2015年8月15日土曜日

旅支度の巻・評釈

 いつものように捌き人の逡巡メモです。

   旅支度終へて真黒きバナナかな     恵

 発句は近恵の既成作品で、『炎環新鋭叢書シリーズ5 きざし』(ふらんす堂、2011年)所収。もうひとつ「一房の一気に黒くなるバナナ」という句もあり、作者が「黒いバナナの女王」と異名をとる所以のものである。

    しづかにうなる金魚の水槽    ゆかり

 もうひとつ気がかりなもので脇を付けた。旅中、金魚の餌はどうするのだろう。色の対比も意識した。

   町角にポストも煙草屋もなくて    媚庵

 第三のセオリーどおり発句と脇の日常世界から飛躍し、うらさびしい旅先を詠んでいる。

    暑さの残る射的場跡         七

 かつての賑わいを彷彿させながら、残暑の温泉街を詠んでいる。

   望月の翳の起伏に尾根裾野      銀河

 月の座であるが、高細密カメラで月の地形を捉えた趣となっている。発句からずっと人事句が続いてしまったため、一風変わった月の座となった。

    指にじませて秋茱萸を食む     なむ

 翻って地上の尾根裾野では、という付け方になっている。人事句に戻っているとも言えるが、かといって打越に障るわけでもないので、次句以降の流れにゆだねるものとする。


 初折裏である。

ウ  修行僧弥勒菩薩に見つめられ     ぐみ

 秋茱萸を食んだのは断食中の修行僧であった。弥勒菩薩の前でその胸中やいかに。

    微熱繰り出す薄きくちびる      恵

 恋の座の位置である。読みようによっては弥勒菩薩と恋に落ちたようにも読める書き方となっている。

   歌姫に芸の肥やしのふたつみつ     り

 冷淡なくちびるの薄い男にもてあそばれた歌姫が、その過去をネタとして芸能界にしぶとく生き残っている。

    独楽が刀の刃を渡り行く       庵

 人の世の人気など所詮、刀の刃を渡り行く独楽のようなもので、いつかは終わりが来る。

   蜘蛛の囲の掛けられてゐる朝帰り    七

 前句の綱渡りのようなスリルと蜘蛛の囲が響き合う。言外に妻の怒りが爆発寸前である様子が伺い知れる。「朝帰り」は打越までの恋の座に戻っているような気がしないでもないが、面白いので許す。

    水栓漏るるおふくろの家       河

 「いやあ、おふくろん家で水道が壊れちゃってさあ、夜中に業者呼んで大変だったんだよ」と切り出すことにした。もちろん真っ赤な嘘で実家には寄っていない。ただの朝帰りである。

   冥王に五つ月あり凍ててをり      む

 嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるわけだが、実際の冥王星では釜が煮え立っているのではなく、月が5個ある厳寒の世界である。このあたり、無人探査機ニュー・ホライズンのニュースも取り込んで巧みな付けである。

    面壁九年因縁解脱          み

 厳寒の世界から達磨大師の苦行を付けた。ところで一巡前は「修行僧弥勒菩薩に見つめられ」だし、なむ住職からインスパイアされるものがあるのかも知れない。

   淡雪を舌に受くるも直ぐに飽き     恵

 打越が「凍ててをり」なので、別の座なら駄目出しされているかも知れない。ここ「みしみし」では同じ世界に堂々めぐりしない限り、字句のレベルでは委細構わず進行する。

    卒業式なき卒業アルバム       り

 卒業アルバムは卒業式の日に配られるので、卒業式の写真は載っていない。

   坊ちやんとマドンナと見る花盛り    庵

 手許に文献がないのだが、ウィキペディアによれば、卒業後8日目、母校の校長の誘いに「行きましょうと即席に返事をした」とあり、また、坊っちゃん の教師生活は、1か月間ほどにすぎなかった、ともある。その間に蚊帳の中にイナゴを入れられたりもするので、当時は秋から学年が始まっていたのか。だとすると、「坊ちやんとマドンナと見る花盛り」は離職後のできごととなる。

    島々渡る風は緑に          七

 なにかと人事句ばかりになりがちな一巻で、このような叙景句が挿入されるとほんとにありがたい。


 名残表である。

ナオ ステーキの皿をふちどる油虫      河

 なんともナンセンスな折立である。生きている油虫なのか、油虫の絵柄なのか。

    まざあ・ぐうすに紛れ込む歌     む

 そんなナンセンスな歌がマザー・グースに紛れ込んでいても不思議はない。ひらがな表記された「まざあ・ぐうす」は、いかにもいかがわしくなんでもありな感じがする。

   ドローンに運ばれみどり児は生まれ   み

 出生について親が幼い子にいういい加減な説明もいろいろな伝承があって、橋の下で拾われたとか、キャベツ畑で拾われたとか、ペリカンが運んできたとかあるわけだが、近未来においては「お前はドローンで運ばれてきたんだよ」なんていうのもあるのかも知れない。

    忍者屋敷を包む陽光         恵

 ここで時代を超えて忍者屋敷を持ってきたところがなんとも楽しい。

   巻物を広げ訪ねる高低差        り

 安易に『ブラタモリ』冒頭の「今回のお題は…」と言って出てくる巻物で付けている。

    壮年ランボー駱駝に乗って      庵

 高低差から二瘤駱駝の着想を得たのだろう。詩人ランボーはのちに武器商人としてアフリカに渡ったという。

   洪水のあとに始まる物語        七

 ランボーと言えば、『イリュミナシオン』の「大洪水の後」である。

    こは恐竜の顎の骨かと        河

 余談めくがウィキペディアによれば、更新世の旧称・洪積世について以下の説明がある。「洪積世の名は地質学に時期区分が導入された17世紀にこの時代の 地層がノアの洪水の反映と信じられたことによる。現在では神話に結びつけることは望ましくないため、この区分名は使われなくなった。」

   マリちゃんを挟んでパフをハモります  む

 往年のPP&Mのヒット・ナンバーで「パフ」という不思議な竜の歌がある。本家のMはマリー・トラバースであるが、「マリちゃん」というのが下心丸見えの即席学園祭バンドっぽい。

    五番街にて空似追ひたり       み

 ペドロ・アンド・カプリシャスのヒット曲「五番街のマリー」で付ける。どんな暮らしをしているのか見るように頼まれたのだが、空似しか見つからず任務を遂行できなかったようである。

   メロンパンひとつ置かれし月の膳    恵

 「秋空やあつぱれなメロンパンひとつ 麻里伊」を知らない人には、どうしてここでメロンパンが出てくるのか分からないだろう。そういう意味ではずっとマ リー・トラバースを引きずっていて打越にかかると言えなくもないのだが、結果としてぜんぜん違う世界に行っているのでよしとした。さらに全体を見回すと、 食べ物がひとつあるだけという提示の仕方が発句「旅支度終へて真黒きバナナかな」とも通じるのだが、委細構わぬこととする。

    またも引つ越す吾は鯖雲       り

 発句が旅支度だったのに対し、ここでは引越とした。秋の空のように気まぐれに引越を繰り返す性癖とした。
 


 名残裏である。名残裏は暴れどころではなく、花の座を経て挙句に至る、姿勢を正した運びであるべきところであるが、「みしみし」にしては珍しく花の座の前まで暴走した。

ナウ テレビには菊人形の大写し       庵

 引越先で多くの梱包がそのままの中、まずはテレビの据付と配線をしてスイッチを入れたときの画像には格別のものがある。

    もつてのほかを酒の肴に       七

 でもそれがなんだかとんでもないものだったのである。全体のバランスを考えれば、毅然と駄目出ししてもよかったのであるが、付句次第でどうにでもなると思い、次に託した。

   カラオケのマイクを磨く役どころ    河

 ところが、句の内容そのままにパスされてしまった。

    蟇も穴出る大ハウリング       む

 さすがなむさんというか、花の座の前で確信犯的に大パニックを発生させる。ほとんど「みしみし」破壊の命を受けた工作員のようである。言わずもがなであ るが、ハウリングとはマイクを不注意にスピーカーに向けたときに発生する無限の増幅で、強いて文字にするなら、ぴいいいいいいいいい、という感じの音であ る。名残裏で普通やるか、という句を頂くのも「みしみし」である。

   天に満ち地に満ち花の息づかひ     み

 こういう場面で名句は現れる。短詩系用音韻解析ツール「おんいんくん」も以下のように絶賛する。

「にみち」「にみち」とたたみかけるリフレイン、母音による頭韻「い」「い」、子音による脚韻「ch」「ch」、母音による脚韻「い」「い」「い」があい まって、じつに美しい調べが感じられる。また、全体として極めて母音「い」が多いことによりどこか硬い印象があるといえよう。

 「おんいんくん」の気づかないところでは「天に満ち」(5音)「地に満ち」(4音)「花の」(3音)と一拍ずつ短くなって緊張を高めるリズムが最後に 「息づかひ」(5音)で解放されるさまに、まさに「息づかひ」の機微を感じる。前句「ハウリング」の制御不能に対し、このような細やかさをもって花の座と するところがまさに付け合いの醍醐味ではないだろうか。
 ちなみに母音iの発音において顔面の筋肉は確かに緊張するが、だからといって「全体として極めて母音「い」が多いことによりどこか硬い印象があるといえよう」と言えるのか。はなはだ疑問である。

    霞開けば故郷の山河         恵

 前句「花の息づかひ」を霞と捉えて、それが開けたところに「故郷の山河」を見出だしている。このようにして発句の「旅支度」から「故郷」にたどり着いた万感の挙句である。
 

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