『俳句の世界』、芭蕉のくだりは読み終わりました。また少し引用します。
態度と作調(トーン)とは、原因と結果との関係に当たる。閑寂に深まってゆく態度から生まれる作調が「さび」であり、繊細な態度で鋭く穿ち入る態度から生まれる作調が「ほそみ」であり、情感と柔順に融けあってゆく態度から生まれる作調が「しほり」であった。しかし、態度としての「かるみ」は、ひとつの境地に足を留めないことだから、特定の作調になるとは限らない。
(中略)従来、多くの研究者が精細な論究を試みながら、いまだに「かるみ」の意味が決定されないのは、作調としての「かるみ」を特定しようとしたからにほかならない。
「流行」といい「かるみ」といい、晩年の芭蕉の思索の深まり方は尋常ではありません。
しかしながら、伝記的に思索の深まりと作風の変化を捉えてゆく方法は、その意義や重要性を認め敬意を払いつつも、私は実作者として直感的に「変だ」と感じるところがあります。発句というものは、作者の名前や伝記とともに理解されるべきものなのでしょうか。五七五という世界最短小の韻文詩形は、そんなに脆弱なものなのでしょうか。
散りどきの花は裾より青みたり ゆかり
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