2006年12月31日日曜日

白澤弓彦句集

 ここ数日、ひとからお借りした『白澤弓彦句集』(邑書林)をエクセルに打ち込んで過ごしています。「蜻蛉の道」の227句を写し終わったところ。闘病中に自身の遺句集を編む心境というのは、どのようなものなのでしょうか。胸を打ちます。
 以下、伝記的事実はともかくとして、立ち止まった句。

雪に雪重ねて雪の時間あり       白澤弓彦
雛の顔後ろふり向くことのなし
一の橋二の橋渡り三島の忌
探梅のいつしか海に出でにけり
手帳には春夕焼を見しとのみ
黒揚羽鉄のごとくに止まりけり
約束の火の色ともす烏瓜
電気には電気のことば冷蔵庫
ほうほうと柚子湯の柚子に挨拶す
白といふ静かな音や梅ひらく
探梅やみな空仰ぐ人ばかり
海へ行く用事のひとつ石蕗の花
ホースの水これより虹になる途中
手毬唄十より海の音聞こゆ
島ひとつ寄せくるごとし春渚
コスモスのコスモスゆゑに揺れにけり
陸封の岩魚に海の記憶あり
ひたすらに華厳の滝となりて落つ
大空へ消えゆく人や富士登山
まだ青きナイターの空月昇る 

 タイトルの「蜻蛉の道」は「洛中洛外図蜻蛉の道のあり」に依るものと思われますが、読み進むにつれ「死の淵にをり蜻蛉の集り来」に出会い、はっとさせられます。
 繰り返し現れる「雪の朝空を歩きし人の影」「空歩む人のごとくやかきつばた」「冬銀河空中庭園人歩む」といった句に現れる空へのあこがれも感慨深いです。

三島ゆかり二千六年五十句

落ちるとき目方さだまる椿かな       三島ゆかり
半身の線をあらはに涅槃西風           
大脳のここがキッチン鳥雲に
植木算もちゐグラジオラス植ゑる
機械あり春のうれひに発達す
春天は金魚すくひのごと白し
春昼のしづかにまはる光りもの
はじまりは遺伝子により花曇
この国を花冷えといふ気団かな
予報では花曇りのち花の雨
覚えある香ほのか花の雨上がる
花冷えを隔てて書架の並びをり
上下巻同じく厚き花の夜
クローンのただ待つてゐる夕桜
帯電する桜並木や遅刻坂
吹き溜まる花の屑さへあたたかし
散りどきの花は裾より青みたり
はじまりは此処にあらずや飛花しきり
夜の雨の花終はらせる音しづか
カーテンに影上下して四月かな
神棚のやうな巣箱となりにけり
はつなつの風の名前を考へる
びつしりと揺るるものなき五月闇
葉桜といふもはばかる黒き幹
からつぽのものみな丸き黴雨かな
〆切のやうな黒南風刻々と
鳴くまでの黒き日和や鳩時計
梅雨の日のせせらぎの音滝の音
まどかなるクリームソーダ隙間なし
のぼり来る線香花火のしづくかな
頬杖の肘を払はれ向日葵落つ
火にかけて医食同源秋に入る
政治部の窓に朝顔すましをり
美しき肌一枚の秋めけり
脱げばもうスカートでなき夜長かな
乱れ飛ぶテレビの電波赤とんぼ
合鍵を持つまでもなき鰯雲
彼に訊くアイドルのこと鰯雲
シャンプーを言ひ当てられる良夜かな
長月や前掛け重きレントゲン
注射器を持たぬ手で持つ秋の腕
細胞に悪の組織や夜半の秋
朗読の真空管の灯りけり
器にも穴のあるなし秋黴雨
この山と空がことり舎小鳥来る
恋人の水晶体で占へり
小鳥来るカフェのメニューのイタリア語
秋深しフローチャートに韓国語
小春日や花のかたちの角砂糖
極月や首都に日陰の有り余る

2006年10月31日火曜日

100題100句

100題100句、あらためて題つきで。題詠というのは創作というよりは受注生産に近い世界ですね。これはこれで楽しいものです。

001:風     半身の線をあらはに涅槃西風           ゆかり
002:指     花烏賊の間違つてゐる指づかひ
003:手紙    永き日の物理的には手紙かな
004:キッチン  大脳のここがキッチン鳥雲に
005:並     歳時記や平年並みの鳥曇
006:自転車   自転車のきはどき裾の丈や春
007:揺     びつしりと揺るるものなき五月闇
008:親     近親のあぶなきものを土用干
009:椅子    偉さうな椅子向合ひて梅雨の入
010:桜     葉桜といふをはばかる黒き幹
011:からっぽ  からつぽのものみな丸き黴雨かな
012:噛     梅雨寒や歯のなき口で乳首噛む
013:クリーム  まどかなるクリームソーダ隙間なし
014:刻     〆切のやうな黒南風刻々と
015:秘密    夫には秘密の結社釣忍
016:せせらぎ  梅雨の日のせせらぎの音滝の音
017:医     火にかけて医食同源秋に入る
018:スカート  脱げばもうスカートでなき秋彼岸
019:雨     傘持たぬ雨女ゆゑ鰯雲
020:信号    信号の赤澄んでゐる夜長かな
021:美     美しき肌一枚の秋めけり
022:レントゲン 長月や前掛け重きレントゲン
023:結     濾胞性結膜炎や小鳥来る
024:牛乳    牛乳に白きいのちや雁渡し
025:とんぼ   ぎらぎらと首都にとんぼのおほきかな
026:垂     胃下垂の位置あらためる新酒かな
027:嘘     残暑なほ嘘と知りつつ百日紅
028:おたく   歳時記を集めるおたく木の実降る
029:草     太陽の真つ赤に燃えて草雲雀
030:政治    政治部の窓に朝顔すましをり
031:寂     静寂や引力により柿落ちる
032:上海    上海に天竺飯店秋の暮
033:鍵     合鍵を持つまでもなき鰯雲
034:シャンプー シャンプーを言ひ当てられる良夜かな
035:株     株主のたなびいてゐる秋の空
036:組     細胞に悪の組織や夜半の秋
037:花びら   とれるまで花びらでなき寒椿
038:灯     夜の霧を探照灯の直進す
039:乙女    コンベアに俯く乙女紫苑かな
040:道     行く秋の道なき道を恋の道
041:こだま   こだまSuicaひかりを待つてゐたるかな
042:豆     蚕豆のやうな顔から光線銃
043:曲線    ゴンベルツ曲線となる囮かな
044:飛     渋柿の飛沫をあげてをりにけり
045:コピー   受験票に写真のコピー不可とあり
046:凍     宇宙では冷凍人間を食べる
047:辞書    辞書になき意味の朝立ち芋の露
048:アイドル  彼に訊くアイドルのこと鰯雲
049:戦争    戦争のきつかけを待つ菊日和
050:萌     いつせいに少年萌ゆる都かな
051:しずく   のぼり来る線香花火のしづくかな
052:舞     秋の夜の伸び縮みする舞曲かな
053:ブログ   夜の虫のやうにブログの響きをり
054:虫     虫五匹ほどの革命起こりけり
055:頬     頬杖の肘を払はれ向日葵落つ
056:とおせんぼ ももんがのとほせんぼするかたちかな
057:鏡     鏡像の話しかけたる神の留守
058:抵抗    馬肥ゆる可変抵抗詩人かな
059:くちびる  三日月のやうなくちびる釣り五円
060:韓     秋深しフローチャートに韓国語
061:注射    注射器を持たぬ手で持つ秋の腕
062:竹     抱籠の結婚すれば竹夫人
063:オペラ   天高しオペラと違ふミュージカル
064:百合    族をなし噎せ返りをる夜の百合
065:鳴      鳴くまでの黒き日和や鳩時計
066:ふたり   十月のふたりで雨戸閉めにけり
067:事務    事務員の手練手管や秋黴雨
068:報     情報の漏洩したる崩れ梁
069:カフェ   小鳥来るカフェのメニューのイタリア語
070:章     章・賞と左右対称天高し
071:老人    俳人に老人多し秋の空
072:箱     箱に入ることもなくなる夏木立
073:トランプ  切れぬならトランプをすな秋の雨
074:水晶    恋人の水晶体で占へり
075:打     打楽器の売場にカスタネットかな
076:あくび   歳時記にあくびのなくて明急ぐ
077:針     針の穴通るボールや秋の暮
078:予想    予想外妊娠と告げられし秋
079:芽     ものの芽のバレーボールを呼び寄せり
080:響     子規ならば交響曲をいくつ書く
081:硝子    硝子吹き線香花火やや思ふ
082:整     整とんのとんが分からぬ大掃除
083:拝     拝島に行つたことなき秋麗
084:世紀    行く秋の世紀末ゆゑ化粧濃き
085:富     黄落やまた騙される富司純子
086:メイド   舌を巻くリヴィングラヴィングメイドかな
087:朗読    朗読の真空管の灯りけり
088:銀     銀行の達者な和訳鶏頭花
089:無理    螻蛄鳴くや無理数といふ無理な数
090:匂     秋や酒匂川が読めぬてふ句を読みにけり
091:砂糖    小春日や花のかたちの角砂糖
092:滑     色鳥や滑車と梃子のない暮らし
093:落     性欲のなき落書きや銀杏散る
094:流行    流行の一夜で変はりななかまど
095:誤     誤字脱字添付ファイルもなくて春
096:器     器にも穴のあるなし秋黴雨
097:告白    告白の後の廊下の夏に入る
098:テレビ   乱れ飛ぶテレビの電波赤とんぼ
099:刺     刺青を刺身にしたる秋の暮
100:題     天気さん100題100句ありがとう

2006年5月8日月曜日

稲妻を手にとる

例えば私たちの句会にこんな句が紛れていたら、どうでしょう。

   稲妻を手にとる闇の紙燭かな 

 肯定するにせよ否定するにせよ「稲妻を手にとる」の強烈な措辞が批評の対象となり大いに盛り上がるはずです。
 ところがこの句、実は芭蕉の句で「李下に寄す」という前書きがあり、李下とは芭蕉の深川の庵に芭蕉(植物)を贈った人で、「お前の句風は、たとえていえば、闇を照らす紙燭として、あの大空の稲妻を手にとったかのごときあやしさがあるようだ」の意、とのことです(加藤楸邨『芭蕉全句 上』(ちくま学芸文庫)による)。まことに五七五の裏に隠された伝記的事実は、句を見ただけでは分かりません。
 古いテキストを読むときは、それなりの心構えと準備がないと手には負えないということを、改めて実感する今日この頃です。

   はつなつの風の名前を考へる  ゆかり

2006年4月22日土曜日

帆を張れり

 正木浩一に引き続き、同じ「沖」同人の作品から最近出版された、うまきいつこ句集『帆を張れり』(邑書林)を紹介します。集中気に入った句を数えたら六十句以上に及びました。私のこの記事が新たに句集を手にする人の喜びを汚してしまわぬよう、なんとか最小限の紹介にとどめたいと思います。
 ひとことでいうと、眼に映る日常を独特の感覚(ユーモアというべきか身体感覚というべきか)で新鮮に捉え直し、それを正確に俳句に記述することができ、それにより人生がプラスの方向に回転して行くという、作者と俳句と幸福な関係にあることを思わせる句群です。

包丁と砥石痩せあふ晩夏かな   うまきいつこ
耳たぶを吸はせ仔猫の養母たり
板一枚隔てて湖を踏めり夏
ボール逸れては匂ひたつ紫蘇畑
啓蟄の空井戸の蓋ずれてをり
冬草や乳牛顎を鍛へをる
麦を踏む大地の凝りをほぐしつつ
薫風を聴き分けてゐる馬の耳
一人づつ遠き眼をせり掻氷
真夜灯す動物病院鬼やらひ

 作者とは面識がないので、こんな立ち入ったことを書いてよいのか分かりませんが、恐らくは大切な方を亡くされた深いかなしみを押さえて書き留められたであろう、

永眠の睫に翳り秋燈下

の前で立ち止まるとき、作者と俳句とのめぐり合わせ(=俳句のある人生)に思いを馳せないわけには行きません。

カーテンに影上下して四月かな ゆかり

お~いお茶

 ペットボトルのお茶では福寿園・伊右衛門が好きでずっと飲んでいたのですが、もう少しまろやかなのもいいかなと思い、伊藤園・お~いお茶・静岡茶(季節限定商品)を試してみました。たいへん美味しいです。で、お茶の味もさることながら、いまだに俳句が続いているのですね。

    春の空ゆっくりゆっくり雲動く 前田里菜 9歳  

この句、素晴らしいです。いくつかの点で子どもとは思えないくらい見事です。

①「春の空」:季語をいれてごらん、と言って「春の○○」はなかなか出ません。しかも、この切れ字を持たない切れは句全体を見渡したときに大変効果的です。
②「ゆっくりゆっくり」:五七五で作ってごらん、と言って中八のゆるんだリフレインはなかなか出ません。
③「雲動く」:この助詞を省略して厳しく韻律に収めた表現はなかなか出ません。中八のゆるみに対しこの厳しさを持ってくるバランス感は尋常ではありません。

 なみの子どもなら「春の空」が出たとしても「春の空ゆっくり雲が動いてる」くらいが関の山です。きっと前田里菜ちゃんは、おそらくはご家族に俳人がいて卓球の福原愛選手のように幼少の頃から厳しいトレーニングを受けているに違いありません。将来を楽しみにしています。

はじまりは此処にあらずや飛花しきり ゆかり

2006年4月13日木曜日

正木浩一句集(その2)

 ややトリッキーな句を中心に紹介したいと思います。俳人ならではの発想というか、俳人でない人に共感を得られるのかよく分からない種類の句ばかりを、あえて選びました。

稲光水に隙間のなかりけり   正木浩一
鳶の乗る空気重たき二月尽
柚の香の柚をはなるる真闇かな
凍りては水をはなるる水面あり
早蕨を映さぬまでに水疾し
春暁の薄闇に眼を泛かべたる
水の面と知らず落花の動くまで
風と水触れて水の香白菖蒲
永遠の静止のごとく滝懸る
明滅の滅を力に蛍飛ぶ
羅におくれて動くからだかな
急がねばならず黄落夜を降る
岬山の鳶を揚げたる淑気かな

 このような句を、いかにもな類型と考えるか、しびれるかは人によって異なると思いますが、私はだんぜん後者です。

覚えある香ほのか花の雨上がる ゆかり

2006年4月11日火曜日

正木浩一句集

 ひとつ前の記事で「発句というものは、作者の名前や伝記とともに理解されるべきものなのでしょうか。五七五という世界最短小の韻文詩形は、そんなに脆弱なものなのでしょうか」と書きましたが、『正木浩一句集』(深夜叢書社)を読みました。
 正木浩一は正木ゆう子の兄で平成四年没。この句集は正木ゆう子編の遺句集ということになるわけですが、飾り気のないボール紙の函に収められた序文も跋文もない句集は、句がすべてを語るために周到に用意された最良の体裁といえるでしょう。

  陽子
寒き世に泪そなへて生れ来し 正木浩一



夜の雨の花終はらせる音しづか ゆかり

2006年4月8日土曜日

かるみ

 『俳句の世界』、芭蕉のくだりは読み終わりました。また少し引用します。

態度と作調(トーン)とは、原因と結果との関係に当たる。閑寂に深まってゆく態度から生まれる作調が「さび」であり、繊細な態度で鋭く穿ち入る態度から生まれる作調が「ほそみ」であり、情感と柔順に融けあってゆく態度から生まれる作調が「しほり」であった。しかし、態度としての「かるみ」は、ひとつの境地に足を留めないことだから、特定の作調になるとは限らない。
(中略)従来、多くの研究者が精細な論究を試みながら、いまだに「かるみ」の意味が決定されないのは、作調としての「かるみ」を特定しようとしたからにほかならない。

 「流行」といい「かるみ」といい、晩年の芭蕉の思索の深まり方は尋常ではありません。

 しかしながら、伝記的に思索の深まりと作風の変化を捉えてゆく方法は、その意義や重要性を認め敬意を払いつつも、私は実作者として直感的に「変だ」と感じるところがあります。発句というものは、作者の名前や伝記とともに理解されるべきものなのでしょうか。五七五という世界最短小の韻文詩形は、そんなに脆弱なものなのでしょうか。

散りどきの花は裾より青みたり ゆかり

2006年4月5日水曜日

不易流行

 『俳句の世界』、元禄六年に至りました。途中何か所か芭蕉の文章を小西甚一が現代語に訳しているところがあるのですが、それが胸を打ちます。

 西行の和歌、宗祇の連歌、雪舟の画、利休の茶、これらを貫くものは、ただひとつである。かれらの藝術は、宇宙の無限なる「いのち」に深まり、それを表現してゆくものだから、把握するところは、ことごとく真の「美」である。この「美」がわからない者は、人間のなかまでもあまり上等の部類ではない。どこまでも宇宙の無限なる「いのち」に深まってゆくのでなくてはならぬ。

 宇宙の無限なる「いのち」とは、原文では「造化」で、「造化」とは自然のことではなく、老荘哲学に出てくる造化は、創造の無限連続とでも訳すはたらきをさす、とのことです。『モモ』に出てくる時間の花のようなものでしょうか。もう一箇所、引用します。

 俳諧には、そのときどきに移り変わってゆく表現と、いつまでも人の心をうつ変わらない表現とがある。前者を流行、後者を不易とよぶ。しかし、両者は、もともと別ものではない。いっしょけんめい真実なるものに深まってゆく人は、どうしても同じところに足をとめることができず、必然的に新しい境地へと進む。それが流行である。永遠にわれわれを感嘆させる作品は、その流行の中から生まれる。それが不易である。流行も不易も、そのもとは、どこまでも藝術の無限なる新しみへ深まってゆく「まこと」である。

 なんと真摯な姿勢でしょうか。芭蕉の句は正直よく分からないのですが、この現代語に訳された所信表明は胸を打ちます。芭蕉における流行というのは、日常会話における流行とはぜんぜん違う意味なのですね。

吹き溜まる花の屑さへあたたかき ゆかり

2006年4月4日火曜日

俳諧人口の増大

 『初期俳諧集』の巻末に「初期俳諧の展開」という解説があり、その中に「俳諧人口の増大」という章があります。

 専門俳諧師の誕生は、俳諧人口の増大に応ずるものであった。すなわち、俳諧作者の階層的拡大と俳諧の地方への普及とが、俳諧の指導を糊口の道とする職業人(プロフェッショナル)を生み出したのである。

 (中略。連歌と俳諧は別の作者によるものではなく、連歌の座がそのまま俳諧の座へ横すべりしたことと、このときに同じ階層の連歌を嗜まない人々をも俳諧に巻き込んだことの説明。)

 俳諧人口の増大は、俳諧の地方への普及によって支えられていた。それは撰集への入集状況にはっきりとあらわれている。

(中略。貞門前期の主な撰集への入集者数を国別に整理した図が、寛永十年から明暦四年までの推移を示す。)

 こうした現象はおそらく貞門俳諧の中央集権的なありように風穴をあけるものだったにちがいない。 

 なんだかマーケットを地方に求めるあたりが列強の植民地政策みたいですが、この時代、このようにして劇的に俳諧は町人に広まっていったのですね。談林が台頭してくるのはこの後です。変なところに感動して、なかなか中身の話になりませんが、『俳句の歴史』の方はいま芭蕉のところをずっと読んでいて、元禄二年までたどり着きました。

帯電する桜並木や遅刻坂 ゆかり

2006年4月2日日曜日

初期俳諧集

 『俳句の歴史』は天和三年あたりまで読み進みましたが、それとは別に図書館と書店で文献を探してみました。
 何に書いてあったのかもう忘れてしまいましたが、芭蕉復興などと盛り上がる時代は沈滞の時代なのだそうです。つまり「芭蕉えらい」と「旧習の否定」(芭蕉の場合は貞門、談林)をセットとして、沈滞を打ち払おうとする動きとなるようです。
 困ったことにわたしは、貞門や談林の句を読んでいて、妙に感じ入ってしまうのです(変なものとして引用される談林のよっぽど変なのは別ですが…)。これを否定したらわたしの存在も否定されてしまうような危機感すら覚えるのです。
 けっきょく図書館で『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(岩波書店)を借りてきました。中に『犬子集』『大阪独吟集』『談林百十韻』が収められています。

予報では花曇りのち花の雨 ゆかり

2006年4月1日土曜日

発句の発生

 変なタイトルですが、発句のみを鑑賞することは室町時代の宗祇(1421~1502)の頃にはすでに行われていて、『新撰菟玖波集』(1495)には発句の章があるということを知りました。が、それはそれとして、寛永年間に俳諧や発句が新しい階層にブレークしたというのも事実なのでしょう。『新撰菟玖波集』の方は、勅撰に準ずるとのことなので、かなり身分が高かったはずです。

花冷えを隔てて書架の並びをり ゆかり

発句の独立

 30日の書き込みにりんりんさんからコメントを頂きました。実はまったくもって私にとっても芭蕉はなかなかの難題でして、加藤楸邨『芭蕉全句 上』(ちくま学芸文庫)の巻末の「芭蕉の生涯とその発想」を読んだ後、本文を読む気が起こらず、小西甚一『俳句の世界』(講談社学術文庫)をまた読み始めてしまいました。『俳句の世界』は、おりおりの私自身の関心の方向によって、何度読んでも新しい発見があり驚かされます。
 さて、先日引用した山川の日本史の教科書はかなりさすがで「連歌の第一句(発句)を独立した文学作品として鑑賞にたえうるものに高めた」ということを書いています。現国の副読本の文学史あたりでも俳諧と俳句を区別せず俳諧が百韻とか三十六歌仙とか続くものであることをよく伝えていないものがある中で、日本史の教科書なのにしっかりとしています。
 そこで気になるのが、加藤楸邨『芭蕉全句』はなぜ発句のことしか書いていないのか、と、発句は芭蕉が独立させたのか、ということです。小西甚一『俳句の世界』には驚くべき仮説が書いてあります。

・俳諧じたいは室町時代からあったが、寛永ごろから急ににぎやかになる。
・直接的には松永貞徳がさかんに活動したこと、間接的には印刷術が発達したことが原因である。
・朝鮮出兵で活字技術を持ち帰り、江戸初期から出版が見る見るさかんになった。
・俳書もどしどし出版された。
★俳書の作成費用としては入集料をとったのではないか。
★この時代の俳書が発句を主にしたのは、なるべく多数の人から句を集めるためではないか。(=なるべく多数の人が入集料を払い、かつ購入する。現代の総合誌が作家に原稿料を払うものなのであれば、現代の考え方とは逆ですね。同じ現代でも、結社誌や同人誌のほうは、このやり方を踏襲していますね。)

 ★が小西甚一の仮説なのですが、おおいに説得力があります。このようにして印刷メディアで長大な俳諧そのものとは別に、コンパクトな発句が大量に扱われるようになり、それを背景として芭蕉が出現したということなのでしょうか。じつにわくわくする仮説ではないですか。

クローンのただ待つてゐる夕桜 ゆかり

2006年3月30日木曜日

芭蕉の背景

 俳句の世界だけで考えても時代背景が理解できないので、たまたま手許にある山川の日本史の教科書(『新詳説日本史 改訂版』1993)を参考にすると、

1592 文禄の役(文化的には朝鮮より活字印刷が伝わる)
1603 家康、征夷大将軍
1635 参勤交代(などによる幕府の国内支配安定化)
1639 鎖国の完成(ポルトガル船来航禁止)

という流れの中で、

■政治の安定と経済の発展を背景に、5代将軍綱吉(1646~1709)の元禄時代が展開した。この時代には農村における生産の発展を基盤に、都市では新興の商人が活躍し始め、武士や町人が元禄文化とよばれるはなやかな都市文化を開花させた。

となるのですね。

◇元禄文化を特色づけるものは、上方を中心に隆盛をみた町人文芸であった。それを代表するのが井原西鶴(1642~93)・松尾芭蕉(1644~94)・近松門左衛門(1653~1724)である。
 西鶴は大阪の町人で、はじめ俳諧で才気をうたわれたが、やがて浮世草子とよばれる小説に転じた。彼は現実肯定の立場から「浮き世」の世相や風俗を描き、町人が愛欲や金銭への執着をみせながら、みずからの才覚で生き抜く姿を赤裸々に写しだした。
 同じころにでた芭蕉は伊賀の武士出身で、西山宗因(1605~82)のはじめた談林風の俳諧が奇抜な趣向をねらうのに対して、さび・しおり・細みで示される幽玄閑寂の蕉風(正風)俳諧を確立し、自然のなかに人間をするどくみつめた。また連歌の第一句(発句)を独立した文学作品として鑑賞にたえうるものに高めた。芭蕉は各地に旅をして地方の武士・商人・地主たちとまじわり、『奥の細道』などのすぐれた紀行文も残した。

 つまり、世の中に余裕ができて町人に俳諧が拡がって、その中に西鶴や芭蕉がいて、西鶴は他のジャンルに転進して成功し、芭蕉はとどまって成功したということなのでしょうか。それにしても350年も前の話なのですね。ゆかり的には、奇抜な趣向をねらう談林というものに興味津々です。

この国を花冷えといふ気団かな ゆかり

2006年3月26日日曜日

はじめまして

 はなはだ不案内なのですが、このようなものをはじめました。はじめまして。俳句日記にしたいのですが、どうなるかよく分かりません。

はじまりは遺伝子により花曇 ゆかり