2019年7月1日月曜日

七吟歌仙 日傘さしの巻 評釈

   日傘さし一個の点となりにけり       茱萸
 発句は歌人の茱萸さんから頂いた。自身を見られる対象として景の中に配置した絵画的な句である。「けり」により発句として立ち、なんとも印象鮮明である。

   日傘さし一個の点となりにけり       茱萸
    遠近法で続く万緑           ゆかり
 脇は発句と同じ場所、同じ時刻で詠み挨拶とする。絵画的な発句に対し美術用語を用い、背景を描くように奥行きを加えた。「万緑」は季語であるとともに、漢詩の「万緑叢中紅一点」から派生して人口に膾炙した「紅一点」を踏まえ、凜とした発句の人物の印象を言外にほのめかしている。

    遠近法で続く万緑           ゆかり
   地球儀の海のあたりに耳あてて      小奈生
 第三は発句と脇の挨拶から離れ、付け合いのほんとうの開始となる。遠近法の消失点へ向かう数多の直線に対し、地球儀のイメージは確かに遠い。「海のあたりに耳あてて」というのも意表をついている。この人は一体なにをやっているのだろう。小奈生さんは連句人なので、以下ほとんど無注文で自由に付けて頂いた。

   地球儀の海のあたりに耳あてて      小奈生
    やがて安らぐしろい神経         四羽
 前句のよく分からない行動は、平常心を取り戻そうとしていたようである。「しろい」がなんとも繊細である。あえて景のない句で付けて変化としている。四羽さんは俳人で、ジャズ・ミュージシャンでもある。

    やがて安らぐしろい神経         四羽
   自転車で遅番に行く月明り         媚庵
 月の座であるが、打越に「地球儀」があるために丸い月は出せず、かたちに障らない「月明り」としている。前句の世慣れしない人物が遅番で出勤する。媚庵さんはここではほぼ常連で、歌人にして俳人。

   自転車で遅番に行く月明り         媚庵
    薄原より魔女の飛び立ち          恵
 うっ、表六句で「魔女」を出しますか、という気もするが、それが恵さんの持ち味だし、それを通すのも「みしみし」の持ち味である。巨大な月の前を飛ぶ自転車のシルエットの有名な映画ポスターがあるが、打越の人物を離れそんな魔女の姿が浮かぶ。恵さんは久々の参加で、俳人。連句ではぐいぐいと変なものを突っ込んでくる。

    薄原より魔女の飛び立ち          恵
ウ  カプセルに遺骨を詰める暮の秋       桐子
 ここから初折裏で、あばれどころとなる。前句の魔女、一体なにをやらかして飛び去ったものだか…。「カプセル」がSFのようである。桐子さんは柳人。

   カプセルに遺骨を詰める暮の秋       桐子
    等身大のベティ・デイヴィス        萸
 ベティ・デイヴィスはアメリカの女優。ウィキペディアによれば、キャサリン・ヘプバーンと並ぶ、ハリウッド映画史上屈指の演技派女優で、尊敬をこめて「フィルムのファースト・レディ」と呼ばれた由。前句「カプセル」の窮屈さから導かれたであろう「等身大の」は、ベティ・デイヴィス本人の形容であれば女優ではない素顔のといった意味になり得るし、そのものではないレプリカである可能性もある。作者・茱萸さんの弁によれば晩年の作品「何がジェーンに起こったか」における白塗りの怪演ぶりから着想を得たとのことである。

    等身大のベティ・デイヴィス        萸
   値札ある水族館を冷やかして         り
 東京タワーの下の方には比較的有名な蝋人形館の他に水族館があり、知る人ぞ知る話ではあるが、この水族館で展示される魚類は値札のついた売り物なのだった。蝋人形館に等身大のベティ・デイヴィスが本当にあったかは知らない。またこの水族館は二〇一八年九月三〇日をもって閉館となった。もっとも句としては東京タワーも蝋人形館も出て来ないので、そんなものをビビビと読み取れるとしたらよほどの東京タワーおたくだろう。普通に読むと、休日のベティ・デイヴィスが一風変わった水族館に立ち寄り、ベティ・デイヴィスと気づかれつつも何も買わず次から次へと水槽を眺めて行く景だと思うし、それでよい。気分としては、恋の呼び出しである。

   値札ある水族館を冷やかして         り
    降れば降るほど逢ひたいと言ふ       生
 前句の水っぽさを受けて、長雨に転じている。悶々とした恋人同士の電話だろうか。

    降れば降るほど逢ひたいと言ふ       生
   夜の土に二人で下りて落書きし        羽
 舗装された道路から下りて橋脚とか塀とかそんなものに落書きをしているのだろうか。逢うには逢ったが、道を踏み外している。

   夜の土に二人で下りて落書きし        羽
    ヘリコプターがよぎる寒空         庵
 前句の二人は逃亡中のようである。緊迫した展開である。恋を離れている。

    ヘリコプターがよぎる寒空         庵
   着膨れて左手重きサイコガン         恵
 検索するとサイコガンとは、寺沢武一氏の漫画『コブラ』の主人公である宇宙海賊コブラのパイソン77マグナムと並ぶ武器である。寺沢武一氏も知らなければ『コブラ』も知らないが、前句の緊迫した展開を受けるにはこのくらいの武装が必要だろう。「それ、違うじゃろ」という突っ込みを待つ季語「着膨れて」が妙に可笑しい。

   着膨れて左手重きサイコガン         恵
    夜が足りない緞帳の裏           子
 前句を芝居の演目とした付けだろう。幕が下りたあと、翌朝までにあわただしく撤収し移動しなければいけないのだ。

    夜が足りない緞帳の裏           子
   初凪の岬を一周廻る猿            茱
 「初凪」と正月の季語なので、この猿は野生ではなく家々を廻る猿回しの猿だろう。前句の旅の一座の雰囲気を受けて付けている。

   初凪の岬を一周廻る猿            茱
    灯台しろくうららかにして         り
 前句の「岬」を受け単純な叙景で転じている。ここから春。

    灯台しろくうららかにして         り
   バザールのベルベル人と花の下        生
 花の座であるが、「バザールのベルベル人」とは変なものを出してきた。検索するとベルベル人とは、北アフリカ(マグレブ)の広い地域に古くから住み、アフロ・アジア語族のベルベル諸語を母語とする人々の総称とのこと。とはいえ、花の座なので北アフリカの景ではなく、インバウンドな当節日本事情なのだろう。句としても濁音の効果により異国情緒があり、前句の「灯台しろく」に対しカラフルな印象がある。

   バザールのベルベル人と花の下        生
    おほきな箱に蝶がびつしり         羽
 バザールの売り物だろうか。このあたり虚実入り乱れてじつに面白い。

    おほきな箱に蝶がびつしり         羽
ナオ モニターに迷彩服のやくみつる        庵
 漫画家・やくみつるには日本昆虫協会の副会長という一面があり、『やくみつるの昆虫図鑑』(成美堂出版)という著書もある。であれば観察ないし採集のため、迷彩服に身を包んでいるのであろう。

   モニターに迷彩服のやくみつる        庵
    渋谷スクランブル交差点          恵
 連句の評釈というのは雑学の宝庫なのではないかと思わなくもないが、これまた検索すると渋谷スクランブル交差点の大画面は現在「渋谷駅前ビジョン」「DHC Channel」「Q'S EYE」「グリコビジョン」「109フォーラムビジョン」があり、五面シンクロもできるらしい。迷彩服のやくみつるが一斉に映し出されることもあるのだろう。それにしても恵さんの付句、たった一語で十四音を使い切る大胆なわざである。

    渋谷スクランブル交差点          恵
   うつすらと火薬匂ひて月涼し         子
 雑踏に一抹の不吉さを感じ取るのは順当なところだろう。月涼しが効いている。言葉尻だけを捉えれば、打越の「迷彩服」と「火薬」は障らなくもないが、堂々めぐりになっている訳ではないのでよしとする。

   うつすらと火薬匂ひて月涼し         子
    赤い貼絵にいそしむ画伯          萸
 「火」から「赤」という筋である。

    赤い貼絵にいそしむ画伯          萸
   ポルシェとかボリシェヴィキとか走り抜け   り
 赤いものをふたつ並べて走り抜けた。とっとと去らないと「交差点では私の車がミラーこすったと」で三句前に障るではないかなどと言われてしまう。

   ポルシェとかボリシェヴィキとか走り抜け   り
    微調整する景気判断            生
 前句の革命的左翼に対し、「景気判断」というなんとも資本主義的なもので付けている。

    微調整する景気判断            生
   裏切の宇宙怪獣やるせなし          羽
 「宇宙怪獣」とは面白いところを突いてきた。地球上に東西の目に見える対立があった時代であれば、「宇宙怪獣」という共通の敵に対し地球人も一丸となって結束できたのだろうが、冷戦後のグローバル化した現代においては、目に見えない分断が進んで共通の敵という概念を設定しづらく、「宇宙怪獣」も商売上がったりなのだ。

   裏切の宇宙怪獣やるせなし          羽
    じゃがたら芋を大鍋に煮る         庵
 着ぐるみを脱いで転職したのだろうか。ここから秋の句が続く。

    じゃがたら芋を大鍋に煮る         庵
   水澄みて洗濯板の硬き音           恵
 質素な暮らし向きである。

   水澄みて洗濯板の硬き音           恵
    こめかみの奥きつつきの来て        子
 前句の「硬き音」を受けて、頭痛の描写に「きつつき」を用いている。k音、t音の連鎖がなんとも硬い。

    こめかみの奥きつつきの来て        子
   体幹は洞となり果て後の月          萸
 きつつきにつつかれ続け胴が洞と成り果てた。月の座であるが、秋も四句目なので「後の月」としている。

   体幹は洞となり果て後の月          萸
    遠めがねにて見やる行くすゑ        り
 空洞のものとして望遠鏡を出した。わざわざ古風な言い方にしたので人によっては遠眼鏡事件を思い出すかも知れない。

    遠めがねにて見やる行くすゑ        り
ナウ しんしんと雪の音聞くカテドラル       生
 名残裏である。これは前句にいう「行くすゑ」の景だろうか。前句「見やる」に対し「音聞く」で付けている。また、全体を見渡しここまでの展開の中で未出の「雪」で付け、締めにかかっている。

   しんしんと雪の音聞くカテドラル       生
    二十世紀の冬帽傾ぐ            羽
 打越に「行くすゑ」がある状況下で微妙だが、大聖堂だけに歴史的な陳列物などもあるのだろう。

    二十世紀の冬帽傾ぐ            羽
   蒼穹に輪を描くブルーインパルス       庵
 「ブルーインパルス」は航空自衛隊の曲芸飛行隊。一九六四年の東京オリンピック開会式で青空に描いた五輪は国民の度肝を抜いたというが、当時幼稚園生だった私の物心には残念ながら残っていない。できごととしては十月十日のことだが、連句で秋の句を出すと三句続けなければならなくなるので、巧みに季語を避けている。

   蒼穹に輪を描くブルーインパルス       庵
    赤で記せし恋猫の地図           恵
 前句の「蒼穹」もしくは「ブルー」に対し、「赤」で付けている。「恋猫の地図」が人間界の青線地帯、赤線地帯を思い起こさせもする。名残表四句目に「赤」は既出だが、描いている世界が全然異なるので問題ないだろう。ここから挙句まで春の句が続く。

    赤で記せし恋猫の地図           恵
   あしあとにひかり生まれる花の朝       子
 花の座である。花を直接愛でるのではなく、前句を受けつつひらがなを多用した「あしあとにひかり生まれる」と取り合わせることにより、幻想的な生命力が感じられる。

   あしあとにひかり生まれる花の朝       子
    みんな似てゐる四月の子ども        萸
 挙句である。新入園児もしくは新入学児だろうか。もちろん子どもはひとりひとりみな違うが、それがはっきりしてくるのはこれから始まる集団生活の中である。まずはみんな似てゐるものとして、そのエネルギーを受け止めよう。花の座の句と相まって、子どもの生命力が満ちあふれている。なお、近くに月の座があると「月」の字が気になったりするものだが、挙句であれば問題ないだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿