2018年11月30日金曜日

山本掌『月球儀』を読む(6)

 次の章は「非在の蝶」。「非在」とは、存在するものが今ここにいない不在と異なり、具体物ではない抽象的な概念のことらしい。そしてこの章に蝶の句はない。

  まず地球そしてわたくし青き踏む  掌

 踏青は旧暦三月三日に野辺に出て青々と萌え出た草の上を歩き宴を催した中国の習俗に由来するが、いきなり「まず地球そしてわたくし」と切り出す。なにごとと思うが、大地があってこその草原であり、それを踏むことのできる私なのだろう。天体のスケールで「まず地球」とまで言ったところがこの作者ならではである。

  その日より冬の貌(かんばせ)はずし置く

 冬の最後の日である節分と春の最初の日である立春とでは、実際に見える景色はほぼ変わらない。にもかかわらず、俳人は立春がくれば鬼の面をはずすかのように冬を捨て置き春の句を詠むようになる。その阿呆くささを捉えた機知の句だろう。

 その次の章は「蝶を曳く」で、またしても蝶。こちらは全句が蝶の句。つまり前章は、じらし飢餓感を与えるための非在で、本章で満を持して味わえる構成となっていたわけである。

  D海峡うちかさなりし蝶の骨

 あまねく知られた安西冬衛の一行詩「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」を踏まえた句である。しかしそうとうにブラックな解釈で、その一匹以外は渡れず海峡が屍累累となっているというのだ。あえてイニシャルにしたDにはdeathの意も込められていよう。

2018年11月28日水曜日

山本掌『月球儀』を読む(5)

 次の章は「偽家族日乗」。日乗は日記のこと。章題のとおり偽家族による猟奇的な生態が淡々と綴られる。ここまで幽閉にも砒素にも美童にもすっかり慣らされて来たが、「のうぜんかずら綾の鼓はなりませぬ」「曼珠沙華幼(おさな)をたおりにゆくわいな」あたり、能や狂言の素養も要求されているようである。

  狂(た)ぶればのわれは花野の惑星よ 掌

 では接続助詞「ば」+連体助詞「の」の組み合わせは、能や狂言の素養があれば理解できるのだろうか。確信を持てずに書くのだが、これは音楽仲間だけに通じる「行かねばの娘」「買わねばの娘」の擬古典的展開ではないのか。だとすれば出典はアントニオ・カルロス・ジョビンによるボサノバ名曲の邦題「イパネバの娘」である。音楽仲間のあいだでの使われ方としては、例えば絶対欲しいCDを指して「私それ、買わねばの娘です」などという。この句の作者がメゾソプラノ歌手ということであれば、応用として「狂(た)ぶればのわれ」くらい大いに言いそうである。ちなみにこれを書いている時点で、作者山本掌と筆者三島ゆかりは面識がないので、まったくさだかではない。

2018年11月27日火曜日

山本掌『月球儀』を読む(4)

 次の章は「危うきは」。これまでの二章ほど章のタイトルは明示的でない。字足らず、字余り、宗教語、会話体、命令形、擬態語などを技のデパートのように繰り出してくるが、無意味の散乱ではなく、生の孤愁とでもいうべきものの表現に総体的に向かっている。また伝統的な連句とは違うマナーで前後の句を何かしら関連を持たせて配列しているようである。章の最初の四句を見てみよう。

  樹下春光内耳たどれば地中海   掌
  パピルスの文字は眠りぬ青葉騒
  聖五月そっと言の葉屋上に
  繭透けてうすむらさきのさざなみ


 地中海→パピルス→言の葉、と連想のパスが渡され、繭のなかのいまだ発語しない(字足らずな)生命体に及ぶ。
 続いて章の最後の五句を、もう少しつぶさに見てみよう。

  銀漢の星のひとつを旅という

 宇宙全体としては摂理であるが、そのひとつひとつのありようは多様で旅というべきドラマが繰り広げられている。

  銀漢にわれは牛飼う漢(おとこ)かな

 通常の連句なら同語で付けることはしないものだが、連句ではないのでそこは指摘すべき点ではない。ひとつの旅として牽牛織女の故事を持ち出している。沢田研二「危険なふたり」の歌詞、「今日までふたりは恋という名の旅をしていたと言えるあなたは年上の人」(安井かずみ作詞)を思い出したりもする。

  白帝の罪咎われを教唆せよ

 前句とは「われ」で同語反復している。「白帝」は陰陽五行説に基づいた擬人化による秋の異名であるが、擬人化できるものには罪も咎もあるという捉え方が面白い(だって、秋ですよ…)。

  見よここに惑乱のごと秋の火蛾

 形式的には前句の命令形を反復するとともに、いかにも白帝の罪咎であるかのように、無実の蛾がおのれを火に投じる。火蛾の「が」は、名詞でありながら、「見よ、ここに○○が」という倒置の文体を音韻的に補完している。もしくは音韻的に導かれて収まった語が「火蛾」である。

  危うきはたとえば露のおもきこと

 この章の挙句である。露といえば王朝和歌的無常観において消えやすい、はかないものの代表であるが、ではどう消えるのか。前句の火からの連想で干上がることを思えば露の玉が大きいほど干上がらないわけだが、今度は逆に落下して落ちる危険が大きくなる。よかれと思うことは時として逆の結末を招き、それもまた無常である。そしてそれもまた白帝の罪咎なのかも知れない。

2018年11月24日土曜日

山本掌『月球儀』を読む(3)

 次の章は「禽獣図譜」。実在の動物に限らず、鵺、迦陵頻伽、一角獣、火喰獣(サラマンドル)なども登場する。猿嫁、猿王あたりはちょっと分からない。出典があるのかも知れないし、その辺の人間社会のことなのかも知れない。また「青き馬」「群青の馬」「青き鷹」「青麦」「青水無月」「青海亀」と、青への固執もしくは偏愛も感じられる。そんな中、鮎の四句がただならぬ飛躍を見せる。

  若鮎の骨美しき宇宙塵     掌
  寵童を殺めし信長鮎を食う
  鮎食べて天球の半径を測る
  月球儀鮎の動悸のおくれけり


 なんと四句のうち三句は天体との取り合わせとなっている。年魚の異名が示す通り鮎は一年で一生を終えるので、そういう意味では惑星の周期に思いを馳せる引き金となっているのかも知れない。句集のタイトルの由来であろう月球儀の句、「動悸」が「同期」の同音異義語であることに注目しておこう。俳句の世界では同音異義語など注目に値しないことかも知れないが、この作者は朔太郎の写真とコラボするような人なので、油断ならないのだ。

2018年11月21日水曜日

山本掌『月球儀』を読む(2)

 次の章は「双の掌」。「掌」は作者自身の名前でもある。手や指を中心とした連作であるがどの句にも必ず手が出てくる訳ではない。そのあたり作者の美意識によってゆるやかに連結されているようである。「掌」から「磔刑」「ゴルゴダのイエス」などが導かれたりもするが、連作は意外な結末に向かう。最後の三句をみよう。

  寂静や人体直立歩行より   掌

 寂静は仏教用語で「煩悩(ぼんのう)を離れ苦しみを絶った解脱(げだつ)の境地。涅槃(ねはん)。」とのこと。ついでながら前章「さくら異聞」中の瞋恚も仏教語であった。特定の宗教の立場ではなく、作者の詩情のほとばしりによってあるときは磔刑となり、あるときは寂静となるのだろう。

  われ眠る月の柩に仰臥せり

 「月の柩」という措辞が世俗を離れ比類なくうつくしい。そして柩のなかにあって死とは言っていない。「われ眠る」なのだ。前句「寂静」から導かれたイメージの広がりなのだろう。連作ならでは味わいである。

  月光の贄なるわれの生死かな

 前句のパラフレーズであるが、生け贄とか鳥葬とかが頭をよぎりつつ「月光の贄」の静謐さを思う。そんな今際の時もよいかも知れない。





 参考までに柩に寝るというだけなら先行句として例えば以下がある。

  寝棺より眺む風花かと思ひ 清水径子
  棺に寝て朝顔へ人走らする    同

 清水径子も独特の死生観を詠んだ俳人だが、後者は息を引き取ったばかりのあわただしさを故人に転嫁したユーモラスにして万感の追悼句だろう。

2018年11月20日火曜日

山本掌『月球儀』を読む(1)

しばらく山本掌『月球儀』(DiPS.A)について書く。
(著者にご恵送頂きました。ありがとうございます。)
 最初の章は「朔太郎・ノスタルヂア」と題され、萩原朔太郎が撮影した写真六枚と山本掌の句のコラボとなっている。朔太郎の写真は初めて見たが、ここで使われている多くは茫洋とした不思議なものである。わりとくっきりしたものでは「大森駅前の坂道」という一枚があるが、ひと気のない白昼の坂道と石垣を遠近法の構図で捉えたもので、それはそれで夢のようである。右側の高台は光の関係でほぼ影となっている。例えばその一枚に添えられた句は以下。

  影なくす唇(くち)に秋蝶触れてより 掌

 このように写真を説明する訳でもなく、付けられている。秋といえばものの影がくっきりとする季節であるが、幻想の入口であるかのように、倒置で「影なくす」と切り出している。

 次の章は「さくら異聞」。三部に分かれ、さくらにまつわる四十句が収められている。「日月流離糸をたぐればさくらかな」で始まり「白馬(あおうま)のまなぶたをうつさくらかな」で終わるが、四十句全体がひとつの世界でそこから一句を切り出して鑑賞したりするものではないのだろう。憎悪、瞋恚、妬心、殺意などの激しい感情が妖艶に移ろい、美童が打擲され臓器がゆらぐ。
 
(続く)

2018年11月4日日曜日

愛着と執着の「を」

 そうこうしているうちに大野晋、丸谷才一『日本語で一番大事なもの』(中公文庫)にたどりついた。「天ざかる鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」を検索したら、個人でこの本の索引を作っているサイトにヒットしたのだった。87年に出版され90年に文庫化された本で、その時分には私はまだ俳句をやっていなかった。いや、仮にやっていたとしても、題名を見ただけで「けっ」と言って近づかなかったに違いない。「てにをは」を中心に日本語の助詞について徹底的に解剖するじつにディープな対談で、丸谷が聞き手に回り大野が解説するスタイルとなっている。
 「を」については<愛着と執着の「を」>という刺激的な章題となっていて、見出しを拾うと<目的格の「を」><経由の場所、時間を示す「を」><接続助詞の「を」><『新古今』的な「を」><「ものを」の意味><「ものゆゑ」「ものから」のむずかしさ>と続く。

丸谷 強調とか詠嘆とかの「を」ですね。
大野 いろいろな意味が入っているわけです。論理的な目的格であるという機能だけでなくて、それ以外に、それに対する愛着であるとか、執着であるとか、承認であるとかが「を」にはあるんです。原則として「を」には、それがあることを認めておくと、助詞の「を」を理解するときに、非常にわかりやすいと思います。

という原則があって、さまざまな「を」について語り尽くしている。おそろしい。

 「を」についてはさておき、<「……のごと」から「……のごとし」へ>というくだりもある。「こと降らば袖さへぬれて通るべく降りなむ雪の空に消(け)につつ」を引き合いに、「同じ降るのだったら」という歌の解説の後、以下のように続く。

大野 (前略)ですから、「こと」というのは、「同じ」という意味です。それで「夢のごと」「今のごと」は、この「こと」の頭が濁ったもので、「今のごと」は、現代語では、「今と同じ」ということになります。(中略)「ごとし」という形容詞は、この「ごと」に形容詞語尾「し」をつけたものです。

 ひえ~、なんということ。私は俳句しか知らないので、俳句の中で見かける「ごと」について、定型の要請で「如し」を勝手に縮めたものだと思っていたので、認識を新たにした。逆だったんだ。いろいろ目からうろこが落ちる本である。


2018年11月3日土曜日

人麻呂は「を」とは書いていない

 ふたつ前の記事で「を」について書いた。岩波古語辞典で「移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示す」用法の用例としてあげられていたのは以下の二首。
「天ざかる鄙の長道恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」<万三六〇八>
「長き夜独りや寝むと君が言へばすぎにしひとの思ほゆらくに」<万四六三>

 後者は 直前に家持が妾の死を悼んだ歌があり、それに対する弟書持(ふみもち)が応えた歌とのこと。

  今よりは秋風寒く吹きなむをいかにか独り長き夜を宿(ね)む 家持 <万四六二>

 家持の歌では「を」が二回出てくるが、 「吹きなむを」のほうは順態の接続助詞とのこと。書持がオウム返しすることになる「長き夜を宿む」がくだんの用法。

 一方、前者のほうはいささか事情がややこしい。人麻呂に先行歌がある。

  天ざかる夷(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋ひくれば明石の門(と)より大和島見ゆ 人麻呂<万二五五>

 <万三六〇八>のほうは新羅使等が船上で吟誦した古歌で、茂吉『万葉秀歌』によれば「此は人麿の歌が伝わったので、人麿の歌を分かり好く変化せしめている」とのこと。つまりオリジナルは「を」ではなく「ゆ」なのだ。この「ゆ」について久松潜一 『万葉秀歌』には次のようにある。

 赤人の「田子の浦ゆ」も同様であるが、田子の浦のばあいは田子の浦からどこへということもないので、しだいに田子の浦にの意味になってきたが、この歌のばあいは進行を表わす「ゆ」であることがはっきりしている。しかし巻十五の歌(ゆかり註、<万三六〇八>のことでは「長道を」となっているが、これは語感からいうと人麻呂のすぐれた語感が失われている。

 なお、人麻呂の歌は『新古今集』にもえらばれているが、久松によれば「恋ひ」が「漕ぎ」に変わり、以下となっている。

  あまざかるひなのながぢをこぎくれば明石のとより大和しまみゆ

 ここでも「ゆ」ではなく「を」であり、どうやらそのようにして 「移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示す」用法の「を」が定着していったのではないかと思われる。