川合大祐『スロー・リバー』の最後。第Ⅲ章は「幼年期の終わり」。これまで見てきたふたつの章と異なり、たぶん章としてのテーマ性はない。最終章として、方向性を限定せずベスト・ヒット・アルバム的に句が集められたものだろう。
眠るものまさに時間のかたちして
時間という抽象的な概念を用い「まさに時間のかたちして」という。虚を突かれ、ついし信用してしまいそうになる。
目の裏を見るように見る月の裏
目の裏を見ることはできない。そして月は自転の速さだかの関係で、つねに地球に同じ面を向けていて、月の裏を見ることはできない。できないこと同士が力業で「ように」で連結され、読者をだましにかかる。そのもっともらしさは、短詩系ならではのものだ。
牧場に両親だけが残される
幼い兄弟が残されるなら、そんな童話がありそうである。ここでは逆転して両親が残される。どんなブラックでノンセンスな結末が訪れるのだろう。
もう靴は脱がなくていい世紀末
選択肢のひとつとして人類の滅亡があたまをよぎる。そりゃあ、もう靴は脱がなくていいよね。
燃える町過去はいつまで過去なのか
「もはや戦後ではない」と発言したのは誰だったか。過去はいつまでも過去である。
石鹸をきたないものとしてながす
確かに。しかし使用前と使用後で区別する呼び名を私たちは持たない。
一日は十七時間よりながい
俳句では当たり前の事実に季語などをくっつける「日にいちど入る日は沈み信天翁 三橋敏雄」みたいな作り方があるが、当たり前の事実だけで五七五を使い果たしているのがなんともすごい。
電線の先に聖なる人がいる
OSI参照モデルみたいなものを思い浮かべるまでもなく、電線を介して私たちの思考はネット上を駆けめぐる。ときとして宗教も恋愛も電線の先の像に過ぎない。
東京に全員着いたことがない
本来着くべき一団が着かないのならそれはそれで怖いし、地球人全員とかを思い浮かべればそれはそれで真理である。
構造化されているので北酒場
どう考えても「構造化」と結びつかない「北酒場」の、なんというか階層のずれ具合が可笑しい。
というわけで、硬直した俳句脳にはじつに刺激的な句集なのだった。お求めはあざみエージェントさんまで。
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