2018年11月4日日曜日

愛着と執着の「を」

 そうこうしているうちに大野晋、丸谷才一『日本語で一番大事なもの』(中公文庫)にたどりついた。「天ざかる鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」を検索したら、個人でこの本の索引を作っているサイトにヒットしたのだった。87年に出版され90年に文庫化された本で、その時分には私はまだ俳句をやっていなかった。いや、仮にやっていたとしても、題名を見ただけで「けっ」と言って近づかなかったに違いない。「てにをは」を中心に日本語の助詞について徹底的に解剖するじつにディープな対談で、丸谷が聞き手に回り大野が解説するスタイルとなっている。
 「を」については<愛着と執着の「を」>という刺激的な章題となっていて、見出しを拾うと<目的格の「を」><経由の場所、時間を示す「を」><接続助詞の「を」><『新古今』的な「を」><「ものを」の意味><「ものゆゑ」「ものから」のむずかしさ>と続く。

丸谷 強調とか詠嘆とかの「を」ですね。
大野 いろいろな意味が入っているわけです。論理的な目的格であるという機能だけでなくて、それ以外に、それに対する愛着であるとか、執着であるとか、承認であるとかが「を」にはあるんです。原則として「を」には、それがあることを認めておくと、助詞の「を」を理解するときに、非常にわかりやすいと思います。

という原則があって、さまざまな「を」について語り尽くしている。おそろしい。

 「を」についてはさておき、<「……のごと」から「……のごとし」へ>というくだりもある。「こと降らば袖さへぬれて通るべく降りなむ雪の空に消(け)につつ」を引き合いに、「同じ降るのだったら」という歌の解説の後、以下のように続く。

大野 (前略)ですから、「こと」というのは、「同じ」という意味です。それで「夢のごと」「今のごと」は、この「こと」の頭が濁ったもので、「今のごと」は、現代語では、「今と同じ」ということになります。(中略)「ごとし」という形容詞は、この「ごと」に形容詞語尾「し」をつけたものです。

 ひえ~、なんということ。私は俳句しか知らないので、俳句の中で見かける「ごと」について、定型の要請で「如し」を勝手に縮めたものだと思っていたので、認識を新たにした。逆だったんだ。いろいろ目からうろこが落ちる本である。


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