なにしろ豆本で四十一句しか収録されていないのだから、もう語りすぎだろう。最終回とする。
しあはせをおぼへてゐたり蛇出づる 露結
ひとつ前の書き込みで『ホームスウィートホーム』とそのつけたり俳句自動生成ロボット・裏悪水による「悲しき大蛇」について触れた。思えば「悲しき大蛇」は露骨なエログロで、山田露結の感性の一部をロボットに押しつけて代わりに詠ませ、「ロボットのやっていることですから」としてしまった感がある。その分『ホームスウィートホーム』本体は清純であったが、今後将来にわたって山田露結が負い続けなければいけないのは、「悲しき大蛇」性の取り込みだろう。『永遠集』に蛇は二匹潜んでいる。掲句ともう一匹は「穴よりも大きな蛇が穴に入る」である。どちらの句も古典的な隠喩により性愛を詠んでいる。また蛇こそ出ないが「男根におもてうらある梅雨湿り」「きつねのかみそりよく燃えさうな老女ゐて」「襟巻を外さぬ首と愛し合ふ」といった句群は、まさに「悲しき大蛇」性というべきものだろう。
死んだことのない僕たちに夏きざす
『永遠集』には死も潜んでいる。掲句以外には「祝福のやうな死ががあり花氷」「死ぬ夢の中にも冬菜抱く場面」がある。
『永遠集』に「永遠」という言葉を詠み込んだ句はない。これまで見てきた妻や過度の詠嘆やエログロや死の、そのすべてが永遠だということだろう。「悲しき大蛇」にまたがり山田露結はどこに向かうのか。今後がますます楽しみである。
(了)
2018年1月4日木曜日
山田露結『永遠集』(3)
さびしいぞさびしいぞ鶯餅食らふ 露結
山田露結といえばリフレインの使い手としても知られるが、『永遠集』においても四十一句中リフレインの句はなんと十句に及ぶ。しかも掲句のように主観的な形容詞を繰り返したものとして他に「花菜漬やさしい人がやさしすぎる」「木犀や悲しい歌がまだ悲しい」がある。
通常の俳句の表現としては直情的に過ぎるが、このあたり「淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る 放哉」「まつすぐな道でさみしい 山頭火」あたりのより自在な表現から得たものがあるのではないか。第一句集『ホームスウィートホーム』のつけたり「悲しき大蛇」が、俳句自動生成ロボット・裏悪水による自由律俳句だったことを思い出しておこう。
山田露結といえばリフレインの使い手としても知られるが、『永遠集』においても四十一句中リフレインの句はなんと十句に及ぶ。しかも掲句のように主観的な形容詞を繰り返したものとして他に「花菜漬やさしい人がやさしすぎる」「木犀や悲しい歌がまだ悲しい」がある。
通常の俳句の表現としては直情的に過ぎるが、このあたり「淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る 放哉」「まつすぐな道でさみしい 山頭火」あたりのより自在な表現から得たものがあるのではないか。第一句集『ホームスウィートホーム』のつけたり「悲しき大蛇」が、俳句自動生成ロボット・裏悪水による自由律俳句だったことを思い出しておこう。
2018年1月3日水曜日
山田露結『永遠集』(2)
もう春が来てゐるガラス越しに妻 露結
総じて山田露結の句に妻を題材としたものは多い。かつて下五がすべて「夢の妻」の連作もあった。『永遠集』にも妻の句は三句収められている。俳句という作品に昇華されたものなので現実の家庭に立ち入るわけではないが、作品に現れる妻はどこか遠い。掲句、作者と妻はガラス越しで、姿が見えるのに仕切られている。どちらかは庭先の肌寒さの中にいて、どちらかは暖房の効いた室内にいる。妻が外にいて作者は室内からその様子を見て春を感じているのか、作者が外にいて春を感じつつ、室内の妻を見ているのか。
薔薇園に行く妻と行く必ず行く
約束をすっぽかしたことがあったのだろう。それでこういうただならぬリフレインになっているのだろう。
妻の声で低く囁く毛布かな
妻は人格も外観もなく、ただの毛布となっている。くらやみに、季語から喚起されるぬくもり。官能的な句のようでいて、根源的な問いかけを持ったおそろしい句だとも言えよう。
総じて山田露結の句に妻を題材としたものは多い。かつて下五がすべて「夢の妻」の連作もあった。『永遠集』にも妻の句は三句収められている。俳句という作品に昇華されたものなので現実の家庭に立ち入るわけではないが、作品に現れる妻はどこか遠い。掲句、作者と妻はガラス越しで、姿が見えるのに仕切られている。どちらかは庭先の肌寒さの中にいて、どちらかは暖房の効いた室内にいる。妻が外にいて作者は室内からその様子を見て春を感じているのか、作者が外にいて春を感じつつ、室内の妻を見ているのか。
薔薇園に行く妻と行く必ず行く
約束をすっぽかしたことがあったのだろう。それでこういうただならぬリフレインになっているのだろう。
妻の声で低く囁く毛布かな
妻は人格も外観もなく、ただの毛布となっている。くらやみに、季語から喚起されるぬくもり。官能的な句のようでいて、根源的な問いかけを持ったおそろしい句だとも言えよう。
2018年1月2日火曜日
山田露結『永遠集』(1)
しばらく山田露結『永遠集』について書く。まずは写真をご覧頂きたい。
大きさの比較のためにホチキスの針の箱を並べたが、いわゆる豆本である。豆本に四十一句とあとがきが収められている。発行所は文藝豆本ぽっぺん堂、発行者は先日別の豆本で国際的な賞をとった佐藤りえさん。りえさんは最近NHKの朝の情報番組にも出演されていた。私が知らないだけで、豆本は流行っているらしい。
『永遠集』はこんな句から始まる。
右利きのギキキは春を待つ調べ 露結
山田露結は知る人ぞ知るブルース・ギターの名手でもある。それを念頭におけば、右利きのミは四拍目の裏に置かれ、粘っこい三連のリズムのうねりとともに強拍で耳に飛び込んでくるのはギキキなのだ。ブルースが春を待っている。
(続く)
大きさの比較のためにホチキスの針の箱を並べたが、いわゆる豆本である。豆本に四十一句とあとがきが収められている。発行所は文藝豆本ぽっぺん堂、発行者は先日別の豆本で国際的な賞をとった佐藤りえさん。りえさんは最近NHKの朝の情報番組にも出演されていた。私が知らないだけで、豆本は流行っているらしい。
『永遠集』はこんな句から始まる。
右利きのギキキは春を待つ調べ 露結
山田露結は知る人ぞ知るブルース・ギターの名手でもある。それを念頭におけば、右利きのミは四拍目の裏に置かれ、粘っこい三連のリズムのうねりとともに強拍で耳に飛び込んでくるのはギキキなのだ。ブルースが春を待っている。
(続く)
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