2018年1月4日木曜日

山田露結『永遠集』(最終回)

 なにしろ豆本で四十一句しか収録されていないのだから、もう語りすぎだろう。最終回とする。

   しあはせをおぼへてゐたり蛇出づる 露結
 ひとつ前の書き込みで『ホームスウィートホーム』とそのつけたり俳句自動生成ロボット・裏悪水による「悲しき大蛇」について触れた。思えば「悲しき大蛇」は露骨なエログロで、山田露結の感性の一部をロボットに押しつけて代わりに詠ませ、「ロボットのやっていることですから」としてしまった感がある。その分『ホームスウィートホーム』本体は清純であったが、今後将来にわたって山田露結が負い続けなければいけないのは、「悲しき大蛇」性の取り込みだろう。『永遠集』に蛇は二匹潜んでいる。掲句ともう一匹は「穴よりも大きな蛇が穴に入る」である。どちらの句も古典的な隠喩により性愛を詠んでいる。また蛇こそ出ないが「男根におもてうらある梅雨湿り」「きつねのかみそりよく燃えさうな老女ゐて」「襟巻を外さぬ首と愛し合ふ」といった句群は、まさに「悲しき大蛇」性というべきものだろう。

   死んだことのない僕たちに夏きざす
 『永遠集』には死も潜んでいる。掲句以外には「祝福のやうな死ががあり花氷」「死ぬ夢の中にも冬菜抱く場面」がある。

 『永遠集』に「永遠」という言葉を詠み込んだ句はない。これまで見てきた妻や過度の詠嘆やエログロや死の、そのすべてが永遠だということだろう。「悲しき大蛇」にまたがり山田露結はどこに向かうのか。今後がますます楽しみである。

(了) 

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