2016年8月6日土曜日

じわじわと可笑しい機知

 嵯峨根鈴子『ラストシーン』(邑書林)、第二章は「話がある」。章ごとのキャラクターについては触れないことにする。たぶんない。機知に富んだ無季俳句がじわじわと可笑しい。
 
  むかひあふもやうのちがふ双子かな
 いうまでもなく「秋風や模様のちがふ皿二つ 原石鼎」を踏まえて「双子かあ…」とにやにやして下さいという句である。ほとんど旧仮名フェチのような「むかひあふもやうのちがふ」のひらがな表記が心地よい。無季俳句である。
 
  省略の著しきに雪は降る
 「白魚のさかなたること略しけり 中原道夫」とか「下半身省略されて案山子佇つ 大石雄鬼」とかいろいろ先行句は思い浮かぶが、掲句はなにを略したのかさえ略してしまったのが手柄だろう。きちんとしたものをもいい加減なものをも降る雪が覆ってゆく。

  螺子釘やはじめヒト科のちちとはは
 螺子釘なので下穴を小さく空けて螺子を切りながら固定するわけだが、掲句は性行為の途中で姿を変えられてしまったような可笑しさがある。学名「ヒト科」の片仮名表記に「ちちとはは」とひらがなをぶつけたところが、なんとも人を食っている。無季俳句である。

  みな帰りたる噴水に話がある
 章のタイトルナンバーである。話があるというよりは、「ちょ、ちょっと待ってよ」というか何かしら一心不乱の噴水の水の集団行動に意義を申し立てたい気持ちにかられたのだろう。噴水を眺めているうちにゲシュタルト崩壊を起こしてしまった趣がある。 
 
  残像を先にたたせて御器嚙
 これは以前、週刊俳句の落選展で触れた。「残像を先にたたせて」はもちろん科学的ではないのだが、かの昆虫に対して祖先から遺伝子で受けつがれてきたであろうおぞましさをみごとに捉えている。

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