2018年12月28日金曜日

七吟歌仙 立冬の巻 評釈

   立冬を祝つて雨の夜明かな        なな

 発句である。たまたま立冬でたまたま雨でたまたま夜明けだったのかも知れないが、立冬を祝うあたりですでに尋常ではない。

   立冬を祝つて雨の夜明かな        なな
    落葉のゆゑと揺るる足どり      ゆかり

 脇は発句に寄り添って同季、同場所で詠み挨拶とする。朝帰りの酔っ払いの一員として詠む。

    落葉のゆゑと揺るる足どり      ゆかり
   砂粒は砂の尻尾をこぼれゐて       銀河

 第三は発句と脇の挨拶から離れ、この巻の真の離陸の役割となる。「砂の尻尾」がほんものの動物の尻尾なのか、砂遊びで作った砂の動物なのか、どちらにもとれる謎めいた句となっている。

   砂粒は砂の尻尾をこぼれゐて       銀河
    箪笥の鐶の錆の鈍色          媚庵

 前句の謎には応えることなく、粒子的な質感だけを受けて、レトロな味わいの付けとしている。濁音を重ねたサビのニビイロが心地よい。

    箪笥の鐶の錆の鈍色          媚庵
   月を待つ少年棋士は十五歳        正博

 月の座である。前句の古色蒼然とした箪笥に対し、空間的にそれが似合いつつ対立的なものとして少年棋士が登場する。弱っちいのか「月を待つ」が掛詞としても効いている。ついでながら、弱っちくないかの藤井聡太七段はこれを巻いている時点では十六歳となっている。なお、小池正博さんはご多忙につき今回一句のみの参加。いずれまたお手合わせ願いたい。

   月を待つ少年棋士は十五歳        正博
    もみぢにかける指のひとすぢ       な

 駒を持つ少年のしなやかな長い指のイメージのみが別の場面へ移動する。表六句にしては官能的な折端である。


    もみぢにかける指のひとすぢ       な
ウ  ジッパーを下ろせば溢れ出す夜長      り

 初折裏折立である。前句の表六句にしては官能的な折端を受け、そのまま恋に突入する。ワンピースの背中あたりをイメージしている。

ウ  ジッパーを下ろせば溢れ出す夜長      り
    海女とからんだ子蛸大蛸         河

 前句の「溢れ出す」から導かれ、浮世絵的とも妖怪的とも言える大変な展開となっている。

    海女とからんだ子蛸大蛸         河
   自由律俳句を壁に書き散らし        庵

 魔除けだろうか。どこか『耳なし芳一』の全身に書いた経文のようでもある。爆笑である。

   自由律俳句を壁に書き散らし        庵
    爆撃のごとヘヴィーメタルは     ぽぽな

 「書き散らし」のエネルギーを音楽に転じている。なお、月野ぽぽなさんもご多忙につき今回一句のみの参加。いずれまたお手合わせ願いたい。

    爆撃のごとヘヴィーメタルは     ぽぽな
   皮すべて剥いてしまつた人参に       な

 音楽に合わせて調子に乗りすぎたのだろうか。料理の素材が大変なことになっている。

   皮すべて剥いてしまつた人参に       な
    喉元過ぎて合はす帳尻          り

 平野レミの「いいのいいの、おなかに入れば同じ」というのを、もっともらしく短句に仕立てている。

    喉元過ぎて合はす帳尻          り
   燦然と向日葵のある昼の月         河

 何事もなかったかのように夏の昼の月を詠み、みごとな転じぶりである。

   燦然と向日葵のある昼の月         河
    展覧会に並び疲れて           庵

 前句「向日葵」をゴッホの作品と捉え直している。

    展覧会に並び疲れて           庵
   灸すゆるのは三里より踝か         令

 並び疲れて帰り、灸をすえている。三里には手三里と足三里があり、足三里はひざのお皿のすぐ下、外側のくぼみに人さし指をおき、指幅4本そろえて小指があたっているところで、病気予防、体力増強以外にも足のつかれ、むくみ、胃腸の症状、膝の痛みにも万能養生のツボとのこと。くるぶし周辺にもいくつかツボはあるが、並び疲れであれば復溜か。足内側のくるぶしの中央から指3本分上、アキレス腱と骨の間で、足のむくみ、腰の痛みなどに効くらしい。なお、ここからは羽田野令さんに参加頂いた。

   灸すゆるのは三里より踝か         令
    紙風船を膨らましつつ          な

 灸に堪えている感じと膨らましつつある紙風船がぎりぎりのところで響き合う。次が花の座なので春の句としている。

    紙風船を膨らましつつ          な
   意のままに大気操る飛花落花        り

 飛花落花の風情をながめていると、逆に飛花や落花の方が大気を操っているのではないかと感じられることがある。

   意のままに大気操る飛花落花        り
    海市にゐると瓶詰めの文         河

 そうこうしているうちに海市に閉じ込められてしまった。救助を求める手紙を瓶に詰めて波に乗せる。

    海市にゐると瓶詰めの文         河
ナオ 遠縁に夢野久作・伴宙太          庵

 名残表折立である。夢野久作は幻想小説、探偵小説、SF小説などの分野で活躍した作家で、その作品『瓶詰の地獄』により前句とつながっている。もう一人の伴宙太は、スポ根漫画として一世を風靡した『巨人の星』の登場人物。実在の人物と虚構の人物を遠縁として並べる滅茶苦茶さがなんとも名残表である。

ナオ 遠縁に夢野久作・伴宙太          庵
    デザートに蜜たつぷりかかる       令

 古い三一書房の夢野久作全集の黒い函の背にあしらわれた滴るような文字をご存じの方なら、この響き具合は分かると思う。

    デザートに蜜たつぷりかかる       令
   送受信できない機械握りしめ        な

 名状しがたい不如意感に襲われている。

   送受信できない機械握りしめ        な
    ピンチとともに来るコマーシャル     り

 テレビなら緊迫の絶頂でCMとなる。

    ピンチとともに来るコマーシャル     り
   オレオレと急かされてゐるちよつと待て   河

 以前観たNHKの「ためしてガッテン」(その頃はまだ「ためして」が付いていたと思う)によれば、オレオレ詐欺にまさに直面している人は、脳の扁桃体が激しく活動しているらしい。扁桃体とは、身に迫る危険をいち早く察知して、心拍数をあげたり汗を出すよう体に命令する部位で、それが活発になることで理性的な判断ができなくなるようである。だから犯行グループの立場からは「ちょっと待て」という余裕を与えてはならない。だとすると、もしテレビドラマでコマーシャルがなかったら我々は際限なく感情移入して取り返しのつかないことになっているのではないだろうか。と思うとスポンサーが恨めしくもある毎度興ざめのCMではあるが、平穏な日常生活のためには大いに役に立っているのである。連句の付句としては、「ちよつと待て」まで言わない方がよかったかも知れない。

   オレオレと急かされてゐるちよつと待て   河
    瘴気ただよふ路地の底冷え        庵

 見事な場面展開である。そこまでクールダウンしましたか…。

    瘴気ただよふ路地の底冷え        庵
   帽子屋と兔とともにお茶を飲み       令

 『不思議の国のアリス』である。紅茶で暖をとっているのだろうか。前句とのつながりでいうと、絶対ディズニー版アニメではなくジョン・テニエルの挿絵だ。

   帽子屋と兔とともにお茶を飲み       令
    名前を未だ覚えてをらず         な

 そういえばあの帽子屋、なんて名前なんだろう。

    名前を未だ覚えてをらず         な
   骰子の目の十倍を支払つて         り

 名前も知らぬ相手に博打で負けている。余談ながらモノポリーというゲームでは、水道会社と電力会社は、そのマスに止まったサイコロの出目の四倍(二枚所持=独占している場合は十倍)のレンタル料を所有者に払う。改正水道法が十二月六日に可決され、日本の水道もアメリカ発祥のゲームの如く企業のぼろ儲けの対象となった。

   骰子の目の十倍を支払つて         り
    身を捨ててこそ浮かぶ遊行忌       河

 遊行忌は一遍上人の忌日で陰暦八月二十三日。銀河さんによれば「捨て果ててこそ」が一遍上人の教えとのこと。

    身を捨ててこそ浮かぶ遊行忌       河
   万博の予定地に差す後の月         庵

 本歌仙を巻いている最中の十一月二十四日に二千二十五年の万博の開催地が大阪に決定した。オリンピックにしても万博にしても高度成長時代の夢を追うだけの時代錯誤に過ぎず経済効果などあるのだろうかと思うと、前句「身を捨ててこそ浮かぶ」がじわじわと効いてくる。なお、前句が陰暦八月二十三日だったので、同季の中では時間軸を戻れないというルールにより「後の月」としている。

   万博の予定地に差す後の月         庵
    搭乗のとき霧の濃くなり         令

 秋の句を続けているが、なんとも先行き不透明である。

    搭乗のとき霧の濃くなり         令
ナウ さつきまで雪に遊びし秋田犬        な

 名残裏である。ここから挙句まではしらふに返った感じで進行する。先ほどまで雪に遊んでいた秋田犬が飛行機に搭乗するのか、それとも霧にまぎれて見えなくなってしまったのか。どちらにもとれる付けとなっている。

ナウ さつきまで雪に遊びし秋田犬        な
    火を焚いてゐる色白の母         り

 秋田美人と言わず「色白の母」として付けている。

    火を焚いてゐる色白の母         り
   遠巻きの輪をほどかずば夜が明ける     河

 安否に関わる何か差し迫った事態だったのだろうか。家族が遠巻きに見守るなか夜が明ける。

   遠巻きの輪をほどかずば夜が明ける     河
    お地蔵さんの赤よだれかけ        庵

 極めて映画的な手法で場面展開する。絶命をほのめかしている。

    お地蔵さんの赤よだれかけ        庵
   杣道をたどりて花の三角点         令

 花の座である。杣道はきこりだけしか通らないような細くけわしい山道。三角点は三角測量における三角網の基準点。この場合、山頂だろうか。折しも桜が咲いている。

   杣道をたどりて花の三角点         令
    釈迦の生まれし日の鰯缶         な

 仏生会は新暦では四月八日。寺の行事としては仏像に甘茶を濯いだりするが、知るかとばかりに鰯缶をあしらっている。生活に根ざした挙句と言えるだろう。

七吟歌仙 立冬の巻


   立冬を祝つて雨の夜明かな        なな
    落葉のゆゑと揺るる足どり      ゆかり
   砂粒は砂の尻尾をこぼれゐて       銀河
    箪笥の鐶の錆の鈍色          媚庵
   月を待つ少年棋士は十五歳        正博
    もみぢにかける指のひとすぢ       な
ウ  ジッパーを下ろせば溢れ出す夜長      り
    海女とからんだ子蛸大蛸         河
   自由律俳句を壁に書き散らし        庵
    爆撃のごとヘヴィーメタルは     ぽぽな
   皮すべて剥いてしまつた人参に       な
    喉元過ぎて合はす帳尻          り
   燦然と向日葵のある昼の月         河
    展覧会に並び疲れて           庵
   灸すゆるのは三里より踝か         令
    紙風船を膨らましつつ          な
   意のままに大気操る飛花落花        り
    海市にゐると瓶詰めの文         河
ナオ 遠縁に夢野久作・伴宙太          庵
    デザートに蜜たつぷりかかる       令
   送受信できない機械握りしめ        な
    ピンチとともに来るコマーシャル     り
   オレオレと急かされてゐるちよつと待て   河
    瘴気ただよふ路地の底冷え        庵
   帽子屋と兔とともにお茶を飲み       令
    名前を未だ覚えてをらず         な
   骰子の目の十倍を支払つて         り
    身を捨ててこそ浮かぶ遊行忌       河
   万博の予定地に差す後の月         庵
    搭乗のとき霧の濃くなり         令
ナウ さつきまで雪に遊びし秋田犬        な
    火を焚いてゐる色白の母         り
   遠巻きの輪をほどかずば夜が明ける     河
    お地蔵さんの赤よだれかけ        庵
   杣道をたどりて花の三角点         令
    釈迦の生まれし日の鰯缶         な

起首:2018年11月07日
満尾:2018年12月23日
捌き:ゆかり

2018年12月1日土曜日

山本掌『月球儀』を読む(最終回)

 次の章は「海馬より」。海馬は大脳辺縁系で古皮質に属する部位。本能的な行動や記憶に関与する。これまでの章と様相を一変し、介護俳句となる。このリアリティのために、フィクションの句は「偽家族日乗」に寄せられていたのだろう。痛切な句が続くが、ここでは章の最初と最後の句を引く。

  痴呆とは海図のない旅さらの花  掌

 地図であれば中七に収まるわけだが、わざわざ「海図」としているのは、自分で移動すればいいというものではないからだろう。老人の体調は海の波のように、穏やかな日もあれば激しく時化る日もあり乱高下する。

  父咲(え)みて米寿の馬の駈けぬけよ

 米寿のその日、つかのま穏やかな笑顔だったのだろうか。そのまま持ってほしいという万感の願望が「米寿の馬の駈けぬけよ」の命令形に込められている。ちなみに章の最初の句に「海」があり、最後の句に「馬」があり、海馬ならぬものに分かれているところが暗示的である。

 次の章は「空蟬忌」。季節はめぐり「荒梅雨や関東平野は水の檻」を導入として、介護俳句がしばらく続いたのち息を引き取る。

  死よ急ぐなのうぜんかずらの首あり

 風船のしぼんだような凌霄花の様子が、痩せ衰えた老人の膚を想起させる。

  ただならぬ蟬の選びし蟬の声

 それがまさに虫の知らせだったのだろう。

 次の章は「寒牡丹」。研ぎ澄まされた句境に至る。

  鎖骨美し月光のはりさけん

 骨格標本である可能性もなきにしもあらずだが、痩身の人体の無防備な首元のうつくしさだと読みたい。月光とぎりぎりの緊張関係にある。

  寒落暉はげしき静の独楽とあり

 高速に回転し均衡を保っている独楽と落日の取り合わせの句である。「寒落暉」と「独楽」は季またがりだが、実際に眼前にあってぎりぎりの緊張関係にあるのだから、つまらぬ指摘はすべきでないだろう。

 次の章は「寒牡丹 ふたたび」。なにがふたたびなのかというと、父上に続き母上も亡くなるのだ。沈痛な句が並ぶが最後の一句を引こう。

  神遊ぶ朱のひとしずく寒牡丹

 表面上は寒牡丹の花弁のありようを詠んだものであろうが、この流れで挙句に置かれた「神遊ぶ」はまさに絶唱であろう。万感の思いが去来する。

 最後の章は「俳句から詩へ」。自作四句と加藤かけいの一句から着想を得て口語自由詩へと展開している。「八日はや棚機津女(たなばたつめ)の解かれて」による一篇など、意外な展開で面白い。

(完)