田島健一『ただならぬぽ』(ふらんす堂)の続きで、章のことを考えてみたい。先に書いたようにこの句集はやたら細分化されている。そこに積極的な意図はあるのか、ないのか。
「記録しんじつ」と題された章は、次の句からなる。
翡翠の記録しんじつ詩のながさ
端居してかがやく知恵の杭になる
玉葱を切るいにしえを直接見る
口笛のきれいな薔薇の国あるく
枇杷無言雨無言すべてが見える
一句目、三句目、五句目から感じることは、言語で書かれているのに言語を自己否定しているような趣である。「詩のながさ」では追いつかず、「直接見る」こと、「無言」なのに「すべてが見える」こと。そして既成の価値を笑い飛ばすように脱力的なひらがなの「しんじつ」「かがやく」「いにしえ」「きれい」「すべて」。どうも章としてこれらの句群は効力を発揮しているようである。
適当に開く。「揺れている」と題された章は、次の句からなる。
昼寝より覚めて帆のない船はこぶ
戦争やはたらく蛇は笛のよう
虎が蠅みつめる念力でござる
出航や脳に白夜の大樹あり
明滅や夕立を少女は絶対
揺れている硝子の青田道あなた
紫陽花を仕立てる針と糸のこと
ひけらかす死のかりそめを明るい雨季
薔薇を見るあなたが薔薇でない幸せ
ひとつの句の中で提示されたイメージは、別の句に乱反射して影響を及ぼす。そういう意味では、まさに題のように「揺れている」。二句目の「はたらく」は一句目の「帆のない船はこぶ」の影響を受け三句目の「虎」は二句目の「戦争」の影響を受け四句目は全体が一句目の「帆のない船」の影響を受け五句目の「明滅」は四句目の「白夜」の影響を受け六句目の「あなた」は五句目の「少女」の影響を受け七句目の「仕立てる針と糸」は一句目の「帆」や五句目の「少女」の影響を受け八句目の「死」は二句目の「戦争」の影響を受け「雨季」は五句目の「夕立」の影響を受け九句目の「あなた」は六句目の「あなた」であり、そのようにして章全体が「揺れている」。
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