田島健一『ただならぬぽ』(ふらんす堂)の続き。
翡翠の記録しんじつ詩のながさ
巻頭の一句である。名詞だけを拾うと翡翠・記録・しんじつ・詩・ながさ。これらの名詞にどういう関係があるのだろう。記憶であれば翡翠にもあろうが記憶ではない。記録なのだ。翡翠が記録するのか、それとも人間が翡翠を記録した日記とか写真とかなのか。冒頭から読者を迷宮に引きずり込む謎の語の結合である。そして漢語をひらがな表記しなんとも人を食った「しんじつ」。これは助詞を省略して「翡翠の記録」の述語になっているのか、あるいは「詩のながさ」に副詞的にかかっているのか。そして「詩のながさ」とは? これらのすべてが読者に委ねられ、田島健一はなにも言っていない。俳句として並べられたランダムな語の連結は自ずと意味を求めて走り出す。翡翠の刹那刹那の輝きに比べると、人間の伝達手段のなんと間抜けなことよ。意味ではなくそんな像をうかべる。翡翠といえば、霊感に満ちたこの句もこの際思い出しておこう。
父の恋翡翠飛んで母の恋 仙田洋子
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