月を弄(ろう)する   え
   戯れ言をまるめてほかすまみ穴へ    七
    二度確かめる空の封筒        子
   船便の埠頭に上ぐる麻袋        太
    犬の視線で沫雪を追ふ        り
   仇討ちの噂ながれる花の山       庵
    映画果つるも遅き日の暮       河
ナオ ジーンズの旗揺れてゐるビルのうへ   え
    いくつになれど飛ぶのが怖い     七
   目をつむりバニラアイスは永遠に    子
    虹を濡らして窓の水滴        太
   いくたびか爆発ののち焼け落ちる    り
    戦場を吹き抜ける夕風        庵
   今帰りましたカプセルホテルから    河
    メイド相手に詩魂を論ず       え
   かげろふの日記読みつつひとり夜は   七
    ペンにじませて稲の音聞く      子
   山の端の望月さらに登らんと      太
    どさと崩るるハードSF       り
ナウ 信念で人工知能には負けぬ       庵
    夢の中まではびこりし青       河
   さぶらひてさぶらひどちの腕相撲    え
    呟くやうに鷽は鳴くらし       七
   新聞を綺麗にたたむ花の午後      子
    来ては睦みて消ゆる双蝶        太


起首:2017年 5月10日(水)
満尾:2017年 6月20日(火)
捌き:ゆかり

2017年6月14日水曜日

(19)俳句ソフト不正使用問題

 二〇一六年に世を騒がせた将棋ソフト不正使用問題は、疑いをかけられ出場停止処分を受けた棋士に将棋連盟が慰謝料を払うことで双方が合意し和解した、と今年五月二十四日に発表があった。まずはめでたしであるが、技術の進化が第二、第三の同種の問題を引き起こすであろうことは想像に難くない。俳句界とて同様であろう。
 さて、我らが「はいだんくん」を実作支援に使用しようと考えたとき、これはどうにも使い勝手がよくない。ユーザインターフェースが「次の一句」ボタンしかないのがなんとも物足りないのだ。やはり、ユーザが自分で季語や特定の語句を入力でき、それを用いた句を返すようなものでないと、実作支援には使えないだろう。いくつかの改善策を考えてみる。

季語 「はいだんくん」の季語は、現在日付をもとにその日使えるものをランダムに返している。二十四節気や忌日も登録されているので、今日から小暑か、とか今日は重信忌か、とか気づくのには役に立つが、数ヶ月後に発行される原稿の季節には合わない。デフォルトは現在日付で構わないが、日付はユーザが指定できるようにしたいではないか。

語彙 句会で出題される兼題/席題をそのまま指定してロボットに作らせたいではないか。余談ながらスマホの角川合本俳句歳時記アプリでは全文検索という機能があり、季語だけでなく検索ができる。例えば「告ぐ」で検索すると、〈癒え告ぐるごとく北窓開きけり 佐藤博美〉〈鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨〉がヒットする。これは紙の歳時記ではできない便利な機能である。

差し替え ロボットが作った句が、大体いいんだけどここがねえ、という場合、大体いいところは固定して、ここがねえというところを部分的に差し替えたい。

複数案表示 デジカメでブラケット撮影というのがあり、露出とかホワイトバランスとかISOとかを少しずつ変えて、一回のシャッター押下で複数枚の写真を撮ることができる。であれば、「はいだんくん」でも季語を上五、中七、下五に置いた三案を表示すると
か、季語だけ異なる三案を表示するとかあると、ユーザがそうそう、これこれと選べるではないか。

 このくらい便利になれば実作支援に役立つことだろう。ところで、俳句のことをよく知らない人に、俳句には歳時記というものがあって、そこには季語の意味と例句が載っていて、俳人は歳時記を引きながら俳句を作るのだという説明をしたら、「え、それってカンニングじゃないの」と言われた。そこか…。


(『俳壇』2017年7月号(本阿弥書店)初出)

2017年6月4日日曜日

『鏡』二十三号を読む

  マフラーの渦ワッフルの香を運ぶ  笹木くろえ
 勢いのある句である。「マフラーの…」「ワッフルの…」という外来語のたたみ掛けがそう感じさせるのだろうか。「フラ」「フル」という響きの繰り返しがいいのかも知れない。「マフラーの渦」がなんともエネルギーの場を感じさせる。

  大丈夫のなかにある嘘冬苺
 『鉄腕アトム』に「うそつきロボットの巻」というのがある。ロボットは本来本当のことしか言わないのだが、余命幾ばくもない老人の介護のため、わざと回路を逆にしたロボットが騒動を起こす印象深い作品である。そんなものを引き合いに出すまでもなく、老人や病人に直面した場合、私たちは嘘をつく。良心は冬苺のように酸っぱい。

  参加者を聞いて欠席闇汁会
 ほんとうの闇汁会を知るはるか以前に私は『巨人の星』で刷り込まれてしまった。漫画の話ばかりで恐縮だが、青雲高校の伴宙太が主催した闇鍋は、料理の煮えた鍋に部員めいめいが持ち寄った下駄やエキスパンダーをぶち込むのだった。伴宙太の闇汁会なら私も欠席したい。という話はさておき、微妙な感情のしこりというのはある。特に俳句のつながりというのは、俳句の作風の相性で広がってゆき、気がつくと職業も信条も生活水準もまったく異なる人と句座をともにしていたりする。俳句を作るのでなければ遠慮したいこともいろいろあろう。

  外套を外套掛けのやうに着る    村井康司
 「外套」「外套掛け」というリフレインで読ませる作りになっているが、そもそも「外套掛け」ってどんなものだろう。真っ先に思い浮かべたのは、身の丈ほどの棒の先が放射状になっていて、外套の首のところだけ引っかけるようなもの。これだと肩はだらりとなる。であれば「外套掛けのやうに着る」とは袖を通さずにぶかぶかの外套をだらっと羽織ることなのか。もしかすると男物の外套を痩身の女性が羽織っているのかもしれない。

  大寒のバリトンサックス少女隊
 バリトンサックスは首の前で管が一巻きしてあって、見るからに肺活量が要求される。それを少女が吹くのであれば不憫で悲壮なビジュアルが現出する。ましてや隊である。ましてや大寒である。

  新春の早口言葉しやししゆしえしよ
 「新人シャンソン歌手による新春シャンソンショー」みたいなものだろう。平仮名表記の「しやししゆしえしよ」がなんだかくすぐったい。

  ろくじうのてならひとして日向ぼこ
 同じようなものだが、旧仮名表記の効果を知り尽くした「ろくじうのてならひ」と「日向ぼこ」というオチのばかばかしさがじつに楽しい。技巧の垂れ流しっぷりがすばらしい。

  凍星のぐらつく乳歯心地かな    越智友亮
 乳歯が抜ける直前のぐらつくもどかしさの身体感覚の記憶と現在の不安定な心象を重ねたものだろう。現実とほど遠い理想のような「凍星」も効いているし、「ぐらつく」「心地」のG音の頭韻も効いている。

  ペン二本あひだに二物年詰る    大上朝美
 俳句などやっているとつい二物といえば二物衝撃を思い出してしまう。そのような習性をついて「二本」「二物」とたたみ掛けて下五に季語を置いている。「二物」はこの場合、二物衝撃には関係なくて、コップでも消しゴムでもいいのだが具体的に示す必要のない、採るに足らないものであろう。そのような眼前のありようというか空気感が、なんとも年の瀬だ言っているのである。

  思ふこと言はねば忘れ枇杷の花
 何人かで話をしていると、自分が口を開くタイミングを見計らっているうちに、言いたかったことを忘れてしまうことがある。枇杷の花もどこか忘れられてしまった感があるので、響き合っている。ところで人間、歳をとると、言おう言おうとタイミングを見計らっていた状態なのか、すでに発言した状態なのかが分からなくなって、同じことを何度でも何度でも言うようになる。その段階に進んだ俳句もいずれ拝見したい。

  去年今年グーグルアースいつも昼  佐川盟子
 グーグルストリートビューは、十一個のカメラを取り付けた球体を載せた車両で撮影し、その写真を縫い合わせるようにして三百六十度のパノラマにしているらしい。とはいえ、パソコンで地球外からだんだん拡大して迫ると、ついまさに今の時間の映像が見えるような錯覚を抱いてしまう。「いつも昼」はその錯覚をついて巧いこと云ったものだし、「去年今年」もばかばかしくてよい。しかしながら、二十四時間いつもまさに今の時間の映像が見えたら、それはそれで怖い。

  ふゆといふとき唇のふたしかに   八田夕刈
 外国語など習わなければそんな感覚を獲得することはなかったのかも知れないが、日本語のハ行、とりわけ「フ」の発音は難しい。ネットによれば、日本語の「フ」は、無声両唇摩擦音というもので、fの無声唇歯摩擦音ともhの無声声門摩擦音とも異なるらしい。その辺の微妙な感じを掲句は平仮名表記の駆使により言い止めている。

  暁光の身のまつさらに初湯かな
 なぜそんな時間に入浴しようとしているのか事情は定かでないが、新年のあらたまった気分を感じる。

  有りつ丈の雪撒くといふ空の色
 これは今、雪は降っているのだろうか。眼前に雪が降っているのなら空の色など触れないと思うし、これから降るのだったら「有りつ丈の」という措辞は得られないだろうとも思う。降りが小休止した状態で空の様子を見て詠んだのではないか。

  冬木立の向かうの方へ人を置く   羽田野 令
 絵とか写真とかの構図決めの場面だろうか。生活者ではなく美のための駒に過ぎない感じの「人を置く」がよい。

  親族のなまあたたかし松の内
 松の内くらいしか会わないような親族なのだろうか。ちょっとめんどくさい気分も「なまあたたかし」からは感じられる。

  満潮の小春の島へ着きにけり    谷 雅子
 ことさらに潮位に触れているのは、引き潮の時だけ歩けるとか満ち潮の時の水没し具合がうつくしいとか、いわくがある名所なのだろう。小春がなんとも穏やかな気分である。

  家族として撮られに並ぶ梅の花   佐藤文香
 照れくさくってなどと逃げ回っていても、人生の節目には家族写真に収まっておくものである。「梅の花」からは、未来のある幸福を感じる。

  どんぶり一杯の蝦蛄どんぶり一杯の殻に 寺澤一雄
 殻を剥く前の蝦蛄と、剥いたあとの殻とが、かさとして全然変わらないことに興じて句を仕立てたものだろう。

  船で来て乗る鉄道や残る菊
 途中で手段が変わることを詠んだ一雄句としては『虎刈』に「クロールで行きて帰りは平泳」があり、跋文の辻桃子を絶句させている。なんとも寺澤一雄的な句風である。

  体育館ほどに大きな家の夜業
 間仕切りの少ない農家のような空間を想像すればよいのだろうか。人間が小さく見えるだだっ広い空間の中で夜業にいそしんでいる。「体育館ほどに」の誇張が楽しい。

2017年5月13日土曜日

(18)ロボットがつぶやく

 私が制作してネット上に公開している俳句自動生成ロボットのシリーズは、それぞれツイート・ボタンによりツイッターと連携していて、句が気に入ったらそのままツイートすることができる。
 『俳壇』誌向けに制作しているロボットは「はいだんくん」であるが、別に「ゆかりり」というロボットがある。「ゆかりり」は実物の三島ゆかりが作りそうな俳句を自動生成するロボットで、俳句実作上の奇想にとらわれると、それをロボットでやったらどうなるんだろうと、しばしばアイデアを「ゆかりり」に仕込んで試してみる。それでうまく行ったものを「はいだんくん」に移植したり「ロボットが俳句を詠む」の原稿のネタにしたりする。「ゆかりり」と「はいだんくん」はそういう関係で、「ゆかりり」はより先進的で、「はいだんくん」はより枯れている。
 というわけで、開発者の私に関心があるのはむしろ「ゆかりり」の方で、ツイート・ボタンでツイートするのはもっぱら「ゆかりり」の句である。ロボットの作った句をツイートしても二三人が「いいね」を付けてくれるのが関の山だったのだが、ここへ来て「あ
わ・みかわ」さんという面識のない方が「ゆかりり」の句をかなりの頻度でツイートしてくれるようになった。私をなぞらえたロボットの句を他人がツイートするのを私が読むのはかなり奇妙な体験である。つい返信で短評してしまう。以下「ゆかりり」の句はあわ・みかわさんがツイートしたもので、短評は私。

彼女みなギリシャ彫刻春惜しむ ゆかりり
→「みな」によって「彼女」が複数であるところが眼目ですね。同時に複数人の彼女がいるのか、歴代の彼女なのか。「春惜しむ」にそこはかとない徒労感があります。

極楽や首都に遅れる抱卵期 ゆかりり
→「極楽」と「首都」、もしくは「遅れる」と抱卵期の「期」というふたつの対比が組み合わさることによって、微妙な意味の混乱が発生していますね。また「首都に遅れる」からは高度成長時代の残像が感じられます。

ブラウスの略し始める春暑し ゆかりり
→ぎゃ、非名詞の季語について手を抜いていることが露見している。非名詞の5音の季語を下五とする句型を登録するときに、春暑しとか風光るとか山笑ふとか、大抵のものは名詞+用言ではないかと、直前を連体形にして、変なことになってしまったようです。

 この記事の読者の皆さんもせっかくですからツイート・ボタンでつぶやいて下さいね。

(『俳壇』2017年6月号(本阿弥書店)初出)


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