橋閒石『微光』(沖積舎、一九九二年)の最終章Ⅴ。挙句についてだけ書く。
老人と別れてからの真冬かな
自身が十分老人なのだから、他人のことを「老人」とは呼ばないだろう。ということは、これは自身の肉体が滅びたあとの、さっぱりした魂の存在を仮定して詠んだ句なのではないか。思えば巻頭の句は「春の雪老いたる泥につもりけり」であった。巻頭句において春の雪で消した「老いたる泥」なる肉体と、巻末ではついに別れる。最初から最後まで老いがテーマだったのだ。輪廻する魂は銀河系のとある酒場にもふらりと立ち寄ったりするのだろうか。
あとがきで閒石自身は老いについて以下のように記している。
(前略)さすがに近頃は、忍びよる老いの影の足早なのを意識するようになった。もとよりそれを嘆くいわれはない。むしろしばしば、身も句も共々に、不思議としずかな明るさの、幽かなおもむきを楽しむ折もある。いずれにしても今また一つの、おそらく最後の節目にさしかかってきたことは確かである。
閒石は本句集を一九九二年八月に刊行後、同年十一月に他界した。その最晩年の「不思議としずかな明るさの、幽かなおもむき」を読者として受け止めたい。
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