例えばこんな句はどうだろう。
一枚の葉書の広さ秋の夜 渋川京子
間取図に足す月光の出入り口
秋風鈴夜は大きな袋なり
いずれも空間把握の句であるが、二句目の風狂な味わいはどうだろう。前述の「覗き穴」のように、空間が空間として完結してなく、どこか途方もないところへつながっている。三句目の「夜は大きな袋なり」の大きさも計り知れない。
はればれと布団の中は流れおり 渋川京子
仏壇のなかは吹き抜け鳥帰る
同工異曲と言うなかれ。単なるレトリックではなく、そういうものを感じ続けて、俳句に置き換える作業を続けてきたのが渋川京子であるに違いない。
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