橋閒石『微光』(沖積舎、一九九二年)のⅡ。今回は順不同で見る。
あかつきの瞳孔や草萌えんとす
中七の五音目の「や」で切る。しかもその前がなんとも固い語の選択である。視覚器官を「や」で強調し、あかつきに光を知覚するように季節を知覚している。
蝌蚪の水地球しずかに回るべし
しずかに回らないと、慣性力で蝌蚪もろとも水がぶっ飛んでしまうのだ…というなんともアホクサな諧謔をしれっと句にまとめている。「べし」が効いている。
郭公の朝の雲形定規かな
おそらくは「雲形定規」ということばの面白さに導かれてできあがっているのだろう。どんな季語と取り合わせても雲形定規は雲形定規でしかないのだが、郭公の朝の静謐な空気感と、かの製図用具の取り合わせは、これはこれで効いている。
早寝して良夜は月に任せたり
閒石の晩年の句には独特の老境が感じられるものがいくつもあるが、本句もその類いだろう。「良夜は月に任せたり」の機知がじつによい。
心音もお多福豆も冬うらら
日輪も氷柱も呼吸始めたり
前章にも「藁しべも円周率も冬至かな」があったが、閒石にとって「も」のたたみ掛けは、まさに自家薬籠中のものだったに違いない。
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