2006年12月31日日曜日

白澤弓彦句集

 ここ数日、ひとからお借りした『白澤弓彦句集』(邑書林)をエクセルに打ち込んで過ごしています。「蜻蛉の道」の227句を写し終わったところ。闘病中に自身の遺句集を編む心境というのは、どのようなものなのでしょうか。胸を打ちます。
 以下、伝記的事実はともかくとして、立ち止まった句。

雪に雪重ねて雪の時間あり       白澤弓彦
雛の顔後ろふり向くことのなし
一の橋二の橋渡り三島の忌
探梅のいつしか海に出でにけり
手帳には春夕焼を見しとのみ
黒揚羽鉄のごとくに止まりけり
約束の火の色ともす烏瓜
電気には電気のことば冷蔵庫
ほうほうと柚子湯の柚子に挨拶す
白といふ静かな音や梅ひらく
探梅やみな空仰ぐ人ばかり
海へ行く用事のひとつ石蕗の花
ホースの水これより虹になる途中
手毬唄十より海の音聞こゆ
島ひとつ寄せくるごとし春渚
コスモスのコスモスゆゑに揺れにけり
陸封の岩魚に海の記憶あり
ひたすらに華厳の滝となりて落つ
大空へ消えゆく人や富士登山
まだ青きナイターの空月昇る 

 タイトルの「蜻蛉の道」は「洛中洛外図蜻蛉の道のあり」に依るものと思われますが、読み進むにつれ「死の淵にをり蜻蛉の集り来」に出会い、はっとさせられます。
 繰り返し現れる「雪の朝空を歩きし人の影」「空歩む人のごとくやかきつばた」「冬銀河空中庭園人歩む」といった句に現れる空へのあこがれも感慨深いです。

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