2020年1月25日土曜日

不定期刊連句誌『みしみし』第四号、発売しました。

黄色と黒は連句のしるし、不定期刊連句誌『みしみし』第四号、1/24に発売しました。今回も豪華連衆です。

・七吟歌仙 自然薯の巻、韃靼人の巻、笹舟の巻
・その評釈
・連衆作品(ネットでは読めません。敬称略)…佐山哲郎、なかはられいこ、鴇田智哉、高橋洋子、田中槐、佐藤りえ、中嶋憲武、浅沼璞、西生ゆかり、西原天気、堺谷真人、冬泉、月野ぽぽな、岡田由季、斎藤秀雄、小林苑を、三島ゆかり
(歌仙には加えて、金井真紀、小津夜景も参加)

・浅沼璞『塗中録』を読む 三島ゆかり
・常設記事 連句骨子(三十六歌仙)

定価1000円。ご注文はみしみし舎officemisimisiアットgmail.comまで。

また、以下のお店で現物を手にとってからお求めになることができます。
札幌のがたんごとんさん、
早稲田の古書ソオダ水さん、
明大前の七月堂古書部さん、
下北沢の本屋B&Bさん、
松本の栞日さん、
梅田の蔦屋書店さん、
神戸元町の1003さん、
福岡の本のあるところ ajiroさん、
松山の本の轍さん。

よろしくお願いします。

2019年12月20日金曜日

七吟歌仙 笹舟の巻

   笹舟のゆくへや今朝の冬野川    冬泉
    子より大きな息白き犬     ゆかり
   サーカスの始まり告げる声のして ぽぽな
    笑顔を保つ軟体の美女      由季
   月淡くしてコルカタの道をゆく   夜景
    霧を換喩とまちがへながら    秀雄
ウ  冷まじきものに国立競技場     苑を
    聖母子像に火薬匂へり       泉
   はぐれたら外人墓地で落合はん    り
    薄き耳朶やはらかく噛み      な
   パン種を伸ばし捩ぢるもモテ仕草   季
    アンモナイトを夢に置き去り    景
   のむ水の腹の地層を疾くとほる    雄
    逆三角は正義のしるし       を
   麦踏んで定家が仰ぐ明月に      泉
    仮名遣ひよきうぐひすのゐて    り
   姿見の奥の奥まで花盛        な
    テクマクマヤコン楊貴妃になれ   季
ナオ 片恋の涙を獏に舐めさせて      景
    切手溢るる電話ボックス      雄
   空色の硝子の床の下は街       を
    終末旅行はレーション持つて    泉
   目が合へば隠るる二つ結ひ揺るる   り
    プールサイドは午後のきらめき   な
   牧神のひとの部分が凍えゐる     季
    巨大な熊が高く跳ぶイヴ      景
   星間の点線すでにうすけむり     雄
    月宮殿に箏を奏でて        を
   波斯青磁烏扇の実をこぼす      泉
    酒乱の父の舐める柚子味噌     り
ナウ 谷合ひの里しらじらと明け初めて   な
    脈の速さの雪はふりつむ      景
   大鍋にぼるしちの湯気立ち昇り     を
    初点前には銀鼠を着て       泉
   打ち揃ふ堺商人花の宴        季
    帆のはためきの音のうららか    雄


起首:2019年12月 1日(日)
満尾:2019年12月20日(金)
捌き:ゆかり

2019年10月28日月曜日

七吟歌仙 韃靼人の巻

   長き夜の韃靼人の踊りかな     りゑ
    後の月にはのちのしづかさ    三島
   とりどりに拾ふ橡の実などありて  詠犬
    私語の聞こえる教壇にたつ    ハク
   それつぽく髪を乱して白手套    西生
    風力計も折れんばかりに     天気
ウ  欠航を告げられてゐる不倫行    真人
    袖すり合ふも蛸壺の縁       ゑ
   暗がりに眠る天文科学館       島
    いちご畑にジョン・レノン立つ   犬
   Dm-E-C-Eと弾きつづけ     ク
    だんだんずれるネクタイの柄    生
   縊死の木の下に始まる名推理     気
    力学を説く前歯欠けたる      人
   トム猫がジェリーを攫ふ月朧     ゑ
    知らない町を歩くお彼岸      島
   花冷えの永楽銭の穴四角       犬
    聞かず顔にて長煙管とり      ク
ナオ 土曜日の綺麗な靴の逃亡者      生
    グエンカオキの曾孫と名乗る    気
   怪しげな投資顧問の事務所にて    人
    ゼムクリップは炎の匂ひ      ゑ
   手作りの詩集の並ぶ棚二段      島
    インスタグラムに朗読の声       犬
   新郎は落研にゐたこともあり     ク
    首を振るたび違ふ横顔       生
   路地裏を鈴の音よぎる今朝の秋    気
    暑中見舞を出しそびれたる     人
   宙返りして見る月も丸かつた     ゑ
    崩れ簗ある三半規管        島
ナウ 中年の独り言聞く夜の坂       犬
    酒のにほひが雪を降らせる     ク
   人柄で保たれてゐる鯛焼屋      生
    瀬戸内海を航(わた)る佐保姫   気
   水軍の裔ともどもに花の宴      人
    風船乗りは西へ東へ        ゑ


起首:2019年10月13日(日)
満尾:2019年10月28日(月)

2019年10月27日日曜日

七吟歌仙 自然薯の巻

   自然薯の自我肥大たる湿度かな    なむ
    生きて腸まで届く山かけ     ゆかり
   満月を横切る貨車は音たてて    れいこ
    ページの焼けた擬声語辞典      槇
   ポラロイドカメラが彼をひらきだす  トキ
    雲形定規に物語あり        洋子
ウ  眉太く描いて待ちをる鶴女房      槐
    見るなと云へど閨の特権       む
   入道のこんなところに手が墨が     り
    天守閣から下す釣り糸        こ
   えきそばに芒種の月をトッピング    槇
    つゆの向うへ平泳ぎする       キ
   手も足も銀紙のやう夢のやう      子
    薄氷を踏む新品の靴         槐
   ゆかしくもなにやら蕗の薹立ちて    む
    三十路つどへる午後ののどけさ    り
   大阪のおつちやんたちと花の下     こ
    胸ポケットに仁丹のある       槇
ナオ 凍て星の粒のひとつをJAXA指す   キ
    ブラックホールといふ叙情詩     子
   約束の二時にどこでもドアの前     槐
    いやだおとなになりかけてゐる    む
   つぎつぎに猫が木となる猫の森     り
    つんつんしたり丸くなつたり     こ
   モヒカンをおつ立てたまま死ぬつもり  槇
    等身大のパンが焼かれて       キ
   なま肉に塩胡椒ふるタイミング     子
    CMあけてすいつちよの鳴く     槐
   箱に箱積んで月光裡の路肩       む
    木犀の香のことに激しき       り
ナウ 乾杯のグラスにどなたかの指紋     こ
    金田一来て頭を掻いて        槇
   あはゆきの音韻としてあらはるる    キ
    鳥帰る日のふるき木の椅子      子
   花守もふらと加わる花の昼       槐
    羽化する蝶のごとくまどろむ     む


起首:2019年10月16日(水)
満尾:2019年10月27日(日)

2019年9月26日木曜日

不定期刊連句誌『みしみし』第三号発売

不定期刊連句誌『みしみし』第三号、9/26発売しました。
ご注文は以下までお願いします。「アットマーク」を@に変えてご利用下さい。
officemisimisi
アットマーク
gmail.com
定価1000円(送料、消費税込み)
今回も豪華連衆です。 あの話題の人も、あのまさかの人も。
【内容】
・七吟歌仙 日傘さしの巻
・七吟歌仙 つけて名をの巻
・七吟歌仙 かなかなの巻
・上記三巻の評釈
・連衆作品(敬称略)★ネットでは読めません。
沢茱萸、瀧村小奈生、赤野四羽、藤原龍一郎、近恵、八上桐子、西川火尖、小久保佳世子、大室ゆらぎ、亀山鯖男、小池正博、ウエマツナナエ、仲田陽子、柏柳明子、堀本吟、月犬、羽田野令、三島ゆかり
・「生駒大祐『水界園丁』を読む」

不定期刊連句誌『みしみし』第三号はみしみし舎への直接ご注文以外に、以下の各店でもお求めになれます。ぜひ手に取ってご覧下さい。

札幌のがたんごとんさん、早稲田の古書ソオダ水さん、明大前の七月堂古書部さん、下北沢の本屋B&Bさん、松本の栞日さん、梅田の蔦屋書店さん、神戸元町の1003さん、福岡の「本のあるところ ajiro」さん、松山の「本の轍」さん

2019年9月7日土曜日

『水界園丁』を読む(6)

 最終章は「秋」である。これまで見てきたような無生物の生命体化や「絵」への固執は本章においてもますますあらわで豊穣な季節を彩る。が、同じような句を挙げてもしょうがないので、違う観点からもう少し見てみよう。

  烏瓜見事に京を住み潰す  生駒大祐
 「住み潰す」はあまり見かけない複合動詞であるが、壊れるまで住み続けるということだろう。あくまで実作者としての直感でしかないが、この句、最初は「今日を住み潰す」と一日の終わりを詠んだものだったのではないだろうか。そこから同音異義語である古都を得て最終稿としたのではないかという気がしてならない。複合動詞の句では他に「擦りへりて月光とどく虫の庭」「鳥渡る高みに光さしちがふ」などが印象的である。

  天の川星踏み鳴らしつつ渡る
 複合動詞に限らず、生駒句には一句の中に動詞をふたつみっつと詰め込んだものが多い。「ある」「ゐる」なども動詞に数えるならばじつに多い。「虫籠の中の日暮や爪楊枝」「星空にときをりの稲光かな」のような動詞のない句もある一方で、生駒句を特徴づけているのは「覚えつつ渚の秋を遠くゆく」「雁ゆくをいらだつ水も今昔」などである。無生物の生命体化と一句の中の動詞の多用は、たぶん密接な関係がある。

  ゆと揺れて鹿歩み出るゆふまぐれ
 挙句である。多分にもれず動詞三個(うち二個は複合動詞を形成)を畳み掛けるが、眼目は句頭の「ゆ」だろう。動作の作用や状態を表す格助詞「と」の前に置かれ、句中に四回現れるyu音として調べを整えるとともに、たった一音、たった一文字で曰く言い難い状態を表現している。これは田島健一の「ぽ」とともに語り継がれるべき「ゆ」であろう。

2019年9月5日木曜日

『水界園丁』を読む(5)

 「夏」の章を見てみよう。すでに作者の術中にかなりはまっている自分にあらためて気がつく。

  五月来る甍づたひに靴を手に  生駒大祐
 この二句後には「夏立つと大きく月を掲げあり」があり、さらにページをめくると「夏の木の感情空に漂へり」がある。生駒ワールドでは「五月」も「夏」も「木」も、あるいは「雲」も世界の構成要素として生命を与えられている。「春」の章には「佐保姫に紅ひく神の大きな手」があったが、動植物のみならず時や気象現象も佐保姫と同じように神に司られた生命体で、ときに人の姿をまとう。単に擬人化によりうまいこと言ったぜという底の浅い措辞ではないようなのである。

  雲を押す風見えてゐる網戸かな
 ここでの「風」もそのようにして生命体である。この一句だけ見れば、人によっては聖教新聞のテレビCMの「僕は風さん見えるよ」という子役を思い出すかもしれないが、句集をここまで読んできて感じるのは、俳句を通じて自然と接することにより獲得したであろう独自にして強固な世界観である。

  心中のまづは片恋たちあふひ
 道ならぬ一途な想いの行く末が初めから見えているのだろう。「たちあふひ」の軽佻浮薄なうつくしさがなんとも不吉である。

  蟬の穴より浅くあり耳の穴
 「蝉の穴蟻の穴よりしづかなる 三橋敏雄 」へのオマージュだろう。まこと人間が見聞きできるのは表層のできごとでしかない。

  蚊遣の火消えゐる波の響きかな
 幼少の旅行の記憶だろうか。波の響きにふと目が覚めると蚊取線香の火が消えている。状態の持続の「ゐる」と「波の響きかな」と句末に詠嘆する語順が絶妙である。

  夕凪の水に遅れて橋暗む
 「遅れて」がよい。平面である水面に比べれば鉛直に立ち上がっている橋の側面は、そのぶん夕日を受けている時間が長いのだろう。それが暗くなるまで見届けている時間の経過が「遅れて」である。先の「蚊遣」句の「ゐる」といい、本句の「遅れて」といい、時間の経過の捉え方のゆたかさがじつによい。俳句は一瞬を切りとったものがよいとする言説をしばしば見かけるが、決してそれだけが俳句ではない。

  暇すでに園丁の域百日紅
 そのあたりを自解した句なのだろう。『水界園丁』という句集では、そのように時間が流れている。

七吟歌仙 かなかなの巻

   かなかなや他人の住んでゐる生家    陽子
    釣瓶落しへ豆腐屋の笛       ゆかり
   月光を物理学者のすり抜けて     あんこ
    狂ひ咲きをる病院の庭        媚庵
   洟水に似たる氷柱をへし折らん     銀河
    夜毎天狗は高尾の森で        月犬
ウ  語部の塩辛声のしみわたる        令
    南の島の白き砂浜           子
   たつぷりと塗つてと言ひて横たはり    り
    背骨をなぞるこそばゆき指       こ
   三味線の皮は猫だと教へられ       庵
    蝙蝠の影よぎる月面          河
   書棚には伯爵領といふ句集        犬
    前へ倣へで靴の形に          令
   下萌を駆けてくる半ズボンたち      子
    げにかぐはしき佐保姫のひだ      り
   風光るテラスヘスパゲティふたつ     こ
    文庫の中也詩集に落花         庵
ナオ 早紅葉の湯田温泉の駅舎裏        河
    旅の役者と帰る燕と          犬
   菊酒を唐草文の風呂敷に         令
    押し入れの中息をひそめる       子
   熱戦はタイブレークに突入す       り
    ボールボーイのいつも後ろ手      こ
   賭け金をまた倍にする女連れ       庵
    燃える朱色に香を焚きしめ       河
   老画伯襖に描く龍虎の図         犬
    竹林のなか小径小暗し         令
   月光に関守石のひとつあり        子
    抜き差しならぬままに長き夜      り
ナウ 露霜の鉄扉を押せば軋みたる       こ
    グランドピアノ弾く人の影       庵
   抽斗にハズキルーペを置き忘れ      河
    嗚呼恍惚の牡丹雪降る         犬
   雨傘をレフ板として花万朶        令
    整列の前よぎるてふてふ        子
起首:2019年 8月13日(火)
満尾:2019年 9月 5日(木)
捌き:ゆかり

2019年9月4日水曜日

『水界園丁』を読む(4)

 「雑」の章は十四句からなる。有季にこだわって捨てることがはばかられた句群なのだろう。この章では、「冬」や「春」の章に比べると、前後の句の響き合いにもより強く考慮しているようである。前の句のイメージを引き取ったり、前の句との同字反復をしたりを、連句とは違うマナーで行っている。

  星々のあひひかれあふ力の弧  生駒大祐
 万有引力や惑星の軌道に関する科学的な知識が、句のことばに昇華されている。なるほど、ここに季を加えたら余分な感傷が生じてしまうだろう。先に句の配列について触れたが、ここで作者は配列の妙味により、句と句のあわいに余分な感傷をあからさまではなく配置しているようにも思える。この句に後続する四句から語を拾うと「君」「友」「恋愛」「恋」と続くが、例えば「恋愛」の句は「在ることの不思議を欅恋愛す」であって、人間の感傷とは様相を異にする。

  西国の人とまた会ふ水のあと
 極めて抑制された書き方であるが、「水のあと」が喚起するのは津波もしくは水害の傷跡である。そして、この句に続くのは「鉄は鉄幾たび夜が白むとも」である。この鉄は廃墟かもしれないし、武器かもしれないが、句としてはまたしても極めて抑制された書き方で「鉄は鉄」だとしか言っていない。前後する「水のあと」の句と「鉄は鉄」の句のあわいに、言い知れぬ文明の危機に直面した現代への感傷がこみ上げる。

2019年9月2日月曜日

『水界園丁』を読む(3)

  春雨の暗きが夜へ押し移る   生駒大祐
  道ばたや鰆の旬のゆきとどき
  雨のとびかひてあかるき花の昼

 いずれも明確な対象物があっての叙景句ではない。とはいえ個人に属する気分とは異なる、曰く言い難い大気感のようなものだ。たまたま選んだ一句目と三句目は雨を題材としているが、必ずしも雨そのものではなく幼児期の感覚のように暗くて怖い夜や明るくて華やかな昼と結びついている。また二句目は漁村を歩いてでもいたのだろうか、「鰆の旬」という普通なら知覚しがたいものの横溢を感じている。このような句に出会うと、そうそう、これこれ、と思う。

  鳥すら絵薺はやく咲いてやれよ
 八田木枯の句には「鶴」や「針」が頻出するが、生駒大祐にとっての「絵」も同じような頻出アイテムなのかも知れないと思い始めている。ここまですでに「よぎるものなきはつふゆの絵一枚」「手遊びに似て膝掛に描かれし絵」「大寒の寝べき広間に一枚繪」「二ン月はそのまま水の絵となりぬ」「芝焼の煙や壁の真中に絵」がある。共通するのは、動くことができない封じ込まれたもののイメージである。それは希望や危機に直面しても同じである。

2019年8月16日金曜日

『水界園丁』を読む(2)

 「冬」からもう何句か見てみよう。

  数へてゐれば冬の木にあらはるる  生駒大祐
 一読かなり分かりにくい。何を数えていたのか、またなにが現れたのか。鳥とか洞とか数えられるもので冬の木に現れそうなものを思い浮かべても釈然としない。そもそも数える対象が現れるものなら、現れるまではゼロで数えられないだろう。そのあたりで「冬の木」をひとかたまりに季語だと思って読んでいたことに気がつく。現れたのは「冬」ではないか。だとすれば、対象物を数えていたのではなく、時間を数えていたのではないか。例えば自分がかくれんぼの鬼で、木に添えた腕に額をつけて目をつむりゆっくり十数えている間にみんないなくなる気配、孤独感。そこに不意にとりとめもなく冬を感じたのではないか。
 目に見える対象やできごとを簡潔にあざやかに描く俳句もあれば、とりとめのない感じをとりとめのないままに描く俳句もあっていいだろう。

  たそかれは暖簾の如し牡蠣の海
 そもそも「暖簾の如し」という着想を得たのは、「たそかれ」の方からではなく一本の紐に牡蠣がいくつもぶら下がり、それが何十本も何百本もある養殖の景の方だろう。それを「たそかれや暖簾の如き牡蠣の海」としなかったのは、小津夜景がいうところの倒装法だろう。漢詩によくある修辞の意図的な逆転である。「暖簾に腕押し」ということわざがあるが、倒装法によりつかみどころのない「たそかれ」が広がっている。

2019年8月15日木曜日

『水界園丁』を読む(1)

 しばらく生駒大祐『水界園丁』(港の人)を読む。約十年間に作られた句が「冬」「春」「雑」「夏」「秋」の五章に収められているという。「冬」から始まっているところに謎がありそうだし、「雑」の章があるところも興味深い。装幀はかなり凝った作りとなっていて、紙の質感も印字の具合も独特である。このブログの常で、全体を読み終わる前に書き始める。読者の私のなかで、要するにこういうものだとフィルターができてしまうと、それに落とし込む作業になってしまいそうだから、そうなる前の一句一句に出会いたいのだ。

  鳴るごとく冬きたりなば水少し  生駒大祐
 「冬きたりなば」と来れば誰しも「冬来たりなば春遠からじ」が頭を過ぎるだろう。漢詩かと思いきや英国の詩人シェリーの詩「西風の賦」の一節で、誰の訳なのかもよく分からないらしい。人生訓めいた英詩はさておき大祐句に戻ろう。「鳴るごとく」と振りかぶり人口に膾炙した「冬きたりなば」が続いたら下五をおおいに期待するところであるが、かっこいいことは何も言わず「水少し」と置いている。この句が巻頭で「冬」の章の冒頭であるということは、『水界園丁』は渇水から肥沃ののち秋に至る句集なのか。

  奥のある冬木の中に立ちゐたり
 疎である。十七音の中にできるだけたくさんの情報を詰め込む俳句もあるが、この人の俳句はそうではないようだ。「寒林」と言わず「奥のある冬木の中」とし、「ゐたり」と語調を整えつつできあがる疎な十七音が持ち味というものだろう。

  肉食ひしのち山や川なんの冬
 いったいどういう食生活なんだろうとも思うが、肉を食べた後の身の充実をいくぶん自虐的に誇張してみせ、つかのま楽しい。

  ときに日は冬木に似つつ沈みたり
 オーソドックスな万感の自然詠である。

2019年8月12日月曜日

七吟歌仙 つけて名をの巻 評釈

   つけて名を呼ぶことのなき金魚かな   火尖
 発句は西川火尖さんから頂いた。飼い始めに名をつけたものの、その後一度もその名で呼ばれたことのない金魚と名付け親の移り気を詠んで過不足ない。ちょっと変わった語順だが「名をつけて呼ぶことのなき金魚かな」としてしまうと、名をつけることにも「なき」がかかって読まれてしまう可能性が生じるし、なにより「名を呼ぶ」ことの情愛が感じられなくなってしまうのだ。

   つけて名を呼ぶことのなき金魚かな   火尖
    レゴの欠片を拾ふ明易       ゆかり
 脇は発句と同季、同じ場所を詠み挨拶とする。激務から帰宅すると、そんな金魚の名付け親くんは安らかに眠っていて、夜は白み始めている。しまい忘れたレゴの欠片を拾って俺も明日に備えよう、という情景を見ているかのように付けているが、空想的挨拶である。

    レゴの欠片を拾ふ明易       ゆかり
   てつぺんを翔ちたる翼ぶ厚くて    佳世子
 発句と脇の挨拶を離れ、第三こそが付け合いの始まりであり、「さて」という場面転換が求められる。鳥類らしきものの唐突な飛翔に転じていて、第三の役割をきっちりこなしている。夏が二句続いたので雑(ぞう。無季)としている。小久保佳世子さんは句歴三十年以上のベテラン俳人だが、連句は初めてとのこと。なお、この句を第三として頂いたときには気がつかなかったのだが、脇の「欠片」からホトトギスの鳴き声「てっぺんかけたか」が導かれたのではないか、とも思う。

   てつぺんを翔ちたる翼ぶ厚くて    佳世子
    野ねずみひそむ秋草の原      ゆらぎ
 前句の飛翔の原因ともこれからの着地先ともとれるが、危険の多い自然を詠んでいる。月の座を前にここから秋。俳句は叙景、短歌は叙情と図式的に考えがちだが、大室ゆらぎさんは三十一文字をフルに使って叙景できる歌人である。

    野ねずみひそむ秋草の原      ゆらぎ
   姉妹して月のひかりをすがめたる    鯖男
 月の座である。この「姉妹して」は人間のようにも野ねずみのようにもとれる。ここでは擬人化されたファンタジーの景として捉えよう。亀山鯖男さんは、私が初学の頃同じ同人誌にいた人で、硬質なユーモアの感じられる句が私にとって当時憧れだった。

   姉妹して月のひかりをすがめたる    鯖男
    口頭試問迫るうそ寒         正博
 このように付けると「姉妹して」はまぎれもなく人間である。姉妹が互いに問題を出し合って口頭試問に備える景が浮かぶ。小池正博さんは関西川柳界、連句界の中心的存在であるが、『川柳スパイラル』東京句会の折におそるおそる声をかけたら気軽に参加して下さった。ありがたい。

    口頭試問迫るうそ寒         正博
ウ  滑舌の酷さを買はれ金庫番        七
 初折裏から名残表の最後までがあばれどころといわれ、多少羽目をはずしたりもして諧謔を尽くす。前句「口頭試問」から「滑舌の酷さ」が導かれ、まさかの金庫番である。七さんはどういう経緯で「みしみし」に辿り着いたのだかよく思い出せないが、かれこれ十年ほどつかず離れずずっと連衆であり続けている。

   滑舌の酷さを買はれ金庫番        七
    カションカションと逃げるロボット   尖
 前句の「滑舌」「買はれ」「金庫番」とK音で頭韻を揃えてきたのに導かれたのか「カションカション」というしょぼいオノマトペが絶妙で、なんとも弱っちそうである。

    カションカションと逃げるロボット   尖
   着ぐるみをはづして鯛焼をもらひ     り
 前句の「ロボット」を着ぐるみと見立て、出番が終わって一服しているものとした。「鯛焼」で冬。

   着ぐるみをはづして鯛焼をもらひ     り
    障子を破る猫の慕し          子
 仮に魚に猫であればかなりのベタだが、「鯛焼」に猫というのはひねりがある。「障子」で冬を続けている。
    障子を破る猫の慕し          子
   絶え絶えに声はつづいて鄙の宿      ぎ
 連句の場合、一句で完結して言い過ぎると展開しなくなってしまう。「絶え絶えに声はつづいて」はいい具合に疎で、前句に付けば猫の声だし、次句と付けばまた別のように読める。

   絶え絶えに声はつづいて鄙の宿      ぎ
    別れの朝のコーヒーにニド       男
 前句の「絶え絶えに声はつづいて」は次句とのつながりにより性愛の句となる。「ニド」がなんとも懐かしい。半世紀ほど前、植物性油脂のスジャータなどが出回る前のごく一時期、過渡期的に粉末のクリープとかニドとかが出回った。当然コーヒー本体も粉末だろう。そんな「鄙の宿」なのである。

    別れの朝のコーヒーにニド       男
   ナオミちやんの足を縛つたまま放つ    博
 「ニド」が出回っていた頃、「ヘドバとダビデ」という外国人デュオによる「ナオミの夢」というそこそこヒットした曲があった。前句「別れの朝」から「ナオミ・カム・バック・トゥ・ミー」という歌詞のその曲が導かれたのだと思うが、それだけにとどまらない。わずか数年くだると谷崎潤一郎『痴人の愛』の登場人物から芸名とした谷ナオミという緊縛系女優がいて、そんな時代がぱっくりとここに放置されている。

   ナオミちやんの足を縛つたまま放つ    博
    ストリ-トビュ-に怪し人影      七
 グーグル・ストリ-ト・ビュ-の現代にまで放置されていたのだろうか。「怪し人影」は「怪しき」もしくは「怪しい」ではないのかという文法的な微妙さがあるのだが、韻文や講談ではこういう言い方もするのではないか。調べてみると

(その1)上代に「美し国」という言い方があること。折口信夫『万葉集辞典』には、<うまし国・うまし処女のうましは、形容詞の原始修飾形で、活用のできた後も、終止形に似た原始形を使ふのである>とある。
(その2)「なつかしのメロディー」「いとしのエリー」などの「の」を含む言い方も実は同じ使い方であること。

が分かり、「怪し人影」のまま頂くこととする。

    ストリ-トビュ-に怪し人影      七
   しわくちやの紙伸しをる朧月       尖
 月の座である。監視カメラの怪しい人影が月下になにやらしわくちやの紙を伸している。初折裏では通常、夏または冬の月を詠むものだが、進行上花の座に近接したので春の月とした。ここから春の句が続く。

   しわくちやの紙伸しをる朧月       尖
    現代貨幣理論うららか         り
 前句「しわくちやの紙」を紙幣と捉え、なにかと話題のMMTで付けた。MMTは、自国通貨建ての借金をどんなに増やしても、政府が通貨を発行して返済すればよいので国家破たんはないとする考え方で、消費税値上げの代わりにそれで景気回復すればいいではないかという主張の論拠となっている。希望的観測で「うららか」としている。

    現代貨幣理論うららか         り
   花衣かぶせ亡骸若返る          子
 花の座である。ホラー映画にありがちなパターンとして、絶命することにより取り憑いていた怪物が消滅し、本来のきれいな死に顔に戻るというのがあるが、このように付けることにより前句の「現代貨幣理論」が取り憑いていた怪物のようにも思われてくる。
 ついでながら、「現代貨幣理論」のようなものが句材となり得るのかについて、ひとこと触れておこう。連句は室町時代に始まったものだが、その前身として「連歌」というものがある。連歌はやまとことばしか用いてはならない雅な文芸であったが、時代が下るにつれそれでは物足りなくなり、漢語や俗語を自在に用い、より諧謔を重視する「俳諧之連歌」に取って代わられ、後者が明治時代以降「連句」と呼ばれるようになった。つまり連句は発生の時点で、なんでもありなのである。そのような自由度の中で、片や「ナオミちやん」が出てくれば片や「現代貨幣理論」も出てきて、釣り合いを保っているのである。

   花衣かぶせ亡骸若返る          子
    ロバのパン屋の歌に反応        ぎ
 前句の「亡骸」は若返ってそのまま蘇生したようである。巡回販売の歌に反応している。ちなみに残念ながら私はロバのパン屋の実物を見たことはない。春を離れている。

    ロバのパン屋の歌に反応        ぎ
ナオ 関取のひとりふたりと目を覚ます     男
 厳しい稽古の合間に昼寝をしていた関取がロバのパン屋の歌に反応して「呼んでいる…」「呼んでいる…」と目を覚ます、いささか薄気味悪い光景である。打越にかかるような気もするが、そこはあばれどころの勢いである。

   関取のひとりふたりと目を覚ます     男
    雨の匂ひのまじる潮騒         博
 しばらく人事句が続いてしまったので、叙景により転じている。

    雨の匂ひのまじる潮騒         博
   あまやかな夕べを過ぐる舌触り      七
 嗅覚と聴覚を刺激する前句に対し、味覚と触覚で応じている。前句や次句次第でどうとでもとれる、うまい付け句である。

   あまやかな夕べを過ぐる舌触り      七
    手のひらぢかに何を書いたの      尖
 前句を甘美な性愛の句ととらえている。舌を這わせて「ばか」とでも書いたのだろうか。

    手のひらぢかに何を書いたの      尖
   心臓へそのまま続く運命線        り
 打越の「舌」は離れ、運命線を書いたとしている。情死行のようでもある。

   心臓へそのまま続く運命線        り
    暗きところにじつと神馬は       子
 前句「運命線」から導かれたであろう「神馬」が「暗きところにじつと」しているところに趣がある。

    暗きところにじつと神馬は       子
   旧臘の酔ひに若水沁み渡る        ぎ
 「神馬」が出たのでめでたく正月としているが、しょぼいことを格調高く詠み上げている。 「旧臘」は去年の十二月。

   旧臘の酔ひに若水沁み渡る        ぎ
    選挙に落ちて枯木みつめる       男
 折しも現実社会では参議院選挙があった。

    選挙に落ちて枯木みつめる       男
   メンタルのバリアフリーが必要に     博
 その現実社会の参議院選挙では難病の方二名が当選し国会議事堂のバリアフリー化が話題になったが、こちらは俳諧。「メンタルのバリアフリー」というなんともブラックな曰く言い難い概念が提示された。

   メンタルのバリアフリーが必要に     博
    白い廊下のどこまでも夢        七
 バリアフリーといえばまずは廊下とか階段であるが、「白い廊下」であり「どこまでも夢」であるところがなんともメンタルである。

    白い廊下のどこまでも夢        七
   ジオラマの湾へ月光鉄路へも       尖
 ジオラマという目に見える具体的な虚構へ転ずることにより出口とした。月の座であり、ここから秋の句が続く。

   ジオラマの湾へ月光鉄路へも       尖
    フィリピン沖にふたつ台風       り
 前句の硬質な緊張感に対し、まったく別の脅威を付けた。

    フィリピン沖にふたつ台風       り
ナウ 洪鐘は座禅のかたち紅葉山        子
 釣り鐘が座禅のかたちだというのは、少なくとも私は聞いたことがない。山深き禅寺なのだろうが、前句との取り合わせにより、鎮魂、慰撫の雰囲気が感じられる。ここまで秋。

   洪鐘は座禅のかたち紅葉山        子
    鳩サブレーで虫押さへする       ぎ
 生半可な参禅客なのだろうか。空腹に堪えかね鳩サブレーを頬張っている。

    鳩サブレーで虫押さへする       ぎ
   めぐりきてドゴール帽につもる雪     男
 ここまでの進行の中で雪が未出だったので、捌き人のリクエストで雪とした。鳩サブレーの平らな感じと、虫押さえの語感とドゴール帽の形状が響き合って妙に可笑しい。

   めぐりきてドゴール帽につもる雪     男
    修正写真何を消そうか         博
 前句「つもる雪」から「何を消そうか」は導かれるとは思うが、「修正写真」とまではなかなか出ない。あったことをなかったことにするのだろう。

    修正写真何を消そうか         博
   濃きうすき光と影をあそび花       七
 前句の逡巡が光と影の移ろいそのものであるかのような花の座である。「光と影」の両方にかかるであろう連体修飾のたたみかけ「濃きうすき」と、連用修飾「あそび」を解決せずにただ「花」と置いたことにより玄妙なゆらぎが感じられる。

   濃きうすき光と影をあそび花       七
    遠足同士すれ違ひたる         尖
 そのような光と影のなかを、明暗を分けるかのように遠足の集団がすれ違う。一対一の個人ではなく、集団であることが一抹の不吉さを感じさせる。挙句といえばめでたい春の句と相場が決まっているのだが、めでたさの中の微量の不吉が印象的である。

2019年7月28日日曜日

七吟歌仙 つけて名をの巻

   つけて名を呼ぶことのなき金魚かな   火尖
    レゴの欠片を拾ふ明易       ゆかり
   てつぺんを翔ちたる翼ぶ厚くて    佳世子
    野ねずみひそむ秋草の原      ゆらぎ
   姉妹して月のひかりをすがめたる    鯖男
    口頭試問迫るうそ寒         正博
ウ  滑舌の酷さを買はれ金庫番        七
    カションカションと逃げるロボット   尖
   着ぐるみをはづして鯛焼をもらひ     り
    障子を破る猫の慕し          子
   絶え絶えに声はつづいて鄙の宿      ぎ
    別れの朝のコーヒーにニド       男
   ナオミちやんの足を縛つたまま放つ    博
    ストリ-トビュ-に怪し人影      七
   しわくちやの紙伸しをる朧月       尖
    現代貨幣理論うららか         り
   花衣かぶせ亡骸若返る          子
    ロバのパン屋の歌に反応        ぎ
ナオ 関取のひとりふたりと目を覚ます     男
    雨の匂ひのまじる潮騒         博
   あまやかな夕べを過ぐる舌触り      七
    手のひらぢかに何を書いたの      尖
   心臓へそのまま続く運命線        り
    暗きところにじつと神馬は       子
   旧臘の酔ひに若水沁み渡る        ぎ
    選挙に落ちて枯木みつめる       男
   メンタルのバリアフリーが必要に     博
    白い廊下のどこまでも夢        七
   ジオラマの湾へ月光鉄路へも       尖
    フィリピン沖にふたつ台風       り
ナウ 洪鐘は座禅のかたち紅葉山        子
    鳩サブレーで虫押さへする       ぎ
   めぐりきてドゴール帽につもる雪     男
    修正写真何を消そうか         博
   濃きうすき光と影をあそび花       七
    遠足同士すれ違ひたる         尖


起首:2019年 7月13日(土)
満尾:2019年 7月28日(日)
捌き:ゆかり

2019年7月1日月曜日

七吟歌仙 日傘さしの巻 評釈

   日傘さし一個の点となりにけり       茱萸
 発句は歌人の茱萸さんから頂いた。自身を見られる対象として景の中に配置した絵画的な句である。「けり」により発句として立ち、なんとも印象鮮明である。

   日傘さし一個の点となりにけり       茱萸
    遠近法で続く万緑           ゆかり
 脇は発句と同じ場所、同じ時刻で詠み挨拶とする。絵画的な発句に対し美術用語を用い、背景を描くように奥行きを加えた。「万緑」は季語であるとともに、漢詩の「万緑叢中紅一点」から派生して人口に膾炙した「紅一点」を踏まえ、凜とした発句の人物の印象を言外にほのめかしている。

    遠近法で続く万緑           ゆかり
   地球儀の海のあたりに耳あてて      小奈生
 第三は発句と脇の挨拶から離れ、付け合いのほんとうの開始となる。遠近法の消失点へ向かう数多の直線に対し、地球儀のイメージは確かに遠い。「海のあたりに耳あてて」というのも意表をついている。この人は一体なにをやっているのだろう。小奈生さんは連句人なので、以下ほとんど無注文で自由に付けて頂いた。

   地球儀の海のあたりに耳あてて      小奈生
    やがて安らぐしろい神経         四羽
 前句のよく分からない行動は、平常心を取り戻そうとしていたようである。「しろい」がなんとも繊細である。あえて景のない句で付けて変化としている。四羽さんは俳人で、ジャズ・ミュージシャンでもある。

    やがて安らぐしろい神経         四羽
   自転車で遅番に行く月明り         媚庵
 月の座であるが、打越に「地球儀」があるために丸い月は出せず、かたちに障らない「月明り」としている。前句の世慣れしない人物が遅番で出勤する。媚庵さんはここではほぼ常連で、歌人にして俳人。

   自転車で遅番に行く月明り         媚庵
    薄原より魔女の飛び立ち          恵
 うっ、表六句で「魔女」を出しますか、という気もするが、それが恵さんの持ち味だし、それを通すのも「みしみし」の持ち味である。巨大な月の前を飛ぶ自転車のシルエットの有名な映画ポスターがあるが、打越の人物を離れそんな魔女の姿が浮かぶ。恵さんは久々の参加で、俳人。連句ではぐいぐいと変なものを突っ込んでくる。

    薄原より魔女の飛び立ち          恵
ウ  カプセルに遺骨を詰める暮の秋       桐子
 ここから初折裏で、あばれどころとなる。前句の魔女、一体なにをやらかして飛び去ったものだか…。「カプセル」がSFのようである。桐子さんは柳人。

   カプセルに遺骨を詰める暮の秋       桐子
    等身大のベティ・デイヴィス        萸
 ベティ・デイヴィスはアメリカの女優。ウィキペディアによれば、キャサリン・ヘプバーンと並ぶ、ハリウッド映画史上屈指の演技派女優で、尊敬をこめて「フィルムのファースト・レディ」と呼ばれた由。前句「カプセル」の窮屈さから導かれたであろう「等身大の」は、ベティ・デイヴィス本人の形容であれば女優ではない素顔のといった意味になり得るし、そのものではないレプリカである可能性もある。作者・茱萸さんの弁によれば晩年の作品「何がジェーンに起こったか」における白塗りの怪演ぶりから着想を得たとのことである。

    等身大のベティ・デイヴィス        萸
   値札ある水族館を冷やかして         り
 東京タワーの下の方には比較的有名な蝋人形館の他に水族館があり、知る人ぞ知る話ではあるが、この水族館で展示される魚類は値札のついた売り物なのだった。蝋人形館に等身大のベティ・デイヴィスが本当にあったかは知らない。またこの水族館は二〇一八年九月三〇日をもって閉館となった。もっとも句としては東京タワーも蝋人形館も出て来ないので、そんなものをビビビと読み取れるとしたらよほどの東京タワーおたくだろう。普通に読むと、休日のベティ・デイヴィスが一風変わった水族館に立ち寄り、ベティ・デイヴィスと気づかれつつも何も買わず次から次へと水槽を眺めて行く景だと思うし、それでよい。気分としては、恋の呼び出しである。

   値札ある水族館を冷やかして         り
    降れば降るほど逢ひたいと言ふ       生
 前句の水っぽさを受けて、長雨に転じている。悶々とした恋人同士の電話だろうか。

    降れば降るほど逢ひたいと言ふ       生
   夜の土に二人で下りて落書きし        羽
 舗装された道路から下りて橋脚とか塀とかそんなものに落書きをしているのだろうか。逢うには逢ったが、道を踏み外している。

   夜の土に二人で下りて落書きし        羽
    ヘリコプターがよぎる寒空         庵
 前句の二人は逃亡中のようである。緊迫した展開である。恋を離れている。

    ヘリコプターがよぎる寒空         庵
   着膨れて左手重きサイコガン         恵
 検索するとサイコガンとは、寺沢武一氏の漫画『コブラ』の主人公である宇宙海賊コブラのパイソン77マグナムと並ぶ武器である。寺沢武一氏も知らなければ『コブラ』も知らないが、前句の緊迫した展開を受けるにはこのくらいの武装が必要だろう。「それ、違うじゃろ」という突っ込みを待つ季語「着膨れて」が妙に可笑しい。

   着膨れて左手重きサイコガン         恵
    夜が足りない緞帳の裏           子
 前句を芝居の演目とした付けだろう。幕が下りたあと、翌朝までにあわただしく撤収し移動しなければいけないのだ。

    夜が足りない緞帳の裏           子
   初凪の岬を一周廻る猿            茱
 「初凪」と正月の季語なので、この猿は野生ではなく家々を廻る猿回しの猿だろう。前句の旅の一座の雰囲気を受けて付けている。

   初凪の岬を一周廻る猿            茱
    灯台しろくうららかにして         り
 前句の「岬」を受け単純な叙景で転じている。ここから春。

    灯台しろくうららかにして         り
   バザールのベルベル人と花の下        生
 花の座であるが、「バザールのベルベル人」とは変なものを出してきた。検索するとベルベル人とは、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称とのこと。とはいえ、花の座なので北アフリカの景ではなく、インバウンドな当節日本事情なのだろう。句としても濁音の効果により異国情緒があり、前句の「灯台しろく」に対しカラフルな印象がある。

   バザールのベルベル人と花の下        生
    おほきな箱に蝶がびつしり         羽
 バザールの売り物だろうか。このあたり虚実入り乱れてじつに面白い。

    おほきな箱に蝶がびつしり         羽
ナオ モニターに迷彩服のやくみつる        庵
 漫画家・やくみつるには日本昆虫協会の副会長という一面があり、『やくみつるの昆虫図鑑』(成美堂出版)という著書もある。であれば観察ないし採集のため、迷彩服に身を包んでいるのであろう。

   モニターに迷彩服のやくみつる        庵
    渋谷スクランブル交差点          恵
 連句の評釈というのは雑学の宝庫なのではないかと思わなくもないが、これまた検索すると渋谷スクランブル交差点の大画面は現在「渋谷駅前ビジョン」「DHC Channel」「Q'S EYE」「グリコビジョン」「109フォーラムビジョン」があり、五面シンクロもできるらしい。迷彩服のやくみつるが一斉に映し出されることもあるのだろう。それにしても恵さんの付句、たった一語で十四音を使い切る大胆なわざである。

    渋谷スクランブル交差点          恵
   うつすらと火薬匂ひて月涼し         子
 雑踏に一抹の不吉さを感じ取るのは順当なところだろう。月涼しが効いている。言葉尻だけを捉えれば、打越の「迷彩服」と「火薬」は障らなくもないが、堂々めぐりになっている訳ではないのでよしとする。

   うつすらと火薬匂ひて月涼し         子
    赤い貼絵にいそしむ画伯          萸
 「火」から「赤」という筋である。

    赤い貼絵にいそしむ画伯          萸
   ポルシェとかボリシェヴィキとか走り抜け   り
 赤いものをふたつ並べて走り抜けた。とっとと去らないと「交差点では私の車がミラーこすったと」で三句前に障るではないかなどと言われてしまう。

   ポルシェとかボリシェヴィキとか走り抜け   り
    微調整する景気判断            生
 前句の革命的左翼に対し、「景気判断」というなんとも資本主義的なもので付けている。

    微調整する景気判断            生
   裏切の宇宙怪獣やるせなし          羽
 「宇宙怪獣」とは面白いところを突いてきた。地球上に東西の目に見える対立があった時代であれば、「宇宙怪獣」という共通の敵に対し地球人も一丸となって結束できたのだろうが、冷戦後のグローバル化した現代においては、目に見えない分断が進んで共通の敵という概念を設定しづらく、「宇宙怪獣」も商売上がったりなのだ。

   裏切の宇宙怪獣やるせなし          羽
    じゃがたら芋を大鍋に煮る         庵
 着ぐるみを脱いで転職したのだろうか。ここから秋の句が続く。

    じゃがたら芋を大鍋に煮る         庵
   水澄みて洗濯板の硬き音           恵
 質素な暮らし向きである。

   水澄みて洗濯板の硬き音           恵
    こめかみの奥きつつきの来て        子
 前句の「硬き音」を受けて、頭痛の描写に「きつつき」を用いている。k音、t音の連鎖がなんとも硬い。

    こめかみの奥きつつきの来て        子
   体幹は洞となり果て後の月          萸
 きつつきにつつかれ続け胴が洞と成り果てた。月の座であるが、秋も四句目なので「後の月」としている。

   体幹は洞となり果て後の月          萸
    遠めがねにて見やる行くすゑ        り
 空洞のものとして望遠鏡を出した。わざわざ古風な言い方にしたので人によっては遠眼鏡事件を思い出すかも知れない。

    遠めがねにて見やる行くすゑ        り
ナウ しんしんと雪の音聞くカテドラル       生
 名残裏である。これは前句にいう「行くすゑ」の景だろうか。前句「見やる」に対し「音聞く」で付けている。また、全体を見渡しここまでの展開の中で未出の「雪」で付け、締めにかかっている。

   しんしんと雪の音聞くカテドラル       生
    二十世紀の冬帽傾ぐ            羽
 打越に「行くすゑ」がある状況下で微妙だが、大聖堂だけに歴史的な陳列物などもあるのだろう。

    二十世紀の冬帽傾ぐ            羽
   蒼穹に輪を描くブルーインパルス       庵
 「ブルーインパルス」は航空自衛隊の曲芸飛行隊。一九六四年の東京オリンピック開会式で青空に描いた五輪は国民の度肝を抜いたというが、当時幼稚園生だった私の物心には残念ながら残っていない。できごととしては十月十日のことだが、連句で秋の句を出すと三句続けなければならなくなるので、巧みに季語を避けている。

   蒼穹に輪を描くブルーインパルス       庵
    赤で記せし恋猫の地図           恵
 前句の「蒼穹」もしくは「ブルー」に対し、「赤」で付けている。「恋猫の地図」が人間界の青線地帯、赤線地帯を思い起こさせもする。名残表四句目に「赤」は既出だが、描いている世界が全然異なるので問題ないだろう。ここから挙句まで春の句が続く。

    赤で記せし恋猫の地図           恵
   あしあとにひかり生まれる花の朝       子
 花の座である。花を直接愛でるのではなく、前句を受けつつひらがなを多用した「あしあとにひかり生まれる」と取り合わせることにより、幻想的な生命力が感じられる。

   あしあとにひかり生まれる花の朝       子
    みんな似てゐる四月の子ども        萸
 挙句である。新入園児もしくは新入学児だろうか。もちろん子どもはひとりひとりみな違うが、それがはっきりしてくるのはこれから始まる集団生活の中である。まずはみんな似てゐるものとして、そのエネルギーを受け止めよう。花の座の句と相まって、子どもの生命力が満ちあふれている。なお、近くに月の座があると「月」の字が気になったりするものだが、挙句であれば問題ないだろう。