2010年12月31日金曜日

六吟歌仙・折鶴の巻

掲示板で巻いていた今年12巻目の連句が連衆の皆さんのお力により予告通り年内満尾。


六吟歌仙・折鶴の巻

   折鶴と星と触れ合ふ聖樹かな     ぽぽな
    手順どほりに点すストーブ     ゆかり
   童顔の国たつ汽車を待ちわびて     ぐみ
    県境の山越える草の実         恵
   万華鏡みれば無数の三日月       銀河
    眼帯のまま利酒に行き         篠
ウ  ハスキーな声で相槌うつ女        な
    セーターといふ青き山なみ       り
   片恋の北の宿にも春来たり        み
    光零るる海女の足元          恵
   むつくりとこは驚きの蜃楼        河
    スフィンクスから謎をかけられ     篠
   英雄は罪人となり夏の月         な
    あれぐろばるばろがりれおがりれい   り
   ベーコンと金平糖を買ひ忘れ       み
    卒業の朝五分刈りにする        恵
   花時の窓にペルシャの涙壺        篠
    子猫たずねるポスターの辻       河
ナオ 聞き覚えある声のして目が覚めて     篠
    外出前と帰宅直後と          河
   ぢかに口つけてミルクの紙パック     恵
    ひとり暮らしの名は悟空なり      み
   不如意にて伸び放題のものばかり     り
    アフロディーテの髪に潮風       な
   悪といふこと知らざるがパラダイス    河
    酸いも甘いもうたかたの日々      篠
   コスモスを渡され触るる指の先      恵
    色鳥あまた電気みなぎり        り
   親と子と寄り添ひて行く十三夜      み
    記憶の糸をやさしく手繰る       な
ナウ 雪降つて人形の目のあをあをと      篠
    アツカンがよくハシも器用に      河
   忍術のたしなみもなく歳かさね      り
    亀の甲羅の濡れて春めく        み
   花の雲こはさぬやうに息をして      恵
    西に東に光りゆく風          な

起首:2010年12月25日(土)04時50分17秒
満尾:2010年12月31日(金)23時06分1秒
捌き:ゆかり

2010年12月18日土曜日

四吟歌仙 目覚めればの巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。


四吟歌仙 目覚めればの巻

   目覚めればとんと冬めく水辺かな     ぽぽな
    白き息吐き波立つ川面         ゆかり
   かさばれるメシエカタログ広げ見て  ざんくろー
    知らない国の切手をはがす       のかぜ
   執事しか入れぬ部屋の窓に月         な
    紅茶美味しき夜長始まる          り
ウ  八朔にくちびる寄せてよく分かる       ー
    預ける背に蜜語の響き           ぜ
   明日からはもう先生と呼べません       な
    石膏像の白目おそろし           り
   現実の浸食される火山灰           ー
    すべなく過ぎる夏の語らひ         ぜ
   地球儀にポツダムの位置確かめて       な
    西瓜番にも抑止力あり           り
   強情の静まり返る秋の沼           ー
    あかね蜻蛉の離散集約           ぜ
   幾千の花の莟は夢想する           な
    野良にもなれず望む鳥の巣         り
ナオ 諸葛菜教への窓辺後にして          ぜ
    へべれけとなり次ののれんへ        ー
   海老蔵が来たので誰もゐなくなる       り
    丑三つ時の闇はいたづら          な
   朔月に嘯くガレのひとよ茸          ぜ
    いかれた白い象の導き           ー
   カラー版江口寿史のポーズ集         り
    また使ひ方間違へてゐる          な
   頬被り今はレゲエのニット帽         ぜ
    おいらん淵で腰をくねくね         ー
   仙人は月から落ちて火の玉に         り
    見ないふりしてもろこし齧る        な
ナウ 左手馬手野分荒ぶる夢のあと         ぜ
    日米安保の傘を開きて           ー
   三猿のやうなこと言ふ片時雨         り
    付き合ひの良き新入社員          な
   歯車の回り始める花筵            ー
    ピッチカートで弾く春の野         ぜ

起首:2010年11月18日(木)
満尾:2010年12月18日(土)
捌き:ゆかり

2010年12月3日金曜日

六吟歌仙 さながらにの巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。

六吟歌仙 さながらにの巻

   さながらに落ちゆく鮎のながめかな  ざんくろー
    崩れ簗には億のたましひ        ゆかり
   有明の月に福助頭を下げて         痾窮
    ふつと目をやる鏡台のうへ         七
   ぷるぷるとサプリメントの効き目あり    銀河
    冷蔵庫から琥珀のゼリー         苑を
ウ  真鶴のつがふ到達不能極           ー
    二億六千年前の海             り
   頂上に化石見つけるパリサイ人        窮
    バベルの塔を登り続けて          七
   タラの芽をまづ撮つてから御飯ですよ     河
    シャガール色に染まるきさらぎ       を
   淡月の幽かな記憶届けられ          ー
    ひたと寄り添ふ送り狼           り
   玄関に熊の親父の懐手            窮
    山姥の呼ぶ声木霊して           七
   長月のここ豪州に三分咲き          河
    珍種の虫に生まれ変はりぬ         を
ナオ ゆふぐれの危険を灯し烏瓜          り
    足早になる呪文を唱ふ           ー
   ハンプティダンプティどこここはだれ     七
    真夜のお城の長ききざはし         窮
   国道を北へ向かつてひた走る         を
    凍土のゆるむ日も来たりなん        河
   東郷といふ麦酒にて乾杯し          り
    幸と不幸を満たす撃鉄           ー
   島々の棚田を染める秋夕焼          七
    蛤となる雀をかしき            窮
   猫の目に波にただよふ月を見る        七
    毒とおもふな石見銀山           河
ナウ 語り部の背から雪の降りはじむ        を
    赤いショールと乙女の因果         ー
   占ひのテレビを消して家を出る        り
    つちふる中をざわめく鴉          窮
   夜の花の近づくほどに遠のきて        を
    元気をもらふ丘のはるかぜ         河

起首:2010年11月 3日(水)18時27分51秒
満尾:2010年12月 3日(金)07時13分55秒
捌き:ゆかり

2010年10月29日金曜日

六吟歌仙・虫の音の巻

掲示板で巻いていた連句が満尾。


六吟歌仙・虫の音の巻

   虫の音の堆積したる地層かな     ざんくろー
    とろみを帯びて白き銀漢        ゆかり
   指先で月を西へと引き寄せて       あとり
    南船北馬風の吹くまま          ぐみ
   春遅々と音の割れたる蓄音器         ー
    笑へる山に投げるかはらけ         ゆ
ウ  三姉妹喋りでしやばりたまや吹き       あ
    上海の夜のシャンパンの泡         み
   纏足の靴に魅入られ路地の奥         七
    いけない君が身繕ひする        のかぜ
   バオバブの木の下でする初キッス       ー
    根を張つてゐる仙腸関節          ゆ
   標本の鰭きよらかに夏の月          あ
    学究肌で趣味は聞香            み
   灰形の景色に蝶の舞ひ降りて         七
    風が撫でるよ草青む野辺          ぜ
   薄紅に微笑み花の帰る頃           ー
    負けてくやしいじやんけんロボット     七
ナオ ゆふぐれをパイナツプルと駆け上がる     ゆ
    カタリナ飛行艇の着水           あ
   セイレンのま白きレース寄せ来たり      ぜ
    祈りに似たる毛糸編むさま         み
   谷に降る雪を眺めて一人酒          七
    雛の使ひは赤めいた鼻           ぜ
   みいちやんが歩き続けて百千鳥        ゆ
    春蝉の弾く変ロ短調            ー
   おしなべて男同士の捕虫網          み
    菊人形に誘はれてゐる           あ
   金銀糸錦の衣映す月             ぜ
    絵皿を揃へ色鳥を待つ           七
ナウ けもの道なすこともなく猫来る        ゆ
    窓ふるはせてお琴の稽古          ー
   汀にて韻を拾へるうたの海          ぜ
    眠い眠いと笊の飯蛸            あ
   東雲の呼気に吸気に花開く          み
    発光体の春野なりけり           七

起首:2010年 9月19日(日)
満尾:2010年10月29日(金)

2010年10月23日土曜日

伊藤白潮句集『ちろりに過ぐる』

 新旧お構いなしに読むので、今となっては入手困難な句集について書くこともあるかも知れませんが、今回読んだのは、故伊藤白潮の第五句集『ちろりに過ぐる』(角川書店 2004年)。
 この句集、おおいにはまりました。一句一句がずどんと来ます。また、曰く言い難い諧謔がたまりません。句集は、四季により青陽の章、朱明の章、白蔵の章、玄帝の章に分かれ、さらにその中が平成八年から平成十二年に分かれるという、ちょっと変わった構成になっています。
 さっそく青陽の章から見て参りましょう。

一川の遡上をゆるす斑雪の野 伊藤白潮

 遡上しているのは作者の視線でしょう。雪の残る野のゆるい景の中、川がきらきらと下流から上流に向かって見渡せる、そんな感じだと思いますが、音の響きが絶妙で、「いっせんのそじょう」という漢語の厳しい響きと「はだれのの」という和語のゆるさの対比が生き、なによりも「ゆるす」の措辞が絶妙です。

接木して晩節全うするごとし
菊根分その他一切妻任せ


 園芸の趣味があったのでしょうか。ものすごく集中する部分とそれ以外のありようが、じつに人間くさくて楽しいです。

桜恋ひ症候群をこじれさす
夜桜をくぐり血小板減らす


 なんなのでしょう、この医学用語の詩的利用。「桜恋ひ症候群」という造語が楽しく、「血小板」の句に至っては、なんだか分からない妖しさがあります。それとも怪我をしただけなのかな。

逃水を割り込ませゐる車間距離
逃水も女も追ふに値ひせり


 このあたり、じつに言い難い諧謔を感じます。

書斎派の夜は居酒屋派春一番
阿乎乃太と品書きされし岬亭


 お酒の句がずいぶんあります。お好きだったのでしょう。じっさいそう品書きにそうあったのでしょうけれど、阿乎乃太は何? あおぬた?

(続く)

2010年9月9日木曜日

お祝ひ歌仙・点るの巻 満尾

 掲示板で巻いていた小林苑をさん句集『点る』上梓お祝ひ脇起し歌仙・点るの巻が満尾しました。

   遡るやうに夜店の点りけり            苑を
    水風船の決めかねる色            ゆかり
   ぽつぽつと五線に音符書き込みて          七
    顔出してゐる可愛い悪魔           ぽぽな
   月高く肝胆照らしあふ仲を            銀河
    しろがねの文字菊の香りも           ぐみ
ウ  てのひらにいのちのやうに蓮の露          七
    祝言之儀の山粧ひて           ざんくろー
   ご馳走が運ばれるたび平らげる           な
    ギネスブックに名をとどろかせ          河
   透ける紙表紙にかけていとほしむ          み
    夏の月借り栞にしませう             七
   雨夜でもなきををのこの四人(よたり)寄り     令
    猫ぢや猫ぢやが踊りたくなる           り
   幽霊も名のりを上げて出でたりし        のかぜ
    中央線にて時空超えむと             み
   隕石の落ちたるといふ花の森            河
    春の苺を妹と摘む                七
ナオ 覗きこむ三稜玻璃に光る風             令
    いちめんのあを耶蘇教のそら           ぜ
   水無月は感情論で流されて             ー
    えんやこら今夜も棹をさす            り
   メケメケの面影いづこ黄色髪            み
    四分の一は父の父の血              り
   永遠にこの日の八時十五分             河
    混める通学バスに抱きあふ            令
   一途なる恋の終点見当らず             み
    お辞儀の多きハンドパペット           ぜ
   夕暮のテーマパークに月ありて           な
    鞄いつぱい鰯雲詰め               七
ナウ 旅に出て柴又思ふ秋の末              み
    凍る銀河に犬橇の道               河
   外套のフードに隠す編み巻毛            ぜ
    卒業したら都会に行くの             な
   約束を封印したる花ひとひら            を
    遺伝子により生まれつぐ蝶            ー

起首 2010/07/03
満尾 2010/09/09
捌き 三島ゆかり

2010年9月4日土曜日

お祝ひ歌仙・夕立の巻 満尾

掲示板で巻いていた月野ぽぽなさん現代俳句協会新人賞受賞お祝ひ脇起し歌仙・夕立の巻が満尾しました。

   一心に空の崩れる夕立かな       ぽぽな
    青汁となる刈りたての草       ゆかり
   晴ればれとピアノに向ふ人ありて     ぐみ
    色なき風をつかまへる指        苑を
   逆立ちに見る月のなほまどかなる      令
    運動会の明日がたのしみ        銀河
ウ  おむすびも私の母と父の母       のかぜ
    箸さへ忘れただ二人きり         み
   あらぬとこくすぐる睫毛とれかかり     AQ
    ががんぼのごと果ててしまへり      り
   大空といふ天井に月涼し          な
    第七官界彷徨うてみる          七
   標識のこのまま行けば教会に        河
    積もれる罪は爪で剥ぎ取り        ぜ
   ゆでたまご乗せてサラダを元気にす     を
    恋患ひの二月礼者は       ざんくろー
   向き合うてたちまち匂ふ花衣        を
    紐ひいて消す春の電灯          り
ナオ プードルと五番街へと足早に        み
    やつと見つけた明日のスターさ      河
   どこまでも青信号が続きます        七
    子らの歌声つつむ寒晴          令
   やはらかき日に鴬のぎこちなく       AQ
    春を動かすからくり時計         を
   東風吹かば調律師呼ぶピアニスト      七
    眠れる森の獅子を起こせよ        み
   谷川に紅葉黄葉と湧きかへり        河
    祝ひの膳のために剥く栗         を
   月の野の宴にぽぽと鳴る鼓         み
    白い化粧をみんなしてゐる        な
ナウ お豆腐に鎹(かすがひ)かけてとどまりぬ  ぜ
    一字あたへて店開かせる         河
   雪豹の足跡辿る冒険譚           七
    はやる心に晴れ渡る空          AQ
   神々の代よりたゆまず花愛でて       な
    記憶をゆるす夜のふらここ        ー

起首 2010/07/19
満尾 2010/09/04
捌き 三島ゆかり

2010年8月8日日曜日

2010年7月19日月曜日

六吟歌仙・托卵の巻 満尾

掲示板で巻いていた歌仙が満尾しました。

   托卵の殻わる音やほととぎす      銀河
    母なるものの動く夏暁       ゆかり
   私がダム湖の底に沈みゐて    ざんくろー
    遠くにお墓参りの人々       ぽぽな
   月に触れ風の数知る摩天楼       ぐみ
    コーヒーカップにとまる秋蝶     苑を
ウ  団扇置く手の傾きを撮られをり      河
    水のかたちのオブジェの気持ち     り
   さみだるる三階婦人服売場        ー
    美しすぎていまだ独身         な
   空を飛ぶ夢ひたすらに雄孔雀       み
    微熱のやうな雨にふられて       を
   凍月を曳いて北極海の波         河
    写実的なる聖ニコラウス        り
   春昼を偶像のまま置き去りに       ー
    次から次へシャポン玉ゆく       な
   息止めて落花の渦に逆らはず       み
    立ち食ひ蕎麦に七味たつぷり      を
ナオ 快速の大垣行きにひとり乗る       り
    顔立ちしかと焼きつけて来ぬ      河
   もういちどだけ会ひたいと藍浴衣     な
    水羊羹と合鍵持つて          ー
   膝枕して伯剌西爾を応援す        を
    浅草つ子の陽気な産婆         み
   雷を起こし源内捕らはるる        り
    まさに歴史の動くからくり       河
   日めくりをめくり八月十五日       な
    はがきハイクの黍嵐来て        ー
   戯れをせむと嫦娥を招き入れ       を
    魚拓のやうな恋の凸凹         み
ナウ 老いらくの抜き差しならぬ掘炬燵     り
    灰掻き立てる銀の火箸も        河
   回廊のどこかに時の亀裂あり       を
    色混ぜぬやう初虹渡る         み
   花の香をふりまきながら女神たち     な
    春たけなはを統べる世界樹       ー

起首 2010/06/21
満尾 2010/07/19
捌き 三島ゆかり

2010年7月11日日曜日

小林苑を『点る』

 小林苑を『点る』(ふらんす堂)は、著者による第一句集。経歴に記載された生年は目を疑うが、「凧むかし子供に焼野原」という句もあるのでほんとうなのだろう。
 
 白地に銀色で北村宗介氏の書をあしらった素晴らしい表紙を開くと、最初の五句は以下。

   空室の壁に麦藁帽子の黄    苑を
   天道虫飛んでしつかり朝御飯
   横濱茶房白南風の映る匙
   赤茄子をがぶりと休暇始まりぬ
   群青の水着から伸び脚二本

 なんと五句中四句まで「黄」「白」「赤」「群青」と色を詠み込んでいる。装丁からすでに周到に苑をワールドは始まっていて、白を基調とする装丁を開くと、読者は一気にカラフルな世界に身を投じることになる。そのためのイントロダクションとしての白を基調とする装丁なのである。帯の櫂未知子の引いた句が奇しくも「こころ惹かれて色鳥の名を知らず」。実に楽しい。

 そして句の配列がこれまた実に周到で、連句への造詣も深い著者ならではの味わいがある。もちろん句集なので連句のマナーそのもので並んでいる訳ではないのだが、配列へのこだわりがびんびん伝わってくる。例えば、

   群青の水着から伸び脚二本

の次は「二」つながりで

   遠泳の母の二の腕には負ける

そのつぎは「ひとりぽつち」となり

   背泳ぎのひとりぽつちといふ浮力

そのつぎは消滅する。

   奇術師のまんまと消えるソーダ水

実に巧妙な配列である。冒頭の八句だけでこれだけ楽しめるのだから、後は言うに及ばずである。これは大いにはまる。

【追記】
掲示板にて句集『点る』上梓記念興行「お祝ひ歌仙・点るの巻」が進行中です。ぜひご参加下さい。
(もうひとつ「托卵の巻」というのも同時に巻いておりますが、こちらは六吟にて締切となっております。悪しからずご了承下さい。)

2010年7月4日日曜日

加藤かな文『家』

 加藤かな文『家』(ふらんす堂 2009年)は、四十代の著者による第一句集。総じてオーソドックスで生活に根ざした作風だが、時折妙に可笑しくツボにはまってしまう句が混ざる。どこか着眼点とかタイミングとかが絶妙なずれ方をしているのである。例えば「金蠅」の句、「来客」の句、「水甕」の句、「卒業生の椅子」の句、「初蝶」の句。
 
葉脈の太々とある桜餅      加藤かな文
鮎片面食うて明かりを灯しけり
巻きついて昼顔の咲く別の草
鳴く鳥と飛ぶ鳥のゐる昼寝覚
朝顔の壊れてけふも咲きやまず
小春日の坂は集まり一本に
梅雨の窓開けば幹の途中なり
海までの長き熱砂と金蠅と
こぼすもの多くて鳥の巣は光
雲の峯まぶしきところから崩る
来客の後ろに夜と裸木と
帰りには雪の花壇となりにけり
湯のやうに踝に来る仔猫かな
水甕に金魚ゐるはず冬の星
吾よりも濃き影をもつ菫かな
まつすぐに並ぶ卒業生の椅子
音のして見れば月なり春の暮
朝顔の百が力を抜いてをる
案外と野分の空を鳥飛べり
木枯や吾より出づる父の声
裸木の裸に濃きと薄きあり
燃え跡の出てくる雪の畑かな
あらはれてから初蝶のずつとゐる
数へ日や一人で帰る人の群

2010年6月26日土曜日

うたのように 1と3

 「うたのように 1」は谷川俊太郎の「かなしみ」に近いものがある。

うたのように 1
         大岡信
         
湖水の波は寄せてくる
たえまなく岩の頭を洗いながら
底に透くきぬの砂には波の模様が……
それはわたしの中にもある
悲しみの透明なあり方として



かなしみ
       谷川俊太郎

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった




 このお二人、現代詩にありがちな(と私が思っているだけかも知れない)戦争や地縁・血縁的閉鎖性と無縁な位置に立っていて、クールな抒情が好きだった。
 ついでながら谷川俊太郎の「かなしみ」は、私の中では摂取時期が近接していたせいかビートルズの比類なく美しいコーラスワーク「ビコーズ」とセットになっている。

BECAUSE
              by Lennon and McCartney
Because the would is round
It turns me on
Because the would is round

Because the wind is high
It blows my mind
Because the wind is high

Love is old,love is new
Love is all,love is you

Because the sky is blue
It makes me cry
Because the sky is blue


 この極端に単純化された歌詞を書いた頃、ジョン・レノンは俳句に傾倒していたという。ところで英語圏ではblueは悲しい色だが、谷川俊太郎の「あの青い空の波の音が聞えるあたり」の青い色はどういう色なのだろう。

 さて、散文詩「うたのように 3」は二箇所に傍線を引いていた。「私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。」「私は自由に溶けていた。」前者の一節を少し引用する。

うたのように 3
         大岡信
         
 十六歳の夢の中で、私はいつも感じていた、私の眼からまっすぐに伸びる春の舗道を。空にかかって、見えない無数の羽音に充ちて、舗道は海まで一面の空色のなかを伸びていった。恋人たちは並木の梢に腰かけて、白い帽子を編んでいた。風が綿毛を散らしていた。
 
(以下略)

2010年6月25日金曜日

うたのように 2

 実家に寄って『大岡信著作集 第一巻』を取ってきた。初期の詩集『記憶と現在』から『わが夜のいきものたち』まで九冊分を収録。

 今から三十年くらい前の私は、感動した行に印をつけたり、言葉の意味を辞書から転記したりしていたので、そういうのを改めて目の当たりにするのも、タイムカプセルのふたをあけるみたいで楽しいやら恥ずかしいやら。矢野顕子のLPの帯を切ったらしきものが栞になっていたり…。

 例えば、中原中也のパロディのような詩に二行、私がつけた!マーク。

うたのように2
           大岡信

 教室の窓にひらひら舞っているのは
 あれは蝶ではありません
 枯葉です
 
 墓標の上にとまっているのは
 あれは蝶ではありません
 枯葉です
 
 君と君の恋人の胸の間に飛んでいるのは
 あれは蝶ではありません
 枯葉です
 
 え 雪ですか
 さらさらと静かに無限に降ってくるのは
 ちがいます 天に溢れた枯葉です
 
 裸の地球も新しい衣装を着ますね
!あなたの眼にも葉脈がひろがりましたね
!夜ごとにぼくらは空の奥へ吹かれるんですね

 あ あなたでしたか 昨夜ぼくを撫でていたひと
 すみません 忘れてしまって
 だれもかれも手足がすんなり長くなって
 舞うように歩いていますね



!を含む三行、音楽で言えばブリッジのようなものだが、じつに鮮やかではないか。

2010年6月24日木曜日

文学的断章

大岡信がかつて『ユリイカ』に連載していた「文学的断章」シリーズは、「激しい断絶を含んでいて、しかも背後には繋がりが見てとれる」を散文でやろうとしていたものなのだろう。それも連句から来ていたのか。あのシリーズ、大好きだった。『彩耳記』『狩月記』『星客集』『年魚集』。のちに結構話題となった『日本人の脳』の学説をいち早く紹介したり、透明な立方体に半分葡萄酒を入れる話があったり、…。

で、『彩耳記』『狩月記』を収めた『大岡信著作集 第十三巻』を開く。滴々集によれば、きっかけは連句ではなく、書肆ユリイカの社主が亡くなって廃刊となっていた「ユリイカ」を青土社から復活させるにあたり、欠席裁判のようにして「大岡はいろいろと書き込んだノートのようなものを持っているにちがいないから、それを元にして連載を書かせよう」と衆議一決してしまったということらしい。曰く、

形式としては原題を読んで字の如く「断章」です。ひとつの主題をきりきり追求する論文ではなく、ややとりとめなくつなげられたいくつかの断章群で一回ずつを構成してゆくわけですが、純然たるアフォリズムとはまた違って、一回ごとに話題の中心になるテーマは一応あるんですね。というより、これは僕の好みでそうなってしまうのだけれど、ぶっつけに何かを書いてゆくと、おのずとその内側からある主題が喚び起こされてきて、それまでは思い及ばなかった素材を僕に思い出させてくれる。そこでそれを引っぱり出してきて主題をさらにふくらませてゆく、という方法をとっているのです。すべてがそうというわけではないけれど、多くの場合そうなっています。実は、この方法は、僕自身にとっても一大発見というに近いもので、『紀貫之』その他の、のちに書くことになる本の書き方にまで甚大な影響を及ぼしました。

と。また曰く、

連句をやったことは僕にとって、詩を書くうえでひとつの転機になりました。文章における「断章」と、詩における連句と、この二つの経験は僕の三十代の終りに生じた願ってもない新しい自己発見の機会となりました。連句の一行から次の一行への飛躍の仕方は、ちょうど「断章」で文章修行を新たに始めていた僕には大いに示唆的だったんです。時のめぐりがそのまま時の恵みになったようにも思いました。

と。

2010年6月21日月曜日

連句と大岡信

連句というと大岡信を思い出す。

--------------------------------------
少年
         大岡信

大気の繊(ほそ)い折返しに
折りたたまれて
焔の娘と波の女が
たはむれてゐる

松林では
仲間ッぱづれの少年が
騒ぐ海を
けんめいに取押へてゐる
ただ一本の視線で

「こんな静かなレトルト世界で
蒸留なんかされてたまるか」

仲間ッぱづれの少年よ
のどのふつくら盛りあがつた百合
挽きたての楢の木屑の匂ひよ
かもしかの眼よ
すでに心は五大陸をさまよひつくした
いとしい放浪者よ

きみと二人して
夜明けの荒い空気に酔ひ
露とざす街をあとに
光と石と魚の住む隣町へ
さまよつてゆかう

きみはじぶんを
通風孔だと想像したまへ
ほら いま嵐が
小石といつしよに吸ひこまれてゆく
きみの中へ

ほら いま煤煙(すす)が
嵐になつてとびだしてくる
きみの中から

さうさ
海鳥(うみどり)に
寝呆けまなこのやつなんか
一羽もゐないぜ

泉の轆轤がひつきりなしに
硬い水を新しくする
草の緑の千差萬別
これこそまことの
音ではないのか

少年よ それから二人で
すみずみまで雨でできた
一羽の鳥を鑑賞しにゆかう
そのときだけは
雨女もいつしよに連れてさ

河底に影媛(かげひめ)あはれ横たはるまち
大気に融けて衣通姫(そとほり)の裳の揺れるまち
おお 囁きつづける
死霊(しれい)たちの住むまちをゆかう

けれど
少年よ
ぼくはきみの唇の上に
封印しておく
乳房よりも新鮮な
活字の母型で

「取扱注意!」

とね

--------------------------------------
 『大岡信著作集 第三巻』(青土社。1977年)より引用。この著作集には各巻「滴々集」という自作を語る書き下ろしもしくは談があって、こんなことを大岡信は言っている。
 
 連句をやっているうちに、僕自身の詩に大きな影響が出てきました。それは、明確な手触りのあるイメージが出てこないような行は書けなくなってしまったということ。同時に各行の間に大きな断絶と飛躍がある詩でないと自分で満足できなくなっちゃったんですね。これは僕にとって、結局のところは非常にいい影響だったと思います。『悲歌と祝祷』に収めた詩は、雑誌などに発表した当時には、違った形だったものが多いんです。時期的に早いものには相当手を入れましたが、その手の入れ方の基本原則は、今言ったようなことです。だらだらと長い詩を書くのはいやになっちゃった。それから、激しい断絶を含んでいて、しかも背後には繋がりが見てとれる、そういう詩を書こうとした。この詩集は、僕のそういう意図が強く出ていると思いますが、読む人には緊張感を要求するものになっているかもしれません。しかし僕は、それはそれでいいと思っているんです。
 
 
 
 
 この「滴々集」を、今このタイミングで読めたのは私にとってラッキーでした。そういう目でこの「少年」を見渡すと、皆さん、いかがですか。

2010年6月12日土曜日

満尾二巻

杉落葉地球の底の薄暑かな   ざんくろー」をふたつに割って始まった掲示板にて巻いた歌仙二巻が立て続けに満尾。

●六吟歌仙 岬の巻
   初夏の地球の底の岬かな       ざんくろー
    南の風に羽を置く鳶          ゆかり
   指揮棒は輪を描き序曲高らかに       ぐみ
    贋作もある展覧会の絵         あとり
   月光のスポーツカーで盗人来         令
    斜に反りたるドカヘル案山子      のかぜ
ウ  横顔の曼珠沙華咲きそろひては        ー
    十四五本もアリス頬張る          ゆ
   ボクサーの元彼ジャブの優しくて       み
    をとこにもある乳首とふもの        あ
   二人には少し小さいバスタブで        令
    反比例する孤立曲線            ー
   ほうたるが雨引きとりて月もやふ       ぜ
    箪笥から出す吾子の臍の緒         ゆ
   黒髪の奇術ベガスに艶然と          み
    女神の問へる金銀の斧           あ
   よき人によからぬ人に花の降る        令
    いたしてをるか殿さまがへる        ぜ
ナオ 松平定知告ぐる四月尽            ゆ
    生まれながらに時の記念日         ー
   バス停のダイヤグラムに余白あり       あ
    床の間の絵はアボカド一個         み
   宅配のピザ屋が笑顔こしらへて        ぜ
    木喰仏が咳をしたかと           令
   宙返り何度もできる自由律          ゆ
    たましひだけはいつも真ん中        ー
   左右から叩かれてゐる漫才師         あ
    和太鼓の音に石榴裂け行き         み
   鄙里の棚田三四と昇る月           ぜ
    行方もしらず草の絮とぶ          令
ナウ 相部屋となることもある神の旅        ゆ
    ひとりのときは北枕して          ー
   入江から離れて浮かぶ測量船         ぜ
    甃のうへまで野火のけぶれる        令
   石灰の白ひとすぢに花の道          あ
    巣立ちの時ぞ夢のそれぞれ         み

起首:2010/05/15
満尾:2010/06/06
捌き:ゆかり

○六吟歌仙 杉落葉の巻
   しんなりと杉落葉敷く薄暑かな    ざんくろー
    遠近法でのびる初夏          ゆかり
   黒馬の真つ暗な谷渡り来て        あとり
    銅鑼華やかにキホ-テは旅         七
   満月のまるで鏡の浮かぶやう        銀河
    化粧廻しもすつかり馴染み        ぐみ
ウ  ちいママに会ひに行きたる虫の声       ー
    来夢来人のとなりはC'est La Vie       ゆ
   ペディキュアを舐めてごらんと歓喜天     あ
    伊藤晴雨の筆痕なぞり           七
   大蛸を浮き彫りにする針地獄         河
    座頭市なら英訳もあり           み
   左手のけん玉で突く夏の月          ー
    くたびれ果てた緑のフェルト        ゆ
   唐三彩千年垂るる釉の音           あ
    雲雀料理はゆふべの残り          七
   郷愁の詩人あゆめる花の岸          河
    横目に映る競漕の水尾           み
ナオ 三角のPLAYボタンを押してみる        ゆ
    踊り始める荻野目洋子           ー
   青春の光と影の遠のいて           七
    スカイツリーが日に日に伸びる       あ
   武蔵恋ふお通に涙夏芝居           み
    水田に映るつばくろの喉          河
   調律の仕事次第に高まりぬ          ゆ
    関ヶ原より干戈の響く           ー
   痩せ犬に婆娑羅なドラマ脚色し        七
    フローリングに秋扇置く          あ
   後の月姉の真似するみそつかす        み
    塀のきはにも細き鶏頭           河
ナウ 悠然と猫の長さで猫歩く           ゆ
    メトロノームはアンダンティーノ      ー
   火星での再会約すアロハシャツ        み
    象形文字に還る淡雪            河
   石盤に指滑らせば花咲けり          七
    ぐいと紅ひく春は曙            あ

起首:2010/05/15
満尾:2010/06/12
捌き:ゆかり

2010年5月12日水曜日

六吟歌仙・葱坊主前線の巻

   葱坊主前線きたる峠かな       あとり
    六年生と帰る春昼         ゆかり
   排水も紋白蝶をわたらせて        令
    アトランティスの迷路あらはる ざんくろー
   寝待月市松人形立ちつくし       ぐみ
    水蜜桃に入れる包丁          七
ウ  ここだくに光集めて下り梁        あ
    愛のことばはいつもひらがな      ゆ
   土曜午後歩きながらのキスなども     令
    一夜にのびるジャックと豆の木     ー
   碧眼のおそるおそると掘炬燵       み
    火口に降りるネネムは笑ふ       七
   折り返すズボンの裾に夏の月       あ
    天界鏡に金の大陸           ゆ
   分類は四十番の二としたる        令
    七といふ名の当世女          ー
   風待つな花を散らすな茉奈と佳奈     み
    蜃気楼へとバンジ-ジャンプ      七
ナオ 行く春の人体透ける許りなり       ゆ
    トンネルくぐる移動図書館       あ
   絵日記の深くに蠧魚が踊り出す      ー
    ジンタ高鳴る夕焼けの町        令
   管楽器吹けばマネの絵思ひ出し      七
    娼婦も天使少年の目に         み
   弁当の折を投げ出す汽車の窓       ゆ
    風にはためくとりどりの旗       あ
   祝日の雑居ビル群かぎろひて       ー
    お雛さん見に来てくださいと      令
   逢ふときはいつも他人の朧月       七
    狂ひ狂ひて秋の蚊二匹         み
ナウ 業しらず因果をしらず曼珠沙華      ゆ
    天金糸ひく初雁のこゑ         あ
   なめらかに寿限無となへる雪達磨     ー
    紙風船は唐櫃を発ち          令
   古文書を紐解く指にふるは花       七
    御座候と春は暮れ行く         み


起首:2010/04/09 09:55
満尾:2010/05/09 17:13
捌き:ゆかり

2010年3月10日水曜日

脇起七吟歌仙・家じゆうの巻

   家じゆうの声聞き分けて椿かな       爽波
    筒をふたする卒業証書         ゆかり
   なによりも銀色の風ひかるらむ        令
    二番手につくどさんこ競馬        由季
   開拓の村の広場に昼の月          銀河
    アップルパイの焦げてゐる皮       苑を
ウ  マスターは上手に秋草をかざり      ぽぽな
    空になりたいといふ梟       ざんくろー
   スージーと逢魔が時を待つてをり       り
    あやふくなりぬ兄人(せうと)との垣     令
   血に濡れて恋文ひらく勇魚取         季
    絵詞の島雪ふるは希れ           河
   歌舞伎座の瓦にかかる夏の月         を
    単帯など誉め合ひながら          な
   幾千も女賭場師は骰を振る          ー
    人知れずこそゆがむ骨盤          り
   ウォーキングコースを変へて花の道      令
    消費カロリーしやぼんだまほど       季
ナオ 隠れ棲む宇宙人にも春来たり         河
    屋根裏部屋に解体新書           を
   eBayのクリック音の夜もすがら        な
    黒猫きたるカロンセギュール        ー
   末裔はデッキブラシで空を飛び        り
    偏愛さるるつめたい兵器          令
   人柱決めるじやんけん粛々と         季
    三階0号室の怪談             河
   みづいろのペンキで扉塗りませう       を
    美大出てゐるボーイフレンド        な
   満ちきらぬ月を待ちたる余白あり       ー
    追伸に書く鵯のこと            り
ナウ 越えがたき坂は木の実と道祖神        令
    自転車を押し虹の彼方へ          季
   母の呼ぶ声か寝ざめの風鈴か         河
    藍の刺し子で茶巾をつくる         を
   生還を果たして花の盛りなり         な
    頷いてゐるやうな春昼           ー

起首:2010/02/26 22:24
満尾:2010/04/01 23:14
捌き:ゆかり

 波多野爽波の句を発句として、掲示板にて巻いた歌仙です。

2010年3月9日火曜日

六吟歌仙・女正月の巻

   うつつなるなゐと寒さや女正月      銀河
    御殿山には踊る裸木         ゆかり
   籐椅子に島の陽射しは音たてて   ざんくろー
    遠天めざす飛魚の意気         ぐみ
   その男月をまとひて佇みぬ        苑を
    長々し夜のほどく包帯          七
ウ  さはやかに嬲るうなじのキスマーク     河
    アンドロメダがのびちぢみする      り
   雲梯を降りて八月十五日          ー
    飢ゑも励ます夢は関取          み
   てのひらに薄紅零す茱萸の酒        を
    気まま暮らしにピリオドを打つ      七
   リクルートスーツ面接ずれのして      河
    氷河鼠の毛皮ほどにも          り
   六情を剥ぎ取られたる朧月         ー
    煮ても焼いても桑名はまぐり       み
   吹きくればあの世の匂ふ花あらし      を
    休耕田の放置されをり          七
ナオ 鼻唄をうたひ髭剃る夫のゐて        り
    あすは船出の桟橋の揺れ         河
   無人島せり落とせしは実は我        み
    ひたむきにある宇宙引力         ー
   通底器汚れ落として古物屋へ        七
    壁から生えて腕に静脈          を
   血圧の上がらぬやうな恋せよと       り
    巻尺添へるちちははの恩         河
   モンローと同じ香水着けてみる       み
    徒手空拳の八戸市議も          ー
   ねだられて月旅行への切符買ふ       七
    穴惑ひしてゐたら鞄に          を
ナウ 前世がなかつた頃の赤林檎         り
    かの大岩にたたきつけられ        河
   みんな来てギプスの脚に寄書きす      み
    雛の口もなめらかとなり         ー
   花吹雪くこの世の夢を飲みほせば      七
    五大陸から湧き上がる蝶         を

起首:2010/01/14 02:27
満尾:2010/02/20 11:07
捌き:ゆかり

2010年2月28日日曜日

氷点花しなの発

冬期オリンピックというと黛まどかを思い出す。長野オリンピック開催期間中、当時人気絶頂だった黛まどかは、果敢にもオリンピックを題材として朝日新聞の夕刊に一日一句発表していた。題して「氷点花しなの発」。

(1998/2/7) 飛ぶ夢も風切る夢も雪の中            黛まどか
(1998/2/9) 美しきシュプール残し予選落つ 
(1998/2/10) 月光へ伸び上がりゆくジャンプ台
(1998/2/12) リュージュ駆け抜く七彩(なないろ)の風となり
(1998/2/13) スノボーをキメてピアスを輝かす
(1998/2/14) ゲレンデの雀(すずめ)もバレンタインの日
(1998/2/16) アイスホッケー恋を奪(と)り合ふごとくかな
(1998/2/17) 父母(ちちはは)へ金への氷蹴(け)りはじむ
(1998/2/18) その後(あと)の男の涙冴(さ)え返る
(1998/2/19) クロカンのしんがりに縦(つ)く森の精
(1998/2/20) 金色(こんじき)の冬日を胸に飛び継げり
(1998/2/21) 花として白鳥として氷上に
(1998/2/23) 神々の山の眠りに聖火消ゆ

註 2/8,15,22は日曜、2/11は祝日のため夕刊なし。閉会式を扱った2/23の記事のみ朝刊。

 「月刊ヘップバーン」の頃の黛まどかは、ことあるごとに新季語の提案をしていた。このときも2/10の記事で「「ジャンプ」を新季語として提案したいと思います」、2/13の記事で「かねて、「スノーボード」を冬の季語として提案しています」と書いている。うろ覚えだが、「山下達郎」は冬の季語であったか。
 2/13の記事ではスノーボードに触れて、「今回、五輪に加えられた種目で、特にハーフパイプは、茶髪やピアスの現代っ子が目立ちます」と言及している。「スノボー」と略し「キメて」と決めた表現の延長に、今日の国母選手のようなのがいるわけである。
 2/16の「アイスホッケー」は、女子アイスホッケーを初観戦したとのこと。「恋を奪(と)り合ふごとくかな」の表現から、うかつにも女子であることは読みとれなかった。
 2/18はカーリング日本男子の敗北を詠んだもの。その日の夕刊ならいざ知らず、12年経つと、さすがになにを詠んだのだかよく分からない。
 2/19の「クロカン」は通用する表現なのだろうか。私などは、記事を読んで「クロスカントリー」であることがやっと分かった。
 2/20はノルディック複合ジャンプの日で、白馬はとびきりの晴天だった由。こういう対象を特定しない句の方が却って生き残るような気がする。

2010年2月10日水曜日

渋川京子『レモンの種』余談

 ついでながら、『レモンの種』を出版したふらんす堂の編集者の方のブログに、渋川京子さんの写真がある。すてきである。

 同じブログの別の日の記事では、序文、跋文、あとがきの一部を簡潔に引用して『レモンの種』を紹介している。

2010年2月9日火曜日

渋川京子『レモンの種』6

 最後に紹介するのは、この句。
 
さくら餅たちまち人に戻りけり  渋川京子

 いろいろな読みはできると思うが、「たちまち人に戻」る前は、どこか途方もないところへつながっていたのであり、この世ならざるかなしみの声に耳を傾けていたのだと感じる。さくら餅というささやかな、ある世代以降にはおそらく理解不能な和菓子が、この世に戻ってくる契機であることがなんとも嬉しい。人生にはまだ、ささやかながら喜びがいくらでもある。そんな希望がこの句からは感じられるのである。

 まだまだご紹介したい句は多々あるが、この辺で筆を置くこととする。取り上げなかった句については、ぜひ直接『レモンの種』(ふらんす堂)をお手にとって味わって頂きたい。

2010年2月8日月曜日

渋川京子『レモンの種』5

 渋川京子は未亡人である、と書き出したら失礼に過ぎるだろうか。歳を重ねて生きることは、伴侶、肉親、親しかった人々の死と直面し、それを受け入れて行くことに他ならない。死を直接詠んだ句では、このような句がある。
 
良夜かな独りになりに夫が逝く   渋川京子
なかんずく白菊に堪え死者の顔
死にゆくに大きな耳の要る二月
死者もまた旅の途中か春の蝉
出棺のあとさきに滝現われる


 「良夜かな」の句以外は、どなたが亡くなったのかは明示されていない。「良夜かな」の句にしても、「独りになりに夫が逝く」の揺るぎない措辞は、もはや渋川京子のパーソナルな体験以上のところへ昇華されている。死を直接詠んだ句においても、滝が現れる。この滝は「いちにちの赤きところ」で鳴っている滝であり、この世ならざるかなしみの声に他ならない。渋川京子にとって、未亡人として生きて行くことは、その声を伝えることなのである。

われら紅葉夫あるなしにかかわらず

 老境に生きる喜びとかなしみを詠んだこの句が、しずかに私の胸を打つ。

2010年2月7日日曜日

渋川京子『レモンの種』4

 渋川京子は水でできている。すくなくとも作句に向かう意識の中では、そのように自覚されている。そして、その水はときにエロスを湛え、ときにかなしみを湛えている。あるいはエロスとかなしみは渋川京子にとって同義である。

海鳴りをこぼしつつ解く夏の帯 渋川京子
夏帯のなかひろびろと波の道
水中花一糸まといて咲きいたり
氷柱よりきれいに正座し給えり


 夏帯の句はいささか類型的かも知れないが、一転して氷柱の句はどうだろう。なんと引き締まった美へのあこがれだろう。「給えり」と尊敬の助動詞で詠まれた架空の対象は、他者のようでいて渋川京子の美意識に他ならない。

 そして、渋川京子は水に包まれている。見えない水を感じて溺れ、闇を水のように湛えている。

水際の匂いこもれる菊枕
まっさきに睫が溺れ蛍狩
見えぬ手を濡らしたっぷり昼寝する
緑陰を抜けて両袖水浸し
雛飾り川の満ち引き映る家
船着場まで陽炎にもたれゆく
水吸って人の匂いの苔の花
霧深し自分を寝押しするとせん
紫蘇をもむ満々と夜が湛えられ


 かたちを変えつつ確かに存在する見えない水に包まれるとき、渋川京子はこの世にしてこの世ならざるところに身を置いている。いっけんただの客観写生に過ぎない雛飾りの句や船着場の句でさえ、句集全体の中に配置されるとき、妖しげな気配を放ち出す。

【追記】
『―俳句空間―豈weekly』2008年10月18日土曜日号で、渋川京子について書かれている。その記事を見ると「氷柱」の句は句集収録以前の発表形では以下だったことが分かる。

氷柱よりきれいに母の正座かな

 具体的な「母」を消して「し給えり」と結んだ推敲が、じつに見事である。

2010年2月4日木曜日

渋川京子『レモンの種』3

 例えばこんな句はどうだろう。
 
一枚の葉書の広さ秋の夜    渋川京子
間取図に足す月光の出入り口
秋風鈴夜は大きな袋なり


 いずれも空間把握の句であるが、二句目の風狂な味わいはどうだろう。前述の「覗き穴」のように、空間が空間として完結してなく、どこか途方もないところへつながっている。三句目の「夜は大きな袋なり」の大きさも計り知れない。
 
はればれと布団の中は流れおり 渋川京子
仏壇のなかは吹き抜け鳥帰る

 同工異曲と言うなかれ。単なるレトリックではなく、そういうものを感じ続けて、俳句に置き換える作業を続けてきたのが渋川京子であるに違いない。

2010年2月3日水曜日

渋川京子『レモンの種』2

 例えばこんな句はどうだろう。
 
鳴り止まぬ耳から蝶をつまみ出す 渋川京子
末黒野やつかわぬ方の脳が鳴る

「鳴り止まぬ耳」はまだ自覚的な身体感覚にまつわる比喩として読めるが、「つかわぬ方の脳」は、というと、野焼きに呼応して、ヒトの古い部分がなにやら呼び覚まされているのであろう。「つかわぬ方の脳」という把握が、なんとも楽しいではないか。

2010年2月2日火曜日

渋川京子『レモンの種』

 渋川京子『レモンの種』(ふらんす堂)は、かれこれ四十年近い俳歴を持つ著者の満を持した処女句集だが、とにかくすごい。もしこの日記を読んでいるあなたが句集を出そうとしているなら、今年はやめた方がいい。絶対勝ち目がない(もちろん、勝ち負けで俳句をやっているわけではないんだけど…)。しばらく、この句集について書く。

いちにちの赤きところに滝の音  渋川京子
潮うごく前のしずけさ桃にあり
鳥渡る風にいくつも覗き穴


 これらの句は、俳句以外の表現では代替不能で、散文にパラフレーズすることは不可能だし無意味である。それなのに、ずっと昔から「いちにちの赤きところに滝の音」がすることを知っていたような感じが確かにするし、「潮うごく前のしずけさ」が桃にあったような気がするし、「風にいくつも覗き穴」があったような既視感がある。既視感がありながら、そんなふうに詠んだ人はいない。人のこころのある局面を、まさに「覗き穴」から客観写生のクールさで言い止めたような静謐な味わいがある。
 「いちにちの赤きところ」にありつつ「滝の音」を聴きとめる姿勢は、句集全体(あるいは渋川京子の俳句的生涯)を貫いていて揺るぎない。

2010年1月2日土曜日

謹賀新年


明けましておめでとうございます。
今年も屈折した上昇志向で行きますので、よろしくお願い致します。