2016年7月5日火曜日

完結性、発句性への挑戦

 しばらくブログを思考のパレットとして、描く前の色のかたまりを並べるような使い方をしていなかった。再開してみようかと思う。そんな使い方だから、書き進むうちに結論が変わることも当然あろう。

 手始めは山﨑百花『五彩』(現代俳句協会)(著者よりご恵送頂きました。ありがとうございます)。全体は大きく二部構成に分かれ、第一部は歳時記構成、第二部は結社内の賞応募作品三十句の八年分からなる。
 一読、句尾が「かな」でも「けり」でも名詞でもない句の多さに驚く。定量的に表現すると以下。
 
●第一部 「秋」で
八十五句中
切れ字「かな」で終わる句   七
切れ字「けり」で終わる句   四
その他の用言で終わる句  二十三
副詞で終わる句        〇
助詞で終わる句        九
名詞で終わる句      四十二

●第二部 もっとも新しい二〇一五年作品「水の夢」で
三十句中
切れ字「かな」で終わる句   四
切れ字「けり」で終わる句   一
その他の用言で終わる句   十一
副詞で終わる句        一
名詞で終わる句       十三

 話を極端に単純化すると、句尾が「かな」でも「けり」でも名詞でもないということは、一句の完結性、発句性への挑戦である。例えば第一部「秋」は次の二句で始まる。

  立秋やひと刷けの雲風に透き 百花
  秋立つや曙杉のこずゑより


 連句などやっていると、上五を「や」で切るとつい下五に名詞を置いた完結性の高いものを期待してしまうが、そもそも連句の発句ではないのだから、まったく自在に句尾を解放し屈託を残さない。ちなみに陰陽五行説にもとづき秋に白を配することから秋風を「色なき風」などというが、「ひと刷けの雲風に透き」はそのような伝統も踏まえたものなのだろう。
 
 しばらく、どのように開かれた句が続くのか、見て行こうと思う。

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