2015年 5月16日(土)23時01分40秒から2015年 5月31日(日)01時41分9秒まで。
発句 投稿者:苑を 投稿日:2015年 5月31日(日)01時41分9秒
緑陰にピアノのやうな男かな 苑を
こんなんでよろしいでしょうか。
さて 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月26日(火)08時57分8秒
そろそろ次のを巻きましょうか。
どなたか発句をお願いします。
連句は 投稿者:七 投稿日:2015年 5月25日(月)10時30分59秒
「編み物に似ている。」と、言っていたのは加藤周一だったかな・・・「はてしない物語」とは、言い得て妙ですね。
はてしない物語! 投稿者:媚庵 投稿日:2015年 5月25日(月)09時45分24秒
連句ってまさにはてしない物語!なんですね。参加させていただき、うれしく思います。
この句に惹かれて参加してしまった 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月25日(月)00時31分36秒
苑をさん、そう、「モンデンキント、今行きます!」的魔力ってありますよね。それで月の座というのも話がうますぎますが…。
「夢見る頃を過ぎても」だなァ、と言われてみれば、私たちは俳諧というファンタージエンから帰れなくなってしまったのかも知れません。
評釈 投稿者:苑を 投稿日:2015年 5月24日(日)23時46分36秒
毎晩楽しみに読ませていただきました。
読み返して「夢見る頃を過ぎても」だなァという一巻ですね。
どこか懐かしく、しみじみとして、夕映えで幕を閉じる。印象的な挙句です。
四句目「画布の小径に入れる紫」。令さんはどの句も安定していて巧いんですが、この句はほんとに巧いなと。この句に惹かれて参加してしまったんでした。印象派のパープル→モネの庭、それで頭がいっぱいで離れられない。強引な月の座になってしまったこと、いまも首をすくめてます。よく通ったなって感じです。
連衆のメンバーで歌仙の雰囲気も変わる。よい体験をさせていただきました。あらためて、参加させて頂き有難うございます。
ありがとうございます。 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月24日(日)22時18分6秒
折から銀河さんが津田清子さんの言葉「連句より連歌の方がおっとりしているよ」を紹介されていますが、連句と連歌の違いってご存じですか。
連句はもともと俳諧之連歌といい、連歌がやまとことばを用いて格調高く巻かれるものに対して、俗語や外来語(漢語も外来語です)を駆使して、滑稽で下品なものを目指していました。だから「格調の高い連句」などと呼ばれるようでは、俳諧として未熟というか方向性を誤っているというか、まあとにかく一考を要するゆゆしき事態なのであります(^^);
なんと! 投稿者:七 投稿日:2015年 5月24日(日)20時53分6秒
格調の高い連句でしょう。
みしみしさんの連句の最高位!かもしれません。
いつのまにか正座して観てしまいました。ありがとうございます。
分かりました 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月24日(日)01時05分37秒
銀河さん、よしなに。
立て続けにいろんなことがありすぎて、 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月23日(土)13時28分31秒
ゆかりさんのメールでのご提案や、連中の方々の見事な付けっぷりにはまったく異議はないので、貴重な一巻だと考えています。
ゆかりさん、令さん、苑をさんたちの評釈にはほれぼれしています。私も書かねばならなのですが、立て続けにいろんなことがありすぎて、ちょっと整理がつきません。
この件は、さらにしばらくおまちください。
連句を切り捨てた、と思われている和田悟朗の孤独にふと気がついたこと。
「あなたは短歌より俳句向きだ」と前川佐美雄に言われて「日本歌人」の系列から抜けて、堀内薫の誘導で山口誓子や橋本多佳子の「天狼俳句のアイドル」に引き込まれた津田清子・・(しかし後年、津田さんは山中智恵子と連歌をたしなんでいます。津田さんとの会話のとちゅう、「連句より連歌の方がおっとりしているよ」、といわれたことがあります。)
他
等々、連句を拒否することで作家精神の自立をまもってきた「生粋の戦後俳人」だと思っていたひとたちの定形感覚のゆらぎ・・、これらをあまり重要視してもいけなが、まったく無視もできない、といった心境です。
いえいえ 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月23日(土)11時32分51秒
元々あの脇起しは銀河さんの発案と尽力で豪華顔ぶれにより巻き上げたものなので、世界の中でふさわしい収まる場所があるだろうと思っています。よろしくお取り計らい下さい。
ごめん 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月23日(土)09時01分6秒
私の評釈、今回の応酬にもにられるように、書き方が歌仙に合わないようで、立ち止まっていたのです。
http://貫いた
そういえば 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月23日(土)01時01分30秒
悟朗さん脇起しの巻、銀河さんに評釈をまとめるようお願いしてそれっきりだったような…。評釈といっしょにどこかに発表したかったのですが。
というわけで 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月23日(土)00時52分35秒
評釈のようなものを書いてみたのですが、韻文でしか成り立たない機微をだらだらと間延びさせているだけのようでもあります。黙々と捌いている方が性に合っているのかも知れません。
お台場・評釈(4) 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月23日(土)00時41分10秒 編集済
暴れどころの悪ふざけも静まり、名残裏である。
ブーケ・ガルニの香る厨房 を
ナウ 万巻の書のしづけさに雪明り 庵
ここ「みしみし」では「雪の座」とでも言うべきものを設けていて、名残裏に入るまでに一句も雪の句が出ていないと、捌き人が所望する。古来「雪月花」ということばもあるのに、標準的な連句の式目ではどうして月の座と花の座しかないのだろう。さて、折しも調理がクライマックスに達して芳香を放つ頃、灯を落とした書庫には万巻の書が眠り読めるともなく雪明りに照らされている。
燐寸を擦ればつかのまの暖 り
書の文字を確かめたかったのであろうか。燐寸を擦れば、束の間暖かい。
かつて街であつたあたりを撮りなほす 河
以前街だった頃によく撮影したこの街は今は廃墟となっていて、寒さが身にこたえる。現在の姿をもう一度記録するのだ。
軌道の跡に薄氷を踏み 令
廃線の跡はでこぼこに水が溜まって薄い氷が張っている。春はまだ浅い。
須呵摩提へといちめんの花筏 を
須呵摩提(しゅかまだい)はサンスクリット語「スカーヴァティー」で、「幸福のあるところ」の意。水を流れるいちめんの落花はあたかも極楽へと続く軌道のようである。この美しくもどこか不吉さを内包する花の座のあとで、一体どういう挙句があり得るというのだろう。
お江戸の春の美しき夕映え 庵
そして挙句である。発句「お台場」を思えば、終焉を迎える江戸という町、時代の最期の黄昏の美しさなのだろうか。挙句から発句へと円環をなし、これにて満尾である。
出典を明かすことの功罪について 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月22日(金)22時57分36秒
① 「天地無用」は、出典を明かしたから、この名句がでてきたのだとおもいます。やはり。
② 「走るペリカン」は、出典を明かさない方がおもしろくなった例です。知らないことの面白みでせうね。
http://貫いた
お台場・評釈(3) 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月21日(木)22時56分46秒
名残表は、引き続き暴れどころである。
ナオ 荷が着いて天地無用の大きな字 令
前句「極限で似るものの家にて」が「養老天命反転地」の惹句であることが作者自身から明かされ、その由来の方から導かれた句ではあるが、句そのものを並べたときに「極限」に対し「天地無用」と字面が妙に可笑しい。
走るときには走るペリカン を
前句を宅配便と捉え、ペリカン便から発想している。宅配便は黒猫、カンガルー、このペリカンなど動物や鳥のイメージキャラクターが多く、腕の見せどころであるが、ここではなんと走らせている。ペリカンがあわてふためいて不器用に走るさまを想像するとじつに可笑しい。
アジトより黒の歌姫あらはれて 庵
時代は学生運動のさなかにワープする。騒然としたなか、アジトから悠然と黒ずくめの歌姫が現れる。浅川マキのイメージか。
眼窩のうづく黄色い太陽 り
行為に耽ったあと太陽が黄色く見えると言われていたのも、そんな時代であったか。いったいアジトにこもって何をやっていたのだろう。黒に対して黄色で付けている。
近づくに日本国旗のあざやかな 河
寝不足で朦朧とした頭のまま近づくと鮮やかな日本国旗が見える。
長い隊列麦畑ゆく 令
それは長い隊列をなし麦畑を進軍している。
梅雨冷に喇叭マークの薬瓶 を
かと思いきや軍国的なイメージを無効化しおなかをこわしている。じつに飄逸な付けぶりである。
元モガなれどいま二児の母 庵
かつてモガだったのもいつのことか、生活に追われ今もまさに下痢の子どもの世話をしている。
立秋をローアングルのカメラ這ふ り
その昔は颯爽と銀幕に映ったこともあったというのに。
燕去る日の風に色なく 河
ローアングルでヒロインを追う視線のような軌跡で燕が去って行く。ちなみに秋風のことを色なき風と言ったり、金風、素風などと言ったりするのは陰陽五行説に由来していて、詳しくは歳時記を当たられたい。
枝折戸の鈴を鳴らして月の客 令
そんな秋の日にひょいと枝折戸の鈴を鳴らして月見の客がやってきた。
ブーケ・ガルニの香る厨房 を
もてなしはなんのスープであろうか、厨房ではブーケ・ガルニが香っている。
ゆかりさん 投稿者:令 投稿日:2015年 5月21日(木)22時01分35秒
ありがとうございます。
そっかー。古語はまったく個人的には気になってなくて、そう言われればそうですかね。
編集しました 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月21日(木)19時12分6秒
連句そのものと評釈(2)を編集しています。
よもすがら 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月21日(木)12時47分36秒
令さん、恐れ入ります。「よもすがら」の件、意味は承知しておりますが、「また歌留多ですか」と受け止められないかなと立ち止まっただけですので、お気になさらずに。
うかぶ(変換しない…)の件、了解しました。帰宅したら編集します。
打越 投稿者:令 投稿日:2015年 5月21日(木)09時34分44秒
ゆかりさま
「よもすがら」は夜の間じゅうということなので、
夜中じゅうあなたを思っていました、という風に恋によく使われていますが、
よもすがら池をめぐるという事もあるわけで、時間帯を表す言葉だから
「あひみて」に障らないと思うのですが。
と、見ていて今気がついたのですが、「あひみて」と「幻を見て」が駄目じゃないでしょうか。
「あひみて」は「逢ってみて」という「みて」で「見て」ではないですか。
いややっぱり「見て」からきてるんではないでしょうかね。
音として「みて」と「みて」が気になったら気になりますよね。
その時、全然気がつきませんでした。
変えた方がいいですよね。
幻の泛かぶひねもすよもすがら
にしましょうか。
そういえば 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月21日(木)09時10分56秒
小西甚一が戦後すぐ講義していて学生から「芭蕉ほどの人が盗作をするのですか」と言われて、教育を見直す必要があると痛感し『俳句の世界』を著したと後書きにありましたね。いま手許にないので、確かめてはいませんが。
俳諧における引用は、基本的には豊穣な過去の文学の堆積へのリスペクトであり対話です。もちろんそれだけではなく、諧謔精神に満ちたくすぐりとかが変幻自在に現れますけど。
「会ひ別れ暗峠霧峠 清子」、すてきな思い出ですね。あらためて心中お察しします。
どうも・・ 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月21日(木)01時25分1秒
もういちど、いらんことをいわせてください。
「砂漠の木百里四方に友は無し」をのこした津田清子の、面影付を思いつき、それが前の句がナチュラルについていることには私も計らいを感じました。女史と私との最初の出会いが、ある会の事前の打ち合わせの時でしたが、その場所を指定されそれが暗峠という大和でも有名な峠越えだったのです。山の中をほとんど知らなかった偉い先生と半日歩きまして、そこで帰り際に「会ひ別れ暗峠霧峠・清子」という一句をいただきました。すると、ここのゆかりさんの句が「あひみてののちのこころの秋茜」でしょう?「秋」は既に「飽き」にかよいますしここでは本歌の意を組んでもうわかれているのですね。現実の進行と虚の世界の時間がこのような偶然の符牒でもって交錯することってあるものだとおもいました。
「極限に似るものの家にて」も、カッコ抜きの方がナチュラルに「句」としてで生きるのはその通りなのでしょうけど、他人様の言葉を、黙って完全借用(盗用)してはいけない、と思っている私がまだ「俳人」であって「連句人」ではないせいなのだろうな、思いました。お断りしておけばいいわけです。
この間、連句の本歌取りの方法や、その鑑賞(留書き)の仕方がすこし分かりかけました。ありがとう。
http://貫いた
お台場の巻・評釈(2) 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月20日(水)22時24分31秒 編集済
初折裏である。ここからは暴れどころとして、ときに格調も品位もなく進行する。実際の歌仙では表六句が終わると酒が回ってくるとも聞く。
ウ あひみてののちのこころの秋茜 り
前句「竹伐る人と詩を書く人と」に対し、これをやり過ごすとしばらく恋の座に持ち込めない懸念があり、前句を恋人同士と見立て、百人一首から権中納言敦忠の歌を引用した。ただし悲恋である。詩人は本質的に仲間っぱずれなのだ。
砂漠の百里四方友無く 河
ここで訃報が入る。津田清子さんが亡くなったのである。「砂漠の木百里四方に友は無し 津田清子」を踏まえた悲痛な挽歌であるが、どういう偶然に導かれたものか前句の孤愁と滑らかにつながっている。
幻の泛かぶひねもすよもすがら 令
悲報を受けてそのまま付けている。打越の「あひみての」に対し「よもすがら」で「また歌留多?」ということもよぎったが、ここは駄目出しする場面ではない。
高層ビルの非常階段 を
ここで立て直す。いかにも幻が現れそうな遣句である。
土鍋もち屋台へおでん買ひに出る 庵
飄逸な句である。二十一世紀というのは実際そういう世界で、高層ビルと旧来の文化が共存する。
練物ばかり選ぶ人妻 り
居合わせた人妻は偏食なのかずいぶん変な買い物をしている。
飛魚の波切つてゆき滑るやう 河
人事が続いたので、意表をついて加工される前の魚に転じている。
北回帰線こゆる唐船 令
海洋進出する中国という世相のようでもありながら古風に「唐船」として、物語を次句にゆだねる作り方となっている。
積み上がる発禁本に春寒し を
前句から国情不安を読み取ったものか、発禁本という不穏なものがどさりと積み上がる。
カストリ煽る四月馬鹿の日 庵
前句、わざわざ「春寒し」というところを見ると春本だったのか。安酒を煽りつつ生業とする。
中年のしのび泣く夜の脳に花 り
四月馬鹿の日は三鬼忌。「中年や遠くみのれる夜の桃」「算術の少年しのび泣けり夏」などを踏まえつつ、カストリで脳に花が咲いている。凄惨な花の座である。
極限で似るものの家にて 河
三鬼の『神戸』『続神戸』の登場人物たちはみな極限で似ている。字面を追えばそういう読みが自然であるが、銀河さんによれば「極限で似るものの家」は岐阜県養老の滝付近のテーマパーク「養老天命反転地」の惹句とのことである。しかも前句「脳」から養老孟司を経ての連想だという。そんなこと言わなければいいのに。
はい 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月20日(水)21時27分41秒
媚庵さん、銀河さん、ありがとうございます。官房長官ではありませんが、粛々と進めたいと思います。
鉄道唱歌・・ 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月20日(水)20時51分20秒 編集済
不覚にも一番の「汽笛一声新橋を」2番「右は高輪泉岳寺」までしかおぼえていなかったので、これが3番の見事な本歌取りだとは気がつかなかった。それから、この「半島」がなぜここに、とわからなくて、
うーん朝鮮半島とは、なんて的はずれに感心したのですが、房総半島!。みなさん、それぞれ、いろいろな先行の詩句を踏まえてすすまれるのですね。
http://貫いた
観覧車から霞む半島 投稿者:媚庵 投稿日:2015年 5月20日(水)20時04分11秒
ゆかり様。お台場の観覧車からは房総半島も富士山も見えますね。お台場にフジテレビが移ってすぐのころ、東京湾の沖に竜巻が見えたことがあります。
ゆりかもめの駅は「台場」なのですが、むかしから東京に居る人たちは「お台場」と言いますね。
評釈の続きが楽しみです。
お台場の巻・評釈(1) 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月20日(水)00時54分58秒
いろいろ突っ込んで下さいね。
お台場に汐の香つのる柳かな 媚庵
媚庵さんの歌仙における作風からはほぼ一貫した郷愁が感じられるが、今回の発句はお台場。ペリー来襲で急造された海上の砲台跡地に一般市民が普通に訪れるようになったのは、フジテレビの社屋が移転した頃からだろうか。とにかく作中主体はいまお台場に立ち、ゆれる柳とともに晩春の汐の香を浴びている。旧跡を偲ぶ万感の発句である。
観覧車から霞む半島 ゆかり
脇は発句への挨拶として、同季、同じ場所で詠む。まさに現代の景として観覧車から遠景を一望しているわけであるが、お台場は歌枕としてはかつて鉄道唱歌に歌われている。「窓より近く品川の 台場も見えて波白く/海のあなたにうすがすむ 山は上総か房州か」(大和田建樹作詞、鉄道唱歌の三番)。
かつて品川の車窓からお台場とともに見ることができた景も今では観覧車の上からですね、媚庵さん。
老いかねしうぐひすの音の絶えずして 銀河
第三からが連句としての展開の真の始まりである。発句と脇で完結した挨拶から離れ、違う世界へ誘う。同季の中では時系列で付ける必要があるが、なにしろ晩春が発句なので春といってもあとがない。ここでは機転を利かせ、夏の季語「老鶯」に対し「老いかねしうぐひす」とすることにより難題をかわしている。また、発句の嗅覚、脇の視覚に対し、第三で聴覚を詠んでいるところも、流石である。
画布の小径に入れる紫 令
鶯が鳴くあたりにイーゼルを立てて黙々と絵を描いている。「入れる」がなんとも心憎い措辞である。
睡蓮の夢みる頃を照らす月 苑を
月の座である。前句「紫」から睡蓮を導くとともに、媚庵さんの歌集『夢見る頃を過ぎても』を詠み込み挨拶句としている。なお、睡蓮は夏の季語であるが、睡蓮の夢だから季語にはあたらないという逃れ方をしている。
竹伐る人と詩を書く人と 庵
何かしら期限がある「夢みる頃」に対し、同時に存在する実務者と芸術家を並置している。それが同一人物なのか別人物なのかはあえて言及していない。「竹伐る人」は月→竹取物語から導かれたものかも知れない。
鳥 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月19日(火)13時34分29秒
ところでNHKの「アサイチ」で『世界の美しい飛んでいる鳥』という写真集が紹介されまして、私は番組で見ただけですけど、すばらしかったです。
ペリカンとペンギン 投稿者:苑を 投稿日:2015年 5月19日(火)12時14分52秒
を足して二で割ったような動物!
我が意を得たりと嬉しいです。
飛べない鳥
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E3%81%B9%E3%81%AA%E3%81%84%E9%B3%A5
が走る(自然界のがないが残念。音声を小さくしてくださませ)
https://www.youtube.com/watch?v=kqFXuIP8eKA
祝満尾 投稿者:令 投稿日:2015年 5月19日(火)10時56分17秒
満尾おめでとうございます。
ゆかりさん、みなさん、ありがとうございました。
終わってまた発句に還るという素晴らしい挙句ですね。
人数が少なかったので、通ってやれやれと思ったらすぐ又次が来て、
はらはらドキドキが続いていました。
面白い一巻でした。
祝・満尾 投稿者:媚庵 投稿日:2015年 5月19日(火)10時44分42秒 編集済
発句と挙句を詠ませていただくというご高配をたまわりまして、心からお礼申し上げます。
私の人生でも大きな記念になります。
とてもうれしいです。
最初はまさか挙句も自分にまわってくるとは知らずにいたのですが、気づいてからは
緊張しっぱなしでした。
無事に満尾できましたのも、ゆかりさんはじめ、陰に陽にご指導いただきました、
連衆のみなさまのおかげです。
あらためてみなさまに「ありがとうございます」と申し上げます。
北回帰線こゆる唐船 令
積み上がる発禁本に春寒し を
カストリ煽る四月馬鹿の日 庵
唐船が北回帰線を超えて、貴重品を運んでくる。
経典もあり、クロポトキンの国禁の書もあり、
ヘンリー・ミラーの『北回帰線』もあるかもしれない。
部屋に運び込まれた発禁本、ここでは始末に困る本の山。
こういう状況は梅原北明や『エロ事師たち』のスブやんも経験済み、
「まあ、カストリでも煽らにゃしゃあない」といった感じで付けました。
付け句ごとに、その時のどきどきした気持ちがよみがえります。
おはようございます 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月19日(火)10時33分24秒
ゆかりさん、おはようございます、朝、メールチェックしたら、どっさり資料が届いていて、ありがとうございました。「ソラダメ」のことは前から知りたいと思っていましたので、ありがたい。
ペンギンはペリカンの書き違いです。いつの間にか、ペリカンとペンギンを足して二で割ったような動物を想像していました、ペリカン便のことだとはいままで気がつきませんでした。
http://貫いた
祝・満尾 投稿者:苑を 投稿日:2015年 5月19日(火)09時15分45秒
おめでとうございます。
お仲間に入れていただき有難うございます。
早くて、難しくて。どこへ飛ぼうか、滑ろうか、悩ましかったです。
シリアス作品にひとりお笑い系でゴメンね、みたいな。
二句ずつ読み直すと、それぞれが面白いドラマですね。
たのもしいお捌きにも感謝。
どうも 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月19日(火)01時10分14秒 編集済
「極限で似るものの家にて」の件は、いま編集して註としました。ちゃんとご自身でつけ筋を解説できるようなものは空撓とは言いません。
(余計なお世話かも知れませんが、参考文献を送りました。)
ペリカンはペリカン便に由来しているのでしょう。生き物としか読めない書きっぷりで面白いですよね。
満尾おめでとうございます。 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月19日(火)00時40分41秒
東京都と江戸の循環。媚庵さんらしい発句と挙句。(今度も津田さんのお葬式が入って、おちこみましたが、これもなんとか・・)。五吟と言うのは、一巡が早いですねえ。
一番おもしろいきんちょうした展開で、同時にこだわりがあったのは、やはり「極限で似るものの家にて」、これは、そっくり既成のことばなのですが、この場に付け句として銀河が出したので捌きが採用した、「一座の定員以外の者の言辞をもちこんでいますので、前句と全く関係ない時空を付ける「空だめ」に近いと思うのですが、それは、連句ではたしか認められているでしょう?
http://www.neko-mino.org/renkuQA/A43.html
http://d.hatena.ne.jp/ichikawasennen/20060620/1153021701
でも、私の気分として、引用であることをあらわすカッコか、満尾の後に引用であることの「注」が必要なのではないですか?この辺教えてください。
積み上がる発禁本に春寒し を
カストリ煽る四月馬鹿の日 庵
中年のしのび泣く夜の脳に花 り
極限で似るものの家にて 河
ナオ 荷が着いて天地無用の大きな字 令
走るときには走るペリカン を
戦前の京大俳句事件戦後闇市の無頼派をつらぬいた西東三鬼の忌日(4月1日)
↓
その俳句をサンプリング
↓
脳内に花を咲かせて、虚の季節をつくり、
↓
そこから、「唯脳論」を書いた養老孟司につないでゆき、さらに「養老天明反転地」という奇抜な公園の、これまた抽象的なコンセプトをそのまま取り込んだ引用の極み。この公園でずっこけている気になりました。
↓
そこに天地無用の印をつけた荷が届く、シュールな光景ですね。
↓
何がはいっていたのか、ペンギンが慌てふためいて走るというのがなんとも面白い。
わけがわからないのにリアリティがあります。どうもありがとう。
http://貫いた
五吟歌仙 お台場の巻 満尾 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月18日(月)21時51分11秒 編集済
媚庵さん、ありがとうございます。三句目を頂きます。ルビは不要でしょう。これにて満尾とします。
お台場に汐の香つのる柳かな 媚庵
観覧車から霞む半島 ゆかり
老いかねしうぐひすの音の絶えずして 銀河
画布の小径に入れる紫 令
睡蓮の夢みる頃を照らす月 苑を
竹伐る人と詩を書く人と 庵
ウ あひみてののちのこころの秋茜 り
砂漠の百里四方友無く 河
幻の泛かぶひねもすよもすがら 令
高層ビルの非常階段 を
土鍋もち屋台へおでん買ひに出る 庵
練物ばかり選ぶ人妻 り
飛魚の波切つてゆき滑るやう 河
北回帰線こゆる唐船 令
積み上がる発禁本に春寒し を
カストリ煽る四月馬鹿の日 庵
中年のしのび泣く夜の脳に花 り
極限で似るものの家にて 河
ナオ 荷が着いて天地無用の大きな字 令
走るときには走るペリカン を
アジトより黒の歌姫あらはれて 庵
眼窩のうづく黄色い太陽 り
近づくに日本国旗のあざやかな 河
長い隊列麦畑ゆく 令
梅雨冷に喇叭マークの薬瓶 を
元モガなれどいま二児の母 庵
立秋をローアングルのカメラ這ふ り
燕去る日の風に色なく 河
枝折戸の鈴を鳴らして月の客 令
ブーケ・ガルニの香る厨房 を
ナウ 万巻の書のしづけさに雪明り 庵
燐寸を擦ればつかのまの暖 り
かつて街であつたあたりを撮りなほす 河
軌道の跡に薄氷を踏み 令
須呵摩提へといちめんの花筏 を
お江戸の春の美しき夕映え 庵
起首:2015年 4月30日
満尾:2015年 5月18日
捌き:ゆかり
註
初折裏12句目「極限で似るものの家」は岐阜県養老の滝付近のテーマパーク「養老天命反転地」の惹句。
ありがとうございました。しばしご歓談下さい。
お台場 投稿者:媚庵 投稿日:2015年 5月18日(月)21時00分25秒
挙句候補です。
春の灯火(ともしび)うるむ都よ 庵
大団円の絵草紙の春 庵
お江戸の春の美(は)しき夕映え 庵
緊張しています。いかがでしょうか。
お捌きください。
お台場 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月18日(月)14時19分50秒
苑をさんったら、挙句みたいな花の座ですね。
媚庵さん、いじめに堪えて挙句をお願いします。
お台場 投稿者:苑を 投稿日:2015年 5月18日(月)14時05分48秒
ナウ 万巻の書のしづけさに雪明り 庵
燐寸を擦ればつかのまの暖 り
かつて街であつたあたりを撮りなほす 河
軌道の跡に薄氷を踏み 令
須呵摩提へといちめんの花筏 を
お捌き下さい。
お台場 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月18日(月)12時08分10秒
令さん、ありがとうございます。
苑をさん、花の座です。よろしくお願いします。
お台場 投稿者:令 投稿日:2015年 5月18日(月)09時46分18秒
ナウ 万巻の書のしづけさに雪明り 庵
燐寸を擦ればつかのまの暖 り
かつて街であつたあたりを撮りなほす 河
軌道の跡に薄氷を踏み 令
どうでせうか。お捌きを。
お台場 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月17日(日)12時57分54秒
一句目の方が景が大きい感じがするので、そっちにしましょう。
お台場に汐の香つのる柳かな 媚庵
観覧車から霞む半島 ゆかり
老いかねしうぐひすの音の絶えずして 銀河
画布の小径に入れる紫 令
睡蓮の夢みる頃を照らす月 苑を
竹伐る人と詩を書く人と 庵
ウ あひみてののちのこころの秋茜 り
砂漠の百里四方友無く 河
幻を見てはひねもすよもすがら 令
高層ビルの非常階段 を
土鍋もち屋台へおでん買ひに出る 庵
練物ばかり選ぶ人妻 り
飛魚の波切つてゆき滑るやう 河
北回帰線こゆる唐船 令
積み上がる発禁本に春寒し を
カストリ煽る四月馬鹿の日 庵
中年のしのび泣く夜の脳に花 り
極限で似るものの家にて 河
ナオ 荷が着いて天地無用の大きな字 令
走るときには走るペリカン を
アジトより黒の歌姫あらはれて 庵
眼窩のうづく黄色い太陽 り
近づくに日本国旗のあざやかな 河
長い隊列麦畑ゆく 令
梅雨冷に喇叭マークの薬瓶 を
元モガなれどいま二児の母 庵
立秋をローアングルのカメラ這ふ り
燕去る日の風に色なく 河
枝折戸の鈴を鳴らして月の客 令
ブーケ・ガルニの香る厨房 を
ナウ 万巻の書のしづけさに雪明り 庵
燐寸を擦ればつかのまの暖 り
かつて街であつたあたりを撮りなほす 河
令さん、春でお願いします。
お台場 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月17日(日)11時25分57秒
では、これでよろしくお願いします。
かつて街であつたあたりを撮りなほす 河
ようやくに自分の芝居小屋を持ち 河
銀河さん 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月17日(日)01時25分46秒
待ちます。
あ、やっぱり拙速・・ 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月17日(日)01時18分54秒
ごめんなさい。「世に多き」は「万感」にさわりますね。しばらくまって
ください。
訂正 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月17日(日)01時14分56秒
世に多き自作自演と憐れまれ 銀河
お台場 投稿者:銀河 投稿日:2015年 5月17日(日)01時12分58秒
世に多き自作自演を憐れむと 銀河
拙速の恨みが残りますが、就寝前に・・
お捌きくださいませ。ペケであれば明日考えます。
お台場 投稿者:ゆかり 投稿日:2015年 5月17日(日)00時39分56秒
媚庵さん、ありがとうございます。二句目の方が名残裏にふさわしい背筋のまっすぐな感じがするので、そちらを頂きます。
お台場に汐の香つのる柳かな 媚庵
観覧車から霞む半島 ゆかり
老いかねしうぐひすの音の絶えずして 銀河
画布の小径に入れる紫 令
睡蓮の夢みる頃を照らす月 苑を
竹伐る人と詩を書く人と 庵
ウ あひみてののちのこころの秋茜 り
砂漠の百里四方友無く 河
幻を見てはひねもすよもすがら 令
高層ビルの非常階段 を
土鍋もち屋台へおでん買ひに出る 庵
練物ばかり選ぶ人妻 り
飛魚の波切つてゆき滑るやう 河
北回帰線こゆる唐船 令
積み上がる発禁本に春寒し を
カストリ煽る四月馬鹿の日 庵
中年のしのび泣く夜の脳に花 り
極限で似るものの家にて 河
ナオ 荷が着いて天地無用の大きな字 令
走るときには走るペリカン を
アジトより黒の歌姫あらはれて 庵
眼窩のうづく黄色い太陽 り
近づくに日本国旗のあざやかな 河
長い隊列麦畑ゆく 令
梅雨冷に喇叭マークの薬瓶 を
元モガなれどいま二児の母 庵
立秋をローアングルのカメラ這ふ り
燕去る日の風に色なく 河
枝折戸の鈴を鳴らして月の客 令
ブーケ・ガルニの香る厨房 を
ナウ 万巻の書のしづけさに雪明り 庵
燐寸を擦ればつかのまの暖 り
銀河さん、雑でお願いします。
お台場 投稿者:媚庵 投稿日:2015年 5月16日(土)23時01分40秒
立秋をローアングルのカメラ這ふ り
燕去る日の風に色なく 河
枝折戸の鈴を鳴らして月の客 令
ブーケ・ガルニの香る厨房 を
国境の町に未明の雪ふりて 庵
万巻の書のしずけさに雪明り 庵
いかがでしょうか。お捌きください。
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