掲示板で巻いていた連句が満尾。
覆へるとも花にうるほへ石のつら 大岡信
ひかりをまとふ木々の囀り ゆかり
上海の地番に春の風抜けて 銀河
摩天楼にて蟹を楽しむ 伸太
踊るひとつぎつぎふえる月あかり 槐
孫三たりとのメイル爽やか 令
ウ 校庭に朝顔からみつく木馬 媚庵
たがひちがひに灯すランタン れいこ
森といふ夢の過剰を鎮めをり り
窓に記憶を残しさよなら 河
山男マッキンリーから帰らざる 太
凍てし月より石を拾はむ 槐
最大の平面の夢受胎すと 令
今朝のうたこそ生の賜物 庵
付喪神つれて質屋の旗の下 こ
泡立つてゐる発語本能 り
掃除機に吸ひ込まれゆく花の闇 河
いそぎんちやくのひと日は過ぎぬ 太
ナオ 春の野に燃やす記憶と現在と 槐
新聞社にて訳す英文 令
バンカラの一高生が辞書を食ふ 庵
おおそれみよと揺れる桟橋 こ
海鳥は下から上にまぶた閉ぢ り
雪の純白くぐる恍惚 河
食卓に置かれ真珠のネックレス 太
汝が泣くときの宝石のこゑ 槐
重信と苑子に夜の訪問者 令
浪漫渡世遠く秋立つ 庵
ファザーネン通りをおほき月のぼる こ
途絶えがちなる夜寒の電波 り
ナウ お辞儀して太古の汗を拭かずゐる 河
アンモナイトの生れて大陸 太
あをいろの点描で描く友のかほ 槐
うたげあたたか孤心を生きて 令
朝といふ朝の窓辺にひらく花 庵
蝶うつろへる折々のうた こ
起首:2017年 4月7日(金)
満尾:2017年 4月24日(月)
捌き:ゆかり
2017年4月24日月曜日
2017年4月14日金曜日
(17) ロボットに伝記的事実はあるか
老人と別れてからの真冬かな
まずは句会のルーティーンに従って、作者匿名で読んでみよう。「…からの真冬かな」というもの言いは季節の推移を感じさせるので、老人と別れたのは少し前のことだろうとは察しがつく。では「老人」と作中主体の関係は? あるいは「別れる」とは「生き別れ」なのか「死に別れ」なのか? 「生き別れ」であるなら、例えば徒弟制度の厳しさがいやになって飛び出したが社会の厳しさに直面し、いかに自分が師である老人から庇護を受けていたかを思い知らされた「真冬」なのか。また「死に別れ」であるなら、故人の人柄を偲ぶにつけその不在が「真冬」なのか。いずれの読みも可能だし、句そのものが具体的事実を消し去り、読者によってどうとでも受け取れるような作りになっている。句にはとにかく「老人と別れてからの真冬かな」としか書いてないのだ。
そろそろ作者を明かそう。作者は橋閒石。この句は八十九歳で上梓した第十句集『微光』の最後の句で、句集上梓の数ヶ月後に閒石は他界した。全集には『微光』以後の六五句が載っているものの、掲句が周到に用意された辞世の句と言って差し支えないだろう。句集のタイトル『微光』は集中の「体内も枯山水の微光かな」による。函から出した句集本体は、つや消しの黒の紙張表紙に銀の字でタイトルと作者名をあしらっていて、なんとも生命の薄明かりを感じさせる。また、同じ句集の中には「人も物云う蛋白質に過ぎずと云える春の人」「銀河系のとある酒場のヒヤシンス」といった巨視的な句も見受けられる。
それらを踏まえて掲句をもう一度見てみよう。すると作中主体は作者の魂で、「老人」とはまもなく捨てることになる人間の肉体なのではないか、という可能性に気づく。そんな間近に迫る魂の「真冬」。いかにも閒石の辞世の句らしいではないか。しかしながら、しつこいようだが、句には「老人と別れてからの真冬かな」としか書いてない。
「はいだんくん」は連載を進めながら、俳句的思考とともにそのアイデアをロボットに盛り込むという体裁をとっている。「ノート」にバージョンアップの情報を記載しているわけだが、いつしかそのノートが「はいだんくん」の伝記的事実として、それを読むことによりロボットの句の読みが一変してしまう事態に至るのだろうか。
(『俳壇』2017年5月号(本阿弥書店)初出)
まずは句会のルーティーンに従って、作者匿名で読んでみよう。「…からの真冬かな」というもの言いは季節の推移を感じさせるので、老人と別れたのは少し前のことだろうとは察しがつく。では「老人」と作中主体の関係は? あるいは「別れる」とは「生き別れ」なのか「死に別れ」なのか? 「生き別れ」であるなら、例えば徒弟制度の厳しさがいやになって飛び出したが社会の厳しさに直面し、いかに自分が師である老人から庇護を受けていたかを思い知らされた「真冬」なのか。また「死に別れ」であるなら、故人の人柄を偲ぶにつけその不在が「真冬」なのか。いずれの読みも可能だし、句そのものが具体的事実を消し去り、読者によってどうとでも受け取れるような作りになっている。句にはとにかく「老人と別れてからの真冬かな」としか書いてないのだ。
そろそろ作者を明かそう。作者は橋閒石。この句は八十九歳で上梓した第十句集『微光』の最後の句で、句集上梓の数ヶ月後に閒石は他界した。全集には『微光』以後の六五句が載っているものの、掲句が周到に用意された辞世の句と言って差し支えないだろう。句集のタイトル『微光』は集中の「体内も枯山水の微光かな」による。函から出した句集本体は、つや消しの黒の紙張表紙に銀の字でタイトルと作者名をあしらっていて、なんとも生命の薄明かりを感じさせる。また、同じ句集の中には「人も物云う蛋白質に過ぎずと云える春の人」「銀河系のとある酒場のヒヤシンス」といった巨視的な句も見受けられる。
それらを踏まえて掲句をもう一度見てみよう。すると作中主体は作者の魂で、「老人」とはまもなく捨てることになる人間の肉体なのではないか、という可能性に気づく。そんな間近に迫る魂の「真冬」。いかにも閒石の辞世の句らしいではないか。しかしながら、しつこいようだが、句には「老人と別れてからの真冬かな」としか書いてない。
「はいだんくん」は連載を進めながら、俳句的思考とともにそのアイデアをロボットに盛り込むという体裁をとっている。「ノート」にバージョンアップの情報を記載しているわけだが、いつしかそのノートが「はいだんくん」の伝記的事実として、それを読むことによりロボットの句の読みが一変してしまう事態に至るのだろうか。
(『俳壇』2017年5月号(本阿弥書店)初出)
ラベル:
ロボットが俳句を詠む
2017年4月6日木曜日
七吟歌仙 炒飯の巻
掲示板で巻いていた連句が満尾。
炒飯の仕上げに煽るレタスかな らくだ
ガスを止めればあとは囀り ゆかり
しやぼん玉垣根の外へ流れ出て 媚庵
歩む舞妓の美しき鬢髪 伸太
三味の音の絶えて更待月昇る まにょん
闇深々と蟄虫咸俯す 七
ウ 青銅の鼎に入れてくわりんの実 令
素描の前に削るえんぴつ だ
尖塔の屋根裏にある女中部屋 り
汗にまみれた下着散らばる 庵
蒼穹の白き機体を消ゆるまで 太
キングコングの棲むあの孤島 ん
北緯35度最東端と標識に 七
青田道ゆく大八車 令
引越のどこかで失せし日記帳 だ
旧悪を知る友の集ひて り
野良犬が花を見上げる昼下がり 庵
ぶらんこ触れて尾ののの字なる 太
ナオ 晩春の常寂光土は無人にて ん
プロメテを呼びまづ火を点す 七
阿波木偶の眼のにらむ蔵のなか 令
やや早すぎるチャチャチャのリズム だ
雪の夜の姿勢矯正器2型よ り
慈母のごとくに眠る山脈(やまなみ) 庵
村興しさては文金高島田 太
以下省略と手紙に書いて ん
長き夜のながき言葉のアナグラム 七
外郎売の提げる瓢箪 令
よろこんで罰杯受くる月の宴 だ
畏れ知らずの少年少女 り
ナウ 制服の紺自転車の銀光る 庵
向日葵までの熱き語らひ 太
珈琲はおかはり自由カフェの午後 ん
すみずみにまでのどかな光 七
花降れば船頭の櫂ゆつくりと 令
厨の窓を過るてふてふ だ
起首:2017年 3月10日(金)
満尾:2017年 4月 6日(木)
捌き:ゆかり
炒飯の仕上げに煽るレタスかな らくだ
ガスを止めればあとは囀り ゆかり
しやぼん玉垣根の外へ流れ出て 媚庵
歩む舞妓の美しき鬢髪 伸太
三味の音の絶えて更待月昇る まにょん
闇深々と蟄虫咸俯す 七
ウ 青銅の鼎に入れてくわりんの実 令
素描の前に削るえんぴつ だ
尖塔の屋根裏にある女中部屋 り
汗にまみれた下着散らばる 庵
蒼穹の白き機体を消ゆるまで 太
キングコングの棲むあの孤島 ん
北緯35度最東端と標識に 七
青田道ゆく大八車 令
引越のどこかで失せし日記帳 だ
旧悪を知る友の集ひて り
野良犬が花を見上げる昼下がり 庵
ぶらんこ触れて尾ののの字なる 太
ナオ 晩春の常寂光土は無人にて ん
プロメテを呼びまづ火を点す 七
阿波木偶の眼のにらむ蔵のなか 令
やや早すぎるチャチャチャのリズム だ
雪の夜の姿勢矯正器2型よ り
慈母のごとくに眠る山脈(やまなみ) 庵
村興しさては文金高島田 太
以下省略と手紙に書いて ん
長き夜のながき言葉のアナグラム 七
外郎売の提げる瓢箪 令
よろこんで罰杯受くる月の宴 だ
畏れ知らずの少年少女 り
ナウ 制服の紺自転車の銀光る 庵
向日葵までの熱き語らひ 太
珈琲はおかはり自由カフェの午後 ん
すみずみにまでのどかな光 七
花降れば船頭の櫂ゆつくりと 令
厨の窓を過るてふてふ だ
起首:2017年 3月10日(金)
満尾:2017年 4月 6日(木)
捌き:ゆかり
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