2017年5月2日火曜日

覆へるともの巻 評釈

 4月5日に亡くなった大岡信氏を偲び、脇起こしで連句を巻いた。今回はいつもの連衆に加え、特に歌人の田中槐さんと柳人のなかはられいこさんに参加して頂いた。以下、評釈を記すにあたり、本連句の句そのものはゴシック、評文中の大岡作品の引用は青字、その他の引用は緑字とし、また敬称略とする。

    脇起し追悼七吟歌仙 覆へるともの巻

   覆へるとも花にうるほへ石のつら  大岡信


 発句は『悲歌と祝祷』(1976年、青土社)巻頭、「祷」という題の行分け詩。

  祷

覆へるとも
花にうるほへ

石のつら


 その原型は丸谷才一、大岡信、安東次男による『だらだら坂の巻』名残裏花の座「くつがへり花にうるほふ石の面(つら)」とのこと。谷川俊太郎と大岡信の対談『批評の生理』(1978年、思潮社)に谷川による名鑑賞がある。長くなるが引用する。

この詩から僕は、はじめはなんとなく道端でひっくり返っているお地蔵さんというイメージを持って、「石のつら」の「つら」は顔のことだから、お地蔵さんが顔をうつ伏せにして倒れているのかなと思った。だけど考えてみると「つら」は「おもて」とは違う。顔でも頬から顎にかけての横の面の表現だ。これはやはり横ざまに、たぶん丈の低い野草の中に倒れているのではないか、というふうにイメージが変った。
そうして考えてみると、今度はこれは別にお地蔵さんでなくてもいいのじゃないか。「石のつら」というのを人間の顔に重ね合せて考えなくてもいいわけで、もしかするとうつ伏せに倒れた墓石の横の面であるかもしれない。またそこからさらに連想して、これはいかにも日本的な詩のようでいて、しかしギリシャの遺跡で大理石の柱が原色の花のなかに倒れ伏していると読んだっていいのじゃないか。そのどれが正解というのではなくて、そこまで重層的に読めるという気がしてきた。
とにかくこの一篇の主題は、滅亡したものがそのあとも花という現在によってうるおってください、そういう形で過去というものが現在に蘇り得るのだ、というテーマだろう。そういう「石のつら」がなければ花というものもその存在を明らかにしないのだっていう気持がこめられていると思う。つまりこの詩の「花」は『花伝書』の「花」なんかにつながる現在の象徴で、「石」は過去の象徴だと読めるわけね。だからそこにはまた、過去というものが石のように堅固で確乎として存在するものであるのに対して、現在というのは花のようであり、それは早く萎れたり枯れたりするものだという対照もあると思う。この詩の題が「祷(いのり)」であるということのなかには、大岡が自分自身および自分の生み出す作品が未来においては石であることを願うし、現在においては花でありたいと願う、あなた自身の願望がこめられているのじゃないかという気がする。(後略)

 大岡信追悼歌仙を巻くにあたり、発句としてはこの詩をおいてないのではないかと思われた。行分け詩を一行にしてよいのか、とか、連句の発句として花の座で始まってよいのか、など躊躇すべき点はないわけではないが、まさに花の盛りに亡くなったわけだし、敢えて頂くこととした。

    ひかりをまとふ木々の囀り    ゆかり

 脇は、そのような「石」が対峙する現在として、「ひかり」と「囀り」を供えた。

   上海の地番に春の風抜けて      銀河

 第三は、発句と脇の挨拶から離れる役割がある。大岡の詩「延時(イエンシー)さんの上海 中国」(『旅みやげ にしひがし』(集英社、2002年)所収)を引用して、上海の春に転じた。余談ながら、この詩の題材となった、昭和十年に上海で他界した大岡信の祖父は、かなりミステリアスな人物のようである。

    摩天楼にて蟹を楽しむ       伸太

 引用元にこだわることなく、昨今の上海事情にて付けている。

   踊るひとつぎつぎふえる月あかり    槐

 摩天楼のふもとでは昔ながらの盆踊りが今も続けられていて、月あかりに照らされている。

    孫三たりとのメイル爽やか      令

 前句「つぎつぎふえる」から導かれているが、これは大岡信が2004年宮内庁歌会始の召人として詠んだ「いとけなき日のマドンナの幸(さっ)ちゃんも孫三たりとぞeメイルくる」を引用している。


ウ  校庭に朝顔からみつく木馬      媚庵

 前句「孫三たり」から導かれているが、夏休みであろうか。遊具に朝顔がからみついている。

    たがひちがひに灯すランタン   れいこ

 校庭にひと気がない時期、じつはキャンプに行っていたようである。

   森といふ夢の過剰を鎮めをり      り

 森はなんとも怖ろしい。大岡信の「青春」(『記憶と現在』(書肆ユリイカ、1956年)所収)の一節「あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢を奪った」を引用している。

    窓に記憶を残しさよなら       河

 同じく『記憶と現在』から「二十歳」の一節「すでに整然たる磁場はくずれた。私は沙上をさまよい歩く。私は窓に記憶のノートを撒き散らす。落日。森の長い影が私の内部に伸びている。私は夜に入ってゆく。」を引用して付けている。前句から恋に転じる可能性もあったが、未遂に終わっている。

   山男マッキンリーから帰らざる     太

 前句の「さよなら」を死別と捉え付けている。ところで、大岡信は若くして山男の友人を膵臓癌で喪い、「薤露歌」という詩を残している(『悲歌と祝祷』所収)。一部を紹介する。

浪華の市長の弔電なんか
もらつたつてなんになる
活力と善意のかたまり
陽気な笑ひ スキーの陽やけ
脳髄に中国近代史をつめこんで
それを陳(なら)べてみせるまもなく
きみはすべった 直滑降の非時(ときじく)の坂を

    凍てし月より石を拾はむ       槐

 厳寒の雪山のイメージを受け、一風変わった冬の月の座としている。アポロ計画の時代にも思いを馳せているのだろうか。

   最大の平面の夢受胎すと        令

 クレーターだらけの月面のイメージからの推移だろう。大岡信は『ユリイカ』に連載していた「文学的断章」の記事「ある詩のためのノート」(1972年7月号)で、「木霊と鏡」の推敲過程を公開している。その中の以下の一節から引用している。原詩の命令形に対し、しかと受け止めた体となっている。

地上のものらを地上の色に着色するため降りそそぐ
宇宙の雨のささやき
「受胎せよ 受胎せよ
無言を受胎せよ
最大の平面の夢
最小の運動の脈
どもる会話の泉
謎への信頼
抑揚ある造物主の呼吸(いき)
それらを脳の水盤に
受胎せよ

    今朝のうたこそ生の賜物       庵

 前句の「受胎す」に付けている。明示的ではないが、「今朝のうた」は朝日新聞朝刊に連載されていた『折々のうた』へのオマージュとも考えられる。

   付喪神つれて質屋の旗の下       こ

 生命の謳歌である前句に対し、飄逸にも無生物を質に入れ、しかも付喪神という得体の知れないものまで詠み込んでいる。ここまであまり笑う場面もなく進行してきたが、みごとに雰囲気を変えている。

    泡立つてゐる発語本能        り

 付喪神という得体の知れないものにも言語コミュニケーションが存在することを仮定して付けている。「発語本能の泡立ち」は大岡信の初期の評論『現代詩詩論』の中で以下のように使われている。

(前略)
激しく生きるということはまず第一に、詩人が自らの内部に強烈な発語本能の泡立ちを感じとるということだ。しかし、発語本能というものは、常に何らかの形で外部から触発されて働くものである。だから、すべての前提条件として、まず彼にはげしい抵抗感を感じさせるものがなければならぬ。しかし現実には、われわれの周囲ではそうした抵抗感を持つものが、しだいに一種垂れさがったような印象を与えるものに変わっているようだ。これを沈滞とよぼうと、相対的安定期とよぼうと、または混乱とよぼうと、現実の事実としては社会全体が病んでいるとしか言いようがない。この時詩人が思想的にいかに健康であっても、彼の感性はこの病毒の影響を最も直接的に蒙るであろう。焦ってこれを拒もうとすればするほど、詩は観念的な独白、あるいはヒステリックな叫びに陥る危険に直面せねばならなくなる。つまり、感性の受ける傷は彼の批評精神をそこねるのだ。従って、おのれの詩人としての宿命を頑なに信じて書ける詩人だけが、たしかな骨組みを持った詩、つまり詩としての普遍性をそなえた詩を書きうるという、真実だが、今日では些か皮肉な現象が起こってくるのだ。今日詩を書くということは実に難しいことである。
(後略)

   掃除機に吸ひ込まれゆく花の闇     河

 『ぬばたまの夜、天の掃除機せまつてくる』(岩波書店、1987年)に拠っている。吸い込まれるのは「発語本能の泡立ち」なのか「花の闇」なのか。いかんともし難いハイパワーが迫る。

    いそぎんちやくのひと日は過ぎぬ   太

 そんなことはなかったかのように、磯巾着の平和な生態が描かれる。なかなかな転じである。


ナオ 春の野に燃やす記憶と現在と      槐

 詩集『記憶と現在』に拠っているわけだが、抑えがたい感情の高まりを感じる。

    新聞社にて訳す英文         令

 そんな学生時代を封印して就職したのだろうか。伝記的な事実としては、大岡信は読売新聞社に就職し外信部に在籍した時期がある。

   バンカラの一高生が辞書を食ふ     庵

 これもまた伝記的な事実として、大岡信は旧制一高を卒業している。その事実と、中学あたりでいまだに語り継がれる「昔の人は辞書の単語を覚えるたびにそのページを食べるくらいの覚悟で勉強していたんだ」というなかば法螺話を組み合わせている。

    おおそれみよと揺れる桟橋      こ

 外国語つながりで、「地名論」(『大岡信詩集』(思潮社、1968年)所収)を引用している。言葉遊びの楽しさに満ちたこの詩は、部分的に紹介しても面白さが伝わらない。

地名論

水道管はうたえよ
御茶の水は流れて
鵠沼に溜り
荻窪に落ち
奥入瀬で輝け
サッポロ
バルパライソ
トンブクトゥーは
耳の中で
雨垂れのように延びつづけよ
奇体にも懐かしい名前をもった
すべての土地の精霊よ
時間の列柱となって
おれを包んでくれ
おお 見知らぬ土地を限りなく
数えあげることは
どうして人をこのように
音楽の房でいっぱいにするのか
燃えあがるカーテンの上で
煙が風に
形をあたえるように
名前は土地に
波動をあたえる
土地の名前はたぶん
光でできている
外国なまりがベニスといえば
しらみの混ったベッドの下で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
おお
それみよ
瀬田の唐橋
雪駄のからかさ
東京は
いつも
曇り

   海鳥は下から上にまぶた閉ぢ      り

 前句「桟橋」から導かれている。「少年」(『悲歌と祝祷』所収)に次の一節がある。

さうさ
海鳥に
寝呆けまなこのやつなんか
一羽もゐないぜ


 どうでもいい話だが、調べてみると鳥は人間とまぶたの構造が異なり、下から上に閉じるらしい。大岡の勇気を鼓舞する詩句を俳句の客観写生の方法で捉えなおすと、こんなことになってしまう。

    雪の純白くぐる恍惚         河

 前句「海鳥」から導かれている。ホワイトアウトする眩暈を感じる。

   食卓に置かれ真珠のネックレス     太

 前句「純白」から導かれている。物質感がある。

    汝が泣くときの宝石のこゑ      槐

 岡倉天心とインド人女性との往復書簡集『宝石の声なる人に―プリヤンバダ・デーヴィーと岡倉覚三*愛の手紙』(大岡玲との共訳、平凡社、1997年)に拠る。前句「真珠」と直接的に障る気もするが、こちらは宝石ではなく「こゑ」だと捉え、そのまま頂くことにした。このあたり、初折裏で機会を逸したままの恋の座の呼びかけとなっている。

   重信と苑子に夜の訪問者        令

 大岡信と高柳重信の親交は「船焼き捨てし船長へ 追悼」(『地上楽園の午後』(花神社、1992年)所収)に詳しい。1956年に『短歌研究』誌上で塚本邦雄と「前衛短歌論争」を行い、そのときに塚本の俳壇における盟友と目されていた重信と出会い意気投合したということらしい。この連句の発句とした「祷」が重信の多行俳句をなぞらえた短詩であったことを思い出しておこう。

    浪漫渡世遠く秋立つ         庵

 夜の訪問者は大岡信だけではなく、高柳邸には加藤郁乎、佐佐木幸綱などの大酒飲みが訪れたらしい。そのような古き良き交流を「浪漫渡世」と呼んだものだろう。

   ファザーネン通りをおほき月のぼる   こ

 大岡信の仕事は世界規模の連詩に及ぶ。アルトマン、パスティオール、谷川俊太郎との共著『ファザーネン通りの縄ばしご--ベルリン連詩』(岩波書店、1989年)を踏まえているが、前句の「遠く」がじつに効いている。

    途絶えがちなる夜寒の電波      り

 月から微弱な指令が人類に送られているイメージ。大岡を離れ『二千一年宇宙の旅』が混信している。


ナウ お辞儀して太古の汗を拭かずゐる    河

 『悲歌と祝祷』には加藤楸邨の句を五句、そのまま詩に組み込む試みが行われている。楸邨の句につけられた傍丸は、ネット上では再現できないので行の終わりに一字おいて○とする。

和唱達谷先生五句

暗に湧き木の芽に終る怒濤光 ○
鳥は季節風の腕木を踏み渡り
ものいはぬ瞳は海をくぐつて近づく
それは水晶の腰を緊めにゆく一片の詩
人の思ひに湧いて光の爆発に終る青

 *

つひに自然の解説者には
堕ちなかつた誇りもて
自然に挨拶しつつある男あり
ふぐり垂れ臀光らしめ夏野打つ ○
受胎といふは 機構か 波か

 *

蟹の視野いつさい氷る青ならむ ○
しかし発生しつづける色の酸素
匂ふ小動物にはつぎつぎに新しい名を与へよ
距離をふくんだ名前を
寒卵の輪でやはらかく緊めて

 *

水音や更けてはたらく月の髪 ○
地下を感じる骨をもち
塩をつかんで台所にたつ
謎の物体が目の奥を歩み去るとき
好(す)キ心の車馬はほのかに溢れる

 *

石を打つ光の消えぬうちに
はてしないものに橋梁をかける
掌(て)から発するほかない旅の
流星に犯されてふくらむ路程
喇嘛僧と隣りて眠るゴビの露 ○

* 達谷先生--達谷山房主 加藤楸邨氏

 銀河の句はこの第二連に拠っている。付け筋としては前句の地理的に対し、本句では時間的な遠方としている。

    アンモナイトの生れて大陸      太

 時間的にさらに遡っている。

   あをいろの点描で描く友のかほ     槐

 まったく転じている。槐によれば大岡の親友でもあった画家サム・フランシスの青をイメージしたという。

    うたげあたたか孤心を生きて     令

 評論集『うたげと孤心』(集英社、1978年)に拠っている。友とのうたげの一方で、孤心を生きるのだという。

   朝といふ朝の窓辺にひらく花      庵

 そんな孤心に対し、これでもかとばかりに花が開き語りかける。「窓辺」は世界との接点である。

    蝶うつろへる折々のうた       こ

 「朝といふ朝」といえば、朝日新聞朝刊に連載された大河的アンソロジー『折々のうた』だろう。ジャンルと時代を超えて「うた」を渉猟した故人のすがたと蝶が重なっている。そしてまた、発句に詠まれた「石のつら」の意味を思う。こうして人類の文化が循環している。


   

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