2016年5月14日土曜日

(6) 俳句特有の言い回し

 前号から句型について着目している。今回は俳句特有の言い回しについていくつか拾ってみよう。具体例はすべて俳句自動生成ロボットによる。

 その一 直喩。比喩を行うときに「AはBのようだ」と直接に修辞する方法である。俳句なので「やうな」「やうに」「ごとし」あるいは「ごと」などを句型としては仕込む。「ごと」は「ごとし」の語幹だが、俳句以外でも多用されるのだろうか。変わったところでは、「○○を××と思ふ」というのも、俳句特有の直喩なのではあるまいか。

  たましひを裂け目と思ふ立夏かな      はいだんくん

 その二。隠喩。たとえを引くとき、「ようだ」「ごとし」などの語を用いない修辞法である。俳句ではしばしば五七五のうちの十二音だけをフレーズを整え、残りの五音に季語など関係なさそうなことを取り合わせる二物衝撃の技法が行われるが、このときの十二音と五音の関係は、隠喩となっていることがある。

  こひびとの光り始める金魚かな       はいだんくん

 その三。比較。「○○は××より△△だ」という文型において普通の散文では○○と××は比較可能な類似の概念であるが、この際、そんな垣根は飛び越えてしまうのもよいかも知れない。

  前髪は恋よりあはし夕薄暑         はいだんくん

 その四。極端。「すべての」「あまねく」「いつせいに」「ばかり」などの極端な表現による言い切りは、俳句では心地よいものである。

  黒南風のやうな片恋ばかりなり       はいだんくん

 その五。否定。不在を詠むことによって、逆にそれがあったときを読者に想起させるやり方である。反対概念の完全否定による強調という手法もある。

  サイダーがなくて鏡の乳房かな       はいだんくん
 
 その六。段階。それが「はじまり」なのか「途中」なのか「跡」なのかに触れると、そこに鋭敏な感覚があるような思わせぶりな句ができることがある。

  階段は朝の始まり鉄線花          はいだんくん

 それにしても、これだけの長さの記事のためにどれほど「次の一句」をクリックしたことか。馬鹿である。

(『俳壇』2016年6月号(本阿弥書店)初出)
 

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