2018年11月28日水曜日

山本掌『月球儀』を読む(5)

 次の章は「偽家族日乗」。日乗は日記のこと。章題のとおり偽家族による猟奇的な生態が淡々と綴られる。ここまで幽閉にも砒素にも美童にもすっかり慣らされて来たが、「のうぜんかずら綾の鼓はなりませぬ」「曼珠沙華幼(おさな)をたおりにゆくわいな」あたり、能や狂言の素養も要求されているようである。

  狂(た)ぶればのわれは花野の惑星よ 掌

 では接続助詞「ば」+連体助詞「の」の組み合わせは、能や狂言の素養があれば理解できるのだろうか。確信を持てずに書くのだが、これは音楽仲間だけに通じる「行かねばの娘」「買わねばの娘」の擬古典的展開ではないのか。だとすれば出典はアントニオ・カルロス・ジョビンによるボサノバ名曲の邦題「イパネバの娘」である。音楽仲間のあいだでの使われ方としては、例えば絶対欲しいCDを指して「私それ、買わねばの娘です」などという。この句の作者がメゾソプラノ歌手ということであれば、応用として「狂(た)ぶればのわれ」くらい大いに言いそうである。ちなみにこれを書いている時点で、作者山本掌と筆者三島ゆかりは面識がないので、まったくさだかではない。

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