2017年10月25日水曜日

七吟歌仙 実むらさきの巻


掲示板で巻いていた連句が満尾。

 
   快晴の明けや式部の実むらさき   銀河
    開渠の果てを秋の水門     ゆかり
   校庭の無月に栗鼠の眠るらん    伸太
    前へならへの列へ初蝶      由季
   評判の草餅求め小半日       ぐみ
    滝音しげき春の夕焼      あんこ
ウ  片方は逆さの赤いハイヒール    苑を
    ラストシーンは西部劇調      河
   暗がりに少年のこゑ木霊して     り
    階段といふ生命の螺旋       太
   文豪の机の横の蚊遣香        季
    受賞をはばむ紙魚のふるまひ    み
   きしきしと面接室へ昇降機      こ
    凍へる月の欠片を拾ふ       を
   なかば座しなかば惟ひて息白く    河
    いかん菩薩になつてしまふぞ    り
   空缶を連れての旅の花筏       太
    犬猿雉と今も友達         季
ナオ 春深く鬼に貰ひしこぶ二つ      み
    けふの日記は短く終はり      こ
   町中の電氣が消えてしまふ夜     を
    おとなたちにはきつとわかるさ   河
   岸めざすイルカの群れに囲まれて   り
    朱墨の海に師の志         太
   夏痩せて播磨屋橋を行き戻り     季
    土用に伸びる暖簾のうの字     み
   仙人とさしつさされつ屏風岩     こ
    けむりの如くゑのころの群     を
   金曜のファッションモール昼の月   河
    はや冬物をお揃ひで買ふ      り
ナウ ちと語り相合傘の傘寿行く      太
    先端恐怖症の看護師        季
   白い窓白い子犬に白い椅子      み
    遠く聞こゆる正午のチャイム    こ
   花なのか花守なのか立ち尽くし    を
    特急すすむかぎろひのなか     河

起首:2017年 9月26日(火)
満尾:2017年10月25日(水)
捌き:ゆかり

2017年10月14日土曜日

(23)節という概念についてもう少し

 前回の記事はロボットの改造の話と、「節」という概念を導入する話が錯綜し、後者が多少説明不足だったかも知れない。要は単語レベルではなく、もっと大きな節でざっくり俳句を捉えることにより、句型・節・単語という入れ子構造として、三段階のかけ算でできあがる句のバリエーションが広がるということだ。で、「古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉」は主語+述語という普通の文章のかたちではなく、首名詞節+連体修飾節+尾名詞節という俳句独特のかたちであることに着目したのだった。

 思えば二年前この連載は以下の句型から始まった。
  ①ララララをリリリと思ふルルルかな
  ②ララララがなくてリリリのルルルかな
  ③ララララのリリララララのルルルルル
連載八回目で種明かししたとおり、それぞれ摂津幸彦、橋閒石、飯田龍太の句が元になっている。

  露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 摂津幸彦
 一見主語と述語がありそうだが、節で分解すると連体修飾節(12)+尾名詞節(5)である。「古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉」には首名詞節と尾名詞節があることにより二物衝撃を構成していたが、こちらは見かけ上一物からなる。「露地裏を夜汽車と思ふ」と続いたものはすべて「金魚かな」に連体修飾として連なる。外形的に連なっているのに意味的に切断があるというのが、俳句ならではなのだ。

  階段が無くて海鼠の日暮かな 橋閒石
 「階段が無くて」が期待する「困る」とか「落ちる」とかがなく、解決しない副詞節となっている。副詞節(8)+尾名詞節(9)である。述語がないのに副詞節があるということが俳句的なのだ。

  一月の川一月の谷の中 飯田龍太
 首名詞節(7)+副詞節(12)。主語的な「一月の川」が副詞的な「一月の谷の中」にリフレインの調べで連結しているが、述語がない。これも俳句ならではだ。

 もちろん主語と述語がきちんとある句もある。

  夏草に機罐車の車輪来て止る  山口誓子
 「夏草に」は主語に先行した目的語であり「機罐車の車輪」が主語だが、述語はふたつの動詞をたたみかけていている。「機罐車の車輪」は中七としては字余りなのに格助詞の省略と動詞のたたみかけによって、句としてみごとに着地を決めている。誓子だからできることだ。こういう句に出会うと、これまでに作ったロボットをすべて破壊したくなるのだった。


(『俳壇』2017年11月号(本阿弥書店)初出)