2017年2月2日木曜日

大字(おおあざ)夏木立

 清水径子『雨の樹』(角川書店、二〇〇一年)の続き。本句集はI~IVの四章からなる。ひとつ前の記事でIの句を見たときには、全体を通じての特徴を把握したかったので敢えて順不同に取り上げたが、IIではなるべく作者が並べた順に取り上げたい。なおこのブログの常で最後まで読み終わる前に書くことを旨とし、序文、跋文、他の方の書かれた文献などは極力読まず伝記的な事実も無視し、ただ書かれた句に沿って読みたい。

  卯の花の一心不乱終りけり
  妄想の花咲く二人静かな
  桐の花半日遊び一日病む


 「…の花」で漢数字を伴った句が三句続く。「一心不乱」と言い「妄想」と言い、花への感情の仮託が続く。また章中、「青空よごす十一月を俯きて」「冬一日腹這ふと死が近く居る」などもあるので、いかに伝記的な事実を無視しようとしても病がちであったことは察しがつく。

  ああああと春のこころの塞ぎをる
  人の亡きあとの牛蒡をささがきに


 倦怠または死と対置する現実として、「牛蒡をささがきに」を持ってきた。料理は生命を維持するための忍耐強い地味な作業であるが、よりによって「牛蒡をささがきに」は絶妙である。

  めんどりはここここといふ夏の花
  華厳とよかなかなも樹も雨あがり


 塞ぎがちな句が並ぶ中で、一転して「ここここ」「かなかな」と続き、気分が上向く。

  左みて右みて遠し鬼薊
  鬼の色少し足りねど鬼薊


 一句目の「遠し」は何が遠いと言っているのだろう。交通標語のような「左みて右みて」からすると道路の向こうに鬼薊があって遠いと言っているようにも思えるが、二句目と並べると、どこか遠くの鬼がいる世界を夢見ているような気もしてきて怖い。
 
  大夕立あとの大字(おおあざ)夏木立
  青痣の榠樝と忍び笑ひせり


 大字は市区町村の区画であるが、それほどまでに大きい夏木立というのが、なんとも飄逸である。そして「大字」の次に「青痣」を並べてみせる。じつに可笑しい。

  落椿見付けられすぐ見捨てられ
  青簾たちまち吾れの無くなれり


 章の最後の二句は、「すぐ」に対し「たちまち」を並べている。ただの青簾なので、現実的には見えなくなるだけだが、この世からの消滅のイメージを重ねているに違いない。

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