田島健一『ただならぬぽ』(ふらんす堂)の続きで、ことばあそびについて。この句集には、ことばあそびからなる句が多々含まれ、句集全体をライトでポップに印象づけることに貢献している。
海ぞぞぞ水着ひかがみみなみかぜ
「ぞぞぞ」に呆然とする。なんということだ。そして「水着」「ひかがみ」「みなみかぜ」と頭韻を母音iで揃え、「海」も含め全体では「み」を五個ぶち込んで調べを作る。助詞は何ひとつない。語調を整えるというよりは、語調を頼りに予想外の語彙を呼び込むことの快楽があるのではないか。ここでは「ひかがみ」。語調を頼りにでもしなければ、海で水着の人物を詠むのにわざわざ膝の後ろのくぼんでいるところなんて部位は選ばない。「ぞぞぞ」はオノマトペというよりは、「かが」「みみ」という訥弁的な連なりへの呼び込みとして働いているようである。
ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ
このような句型で間投詞を選択する際、「よ」とか「ぞ」とか「や」とか迷うのが常であるが、結局どこかで見たような句に落ち着き間投詞としての驚きや詠嘆は薄れてしまう。芭蕉は「切れ字に用ふるときは四十八字皆切れ字なり」と言った。間投詞だって同じではないかと田島健一が考えたかどうかは定かではないが、結果としてただならぬ仕上がりになっている。くらげの表記には「水母」と「海月」があるが、光を追い抜くのであれば断然「海月」だろう。
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