11/21の日記に紹介した宮地伝三郎『俳風動物記』(岩波新書)を読み終わりました。これ、動物生態学者の随想として、激しく面白いです。一冊の本の中で大いに話が飛躍します。
●カワウソと獺祭
季題に「獺魚を祭る」というのがあり、山本健吉の『最新俳句歳時記』(文藝春秋)の記載では以下。
とった魚を岸にならべてなかなか食わないと言われ、そのことを獺が正月(陰暦)に先祖を祀ると言ったもので、空想的季題である。
これが宮地伝三郎氏の手にかかると、こうなる。
獺のまつり見てこよ瀬田の奥 芭蕉
魚まつる獺おぼろなり水の月 青橘
何魚を祭るぞ獺のかげおぼろ 文児
獺の祭りに恥ぢよ魚の店 蝶夢
などの句を列挙した上で、「日本の俳諧師は誰も獺祭の現場は確認していない」と断定、ライデッカー『王室自然史』(1922年)の記述を紹介する。
捕らえた魚は、小さいのは前肢でもって、背泳しながら、その場で食うが、大きいのは陸上に運んで、手で持ち、頭から食べて尾ひれだけを残す。とくに興味があるのは、魚がたくさんとれる場合で、殺したのを陸上に置いては、また、漁をつづける。そればかりでなく、殺しのための殺しをする習性があって、一かみしただけの魚を、食べないで陸上にちらかしておくのを、人が拾って食べることもあったという。動くものを見たら飛びかかって殺す狩猟本能によるのである。これらの観察は、『礼記』の獺祭魚の記述とよく照応する。もっとも、獺祭魚の魚は、食う前にまず先祖の霊に捧げるので、お下がりは食うようにも読みとれるが、ライデッカーによると、カワウソは食う必要以上の魚を殺して捨てておく。
古代中国の経書、『礼記』の獺祭は架空の作り話とはいえないのである。
云々。
●タニシを鳴かせた俳諧師
こちらも山本健吉の『最新俳句歳時記』によれば、以下。
古来田螺鳴くと言っているが、空想である。
これが宮地伝三郎氏の手にかかると、こうなる。
タニシの鳴き声を聞いた人がいるだろうか。ちかごろは水田地帯を歩いてもタニシを見かけることさえ希なのだが、近世の俳人たちは、日常のこととしてその鳴き声を聞いていた。
かくまでの春ぞとて鳴くたにしかな 少汝
韮くさき垣の隣りを鳴くたにし 祥禾
春嬉したにしの鳴くに及ぶまで 葛三
桃さけか桜咲けとか鳴くたにし 玉峩
(以下5句ゆかり略。)
春、それも昼間に鳴いている場面が多いように見えるが、そうとばかりは限らない。夜も鳴く。
菜の花の盛りを一夜啼く田螺 曾良
田螺啼いて土臭き春の夕べかな 保吉
鳴く田螺きかんともなく聞く夜かな 保吉
たにしなく夜は淋しいに蚤ひとつ 撫節
これらの句を列挙したのち曰く、
それにしても、これほどの俳人が鳴くのを聞いたというのに、タニシの発声器官も聴器も見あたらない。タニシの身代わりとして、ほんとうに鳴いている動物が別にいるのではあるまいか。
と論を展開する。この展開の中で何種類もの小動物や昆虫の話が出てくるのであるが、ウンカのめすの発信装置のくだりなど、実に驚くべき記述がある。
●動物生態学者としての発想の飛躍
かと思うと、動物生態学者としての発想の飛躍にのめり込むくだりが二箇所ある。ひとつはびわ湖特産のハゼ科淡水魚イサザの出自であり、もうひとつは同じびわ湖特産のセタシジミの出自である。とりわけ後者の発想はダイナミックで、門外漢の私にとっても感動的ですらある。中国に太湖という湖があり、そこにセタシジミそっくりのシジミがいるのだが、なんと、宮地伝三郎氏は日本列島が中国大陸と陸続きだった時代に思いを馳せる。その頃、揚子江と当時は南流していた黄河とは合流して、一本の河として南支那海に注ぎ、びわ湖と瀬戸内海を結ぶ「古瀬戸内海」はその一つの支流として、それに合流していたと推定されるから、太湖と古びわ湖は同一水系に属していたのだ、という。
これらのくだりでは、俳句の読者そっちのけで、江戸俳諧の引用もなく筆が進み、その集中がすばらしい。随想っていうのは、こうでなくっちゃと、つくづく思う。
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この手の書物は異様に好物!?ですので、早速amazonへ急行します♪♪♪
返信削除異様に好物!?の人には受けると思います。
返信削除ここに詳細があったんですね。どこかで見た覚えがあったのですが。芭蕉だってつくっているのに、山本健吉氏は、角川のほうの歳時記の季語欄にそれを載せなかったのは、二十四節季七十二候表にかいてあるから、もうそれですませて「季語」の項にはたてなかったのでしょうかね。
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