2015年11月26日木曜日

七吟歌仙 下町にの巻・評釈

   下町に血縁おほき秋暑かな     媚庵

 「下町に血縁おほき」というだけで、作中主体の性格が立ち上がってくるようである。季語とあいまって「血縁おほき」と言っているだけなのにどこか血の気が多い気もしてくる。一句それだけで読者の心をわしづかみにする発句ではないだろうか。

    このあたりまで来ては飛ぶ鰡  ゆかり

 脇は人物を離れ、別の角度から下町を描き挨拶としている。川なのか運河なのか定かでないが、海ではないところで鰡が跳ねている。かつて隅田川が死の川と言われた時期もあったが、いろいろな変遷を経て下町は今も存続している。

   お太鼓を結ぶ頃には月の出て    玉簾
 発句が秋だったので、月の座を第三に繰り上げている。どこかの女将だろうか。着物の帯をお太鼓に結ぶ頃には、はや月が出ている。

    風にまじりてシュプレヒコール   令

 どこか遠くからシュプレヒコールが聞こえる。本巻は 8月29日に起首したが、折しも世間では9月19日に可決されることになる安保法案をめぐり世相が沸騰していた。とはいえ、「シュプレヒコール」の語感は最近のラップ的なデモとは雰囲気を異にする。どこか遠い時代の怨念のようでもある。

   薄暗き地階のバーで呷る火酒    月犬

 そんな雰囲気を捉えて空間を設定する。火酒はストリチナヤとかストロワヤとかやたら強くて割と安い銘柄だろう。

    赤鱏がゐる大きな水槽       七

 そんなバーに現実なのか悪酔いした夢なのか分からない水槽がある。

ウ  毒針を使ふ忍術会得して       槇

 初折裏からが暴れどころとなる。「赤鱏がゐる大きな水槽」は、もはやバーにあるのではない。この忍者は正義の味方なのか、悪の手先なのか。

    千姫背負ひ逃げる若武者      庵

 歴史には疎いので、千姫についてはまったく知らない。検索すると墓所は小石川傳通院とあるから、そうとは知らず見たことはあるかも知れない。大坂夏の陣では、祖父・徳川家康の命により落城する大坂城から救出される、とあるから本句はそのときのさまか。すると忍術を会得したのは家康の息がかかった者だったのか。

   トランプの兵隊婆娑と押し寄せる   り

 なにしろ千姫を何も知らないので、追っ手を『不思議の国のアリス』のトランプの兵隊とした。ルイス・キャロルの原作よりもむしろディズニーのアニメのイメージである。

    並べ堤に化けよ堤に        簾

 折しも世間では9月10日に鬼怒川堤防が決壊した。現実社会では祈ることくらいしかできないが、連句の作品世界にも先ほどのシュプレヒコールといい、何らかの影響が入り込む。

   CGの液体金属煌めけり        令

 といって、現実社会でそのまま付けるようなことはしない。コンピューター・グラフィックスのねっとりとした液体金属のきらめきの超現実的なディテールを思い浮かべる。

    なにも映さぬモノリスの前     犬

 前句に対し『2001年宇宙の旅』のモノリスを出してきたのは大きな手柄だろう。

   チェンバロの通奏低音大空に     七

 『2001年宇宙の旅』の中で、宇宙船内の孤独を紛らわすために音楽をがんがんかけるが、次第に人間くさい音楽が聴けなくなり、バッハばかりを好むようになるシーンがある。

    フリルのシャツを着こなす男    槇

 フリルのシャツを着こなす男は、宮廷音楽家のようでもあるし、映画が作られた頃のロック・ミュージシャンのようでもある。

   蛇穴を出づとわざわざ言ひに来る   庵

 そんな男が「蛇穴を出づとわざわざ言ひに来る」。このあたりの脈絡のなさはそうとう可笑しい。

    残雪のごとびしよびしよの母    り

 言いに来た相手は、びしょびしょになって働いている母。

   桂馬打つ音響きをり花の下      簾

 母がびしょびしょになっているのに一方では、のんきに将棋。あまりにものんきでしずかな花の座である。

    高飛びをしてどこに行かうか    令

 桂馬は、二マス先で右か左に一マスずれたところへ移動する。一マス先に相手の駒があっても飛び越えられるルールなので、俗に「桂馬飛び」ということばがある。あまりにのんきだったので立場が危うくなったのかも知れない。
 
ナオ 国境のフェンスに蔦のみどり濃し   犬

 国境のフェンスというと、バイクで物理的に高飛びしようとした『大脱走』のスティーヴ・マックイーンを思い出す(後年スタントマンが名乗り出ているが…)。そのシーンは別の連句でも見たような既視感があり「蔦のみどり濃し」となったものか。

    監視カメラの迷路を歩き      七

 時間は前後するが、世間では寝屋川市で中学生二人が殺害される事件があり、8月13日未明に商店街を歩く被害者二人の監視カメラ映像が繰り返し放映された。ありふれた商店街でさえそうなのだから国境であればなおさらだろう。

   靴ひもを結びなほしてゐる背中    槇

 なにか事件があれば、一見なんでもない「靴ひもを結びなほしてゐる背中」も糸口としてコメンテイターによってあることないこと口々に語られるのだろう。

    定年ののち茶器つくるひと     庵

 さて、一方で定年を迎えたのち茶器をつくるひとがいる。この人がかつて何かに関わっていたのか知るよしもない。上体を固定してろくろを回しているさまは、案外靴ひもを結びなおしている背中とそっくりなのかも知れない。

   こちこちと壁いちめんの古時計    り

 茶器をつくる部屋の壁面には、誰が集めたものか古時計がいっせいに時を刻んでいる。定年の身の上には、実用の意味を失っている。ミヒャエル・エンデの『モモ』がどこかしら念頭にあった。

    星の女神が降りて来る夜      簾

 よくここで「星の女神」が出てきたものだ。『モモ』の中の開いては閉じる時間の花のように、それとは別のことばで時の摂理が視覚化されている。

   息白く嘘つく度に鼻のびて      令

 これは『ピノキオ』だろう。ディズニーの挿入歌「星に願いを」から導かれたと思われる。

    サーカス団の天幕に影       犬

 そのままピノキオで付けている。

   終の地の何処か知らで馬肥ゆる    七

 月の座が近づき、ここから秋の句となる。サーカスに売られる前の馬を詠んでいる。

    梨をむけども猫はかへらず     槇

 馬はさておき、飼い猫が帰ってこない。
 
   天窓に月見えてゐる十二階      庵

 どこかに行くにしたって、ここは十二階なのだ。折しも天窓に月が見えている。この巻、媚庵さんの「さて」「折しも」という感じの前句との距離の置き方が絶妙である。

    神託のごとやつてくるバス     り

 小室等「12階建てのバス」に基づいている。同曲、歌詞はイラストレーター・小島武による由。

ナウ 嗣治の雪がふはりとすわる椅子    簾

 名残裏である。暴れどころは名残表までで、ここからは挙句に向かい、格調を取り戻した句が続く。停留所の椅子なのだろうか。嗣治のどの絵と特定する必要はないのかも知れない。ちなみに嗣治の三人目の妻のフランス人は嗣治から「お雪」と呼ばれた由。

    絵はがきの裸婦微笑むでなし    令

 確かにそのような絵はがきが実在する。表情に着目することで雰囲気を変えている。

   遠国の大河が海と出会ふ場所     犬

 打越以来の異国情緒を引きずっていなくもないが、大きな景である。

    薄霞刷くやうな墨跡        七

 場所の特定の曖昧な前句を水墨画文化圏に引き寄せている。実景としての春以上に浅い春を感じさせる。

   クッキーに卵黄を塗る花月夜     槇

 前句に色を添えるようにして、花月夜を導いている。この色彩感はなかなかなものだ。

    都へ錦飾る太郎よ         庵

 太郎というからには長子なのだろう。普通の慣用句なら「故郷に錦を飾る」であるが、発句が「下町に血縁おほき秋暑かな」であることを意識して「都へ」とすることにより、挙句から発句に回帰するループ構造としている。太郎は一族にどのように迎えられたのだろう。「太郎よ」と呼びかけているところをみると、クッキーに卵黄を塗っていたのは、あるいは老いた母であったか。

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