冬期オリンピックというと黛まどかを思い出す。長野オリンピック開催期間中、当時人気絶頂だった黛まどかは、果敢にもオリンピックを題材として朝日新聞の夕刊に一日一句発表していた。題して「氷点花しなの発」。
(1998/2/7) 飛ぶ夢も風切る夢も雪の中 黛まどか
(1998/2/9) 美しきシュプール残し予選落つ
(1998/2/10) 月光へ伸び上がりゆくジャンプ台
(1998/2/12) リュージュ駆け抜く七彩(なないろ)の風となり
(1998/2/13) スノボーをキメてピアスを輝かす
(1998/2/14) ゲレンデの雀(すずめ)もバレンタインの日
(1998/2/16) アイスホッケー恋を奪(と)り合ふごとくかな
(1998/2/17) 父母(ちちはは)へ金への氷蹴(け)りはじむ
(1998/2/18) その後(あと)の男の涙冴(さ)え返る
(1998/2/19) クロカンのしんがりに縦(つ)く森の精
(1998/2/20) 金色(こんじき)の冬日を胸に飛び継げり
(1998/2/21) 花として白鳥として氷上に
(1998/2/23) 神々の山の眠りに聖火消ゆ
註 2/8,15,22は日曜、2/11は祝日のため夕刊なし。閉会式を扱った2/23の記事のみ朝刊。
「月刊ヘップバーン」の頃の黛まどかは、ことあるごとに新季語の提案をしていた。このときも2/10の記事で「「ジャンプ」を新季語として提案したいと思います」、2/13の記事で「かねて、「スノーボード」を冬の季語として提案しています」と書いている。うろ覚えだが、「山下達郎」は冬の季語であったか。
2/13の記事ではスノーボードに触れて、「今回、五輪に加えられた種目で、特にハーフパイプは、茶髪やピアスの現代っ子が目立ちます」と言及している。「スノボー」と略し「キメて」と決めた表現の延長に、今日の国母選手のようなのがいるわけである。
2/16の「アイスホッケー」は、女子アイスホッケーを初観戦したとのこと。「恋を奪(と)り合ふごとくかな」の表現から、うかつにも女子であることは読みとれなかった。
2/18はカーリング日本男子の敗北を詠んだもの。その日の夕刊ならいざ知らず、12年経つと、さすがになにを詠んだのだかよく分からない。
2/19の「クロカン」は通用する表現なのだろうか。私などは、記事を読んで「クロスカントリー」であることがやっと分かった。
2/20はノルディック複合ジャンプの日で、白馬はとびきりの晴天だった由。こういう対象を特定しない句の方が却って生き残るような気がする。
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