2007年12月30日日曜日

三島ゆかり二千七年六十句

まだ遠き太鼓響くや初詣         三島ゆかり
喰積を寄せて一段減らしけり 
四日はや結露に至る泪かな
大根を煮て大根の香と眠る
人日のゆつくりもどす帆立かな
いちぐわつの愛は窓まで及びけり
襟巻と髪からあふれ顔ひかる
踏切の向かふも田んぼ春浅し
研究社理科大揺るる春の水
終はりある遊びばかりの遅日かな
春陰や伝票のうはうどんのう
カチューシャに電流のある鳥曇
ヘンゼルがまた食べてゐる春の闇
人間に生まれて蛍烏賊を見る
丸ふたつあれば目玉や鳥雲に
正確にふふふと笑ふ花の昼
マンガから吹き出してゐる欠伸かな
越後屋が鉛筆舐める夜半の春
鴎外の皆死ぬ話卯波立つ
からだから生えてゐるもの夜半の春
野遊びの電波はコニー・フランシス
ソックスに法律のある夏来る
豚を打つ力石徹あをあらし
釣銭を釣りをる笊や夕薄暑
日記から始まつてゐる五月闇
日記から虹日記から雲の峰
膏薬を塗りあふ父母や枇杷ふとる
鼠よりながき鼠の尻尾かな
メアリーが襖を食べる梅雨入かな
梅雨に入るフランク・ロイド・ライトかな
恋人が妙な音出す旱梅雨
もろきうのやうにつかれてゐるひとと
烏賊くさき感熱紙吐く訃報かな
肩が凝るほどの胸でもなくて梅雨
黒南風を遊ぶ去年の糸瓜かな
ホルンから彼が液抜く夕薄暑
二階から兄降りてくる羽蟻の夜
カルメンの穴といふ穴薔薇を挿す
馬つなぐ少年を呼ぶ夏の月
宵宮の牡に対せば牝となり
闇を行くわたくしといふ花氷
背の高き姉と電柱さみだるる
なほ太る江夏豊の端居かな
素つぴんで麦酒を買ひに行きにけり
森伊蔵岡田以蔵と明急ぐ
厚揚げのやうな寝台明易し
大台に乗つてしまへば夏の雲
だらだらと夏ゆふぐれのファクシミリ
海の日の土蔵相模の模型かな
電波いま明日の天気を夜の秋
老いてなほうつくしき女医さるすべり
戒名に水金地火木秋立ちぬ
眼中に一枚ありて鱗雲
右に寄る男の重さ蚯蚓鳴く
ピアノ弾く腕の重さや烏瓜
夜長よりながき夜なべとなりにけり
脚力の一部を冬の灯かな
本といふ物体重き師走かな
しづかなる化石燃料冬の雨
公転の終はりを目指す師走かな

2007年1月1日月曜日

白澤弓彦句集(2)

 この句集は二部構成になっていて、第一句集をまるまる採録した後半と、それ以後の句からなる前半となっています。

前半:「蜻蛉の道」1994年~2005年の句を年ごと。
後半:第一句集『銅鑼(GONG)』(全)
 『銅鑼(GONG)』から立ち止まった句。

種を蒔くむかし岩波文庫かな     白澤弓彦
永き日の人よりねむき眠り猫
鍋釜のそれぞれの位置春の月
飲食の火を使ひをり雛の家
群青を画布にあまさず夏の潮
夏の航青で交はる海と空
銅像のどれも大きく土佐は夏
人いれていよいよみどり影濃くす
牛の鼻日本の夕焼殺到す
父と子に渚は遠し夏帽子
虹消えて虹の半島残りけり
短夜やつぎつぎ開きし埴輪の目
生まれたる木を蝉の木として鳴けり
月光やもののかたちのあらたまり
ぬばたまの寒泉静か水を練る

 他に目を引くものとして、「父の木」の二句。「人間一個」の三句。

父の日のてつぺん高き父の木ぞ  白澤弓彦
父の日の父の木目覚めをりにけり

 「父の木」とは何なのか、グーグルで検索したのですが、よく分かりませんでした。ご存じの方は、ご教示頂けると幸いです。

人間一個かりんの一個ころげ出す 白澤弓彦
人間一個秋風の底にあり
鬼胡桃人間一個さびしいか

 「かりん」の二句前に「天地の間実篤かぼちや一つあり」があり、こちらは武者小路実篤の『一個の人間』に依るもののようです。

 ちなみに白澤弓彦は少なからぬ忌日俳句を残している点でも印象的です。

小さめのコーヒーカップ啄木忌     白澤弓彦
茅舎の忌氷一片口中に
地球儀の海の濃くなる四迷の忌
東経百三十五度のチョコレート足穂の忌
草田男忌虹全円に描きけり
風呂敷の結び目ほどく一葉忌
一の橋二の橋渡り三島の忌
折鶴の金の暗さよ茅舎の忌
人間といふ乾きし山河原爆忌
みづいろの表紙の本や西鶴忌
受付で我が名呼ばれし楸邨忌
田園に自由の存す菜の花忌
翔つ鴨の陰吹かれをり青畝の忌
たつぷりと青き墨磨る楸邨忌
草田男忌雨大粒に太平洋
極楽と名づけしバケツ茂吉の忌
非常口より富士山見ゆる太宰の忌
砂浜に巨き犬をり蛇笏の忌
原爆忌火は人間の闇照らす
混沌のいのちのあふれ楸邨忌